十一
六度目の襲撃。
二日目の夜にあった襲撃で威力偵察になってからは手を変え品を変えこちらを探り続けている。
(自分で言うのも何だが私みたいなタイプはとてもやり難い)
特殊な技能などはなく単純に速く硬く火力があるだけだからな。
いや特異な体質ではあるがそれも人より多い陽の気で攻撃や守りの出力に直結してるからな。
シンプルに強いというのは厄介だ。搦め手が通じ難い。純粋に強さで上回るのが一番楽だ。
(だがそういう単純に強い怪異を作るのは難しい)
混ぜ合わせてもそう遠くないところで上限にぶち当たってしまう。
器に注いだ水に砂糖を入れ続ければいずれ溶け切らなくなるのと同じだ。
術者によって天井は違うが、下手人の限界は見えた。
(単純強化の怪異は恐らく昨日のが上限だろう)
これですっぱり諦め悔い改めてくれるのが一番だが……そんな奴はこんなストーカーしないよな。
真正面からやり合えないならば難しいが搦め手。
穴が、弱点がないなら弱点を作るという方向にシフトチェンジしたのだと思う。
いや昨日の時点でもそんな節はあったから同人進行で試していたのだろう。
そして今日からは搦め手に一本化した、と。
(やり難く――――はないか。別に私のやることが変わるわけでもなし)
バッサリと今日の分の怪異を始末し屋敷に戻る。
身を清めて一息吐いたところで、
「お疲れ様です。よろしければどうぞ」
「おぉ。これは忝い」
縁殿が夜食に熱い茶と握り飯を差し入れてくれた。
炙った干物と漬物もセットで……これはありがたい。
「縁様、片付けは私がやっておきますよぅ」
「すいません。よろしくお願いします」
おやすみなさい、と一言挨拶をして縁殿は寝所に行ってしまった。
夜更かしは成長と美容の大敵だからな。どうかすくすく育ってくだされ。
「さて。何か言いたいことがありそうだな」
「分かりますか?」」
「顔を見れば分かるとも」
「この察しの良さを清明様の前でも常に……いやアレはあの人が捻くれてるのもあるから一概には責められませんね」
「うん?」
「いえ」
ゴホンと咳ばらいをし、灯は切り出した。
「縁様のことです」
「で、あろうな」
私も気にはなっていた。
「昨日あたりから陰を感じるようになったが気のせいではないようだな」
「ええはい。御傍で見ている私の目に狂いがなければ、ですが」
「原因は何だ? 気晴らしに散歩に出た日から気分は上向きになったように見えたが」
身の安全が確保されて心に余裕ができたと思ったが……まだ私は頼りなく見えるのだろうか?
疑問を呈すると灯はいえ、と首を横に振った。
「逆ではないでしょうか」
「逆?」
「自身の身の安全に対して何の憂いもなくなったからこそ」
振り返る余裕ができてしまったのではないか。
そこまで言われて私もようやく得心がいった。
「……犠牲になった護衛たちか」
「恐らくは」
他者の死を悼むことを忘れるほど冷たい人間になったつもりはない。
が、どうしたって職務上殉職者というのは出てしまう。
それゆえ少しばかり死というものに対して鈍感になっていたんだろうな。
「……縁殿のような子が気にしないわけがなかろうに」
せめても責任であると戦いから一度も目を逸らさないような性格だ。
自分を守って死んでしまった者に対して罪悪感を抱かないわけがないだろう。
これまでは自分もまた命の危険があったから深く考え込まずに済んだが……。
安全圏を確保してしまったからこそ抑え込んでいたものが溢れ出してしまった。
「むう」
「人外の私には薄っぺらいことしか言えませんしぃ」
「分かっておるさ。こういうのは私の御役目だろう」
清明は気遣いなんてできない。
詐欺師染みた弁舌でうやむやにはできるかもしれないが根本的な解決にはならないからな。
ご両親に、という手もなくはないが……。
(言い方は悪いが娘可愛さに他人を死地に追いやった、と言えなくもないからな)
我が子を守りたいと思うのは当然。
雇った護衛にも対価を支払ったはずだ。
受け取った側も命の危機があることは承知の上だったはずだ。
責任の所在は決して縁殿ではない。
だがそれは彼女にとっては慰めにもならないだろう。人の心とはそう簡単なものではないのだから。
「むむむ……握り飯が美味い」
塩加減が絶妙だ。単体ならともかく漬物と一緒なら物足りないぐらいが良いんだ。
ぽりと瓜の漬物を放り込んでやればほら、堪らない。
「思いつきませんか」
「ああ」
人を束ねる身の上ではある。
だがうちの部下は揃いも揃って心身共にタフだからメンタルケア染みたことをやった覚えはない。
そりゃそうだ。曰く付きの四番組に入るぐらいだからな。タフでなければやっていけない。
「お頭に――いやよく考えたらお頭も無理だな」
というか大人、それも戦士と子供では必要な言葉は違うだろう。
妻子が居るなら頼れたかもしれないがお頭も独身だしな。
「……まあ、縁殿へのお言葉は必要というわけではありませんが」
「そうだな。それは私の仕事ではなかろう。だが私は仕事でないからと見て見ぬ振りはできぬ」
「ですよねぇ。それが明様ですもの」
少しばかり嬉しそうな顔をする灯に私も思わず頬が緩む。
「御馳走様。灯、すまぬが」
「はいな。留守はこの灯がしかとお守り致しますよぅ」
「ありがとう」
家でじっとしていても妙案は浮かばない。
少しばかり散歩に、と思ったのだが灯は察してくれたようだ。
感謝を告げこっそりと屋敷を後にする。
護衛対象から離れるのはどうかと思わなくもないが今宵の襲撃は凌いだし縁殿も寝ている。
何かあっても灯ならば対処できよう。今まで送り込まれた怪異も灯で何とかできるレベルだしな。
仮にどうにかならずとも時間を稼ぐぐらいはできるはずだ。
何かあれば連絡が来るし色々無視して本気で走れば直ぐに駆けつけられるから大丈夫だろう。
「あ、英組長。お疲れ様です!!」
ふらふら歩いているとうちの組員らに遭遇する。
休暇中なのでお疲れ様ではないが、とりあえずありがとうと言って私も彼らを労う。
「そう言えば私が不在の間、指揮系統はどうなってるんだ?」
よその隊には副長も当然、居るがうちにはいない。
不吉がモロに降りかかるのは組長だが副長もそれなりなのだ。
背負い切れる人材が現状いないということでお頭から空席にするよう言い含められている。
なので他所の隊の預かりになってるとは思うのだが……。
「虎鷹組長の下でお世話になってます」
「まー、明さんと一番仲が良いですからね」
「『明ちゃんが留守の間はわしがしっかり面倒みたるさかいドーンと任せえ!』ですって」
龍一め。嬉しいことを言ってくれる。
ああそうだ龍一にアドバイスを貰――――いや駄目だな。
龍一はちょっと前向きが過ぎるから繊細な年頃の少女相手となれば不適格だ。
「何かありました?」
「僕らで良ければ話、聞きますよ?」
「仕事中だろうが君ら」
「今しがた餓鬼の群れを膾切りにして来たとこなんで小休憩小休憩ですって」
「夜は長いですからね」
「……そういうことなら」
と軽く事情を説明してみるが、
「っし、じゃあ仕事戻ります!」
「がんばるぞー!」
「おい」
これである。
「いやだって私らにそんな繊細な問題がどうにかできると?」
「話を聞くとは言いましたが解決できるとは言ってません」
「その通りではあるが……」
「まああれっす。頑張ってください」
「クッソ何の慰めにもならない応援だ……」
部下たちと別れ散歩を再開する。
気付けば職業病だろう。自然と足が川の方へと向いていた。
人が営みのために使用しない、人気があまりない。この二つを満たす河川は悪いものが貯まりやすい。
元々水場は気を遣わなければいけない場所だが条件を満たすようなところは死体が打ち棄てられていたりするからだ。
供養もされず野晒しになった死体なんて怪異が発生する土壌にしかならないからな。
そういう場所の見回りも退魔師の御勤めなのだ。
「む」
見回りが必要な川の近くまで来たところで足を止めた。
夜の静寂に澄んだ声が響いている。
「これは、経か」
声を辿って河原に下りて歩くこと少し。
橋の下で一人の僧が無縁仏に手を合わせながら経を唱えていた。
(頭襟はないが……尼僧か)
後ろ姿しか見えないが体のライン。
……まあ、その何だ。お尻のね? 形が女性のそれかなと。
何か気まずいものを感じていると女がゆっくりと立ち上がり振り返る。
第一印象は“黒”だった。清明のイメージが白ならこの尼僧は真逆。
墨を塗りたくったような黒のおかっぱ頭。底なしの闇を見ているような黒の瞳。僧衣も黒い。
美しい顔立ちをしているが人形のような無機質さを覚える。
そして今気づいたが、
(何と、希薄な)
気配があまりにも薄い。
そうだ。思えば声を頼りにして姿を見つけようとしていた時点でおかしかった。
ただでさえ人気のない河原。時間は退魔師にとって本番とも言える夜。
意識せずとも感覚は鋭敏になり周囲数十メートル以内にいる命は自然と感知できてしまう。
(この世のものではない……ということはなさそうだが)
陽の気はある。怪異の類ではない。というか綺麗だな。何が? 霊力のバランスだ。
退魔師や陰陽師になれるほどの強さはないが陰陽のバランスがびっくりするほど綺麗に整っている。
脅威や悪意も感じない。となると意識して気配を絶っていたわけではないだろう。経を唱えていたしな。
生まれつき存在が希薄な人間なのだろう。偶に居る。影が薄すぎて本当に気付かれにくい人間が。
生まれついての密偵の才覚を持つ者。彼女もその類の人間なのだろう。
「もし」
抑揚のない声。
「退魔師の方とお見受けするわ。御勤めの邪魔を、してしまったかしら?」
そこでハッと我に返り慌てて頭を下げる。
「これは失礼。いえ、お気になさらず。今は休暇中で夜の散歩に出ておるわけですので」
「そう」
無表情。しかし怒りなどは感じない。
「某は英明と申します。御坊のお名前を窺っても?」
「……みちる、と名乗っておくわ」
偽名かな。しかしこちらを害そうとしているわけでもないのに初対面でいきなり切り込むのは違うだろう。
それよりも、だ。
「骸の供養をされておられるのか」
「ええ。だって、こんなに冷たい」
しゃがみ込んだみちる殿が野晒しの頭蓋骨をそっと撫でた。
その手があまりにも優しくて私は思わず息を呑んだ。
「誰に悼まれることもなく打ち棄てられた彼らの心は、きっと凍えるように冷たいわ」
孤独に震えるその魂が少しでも楽になるのなら、と彼女は言った。
「……私もお手伝いしてよろしいか?」
「好きにすると良いわ」
後付けで太刀の柄に巻きつけていた紐を解く。
すると紐はピン、と伸びてそのまま一本の神楽笛に変化する。
『数少ないそなたの文化的な取柄だ。いつなんどき披露しても良いようにせんとな』
と清明が贈ってくれたものだ。
「僧のように経文は唱えられませぬが私なりに魂を慰める術は修めておりまする」
「表面的な形に意味はない。重要なのはその心の形。貴方に彼らを悼む気持ちがあるなら十分よ」
「ありがとうございます」
ゆるりと霊力を練り息吹と共に笛を奏でる。
みちる殿の唱える経に合わせた即興の旋律。
不格好ではある。だが祈りの形だけは真っ直ぐに。孤独に凍える寄る辺なき魂が安らかに眠れるようにと。
(心の形、か)
無表情で淡々としていて愛想もなければ声も実に平坦だ。
しかしそこにある祈る気持ちが真であるからこそこんなにも胸に響くのだろう。
澱み濁った場の空気が少しずつ晴れていくのは私が発する陽の気だけが理由ではない。
死者を悼む彼女の想いもまた確かな力になっている。
(悲しい、寂しい夜だ)
夜風が頬を撫でる。季節は春なのにこんなにも冷たい。
けど、そこにほんの一握の温もりを感じていた。
「こんなところ、かしら?」
「そうですな」
数刻、慰霊の儀を行ってから即席の墓に骸を入れてやり一先ずの弔いは終わった。
「一つ、お尋ねしたいことが」
このまま自然とお別れの空気が流れかけたが、敢えて空気を読まず待ったをかける。
背中を向けていたみちる殿が立ち止まり振り向く。
「何かしら?」
「気になっていたことがありましてな」
寂しい死者を悼むその横顔を見ていて気付いたのだ。
「昔、お会いしたことがありませぬか?」
「――――」
彼女は驚いたように目を見開いた。