十
五日目。清明は如何にも不機嫌ですといった顔で屋敷を訪れた。
「……縁殿は?」
縁は一連の事件が終わるまでは明の屋敷に滞在することになった。
喜兵衛の別宅に居るよりも安全だからだ。
縁さえ良ければと明が提案したのだが縁もそれを快諾したので三日目から同居が始まった。
「灯と一緒だ」
清明の式神だけあって灯は礼儀作法に教養と一通り叩き込まれてある。
縁は令嬢ゆえ当然、色々と習っていたが怪異の襲撃が始まってからはそれも途切れてしまった。
なので灯が、
『折角ですしお家に戻れるまでは私が指南致しましょうか?』
と提案し迷惑でないなら是非にと縁も受け入れた。
なので日中は二人であれやこれやとやっているのだ。
「そうか。役に立っているようで何よりだ」
一つ頷き清明は縁側に正座で座って太刀の手入れをしている明の足を枕替わりに寝ころんだ。
突然のことだが明は何も言わずそれを受け入れた。
不機嫌な時は大体、こんな感じだからもう慣れたものである。
「調査は芳しくないようだな」
「忌々しいことにな。そちらは随分と楽しそうではないか」
「お陰様でな。知り合いの女子と言えば清明か清明よりはマシだがアレな女子ばかりだったから新鮮だよ」
明がさらりと嫌味を受け流すと清明は幾分、気が晴れたようで表情から険が薄れた。
何で? と思うかもしれないので解説すると今の遠慮のないやり取り。
これは清明からすれば“通じ合っている”と感じるものだからだ。
「それはそれは。最近何かと縁談を勧められがちな英殿の春も近いかな?」
などと茶化すがいざそうなれば滅茶苦茶に荒れることは想像に難くない。
が、しばらく荒れた後で上機嫌になるのも清明という女だ。
自分の男(のような存在)がモテるのは誇らしいし、何より明にとって一番の“特別”は自分だと思っているからである。
「からかうな。縁殿にはもっと良い男が居るであろうよ」
「そうは言うが東雲の主人にもそれとなく勧められたのではないか?」
「まあな」
「縁殿の何が不満だ。気立ての良いお嬢さんだろうに」
「縁殿自身に不満はないさ」
「ならば何故?」
「まだ若いし身を固めたくないし、どうせ娶るなら私に惚れている子が良いし私もそんな人を愛したい」
家との繋がりだとかそういうもので結ばれたくはない。
「ただその心が求めるがままに互いを必要としたいのだ。それが愛というものだろう」
明はキッパリと言い切った。
「そうだな。そなたはそういう男であったな」
でなければ“あんな小っ恥ずかしいこと”は言うまいと清明は心の中で呟き口元を緩める。
「まあ前世の影響だろうな」
「自由恋愛が当たり前だったのか?」
「うむ。勿論、政略による縁談もなくはなかったが多くは惚れた腫れたの結果よ」
「悪くない時代だな」
しばしの間、恋愛関連の雑談に興じる。
一通り話して話題が途切れたところで今度は明が話を切り出す。
「此度の事件。縁殿に怪異を差し向けている者とそ奴を唆している黒幕。下手人が二人居ると認識しているが相違ないか」
「ああ。縁殿への歪んだ執心を利用されておる」
怪異を差し向け疲弊させたところに颯爽と現れて、と言った筋書きだろう。
心底小馬鹿にしきった清明の言葉に明も呆れた。
「何だそれは。安い小悪党のそれではないか」
「そうだな。とは言え事はそう単純でもなさそうだが」
含みを持たせる清明。こういう時の彼女は素直に口を割らないことを明は知っていた。
問題はない。いずれ自分も知ることがあるだろうと今は流すことに決めた。
「ともあれ実行犯は既に判明していたか。流石だな。察するにかなり“出来る”陰陽師のようだが」
「案ずるな。陰陽寮とは無関係の野良よ」
「そうか」
明は安堵したように息を吐いた。
必要とあらば陰陽寮関係者でも容赦なく斬り捨てるつもりではあった。
だがそれはそれとして立場というものがある。
退魔衆の組長が陰陽寮の術者を斬ったとなれば色々と面倒なことになる。
後始末の心配をせずに済んだと笑う明だが、
(野良ではあるが庶民というわけではないのだがな)
それはそれとして厄介な身の上であるのも事実だった。
わざわざ水を差すことはあるまいと清明はそれを秘することに。
(それに恐らく、黙っていた方が良きところへ転がるであろうしな)
明の心根を考えればその判断は間違ってはいまいと一人結論づけた。
「しかしそうか。民間の陰陽師と言うのであれば何とか更生させられぬものか」
あいや、当然縁殿の許しあっての前提だがと付け加える。
突然何だと清明が聞けば、
「うちもそうだが陰陽寮も万年人手不足ではないか」
並みの陰陽師であれば一人や二人では焼石に水ではある。
しかし此度の事件の実行犯は並々ならぬ腕の持ち主だ。
「加入すれば即戦力になろうが」
「まあそうだが。そなたが陰陽寮の心配をすることはないだろう」
「共に都の守護を司っておる仲だ。他人事ではあるまいよ」
まあ、と明はジト目を清明に向ける。
「君が真面目に働けば陰陽寮に関しては健全な運営も直ぐに叶うのだが」
「知らぬ存ぜぬどうでも良いわ。そも私は頼み込まれて席を置いている身だ」
出奔せず都の鬼門を塞いでいるだけで十分に職責は果たしていると清明。
もう何度目のやり取りか。心地よさを感じつつ清明は自分の顔を覗き込む明の額を指で弾いた。
「やれやれ。ああそうだ」
「仏像の自慢なら付き合うつもりはない」
「……つれぬことを言うなよ」
灯から愚痴られたので闇市で明が買った仏像については把握している。
基本的に鷹揚で聞き役に徹する明だがこと趣味の話となれば別だ。
端的に鬱陶しい。さりとてそこが愛い。
にも関わらず清明がつれない態度を取るのは拗ねる明が見たいからだ。
「泥舟は本当によくやってくれた」
「確かにあれの手腕は評価するが」
泥舟とは清明も付き合いがあった。
清明が主に購入しているのはまず世に出回らないであろう危険な奇酒・珍酒の類だ。
只人にとっては劇物だが清明からすれば変わり種の美酒でしかないので何ら問題はない。
「よくもまあ藤の長者殿が囲い込んでいる仏師の作品を調達できたものだ」
名のある職人全てが完全に囲い込まれているわけではない。
そういうものをつっぱねる職人も数多く存在する。
だが今回泥舟が入手したものは完全なお抱え。
抱え込んでいる貴族の贈答ぐらいでしか外には出ないだろう。
そして贈られるようなのは一握りでそういう輩が流出させることはまずない。
となれば独自に接触して、という可能性が高くなる。
「私は泥舟が“出来る”男だと信じていました」
「そなたの口から語られる信がこれほどまでに薄っぺらく感じるとは……」
そこから表情がどうだの。視線がどうだの。体の線がどうだのと明の仏像語りが続く。
清明は詰まらなさそうな顔でテキトーに相槌を打ちながらそれを楽しんでいた。
話の内容ではなくそのコロコロと変わる晴れ晴れとした明の顔を、だ。
「それでな。集めるのも良いが自分で作るのも悪くないのではと思うようになったのだ」
「……んん? そなたにそんな素養があったか?」
「試してみねば分からん。が、仮になくとも才なくば手を出してはならぬという法はあるまい」
「そうではあるが……しかしそう簡単なものではないぞ?」
「まあ見てな」
「何だその自信は」
「いや自分で彫ろうと考え出してからな。不思議と私、才能あるんじゃないかと思うようになったのだ」
何だそれは、と清明は呆れ顔。
「頭の中であれやこれやとシミュ……想定してみたのだがな。これが中々良い感じなのだ」
多分、私には才能があると明は胸を張る。
完全に駄目なやつではないかそれ、と清明は思った。
(というか以前にも似たようなことがあったような)
思い出すのは護国院時代。十四の春だったか。
その時、清明と明は学校で言うところの停学を食らっていた。
護国院において建前上身分の差は関係ない。
貴重な強い霊力持ちだから一応そういうことになっている。
しかし現実問題、貴族の子弟が護国院に入ると立場を“ひけらかす”ようなことはままある。
そんな勘違いしたボンボンが清明に絡み、彼女は当然のように気分を害した。
そして与えられた不快以上の報復をやらかし明もそれに巻き込まれ両者揃って停学と相成ったのだ。
停学となり屋敷でだらだらしていた清明の下に同じく謹慎中の明が訪ねて来た。
『――――清明、釣りに行こう』
開口一番これである。
何だと問えば明は懐から一枚の草子を取り出した。
『暇だから父上が同輩にもらった書物を読み漁っていたらこれを見つけてな』
中身は端的に説明すると貧乏武士の釣り日誌。
どこで何が釣れる。この魚はこう調理するのが上手い。釣りはこうやる。
等々釣りに関するあれやこれやが記されているのだという。
『……それで?』
『読んでいたら私に釣りの才覚があるのではと思い始めてな』
いや間違いなくあると自信満々の明と胡乱な顔の清明。
『私は卒業してもどうせ退魔師にしかなれぬだろう。いや不満はないがな?
しかし下っ端退魔師の禄はあまり多くないと聞く。
であれば今の内から生活の役に立つ技を身に着けておくのも悪くはないと思うのだ。
君もどうせ暇だろう? だったら二人で釣り糸を垂らそうではないか』
まあ暇だしと付き合ったのだが、
『……おかしいまるでかからん』
『だなあ』
『おかしい。君、ちょっと不正してない?』
『する理由がなかろう』
術も何も使わずテキトーに糸を垂らしているだけで釣れる清明とぴくりともしない明。
日が落ちるまでやったが結局、明の釣果は零だった。
(その後は私の釣った魚を調理して二人で飲み明かしたのであったな)
青い春の香り漂う思い出の一つだ。
「というわけで清明。君が持ってる神木か魔樹を提供してくれないか?」
「まあ、構わぬが」
呪具の材料や術の媒介としてその手の物は常に貯めてある。
どっこらせと身を起こした清明が軽く腕を振るうと庭先に明より二回りは大きい材木が出現した。
「よし」
「いや待て」
「? どうした」
「どうした、ではない。どうかしてるのはそなたであろう」
「???」
「??? ではない。何をいきなり手入れが終わったばかりの太刀を抜いておる」
袖を捲り縛り付けるや一切の躊躇なく太刀を抜いた明。
今から仏像彫るのにそれはいらないだろうと清明が言えば、
「やれやれ」
と肩を竦められた。
「短刀の心得もなくはないが、一番の得手はコレだからな。私の腕は君も知っているだろう?」
「うむ、知っているが……」
「一番手に馴染む刃物を使うのが最上だろう」
「いやその理屈はおかしい」
「不慣れなものを使ったところで逆に足を引っ張るだけではないか」
「そなたは料理を作る時に包丁ではなく太刀を抜くか? 抜かんだろう」
「清明。彫刻と料理を一緒くたにしてはいけない。衛生面の問題もある」
「太刀と彫刻道具を一緒くたにしようとしている男の言うことか」
「まあ見ておれ」
庭に出た明が刃を振るう。
(相も変わらず見事な太刀捌き)
斬るべきものだけを斬り、決して必要以上には斬らない正確無比な太刀捌きだ。
それは清明も認めるところだが、
(躊躇いがなさ過ぎる……)
頭の中にある想像図を下に削っていっているのだろう。
だがああもポンポン削って行って上手くいくとは到底思えない。
「うん? おかしいな……いやまあ誤差か。まだまだ余裕で挽回できる」
早速粗が出たらしい。
にも関わらず明は慎重になるどころかこれまで以上に大胆に刃を振るう。
「まあ、あんまり大き過ぎても邪魔になるしな。もう一回りぐらい小さくても良かろう」
この根拠のない自信はどこから出て来るのか。
もう何を言っても無駄だと清明は手酌で飲みながら明を見守る。
「こ、これは……いや初めてだしな。多少はね?」
数時間後。
「「……」」
痛い沈黙が場を支配していた。
それを打ち破るのは――――
「あ、清明様も来ていらっしゃったのですね。? 御二人して何を」
「甘えに来たんですねぇ」
稽古を終えた縁と灯がやって来た。
庭の中央で重い空気で佇む二人を怪訝に思い庭に下りて、
「ひぇっ!? な、何と恐ろしい……」
「え、何これ邪神を象った像とかです?」
出来上がった作品を見てのリアクションからもう成否は察せよう。
「……清明様が持って来られた特殊な呪物か何かでしょうか?」
「ま、まあそんなところですな」
「さらっと私に罪を押し付けるな」
明の作品は生まれたことを罪に問われるほどの出来だった。