完全犯罪Dreamer

作者: 篠崎京一郎

第16回書き出し祭り総合6位、第2会場2位作品です。

 完全犯罪。

 まったく、なんと美しい響きであろうか。


 犯罪者と推理小説家にとってその言葉は、フェルマーの最終定理や永久機関の発見に並ぶほど夢のような発明であり――


 当然それは、その()()に属している東淳也(あずまじゅんや)にとっても例外では無かった。



「……出来た」

 電気すら付いていないワンルームの一角、東は突如呟く。と同時に放り出したペンは、先程まで彼が向かっていた卓上をコロコロと転がった。


「……ふふ、ふ。出来た。出来たぞ、完璧な完全犯罪が!」

 おもむろに両腕を天に掲げ、彼は飛び上がらんばかりに叫ぶ。それでも湧き上がる感情を抑えきれないのか、挙げられた両腕は大きく振り回される。


「鉄壁のアリバイ、緻密に練られた逃走経路、そして計算され尽くしたトリックの数々……全てが完璧。ああ、自分の才能が憎い」

 畳の上で、尚も彼は暴れるのをやめない。薬物中毒者の禁断症状にも似たその光景は、しかし突如として終わりを告げた。


「おっと、忘れないうちに計画に必要なものを書き留めておかなくては。えーとバールにナイフ、盗聴器……」

 言うや否や先程放り出したばかりのペンを拾い上げると、鼻歌交じりに彼はまた何やら机に向かって書き殴り始める。しかし彼の楽しそうな声音とは裏腹に、読み上げられる言葉は随分と物騒なアイテムばかりであった。


 だが、数分続いたそれもようやく大詰めらしい。ブツブツと呪文のようにアイテムの名前を唱え続けていた彼は、突如として大きく声を張り上げた。


「――最後に、金髪碧眼で拳銃を扱えるアメリカハーフ関西弁JK共犯者だ!」






 彼はペンを叩き折った。





 **


 東淳也と言えば、十年前まではちょっとばかり名の知れた推理小説家であった。


 中学生の頃から小説を書き続けていた彼は、卒業と共にある出版社にてデビュー。ストーリーはイマイチ、キャラも微妙、だがトリックだけ異様にクオリティの高い作品を生み出す彼は、毎回大ヒットこそしなかったものの一部のファンにそれなりに売れては、それなりの収入を得ていた。


 ――だが、ある日彼の作家人生は突如として終わりを告げる。


 東の作品内のトリックを模倣した、凶悪な連続殺人事件が起きたのである。更に彼にとって不運なことに、逮捕された犯人はなんと未成年であった。


 そこからは速かった。

 ワイドショーでは、東の作品の残虐性について偉そうな専門家が持論を語る毎日。当然、キズモノの二流小説家など出版社にとっても腫れ物同然であり。彼は雌伏(しふく)の時という名目で、無期限の休職をやむなくされた。

 チラホラあった復活を望む声もいつしか立ち消え、小説家として輝いていた日常はいつしか親戚友人に金をせびる日々に変わり、今となっては闇金の訪問に怯える毎日である。


 作家時代の僅かにあった貯金も底をつき、彼の人生にはもはや何も残されていない。

 暗い日々を過ごすうちに、やがて彼自身がその()()な頭脳を悪用しようと考えるのは、ある種自然なことではあった。


 **


「なーんで、こうなっちゃったかな」

 東淳也は――俺は、机に突っ伏したままポツリと呟いた。いつの間にか、瞳からは涙がこぼれ『堂本財務大臣暗殺計画』とバカでかい文字で書かれた用紙の上には、しょっぱい水たまりが形成されていた。


「はあ、もういっそ自殺でも……ん?」

 禁句を口にしたと同時に、机上に置かれた携帯がピリリと鳴った。水道も電気も滞納しまくっているが、電話料金だけはキッチリ毎月支払うようにしている。電話番号があるかないかで借りられる額が大きく変わるというのは、俺が作家人生を終えてから得た数少ない知識の一つであった。


 出るか、出ないか。

 闇金からの返済催促であることは分かっている。一瞬の逡巡の後、俺は恐る恐る電話を耳に当てた。


「……もしもし」

「もしもし? ダテやけど」

 関西弁の女性の声である。関西圏のヤクザからはまだ借金していないはずだが、と俺は首を傾げつつも、とりあえず情報を反芻(はんすう)した。

 ダテ、だて、DATE……頭をフル回転させ、脳内の金融会社リストから該当しそうな名前を絞り込む。ややあって、俺は口を開いた。


「あ、ダーティーマネーファイナンスさんですか!? すみません、あと一週間何とか待って頂けませんかね――」

「は? いや伊達やってば。中学で一緒だった伊達悠里(ゆうり)って……まさか覚えてへんの?」

 どうやらハズレ……というか、そもそも借金取りですら無かったようである。慌てて自分の頭を人差し指でトントン叩きながら、俺はホコリ被った昔の記憶を呼び覚ましにかかった。


「え、えぇと。伊達、伊達悠里さんね……って伊達悠里!?」

 中学生の頃の記憶などほとんど残っちゃあいない。が、それでも彼女の記憶だけは鮮明に残っていた。


 ――ただし、苦い記憶としてである。


「わあやかましい。ずっとそう言っとるやろ、中学の時東くんに告白された伊達悠里やーって」

「あーあーあーあー、聞こえない」

 目を閉じて、俺は羞恥に両手をバタバタさせる。その様子に、彼女はケタケタと快活な笑い声を上げた。


「しかし……変わったね、中学の頃から」

「あー、もうすっかりオバハンや、さっきは伊達って名乗ったけど、実際のとこは結婚してて苗字も変わってるしな」

「うぐっ」

 口調の話をしたつもりだったのだが、余計な話を追加されて俺は更にテンションダウンする。流石に中学時代の恋愛感情を引きずっているという訳では無いのだが、単純に同世代が結婚しているという事実に俺の心は重傷を負っていた。


「で、なんで急に電話を? マルチの勧誘とかならお断りだけど」

「せやったらもっと金持ってそうな奴狙うわ」

 悔しいがぐうの音も出ない正論である。その口調から察するに、彼女も例の発禁騒動は知っているようであった。


「出来たらでええんやけど、サイン欲しいなって」

「サイン」

「せや、娘が欲しい言うてて……最近東君の小説読んで大ハマりしたらしくて」

「娘」

 唐突な要求と登場人物に、俺は思わずオウム返しを繰り返す。結婚というワードから薄々覚悟はしていたが、しかし同級生に娘ともなるとその事実は重く胃にのしかかっていた。


「あーそうか、同窓会来てなかったし東君は知らんか。実は私、アメリカ人と結婚しててな。ダニエルって言うんやけど。で、向こうで出産したんやけど小学生になるくらいのタイミングで大阪に引っ越して――」

「ちょ、ちょちょちょ待って」

 怒涛の情報量に、俺は一旦ストップをかける。こんがらがった頭を整理するため、慌てて俺は近くの紙とペンに手を伸ばした。


「……ごめん、続けて」

「娘――美亜(みあ)って言うんやけど。私が東君と同級生やったって話したらえらい喜んでさ」

「やっぱり止めて」

「どっちやねん」

 ストップアンドゴーの繰り返しに、彼女は少し苛立ったらしい。しかし俺が今意識を向けているのは、彼女の言葉ではなく紙上の文字列に対してであった。


「……美亜ちゃんは、ハーフの帰国子女ってこと?」

「せや、なんなら見た目も金髪やし目も青いで。せやから日本の学校に通わせるんもイジメられたりせんか迷ったんやけど――でも"獅子は我が子を千尋の谷に落とすのに全力を尽くす"とか言うし」

「言わないなあ」

 そんな虐待に全力投球のライオンは見たくない、と俺は思わず首を振る。それから少し間を置いて、俺はまた彼女に質問を投げた。


「関西弁は使える?」

「そらペラペラよ。なんならそれが母国語や」

「今は高校生?」

「15歳の高2やけど。なんでそんなアキネ〇ターみたいな訊き方やねん」

「……拳銃は使える?」

「たぶんそう部分的にそう」

 ドサクサ紛れの突飛な質問に、何故か彼女もアキ〇ーターみたいな返事をくれる。危うくセクシーなビデオに出演したか訊ねてしまうところであった。


「高校で射撃部入っててな。実銃やないけど賞とるくらいの腕前はあるで。まぁアメリカに帰省した時にはいっつも旦那と実弾射撃場行っとるからモノホンも上手いやろけど」

 その言葉に。その情報に、俺はとうとう堪えきれず左手を高く掲げる。さんざん重い枷となっていた『金髪碧眼で拳銃を扱えるアメリカハーフ関西弁JK』の出来すぎた登場劇に、俺は興奮で口から心臓がこぼれ落ちそうになりながらも電話口へと向き直った。


「分かった。サインあげるよ」

「ホンマ!?」

「うん。その代わり……」

 その時、俺の頭は多分興奮にイカれてたのだと思う。脳内麻薬だとか、ドーパミンだとか。そういうもので、ある種トリップしていて。そのせいで。


「――美亜ちゃんに、殺人を手伝って欲しいんだけど」

 気付けば俺は、口走っていた。



 刹那遅れて、我に返るも時すでに遅し。電話先は、重苦しい静寂が漂っていた。俺は半ばヤケになって、八つ当たり気味にそれを壁へと投げつける。

 通報されているだろうか。仮にそうだとしても、もはや逃げ出す気力もなかった。


 それから、数分過ぎて。


「――もしもし、はじめまして美亜です。東さんの"ジェノサイド探偵"いつも読んでます」

 とっくに切れたものだと思っていたその携帯から、突如先程より少し幼い声が響く。俺が思わず声を漏らすと、電話先の少女は言葉を続けた。



「あの。例の件、お母さんから聞きました」

「……」

「東さん。一体何考えてるんですか」

「……」





「――せめてサイン2枚はないと釣り合いません」

「ウソやろ!?」