003_天本マリア
「これで取れるスキルは全部取ったし、ほぼすべて一人前になったわ!!」
白い肌。金色の髪。青い瞳。いくぶん彫りの深くてぱっちりした目鼻立ち。
これで喋っているのがネイティブな日本語でなければ。着ているものが日本のセーラー服でなければ、おそらく多くの日本人がこの少女をヨーロッパ生まれだと勘違いしたことだろう。
天本マリアは高校の卒業式後、いつものメンバーでテーブルトークRPGのセッションに参加していた。
ほぼ休むことなく参加している他のメンバーやゲームマスターの石井と違い、マリアだけは不定期でのセッション参加といっていい。
持って生まれた気質であるのか、マリアは多くのものに興味を持ち、なにごともまず飛び込んで体験するという主義の持ち主だった。
もちろん他のメンバーたちはそんなマリアの性格はよく知っており、「来たい時に参加すればいい」というスタイルを貫いている。それは実の姉である、このときはまだ遊佐ではなく、旧姓である天本みゆきも慣れたものだった。
それでもテーブルトークRPGだけは、マリアがほぼ唯一長く続けている趣味といっていいかもしれない。不定期ながらも、こうしてブランクを感じることもなく宅を囲めているのだ
。
「ある意味すごいわよね……マリアのスキル欄」
黒髪をごく自然に伸ばして肩に垂らした黒縁メガネの姉、みゆきは妹のキャラクターシートを手に取るとしげしげと眺めた。
そこには冒険者としてプレイヤーが選択して取ることができるすべての技能が書き込まれており、ほとんどはレベル5。つまり冒険者として一人前の実力といえる高みにまで育っている。
しかも、どういうわけか通常取ることができない、占い師や指物師、針子などというサブスキルまで取得している。このサブスキルは冒険者ではない一般人のキャラ付け用に設定されてはいるものの、通常の手段では取得できないものだ。
「いいえ、姉さんほどじゃないわよ」
みゆきの“ある意味”という言葉をとくに気にした様子もなく、マリアは姉に向かって謙遜してみせた。そして、みゆきもマリアの言葉を気にした様子はない。ふたりに取ってこの流れは日常的なものなのだろう。
「器用貧乏の典型だな」
「石井センパイ! 天才肌っていってほしいわ。今時はスペシャリストよりもゼネラリストのほうが求められるんだから」
ゲームマスターの石井が凶悪な顔でマリアへと感想を述べるが、相手はそれに怯む女子ではなかった。
しかし思うところがあるのか、石井も引かずに言葉を続ける。
「現実ではそうかもしれないが、皆とレベル差を合わせないと冒険しにくいだろう。総司のハムなんてもう10レベルになったんだぞ」
「あら。石井センパイはレベル差があるとプレイングできないっていうの? わたしはプレイヤーの判断とか機転みたいなもののほうが大切だと思うわ」
むう。石井が唸り声を上げた。
それを見て、マリアはいたずらっぽく笑った。この中では最年少にも関わらず、雰囲気や風貌から発するものは誰よりも大人びて見える。
「でも、しばらくマリアのレベルアップはセンパイにおまかせ」
「……それはどういう意味だ?」
「わたし、アメリカの大学に行くから、しばらくは卓を囲めないってこと」
「マジでか!?」
真っ先に反応したのが杉村だった。
「本場のテーブルトークRPGも経験してくる。珍しいダイスやゲームがあったら送るから」
「いいんじゃないか? マリアは英語ペラペラだしな」
「ネットが通じてれば連絡なんていつでもできるしねー」
「……オンセもできる」
アーティアを使う安達聡。ガルーダを操る御影佑樹。ハムを動かす湯河原総司が次々と話しかけた。なお、総司のいった『オンセ』とはオンラインセッションのことをいい、オンライン上でテーブルトークRPGを行うことだ。
「場所にもよるが、日本とアメリカ大陸では少なくとも半日の時差がある。オンラインセッションは時間的に厳しいだろうな」
「さすが石井センパイは物知り」
さらりと日本とアメリカの時差を指摘する石井に、マリアは感心する。
博学でいえば、このメンバーの中ではゲームマスターの石井だった。
語学についてはドイツ系アメリカ人の父親から教えられた英語と母親の日本語をマスターし、日常会話であればドイツ語も使えるマリアには劣る。
だが、石井もほぼゲームのためのみに英語に不自由しないレベルに達している。
「マリアよ。あちらでArs Magicaのサプリメントがあったら見つけ次第確保してくれ」
「OK。センパイの好きそうなものも確保するし、GEN CON にも行くと思う」
「お前が在学中に俺も一度はGEN CON に行くべきか……」
「ひとまずわたしのキャラはNPCでセンパイが好きに使って。そうそう戻れないし」
「うむ、承知した。便利に使わせてもらおう」
皆がマリアを囲んでわいわい騒ぐ中、杉村だけがその輪に入らずダイスを弄んでいた。
「おい、マリア」
石井の家でセッションを終え、気が済むまでおしゃべりを楽しんだメンバーは、流れ解散となった。外はすでに日が暮れて、街灯がつきはじめている。
天本姉妹は同じ家に住んでいるので、ふたりで帰っていたところだったが、駆けつけた杉村がその背後から声をかけた。
「なに、杉村」
「――わたしは先に帰っているね」
人一倍空気を読むのが得意なみゆきが、杉村の様子を見るや妹にそう声をかけて立ち去る。誰よりも空気を読めるみゆきであったが、ひとたびダイスを持つと空気を読まないリーズンへと変わる。何かの反動なのだろう。
「あ、マリア。眼……」
街灯に照らされただけでもわかる。先程まで青い瞳であったマリアの目の色は、日本人の持つ黒よりは薄いものの、鳶色の澄んだ瞳に変わっていたからだ。
「石井センパイの家を出る前に外したの。コンタクトは目が乾くし、もう必要ないから」
長いまつげをパチパチさせて、マリアは大きく見開いた眼で杉村を見る。
マリアは高校入学と同時に、自らが日本とアーリア系の混血であることを逆手に髪を脱色し、眼にブルーのコンタクトを入れた。
白人の風貌を持ったマリアにそのスタイルは見事といえるほど似つかわしく、ついに卒業まで自分の髪と目の色を悟られることなく卒業することができた。もちろん親しい間柄の杉村たちには、早い段階でそのことは教えていたが。
なお、石井だけが初見でマリアの目の色と髪の色について疑問を抱いた。曰く、遺伝的に日本人とドイツ人の混血であったとしても、金髪で青い目で産まれる可能性は限りなくゼロに近い、と。
その指摘がもとでマリアは石井に一目置くようになり、テーブルトークRPGのメンバーとして加わるようになっていった。
しかし、なぜそのようなことをしたかというと、マリア曰く“面白そうだったから”。
本当にそれ以上の理由はなかった。
学生らしいといえばそうなのだが、それを三年間貫き通すのは学生らしからぬものがある。
「どう? どっちのわたしのほうが好き」
「明るいところで素の瞳を見たことはあまりなかったし……わからない」
どこまでも真正面からコメントをしてくるマリアに、杉村はたどたどしく答える。だが、その言葉には含みがあった。
「確かにあんまり明るいところで見せたことはないわね」
だが、マリアもその含みを軽々と乗って返す。
「みんなわたしがハーフだっていうと、すぐこの眼と髪に納得しちゃうから面白かったわ。石井センパイをのぞいて、教師も誰も疑いすらしなかった」
実際には栗色ほどの地毛であるのだが、今は脱色して金色に見える髪をなつかしそうに弄ぶ。
「生え際なんか地毛が見えてることあるのに、誰も気が付かなかった。知ってた? 二年になってからはずいぶんブリーチをさぼっていたの」
「マリアが二年になったときにはもう俺、卒業してたしなあ」
そのとぼけた様子にマリアはくすくすと笑みを漏らした。
「そうだった。いっつもゲームで合ってたから実感なかったわ。メテオ、もうひとりのマリアはよろしくね」
マリアはあえて杉村ではなく、杉村のキャラクターであるメテオの名を呼んだ。日常でもセッション中でもマリアの言動は変わらない。これがマリア以外の人間に呼ばれたのなら、きっと杉村も気恥ずかしくて悶絶しているかもしれない。
けれど、マリアの声でそう呼ばれると本当に自分がメテオであるように思えた。
「俺。マリアが卒業したらもう一度――」
「――ダメよ。わたしは根っからの浮気性だから、杉村に合わない」
今度はメテオではなく、杉村の名を呼ぶ。
「でも俺、今でもお前のこと、好きだ」
「だからよ。本気になっちゃだめなの」
「俺のこと、嫌いか?」
「ううん、好きよ」
「じゃあ――」
「でも、この世界がもっと好きなの」
食い下がろうとする杉村の言葉をばっさりと両断する。
「杉村のことは好きだけど、誰かに縛られるのは嫌。だからって縛り付けて待たせておくのも嫌。お願い、気持ちよくわたしを世界に送り出して」
「………………」
「わたしは自由が好きだから、他人に合わせるのは無理。杉村はわたしについてアメリカについて来てくれる?」
杉村はマリアよりもふたつ上。今は都内の大学に通っている。
学生である杉村がすべてを投げ打ってアメリカに行く。理屈ではできないことはない。だがそれは無理と同義だった。
「……ごめん」
「謝ることじゃないわ」
二歳年上の杉村であったが、マリアの自由奔放さ。そして大人びたものの考え。割り切りの速さは、たとえ十年経とうと杉村には追いつけないのではないかと思わされた。
「わたしは何年日本を離れるかわからない。たまには帰ってくるだろうけど、ひとつのところにとどまりたくない。でも――」
マリアはそっと近づいて杉村の頬に口づけをすると、すっと離れた。
「また、みんなで楽しくゲームはしたい。飽きっぽいわたしが、唯一ずっと続けたいと思ったのが杉村たちとのゲームだったの」
夜。街灯の下で熱っぽく語るマリアの姿を、杉村はまぶしく感じた。
「ねえ、杉村。遺跡ってどういうふうに遺跡になるか知ってる? ゲームでよく出てくるじゃない。あれってもともとは人が住んでいた場所で、どんなふうにして埋まったり朽ちていったりするのか気になるの。だから今のわたしは地学専攻。大学も発掘調査できるところにしたいから、アメリカにしたの」
「そうだったんだ……」
「いろんな遺跡についていけるなら、わたしもしばらくは飽きないだろうから」
会話はいつもどおり、マリアのペースだった。
杉村はいつしかマリアが語る、遺跡発掘の話を上の空で聞き入っていた。
「――ねえ杉村。聞いてる?」
「ん、ああ……」
「でも、わたしが世界に飽きるまで待っててくれて、そのときたまたま杉村がひとり者だったら――」
ようやく出てきた現世マリアさん
なんぞラブコメみたいな展開