【外伝】龍と宝石と毒10
錫杖が巨大な龍の頭部を捉えると、大量の硬貨がこぼれ落ちるような音とともに恐ろしい衝撃が加えられた。
「ま、マジすか――!?」
その衝撃は龍のバランスを崩させ、転倒させるほどの力が籠もっていた。背に乗っていたノアはすさまじい遠心力によって放り出され、池まで飛んでいき水柱を立てて着水した。
なまじ吹き飛ばされないように抵抗したのが仇となり、池の方へと飛んでいってしまったようだ。
龍はというと、ふらふらと池のほとりに崩れ落ち、活動を停止した。
「……余計な出費だわ」
奥歯をぎりりと噛み締め、アーティアの口から慙愧の念が漏れる。
手にした錫杖は『流れ星』のリーダーである、魔術師メテオから送られたものだ。恐ろしい魔力が込められており、自らの『資産』を消費することによって、並外れた威力と命中精度を込めることができる魔法の錫杖だ。
できることなら使いたくなかったが、山登りであれば杖代わりになると持ってきたのが運の尽きだった。龍の突進を止めつつ、接触しながらでなくては使えない魔法を使うには、殴りつけながら魔法を発動するのが一番効率がいい。
というのは重々理解しているものの、神殿の地下に隠してある銀貨金貨が音を立てて消えていく感覚がただただ不快だった。
「この錫杖……栄枯転変を使うたびにメテオの顔を金貨みたいに真っ平らにしたくなるわ……」
《救済/サルヴェイション》の魔法は成功した。
《復活/リザレクション》ぶんの魔力を残し、ありったけの精神力を込めた《救済/サルヴェイション》はアンデッド化した龍を救済した。すなわち、ただの死体に戻せたのだ。
三日間の徹夜強行軍に加え、限界ぎりぎりまで魔法を使い続けたアーティアは、心身ともに限界が近い。
今は栄枯転変というふざけた錫杖を渡したメテオへの憎悪だけで意識を保っているといっても過言ではない。
「なまじ強い武器だから、使い所で使わないって選択ができないのが本当にムカつくわ」
「死、死ぬかと思ったっす……」
池の中から鎧姿のノアが姿を現した。
「鎧と剣が重くて溺れ死ぬかと思ったっす……池の端がもっと遠かったら確実にアウトっすよ」
池に落ちたとき、ノアは死んだと思った。いくら魔法の鎧で軽量とはいえ、水に浮くものではない。とっさに鎧を脱いで水面に出ようと思ったが、毒を無効化する毒鎧グウェンインの保護がなければ、おそらく脱いだらそのまま死ぬのではと思い至った。
冷静に水底と水面の距離を把握し、これならば歩いていけそうだと気がついた。さらにいうと無生物で澄んだ水と、しっかりした宝石の足場があったからこそわずかな距離とはいえ歩ききることができた。
「あっ、ノア。無事だったのね。よかったわ」
「その感じ。絶対今まで忘れてたっすよね……?」
アーティアに自分を助ける余裕はないだろうから、なんとしてでも自力で戻ると腹を決めていたが、まさか存在を忘れられているとは思わず、ノアは珍しく傷ついた。
「そんなことないわよ。まだノアは死んだことないでしょ? ならこの透明な池の底で死んでくれるぶんには遺体も傷まないから《復活/リザレクション》もかかりやすいし、見つけるのも楽だって思ってたの」
「うわぁ、まさかの死亡前提っすか! 正直ドン引きっすよ!!」
予想を越える鬼畜な発想にノアは抗議した。
「まさか池に落ちるなんて思ってなかったの。でも、間に合ったわ。これでこの龍の《救済/サルヴェイション》も済んだから、ノアじゃなくて龍に《復活/リザレクション》を使えるわ」
ノアの抗議を受け流し、横たわった龍の死体へと近づいた。そのまま巨大な頭に手を置くと《復活/リザレクション》を施そうとする。龍の死体から感じる気配に、もともと白いアーティアの肌から血の気が失せて青白くなった。
「魂を……感じない」
《復活/リザレクション》を行おうとした瞬間。龍の亡骸に、もはや何も残ってはいないことを知った。アンデッドとしての歪んだ死も、ほんのわずかな命も、魂すらも失われていた。
「《復活/リザレクション》って魂と肉体もまとめて復活できるんじゃないんすか?」
「……魂だけは替えが効かないの。《復活/リザレクション》は一度だけ死をなかったことにできるけど、二度は使えないの。それは魂が二度目の復活に耐えられないから」
「じゃあ、その龍は。宝石龍だっていうその龍はもう生き返らないんすか?」
「……そうよ」
アーティアは暴れたくなる衝動を押しこらえて、龍の頭から手を離した。そのさいノアは吸毒のバングルが濃い紫色に変わっているのを見た。
「姐さん。ひとまずそのバングルの毒リミットがそろそろヤバそうっすよ。一度解毒して落ち着いてからこの池を探してみたらどうっすか!?」
「もう駄目なの」
「何がっすか?」
「時間切れなの」
バングルの色を確認して、アーティアは唇を切れるほど噛み締めた。
「あとわたしが使える魔法は《復活/リザレクション》一度きり。わたしの予想では龍の復活がこの毒を抑える鍵になるはずだったの」
「で、でも、《復活/リザレクション》ってめっちゃ上位の魔法っすよね? 《解毒/キュアーポイズン》って神官ならわりと使ってるイメージあるんで、一度の解毒だったらって思うんすけど」
「そうよ。《解毒/キュアーポイズン》ならあと五、六回は使えるわ。でも、それが尽きたらどうなると思う?」
「そりゃあ――ヤバいっすね……」
ということは、今から下山しても解毒が間に合わない。眠って精神力を回復することすらできないのだ。
「……もしかして始めから帰りのことを考えなかったんすか?」
「確信があったから《復活/リザレクション》を使える状態なら、帰りの魔法の力まで考えないでいいって考えていたの」
「姐さん、死んじゃうじゃないですか!?」
「わたしとノアはウォルスタの神殿に帰れるわ」
アーティアの整った顔に広がる渋面を、隠そうともしなかった。
「奥の手があるの。でもそれを使えば『依頼失敗』」
『依頼失敗』。『コランドン』の女主人、コランティーヌから前払いで受け取っている依頼をこなせなかっただけでなく、リストールという街の滅亡にも繋がっている。
『流れ星』という名前を出した以上。それは拭い去れない汚点となる。
「姐さん。まだギリギリじゃないっす」
「どう考えても手詰まりよ」
「本当にギリギリまで《解毒/キュアーポイズン》を使ってもらって、ここいらを調べつくすっす!! それで、もう限界――ってなったら俺がハム師匠の毒鎧を脱いで、姐さんに渡すんで」
「ちょっと! それだとあなたが死ぬじゃない! それに毒鎧はわたしには大きすぎるから、来て歩けないわよ」
「俺が死んでも姐さんが生き返らせてくれるんすよね? それなら毒鎧は鎧じゃなくって寝袋代わりにするっす。姐さんが毒鎧の中で一晩ぐっすり寝れば、また魔法をバリバリに使えるんすから。それならもっと先があるっすよ!!」
大胆なノアの提案にアーティアは開いた口が塞がらなかった。
確かにその提案を受け入れれば、もう少しここで粘ることができる。
「――ダメよ。その作戦には大きな問題があるわ」
「マジっすか!?」
「ノア。あなたはわたしの護衛なんでしょ? 死んだらまた復活できるけど、それまでわたしを護衛できないじゃない。なにより、自分の身代わりで死んだあなたの横で眠れるほど、わたしの神経は図太くないの」
「大丈夫っす! 龍の横っ面はたき飛ばした姐さんなら俺がいなくても平気ですし、ここだったら俺腐らないから臭くならないっす! きっと眠れるっすよ!!」
「龍をしばき倒せたのはこの錫杖のおかげよ。でももう絶っっっっっ対に使わないから。あと眠れないのは匂いの問題じゃない!!」
図太い神経扱いされたのが腹に据えかね言葉を荒げるアーティア。
しかし、ノアの明るさに少しだけ前向きになれた。
「一度帰ったら『依頼失敗』は先走ったわ。もしかしたらメテオが帰ってきていればすぐに戻ってこれるし、『流れ星』の弟子たちのパーティで『北極星』っていうのがいるんだけど、その子たちが見つかればギリギリ間に合うかもしれない」
可能性はまだ残されている。
ウォルスタの守りのことを考えると、自分かハムかが残らなくてはならないが、他の仲間たちの力を借りることができればあるいは。
「それに、バングルの限界までここで考えましょう。まだ数十分は大丈夫なはずよ」
「そうっすよね! さすがは姐さん。めっちゃ引き出し隠し持ってるじゃないっすか」
「こういう仕事はひさびさだから感が鈍っていたわ。ノア、あなたがついてきてくれてよかったわ」
「へへ。でしょ? 俺、わりと現場に強いんでまかせてほしいっす!!」
その自信はどこから来るのか。と、アーティアは思ったものだが、これが若さというものかと十以上も年の離れた戦士を見つめるのだった。
「ところで龍をひっぱたいたその錫杖。えらく強い魔法の品みたいっすけど、ペナルティとかあるんすか――あ!! 別に教えなくてもいいっすよ! そういうの聞くと余計プレッシャーかかるんで!!」
「シンプルにいうとお金がかかるのよ。強く鋭く殴ろうとすればするほどね」
「なんすかその不思議な武器。ある意味姐さんにピッタリって気もするっすが――忘れてた!!」
「何よ、突然大声出して」
やおら毒鎧の胸元をごそごそとまさぐると、そこから出てきたのは数個のサファイア原石――原石といっても未加工のままで十分美しく、かなり大きな結晶であった。
「池の底でキレイだったんで、特にキレイそうなの何個か拾ってきたんす。姐さんにお土産っす」
毒鎧で触れないようアーティアに渡すと、即座に商人としての目がその価値を叩き出す。コランティーヌから依頼料金として貰ったサファイアには比ぶるべくもないが、これはこれでかなりの価値を秘めた石だった。
「偉いじゃない。本当にできる男ね。ここまでの才能があるだなんて見直したわ」
「うわぁー… 金目のもので露骨でガチに高評価されると引くっすねー!!」
深く青い石は先の見えないこの状況であっても、それを忘れるくらい美しかった。
しかし、その石の美しさから、アーティアはひとつの可能性を見出した。
「――ノア。あなた本当に持っている男かもしれないわ」
ノアはさらにべた褒めをされるのであった。