【外伝】龍と宝石と毒7
「姐さん……起きてください」
すやすやと眠るアーティアを遠慮がちに揺すると、元冒険者の身体はたちどころに目覚めた。
「毒の溜まり具合は予想通りね――《解毒/キュアーポイズン》」
黒ずんだバングルに解毒をかけると、森にありながらもはや立ち枯れて葉が落ち遮るもののない夜空を見上げて時刻を測る。
「このあとは時間勝負ね」
「うっす」
毒で枯れ果てた夜の山を駆け出した。
朝を迎え、短い休憩をこまめに取りながら夜となり、二日目となった。
アーティアは定期的にバングルの吸い取った毒を散らすため魔法を使い、二日目は十度を越える解毒をかけ続けた。前日と合わせると二十回は使っているだろう。
「毒の影響が強くなってきたっす。渓流ももう流れがまばらで、ここら全体が水源って感じになってきたっす」
「明日の明るいうちに、この毒の原因を見つけたいわね」
もともと毒の在り処や原因がわからぬまま、毒の濃いところを目指している。
毒の中心地に何かがなければ、また始めからやり直しだ。
「姐さんは何が原因だと思っているんすか?」
「……ユルセールの国。初代ユルセール王がこの地に王国を作るまで、この土地は魔物が跋扈していて、人間が住めるような場所じゃなかったの――」
小休止で食事を摂る合間、アーティアはこの国が興る以前の土地のことを語り始めた。『漆黒の聖杯』のことは伏せて。
「それをユルセール王が退治して、治水を行い、人の住める土地にした。これが建国伝のおおまかなところだけど、問題は魔物だけじゃなかったのよ。とてもひどい荒れ地で、川は暴れまくるし地震も多い。土地は痩せているどころか、場所によっては毒のある土地すらあったの」
なぜそんなことをアーティアが知っているのか。気になりはするかノアはあえ問うたりしない。アーティアが嘘をつくことはないと思っているし、今大事なことは山の毒化についてだ。
「初代ユルセール王はいろいろな方法で土地の歪みを直していったの。どこをどう直したかはもう誰にもわからない。でも、今のユルセールは徐々に初代ユルセール王が施した封印のようなものが解けているわ」
「………………」
「わたしがそれをどうにかできるかはわからない。けど、レオンには借りがあるし、カトラに貸しを作れる。昔なじみも困っているし、せいぜいがんばるわ」
「つまり、行ってみないとわからないってことっすね」
「そうなの。商業神の神官がこんな博打みたいなことしているって思った?」
「いやぁ、自分も博打は嗜む程度っすけど嫌いじゃないんで。自分で志願したからにはベストを尽くすっす」
「いい度胸ね」
一度信用したからにはブレることがない男だった。
「それにわたしの街はユルセール自治区のウォルスタ。自治区は初代王が手を入れる以前の厳しい土地のまま今も在る。だからウォルスタにはいつも魔物が攻めてくるし、周囲の自然は厳しいまま。だから王国領がもう駄目だとなればウォルスタに遷都させやす――」
そこまで口にしてアーティアはしまったと言葉を切った。
「……今のは聞かなかったことにしてちょうだい」
「ええええええ!! 今ポロっととんでもない問題発言したっすよ!?」
「忘れて。さあ、移動するわよ」
「やめてくださいっす! 突然背負いきれなさそうな発言漏らすの!!」
アーティア自身も漏らした内容に驚いていた。
仲間の誰にも漏らしていない可能性のひとつ。
ユルセール王国の首都を自治区のウォルスタに移動させること。
あまりにユルセール国土の荒廃がひどいようなら。と仮定の策をうかつに漏らしたことは、商人としてありえない失態だ。
(ノアに気を許しすぎたかもしれないわ)
まだ納得がいかないノアを前に歩かせつつも、まずはこの件をなんとかしなくてはと気持ちを切り替えた。
三日目の朝。さすがに仮眠だけでここまで歩きづめ、魔法を使い続けたアーティアは疲労が濃くなってきた。
それはノアも同じで、こちらはほとんど寝ていない。万全の状態とは言い難い。
しかしノアは予感を覚えた。
この先に何かが――いる、と。
冒険者としての経験を積んだアーティアもまた、何かただごとではない気配を感じている。
沢を登った先から、大きな水音が聞こえてきた。
ふたりとも口数少なくそこを登っていくと、突如開けた景色が広がった。
岩に囲まれた湧水池。
池の底には枯死した樹木が腐りもせず堆積している。
生物の気配のない池の水は透明で底を見渡せるほど青く澄んでいる。
何かしらの毒対策をしていなければ、この場に立ってこの景色を眺めることすらできないだろう。
その当時、ハムから聞いた水源地の場所に酷似した風景だったが、大きく異なるものがあった。
「……なんすかね。あのボロ雑巾みたいなのは」
ノアが身を隠して池の中央にあるものを指差した。
「朽ちた龍……に見えるわね」
ほとんど原型を保っていないが、二本足で直立するタイプの竜だとすれば、かなりの大きさだ。
池の中央に身体沈め、肩下あたりまでを水面に出していた。
水に膨れて黒くくすみ、鱗と肉はあちこち崩れている。顔があるであろう部位は崩壊がひどくよく見えない。
「あの龍が毒を振りまいてたってことっすか」
「死んでなお毒を残す龍だとすると古代龍でも色つきよ。だとししたらここら一帯水源ごと汚染されてるはず」
アーティアとて古代龍についての知識は噂話程度だ。だが、銀龍カトラが不要な介入を嫌うほどであったことを考えると、この龍の亡骸は古代龍に近いのかもしれない。
「あいつ……死んでるけど生きてないっすよね?」
緊張した様子でノアが訪ねてきた。つまり、アンデッド化していないか、ということだ。
この世界でもっとも強大な存在である古代龍。それがアンデッド化したとなるとただ事ではなくなる。
「参ったわ、完全にアンデッド化してる」
その姿を見たときから神官であるアーティアは負のオーラを肌で感じていた。
「古代龍が死んでアンデッド化するなんてありえるんすか……」
「初代ユルセール王の仕業でしょうね」
「何者なんすか!? 初代の王様って!!」
「近寄らないと様子がわからないわね……」
「ちょ。姐さん! 近づいて平気なんすか!?」
物陰から姿を現し、すたすたと池のほとりまで歩み寄ろうとするアーティア。
護衛としてついてきたノアが後ろから続くわけにもいかず、かなりおっかなびっくり前を歩いた。
「古代龍相手とかムリっすよ!! いざとなったら姐さんだけでも逃げてくださいね! マジで!!」
「安心なさい。もしもあれが古代龍で、ただアンデッド化しているんだったらとっくに襲いかかられているわ」
「安心させるつもりないっすよね!?」
アーティアにはいくつかの確信があった。
そもそもどうして古代龍の銀龍カトラが協力したのか?
なぜ自分を頼ってきたのか?
その答えは池の底にあるはずだ。
「――やっぱりね」
いっさいの生物。ものを腐らせる菌まで死滅した湧水池は限界まで透き通っていた。
あまりに透明で、見るものの距離感すら狂わせるほどだが、見間違えのないものが朽ちた龍の足元に広がっていた。
「これって……宝石の原石っすよね?」
池の水は透明だが青く色づいて見える。水底に沈殿した石は水の青ではなく、光沢を感じさせた。太陽の光を受けて妖しく輝いている。
「宝石商の作り話だと思っていたけど、本当にいたのね――宝石龍」
アーティアは宝石ではなく、朽ちた龍の姿を仰いで呟いた。