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【外伝】龍と宝石と毒5

「……リストールの水源地に瘴気が濃いのは昔からだと知っていたし、自浄作用がある場所と思って油断していたわ。ここまで深刻だったことに気が付けないなんて、商業神の信徒が聞いて呆れるわ」


 地図の上のリストールの街を飲み込んだ青を睨みつけ、アーティアは指でなぞって宝石川に青い筋をつけた。


「前の探索で結局わからなかったことなんだけど、毒はなぜ川に流れているはずなのに下流に影響を及ぼさなかったのか。毒の出どころはどこにあるのか。その後わけを突き止めた冒険者や賢者はいるのかしら」

「この十年、あなた達以上に水源に近づけた人間はいないわ。ただ、毒の広がる範囲を調べた賢者がいっていたわ」


 零した青い酒にクロスを落として押し付ける。地図にうっすら染みはあるものの、液体はあらかた吸い取られた。


「毒は強い酒みたいに揮発性があるから、ある程度空気を漂うと消えるって」

「てことは毒の出てくるところの噴出量が増えまくっているか、噴出場所が増えたかどっちかっすね」


 ノアの指摘にアーティアは感心した。かつて冒険者として訪れた場所であり、数々の冒険を乗り越えた自分とほぼ同時に、その結論にたどり着いたことと。


「坊や――ノアちゃんっていったわね。見かけや言葉遣いのわりに鋭い所あるじゃないの」

「あざーっす! 思いつきだったんすけど、もしかしていい線イケてます?」

「わたしはこの店のオーナーだからわからないけど――アーティア?」


 口元を手で覆い、アーティアは考えを巡らせた。

 ノアはあの当時のハムと比べてまだ頼りはないが、毒の鎧(グウェンイン)がある。メテオはいないものの、今度は自分が直接現地に出向いていける。


「あのときは早くウォルスタという街を作りたくて、ちょっと先を急いでいたの。でも、原因をつきとめないまま仕事を終えてすっきりしていなかった」


 心が決まったようにコランティーヌと目を合わせると、青いカクテルを一気に飲み干した。


「これは『流れ星』(シューティングスター)がやり残した仕事」


 グラスを女主人に戻すとノアを促した。


「コランティーヌ。その菫のリキュールが作れくなる前に店を畳むなんて許さないし、リストールは――いえ、ユルセールはこれからどんどん発展していって忙しくなるの」

「俺もこのカクテル飲めなくなるの、イヤっす」

「だから待ってて。『流れ星』(シューティングスター)のアーティアが。商業神の名にかけてこの街を再び宝石の街として栄えさせてみせる。いえ、心残りだった仕事を片付けてくる」

「だったら前と同じように依頼をするわ。アーティアとノアちゃん。この街を。この店を救ってちょうだい――」


 女主人はサファイアの入った箱をアーティアに渡した。


「前払い、受け取って。あなたを信じて待つわ」

「確かに、受け取ったわ。絶対に損はさせないから」


 サファイアを受け取ると迷いなくそう告げた。




「しかし意外だったっす」

「何がよ」

「だってっすよ。てっきりあのサファイア――わたしは商業神の信徒、あなたの商売のためにそれは取っておきなさい――とかいうと思ったんす」


 山道を流れる宝石川を上へ上へと向かい、水源地に向かうとき。ノアが聞きにくいことをアーティアに訪ねてきた。

 アーティアは手にした錫杖を杖代わりにしながら、足元の悪い岩だらけの道をすいすい歩いていく。手荷物はほとんど持たず、この錫杖だけは肌身離さず身につけていた。


「商業神の信徒だからよ。コランティーヌは『依頼』といって『前払い』したの。それを退けるってことは商売不成立。すでに報酬を受け取っているんだから、わたしは報酬に見合った働きをしなきゃならない」

「でも、昔なじみの人なんすよね?」

「そうよ。幻滅した?」


 不機嫌ではなくむしろ楽しそうにアーティアは返した。

 ノアはそれに笑みで返す。


「違うっす! しっかりした人なんだなーって思ったっす!! 俺、どっちかっていうと物でも金でもダチや後輩に貸したりおごったりするタイプなんすよ」


 アーティアはほとんど手ぶらであるが、ノアは二人分の荷物を背嚢に入れて背負っている。しかし、疲れた様子もなく歩みはしっかりしている。少し照れたように続けた。


「それで何度か金貸した相手が姿を消したり、うやむやになったりすること。あるんすよね。でも、誰かに何かをしてあげるって気持ちよくないっすか?」

「そうね。無償で何かをしてあげるって快感なのよ」

「俺、けっこう金遣い荒くて自警団の給料はかなり貰っているほうなんすけど、パーッと使ってたんす。仲いい友達なんかにも平気で飲み代はいいから遊ぼうぜっていうんすけど、いつからかそういうの……なんつうか飽きたっていうか、面白くないっていうかこう――まっとうじゃないなって思うようになったっす」


 腰から下げた鉈剣『ザンジバル』に触れた。


「自分からすると、ただ一方的に貰うのって。申し訳ない感じがするんすよ。こっちから与えられるものがないのに、貰いっぱなしって本当にすまない感じなんす。もちろん嬉しいんすけど、これに慣れちゃいけないなって気持ちで一杯なんす。こんなの自分のキャラじゃないんで、滅多に口にしないんすけどアーティア姐さんとコランティーヌ姐さんのやり取りを見てなんつーか……」

「………………」

「なんつーか、スゲー対等だなって。対等でいられるってめっちゃかっこいいなって思ったんす」

「そう」

「ウッス。姐さんたち、めっちゃキマってました」

「キマってた、ね」


 滅多に感情を表さないアーティアも、このたどたどしい直球には頬が緩んだ。


「あなた。見た目とか言葉遣いはチャラいけど、意外と真面目なのね」

「あざっす!! やっぱ男は芯がしっかりしてないと女の子にモテないっすから!」

「ついでに浪費癖がある男はモテないわよ」

「き、気をつけるっす」


 痛いところを突かれたノアが言葉に詰まる。

 前を歩くアーティアは少し嬉しそうであったが、左手に通した腕輪が目に入ると表情が曇る。銀のバングルがわずかに紫がかっていた。


「ノア。前を代わって。ここらへんから毒の地域が始まるわ」

「了解っす。何を目指せばいいっすか?」

「この宝石川の水源。昔、ハムが探し当てたところは自警団の本部をちょうど沈められるくらいの広さ深さの湧水池があったって話。水源に近づくにつれて草木が枯れていくけど腐らず枯死するから、水源の周囲は毒に強い苔や草しか生えてなかったというわ――この情報だけで見つけられる?」


 昔、ハムが山に分け入って水源地を探したときは、当時の毒のエリアから歩いて三日かかった。さらに毒エリアにたどり着くまで三日。毒を完全無効化できるわけではないので、どれだけ毒のエリアを歩かなくてはならないかが勝負だと、アーティアは考えていた。


「たぶん平気っす。ハム師匠がひとりで歩き回って三日かかったんすよね? 師匠、あんま山道とかで何かを見つけるの得意じゃなかったから、俺ならもっと早く見つけられると思うんすよね」


 ノアは先日、ザンジバル王を操ろうとしていた魔術師。その隠れ家を見つけたときのことを思い出した。ハムは山野の足跡を見定めるためにノアを使った。戦士としてはともかく、野伏(レンジャー)としての力量でいえばハムより上だと思っている。


「ですけどメテオさん? ハム師匠が水源を見つけたあと、最後にメテオさんが出張ったっていってたっすよね。それってどういう流れなんすか?」

「……他言無用よ。あのときメテオは《幽体離脱/アストラルボディ》って魔法で、肉体から魂だけ抜け出してハムと合流したの」

「……もっかい説明してもらってもいいっすか?」

「魔法よ、魔法。かんたんにいうと幽鬼(レイス)になってハムと合流して、サファイアの捜索を手伝ったの。ただ幽鬼(レイス)になると太陽の光を浴びると消滅するし、魔法は使えるけど精神力を使い切ったらやっぱり消滅するの。だから本当の奥の手」


 《幽体離脱/アストラルボディ》はその当時、魔術師メテオが使える最高位の魔法であり、『流れ星』(シューティングスター)の切り札のひとつでもあった。

 ただしこの魔法を発動するだけでも多量の精神力を削られる。空を浮遊し物理的な障害を無視して動ける精神体ではあるが、ハムを見つけ出すための《探査/ロケーション》。そしてサファイアを見つけるために《鷹の目/ホークアイ》と《透視/シースルー》の魔法を使い、さらに湧水池に現れたアンデッドたちを退治するため、メテオは消滅しかけるところまで追い詰められた。


「やっぱりメテオ兄さんもハンパないっすね。兄さんは野外の活動とか、盗賊のみたいなカンのよさってどうだったんすか?」

「あの時期のメテオは、魔法しか取り柄がなかったわ。賢者の資格も最低限。ひたすら冒険者的な魔法を使うことだけは異様にうまかったけど」

「……もしかしてっすけど、水源地。もっと他にあるかもっすね」

「どういうこと?」


 歩きながらノアは身振り手振りを交えて説明する。


「水源ってのはひとつじゃなくて複数あるもんなんす。それっていうのは崖みたいになった断層からジャバジャバ小さな滝みたいになっているのもあるし、井戸みたいに地面から湧き出ることもあるんす」

「ハムたちが見つけたのは、いくつかある水源のひとつ。ってこと?」

「そうっす。自警団の本部が入るくらいとなると、もしかしたらほかに水源があって流れ込んでいるからそこまで大きくなっている。って可能性もあるっすね」


 宝石川はもはや岩と岩の間を走る急峻な流れとなってきている。そのすぐ脇の、道とは呼べない岩場を歩くが、ふたりとも足を取られる様子もなくかなりのペースで歩いていく。


「でもまずはハム師匠が見つけたっていう湧水池目指すっす。もう毒の地域なら怪物も出ないだろうからガンガン進めるし、アンデッドが出てもユルセールで一番の大司教の姐さんがいるから超安心っすね」

「……あなたの予想だと、何日で見つかると思う?」


 アーティアはバングルの色味を確認して聞いた。さきほどよりも紫が濃くなってきているようだ。


「前は毒のあるところまで、野伏(レンジャー)のスキルがあるお仲間が先導して三日だったんすよね。ふたりで移動ですし、休憩を取りながらなら――」

「――夜通しでいくとしたら?」

「徹夜っすか!? それなら運がよければ三日じゃないっすかね。ハム師匠がいっていた大きな湧水池で、周囲は草木が生えないっていうならわりと楽勝で見つかると思うっす」

「じゃあ三日で見つけるわよ。小休止はさみながらノンストップで行くわ」

「ハム師匠とメテオ兄さんばりにエクストリームっすよ!? でも二徹っすよね……だったらまあイケるっしょ! 二徹のパーティとかザラでしたから、まかせてくださいっす!!」

「頼もしいじゃない。もっとペース上げても平気よ」

「マジすか! じゃあ本気で行くっす!!」


 野伏(レンジャー)としてこうした山岳を歩くことに長けたノアは足場の不安定な岩場をときに四足獣のように駆け上がった。

 アーティアもノアのようなスキルはないものの、これまで培ってきた冒険者としての基礎が段違いだ。多少強引な歩みでバランスを崩しても即座に態勢を整え、ノアの後ろにぴたりとついていく。


 アーティアの示したペースがかなりのハイペースであることをノアも承知していた。これは三日経ったあとのことを顧みない強行軍であると。帰りの足や体力を考えると無謀な行為といっていい。

 

 しかしこの短い付き合いの中でアーティアという人間がどういう人物であるかを十分に感じていたし、付き合いの長いハムの仲間であるというだけで、十分信頼に足る。

 

 それだけの理由があるからのことなのだろう。

 師であるハム譲りのシンプルさでこれを受け入れた。


(今までは自警団で魔物と戦うだけだったっすけど、ハム師匠やアーティア姐さんと一緒にいると飽きないっすね)


 ノアはこれが冒険者なのだ。ということを自覚せぬまま、この昂りが何なのかわからないまま道を急ぐのだった。


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