【外伝】龍と宝石と毒4
「リストールの街……なんつーか微妙な街っすね」
街が近づいてくるにつれ、遠目から見た立派な屋根や大きな道路はどことなく古びて見え、大通りには人がまばら。建物や街のつくりは繁栄の跡が見えるが、どうにも活気の薄さが感じ取れた。
「もともと宝石川で採れる宝石の原石の採取で栄えた街だから、それがダメになって一気に衰退したの。それでも山脈越えるルートは栄えていたし、宝飾加工とかあったんだけど」
「そうなんすか。それで姐さんはどこに向かっているんすか?」
「昔、ちょっとだけ世話になった冒険者の宿があるの」
「そういや元は冒険者っすからね」
「『流れ星』もいろいろ冒険をしてきて、そこそこの富と名声を得たとき何がしたいかってなったの。街を作ってみないかって男連中が言い出して、始めは何の冗談かと思ったんだけど、気がついたら十年も経っちゃったわ」
『流れ星』がユルセール王国にやってきたのは、もう十年も前のことだ。アーティアは当時のことを思い返して複雑な顔をしている。
「ユルセール王国の南に自治区にできる荒れ地があるって情報仕入れたの。そうしたら真冬に男どもの思いつきで、死にかけながら国境山脈の雪山を漕いできたの。リストールの街にたどり着いたときは心から安堵したわ」
「冬の国境山脈を越えてくるってハンパないっすね!! 道なんて完全に無くなるじゃないっすか」
「何度も途中で帰りたくなったわ。つらいだけでいったらあのときの旅が一番最悪」
「それでも山脈越えられるの、ありえないっすよ。フツー、海路使いません?」
「……当時のユルセール行きの海路はものすごい少なくて、しかも高かったの」
「それって姐さんも節約とかいって山脈越えに賛成したんじゃ――」
「あの店よ。まだ潰れずに残ってたのね」
本来であれば一等地だったであろう大通り十字路の角地。そこに花崗岩を積んで作られた三階建ての瀟洒な宿があった。看板には流れるような筆致で『コランドン』と毫されており、鉱物の結晶と金貨。そして剣と鎧の図案も描かれていた。
「これって宝石屋とかじゃないんすか?」
「リストールの街はどこでも石の買取をしているのよ。冒険者が見つけた財宝の下取りとかもしれくれて便利だったわ」
冒険者の宿コランドンはどのテーブルも椅子も、らしからぬよいものが使ってあった。調度は無骨なものではなくどこか洒落たものが多い。ふたりが店に入ると、採光の窓にはめ込まれた色ガラスが店内を色鮮やかに照らしていた。
「めっちゃオシャレ感あるんすけど、誰もいないと寂しいっすね」
ノアが呟く。冒険者の宿というよりも神殿にいるような静謐さだった。
「わたしがいたころは昼からお酒を飲んで、歌やら楽器やらを聞けた大繁盛店だったんだけど……誰かいる?」
カウンターまで来ても人の気配がなく、アーティアは一枚板の石材で作られた年代物のカウンターに置かれたベルを鳴らそうとした。
すると奥のほうから人の気配が。
「こんな昼間から珍しいね。泊まりかい――あれ。あなた」
「ひさしぶり」
出てきたのは背が高く横幅もそれなりにある、貫禄のある女性だった。年は老人とまではいかないが、若いともいえない。髪も整え身なりもしっかりとした婦人、という印象だ。
「あらあらあら。ずいぶん懐かしいじゃないの! アーティアよね?」
「名前を覚えていてくれたのね、コランティーヌ」
「もちろんよ。アーティア、メテオ、マリア、リーズン、ハム、ガルーダ…… あんたたちは特に変わり者揃いだったから忘れられないわ。そっちの紫の鎧の若いのはご新規さんよね? あらやだ。神官のくせして若い燕とか」
「噂好きは変わらないわね」
「あ、自分ノアっていいます。燕じゃないっす」
「ノアちゃんね。ふふふ、その鎧はハムちゃんが着ていたやつね。ふたりとも座って座って。積もる話はあるけど、アーティアが好きだった菫のリキュールは今年も作っているのよ。ひさしぶりの出会いと粋な運命の巡り合わせに乾杯しましょ」
「粋な運命の巡り合わせ?」
「見ての通りの閑古鳥だけど、何があっても炭酸だけは切らさなかったの」
背の高いグラスに青色のとろりとしたリキュールと無色の、おそらくはジンのような蒸留酒を同量。密封式の瓶を取り出すと栓の押さえを外した。弾ける炭酸水をグラスのふちからそろそろと注ぐと、マドラーで三度混ぜる。それを三杯同時に、流れるような手付きで仕上げてみせた。
「これが店の名前を冠した名物カクテル、『コランドン』。乾杯しましょ」
グラスを渡されたアーティアとノアは、コランティーヌとともにそれを掲げて一口含む。
「うっわ! これめちゃくちゃ美味いっすね!!」
「おいしい。ここにいたときは毎晩これを飲ませてもらったわね」
コランティーヌもグラスを傾けると満足げに頷いてみせた。
「ここらでしか採れない青い菫の花があるの。毎年春に摘んでお酒に漬けるんだけれど、このコランティーヌしかこの色と香りは出せないの。今日はいくらでも飲んで。最後にこのお酒を飲んでくれる人がいてくれてよかったわ」
女主人は嬉しくもあり寂しくもある顔で酒を促した。
「コランティーヌ――」
「――ええ、この店を閉めるつもりだったの」
「話を聞かせて。わたしたち『流れ星』の思い出の場所でもあるこの店のことを。リストールに起きたことを」
「……この石を覚えてる?」
カウンターの隠し棚から小箱を取り出して中を開け、ふたりに見せた。中には手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさの青い石。研磨され、涙型にカットを施されたサファイアがあった。
「わたしたちがこの街を去る前の、最後の依頼を受けて宝石川の上流で採ってきた石ね。あのときは原石のままだったけど、こんなに綺麗に仕上がったのね」
触ってもいい? と聞くと、アーティアに小箱を手渡した。
「凄いわ。もともと巨大な原石だったけど、この大きさでサファイアの中に一筋のヒビも内包物もない。涙滴型のカットも完璧。テリも申し分ないし、なんといっても色が最高。深みがあって濃い青なのに光が当たるとどこまでも透き通って見える。こんなサファイア。ユルセールの国王だって持ってない」
どこからともなく出したルーペでサファイアを眺める。いや、鑑定していた。ノアも始めて見るアーティアの、商人としての姿がそこにあった。
「……わずかに。わずかに青色にムラがある。けど、それが逆にいいわ。青空にうすらと刷毛でなぞったような薄雲みたい。光にかざすととても綺麗。無機質な宝石なはずが、まるで生きているかのよう」
窓から差し込んでくる光をサファイアで受け、光の散乱をたっぷりと楽しむ。
ノアもその様子を眺めていたが、確かにそのサファイアは光を浴びると生き物のように表情が変わって見えた。
「最高の石に仕上げたわね。わたしたちも苦労したかいがあった」
「宝石川は上流に行けば行くほど品質がよくて大きな原石が採れるといわれているの。けど、水源地はなぜか人も動物も蝕む毒が強くて、水源地までたどり着けた者はいない」
「だからコランティーヌがありったけの財産でわたしたちに依頼したのよね。水源地から原石を持ち帰ってきてほしいって」
「あなたたちならできると思ったから、一世一代の大博打だったわ。そして期待に応えて、見事に持ち帰ってきてくれた」
「ハムの毒鎧がなかったらどうしようもなかった。運が良かったわ」
コランティーヌが次に取り出し、カウンターに広げたものは二枚の地図だった。
「これは昔のリストールと宝石川上流までの地図なんだけど、あななたちが向かってくれたのがここらへん。いちばん毒の影響が強かったところ」
「けっこう遠かったわ。歩きで三日。そこから鎧を着たハムがひとりで歩いて三日」
「ハム師匠だけ単身エクストリームいってこいじゃないっすか!!」
「人聞きが悪いわね。最後はメテオも使ったし、全員毒の範囲ギリギリで一週間もキャンプしてあいつらを待ってたんだから」
「それでこれが今のリストール周辺の地図。数年前から変動が続いてかなり川の支流が増えて地形も変わっているけど」
出された新しい地図は、古い地図と大まかなところは変わっていないものの、川の流れが大きく曲がり、いくつもの支流を作って縦横に別れていた。
「……こんなに変わったのね」
ユルセール創設から続いた暗部。『漆黒の聖杯』を破壊した影響であることを知っているアーティアは眉をひそめた。
「始めは川の氾濫。支流が増えたことによって起こるいくつもの不都合があった。でも、いよいよどうしようもなくなってきたのが毒の範囲」
菫のリキュールを手のひらに垂らすと、それを指で掬って地図の上に円を描いた。
「これがわかっている今の範囲」
円はリストールの街のすぐそばまで迫っていた。
「範囲は今も広がっているの。街にいた賢者の予想では半年もしないで――」
コランティーヌはグラスの青いカクテルを地図に零した。
染みはリストールを青く染めた。