【外伝】龍と宝石と毒1
「あれからもう五年くらい経つのかしら。『漆黒の聖杯』の力が失われてから、ユルセール領内はあちこち破綻しているわね」
ウォルスタ商業神殿、大司教アーティアは自室でひとり紅茶を淹れ、書類に目を通しながら呟いた。
「自治領は影響外だからかえって楽なのは皮肉だわ」
今から五年前。先王ユルセールⅤ世。カザン王が崩御した。
表向きは適当な死因をつけてのことであったが、冒険者集団『流れ星』のパーティリーダー、メテオが殺した。正確には呪いを解いた。
建国から170年もの間、ユルセール王家は『漆黒の聖杯』という魔法の道具を使い、本来魔物がはびこり、過酷な自然環境であったこの地を肥沃な大地へ変えていた。
代々の王には冒険者であった初代ユルセール王の仲間。魔術師シャリエが『漆黒の聖杯』の力で強力な 『不死の王』というアンデッドとなり、170年間の長きにわたってユルセール王家の顧問魔術師として暗躍していた。
ある時その存在に気がつき、信じられないほど強力な魔法の力ですべてを明らかにし、歴史の歪みを正したのがメテオであり、かつての『流れ星』たちであった。
『不死の王』であり、疫病を操るアーティファクトを所持した“ペストブリンガー”の力によって一度アーティアは死んだ。本来ならもう《復活/リザレクション》であれ蘇ることができないはずだったのだが、メテオの不思議な力で現世に帰ってくることができた。
それからもいろいろと厄介なことはあったのだが、ここ三年はまずまず平和といっていい。『漆黒の聖杯』を使った反動だが、ユルセール王国自治領であるウォルスタにはその余波はない。もともと荒れ地と魔物だらけの土地を、『流れ星』たちが開拓して今のウォルスタがある。
今後、ユルセール王国領地にはさまざまな災厄が訪れるのは間違いない。目下のところは王国内を流れる二本の大河が荒れに荒れ、治水のために王国騎士団が日夜苦労している。
商業神の神殿長であり大司教でもあるということもあり、アーティアはおそらくウォルスタでもっとも世界情勢に通じている。
コンコン。
「レオンももう二十歳。ロルトじいをウォルスタから持っていったんだから、せいぜい頑張ることね」
コンコンコンコン。
悪態をついてさくさくと焼き菓子をかじるその姿は悪の組織の女幹部であるが、本人としてはさほど悪意があるわけではない。実際に今の王であるレオンからの頼みは、可能な限り受けている。
また、もとはウォルスタの魔術師ギルドの実質的な長であったロルトは、王国の騒動があってしばらくしてからは王都での宮廷魔術師となり、多忙なレオンの右腕となって働いている。
「いい天気。仕事もほどよく手を離れてきたし、このまま毎日優雅な午後のお茶を楽しめるといいのだけれど――」
コンコンコンコンコンコン。
中庭に面した窓から差し込んでくる昼の優しい陽射しに目を細める。コンコンという中庭方面からのノック音などまるで聞こえないとでもいうように。
「無視はよくないのである! 開けるのである!! わたしにも茶と菓子をよこすのである!!!」
パッと見ではアーティアの着る神官衣と似ているが、明らかに違う文化圏の装いをしている少女が窓を叩いていた。
月の光のよう銀の目と滝のような銀髪を後ろでまとめた少女は、白い巫女服の裾から伸びた細腕でしきりに窓にしがみついている。背が低いせいで窓からは顔半分ほどしか見えない。
「……中庭から訪問してくるなんてガルーダかメテオくらいだと思って油断していたわ。何よカトラ。暇なの? 龍のくせに人間の世界に遊びに来すぎよ。どんだけ暇なのよ」
盛大なため息をつくと、壊されてはかなわないとばかりに窓を開け放って少女に悪態をついた。
「ひどい言われようなのだ! 暇なわけではないのだ。むしろお主らの王にこき使われて忙しいのだ!!」
といって窓を乗り越えてアーティアの自室に乗り込んできた。そして自分で適当に棚からカップを出すと、テーブルに乗っていたティーポットからお茶を注ぎ始め、断りなく焼き菓子を貪り始める。
銀龍カトラ。まごうことなき古代龍である彼女は先の騒動の後、廃城のあるアヴィルードを国王レオンから譲り受けた。しばらくはそこで龍らしく財宝に囲まれ悠々と過ごすという話であった。
「レオンは国賓として、友人として付き合ってくれといったのにちょくちょくロルトとかいう老魔術師を通じて無茶振りをしてくるのだ! 人間のセカセカしたペースに振り回されてもうクタクタなのだ!!」
かつてカトラは隣国の王子にアーティファクトを以て操られ、ユルセールの国に大きな被害をもたらしかけた。いわば加害者であるのだが、被害者であるところのユルセール王であるレオンはそれを許し、なおかつカトラもまた被害者であるとした。
非礼を詫びるカトラにユルセール領土であるアヴィルードを割譲し、国賓としての扱いをし、永久にアヴィルードの土地を侵略することはないと約束を交わした。
だが、どうもレオンは何かとカトラを頼っているようだ。
「レオンも大きくなって王様らしくなったわね。メテオと一緒のベッドで寝ていたあの子が龍を手玉に取るだなんて嬉しいけど寂しいわ」
「手玉になどとられておらぬのだ! わたしが寛大な心でレオンを助けてやっているだけなのだ!!」
焼き菓子の破片を撒き散らしながらアーティアに食って掛かる。けれどもカトラのほうも楽しんでいるのだろうと思わされた。本当に気が進まないことであれば、カトラは耳も貸さずことによればユルセールの城ごと焼き尽くしにかかるだろう。
それをさせず友の無茶振りとしてカトラを操る若王レオン、恐るべしである。
「さすがは人間好きな鉱龍ね。わたし、人間だけれどもとても真似できないわ」
「やめるのだ! そうやって予防線を張るのはよくないのだ!!」
古代龍の中でも派閥があり、金属色の体皮を持つ鉱龍。どちらかというとマットで絵の具で塗ったような体皮を持つ色龍。いずれも人前に姿を表すことはほとんどないが、一般的な風聞や伝説として鉱龍は温和で人間好き。色龍は好戦的で人間嫌いとされている。
カトラも今は人間の姿に变化しているが、真の姿に戻れば長い蛇のような胴体を持つ銀色の龍となる。
「そういう面倒なのはメテオに相談するといいわ。わたしはこの神殿の大司教だし忙しいの」
「嘘なのだ! ここに来る前に“仕事もほどよく手を離れた”って呟きながらお茶していたのを知っているのだ!! 龍の聴覚を侮ってはダメなのだ」
「……チッ」
「大司教のくせに舌打ちとかよくないのだ!!」
初めこそ絶大な力を持つ古代龍として敬意をもって接していたアーティアだが、少女の姿で生意気なことを口走るので早々に遠慮というものをやめていた。
「この件が一番向いているのはアーティアなのだ。レオンの友としてそなたも力を貸すといいのだ。この国のためにもなるのだ」
「……今一番聞きたくなかった言葉ね」
ほいほいと頼み事を素通しで受けると、かつてメテオがしくじったように週替わりで頼み事をしてくる。レオンのことは嫌いではないが、王家とはそういうものだ。
だが、受けざるを得ないこともある。なにしろ自国の王経由で古代龍が泣きついてきている。国益はすなわちこの町、ウォルスタの経済に関わってくる。心は決まってはいたが、せいぜい渋る様子を見せておかなくてはならない。
アーティアは優雅であった午後の紅茶を惜しむようにカップの中身を一口した。
先程まで熱々だったお茶はすっかり温くなっていた。
唐突な更新! けっこう前に書いていたんですけど、コビッド騒ぎですっかり書き上げるのを忘れていました。
このままお正月のおやすみ期間はしばらく毎日更新です。