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【外伝】亡国の剣5

 先程まで骨と腐肉が爆ぜ飛び轟音を上げていたとは思えない洞窟の広間で、ノアは岩にじんわりと染みていくような静寂を破りたくて呟いた。


「結局、この魔法使い、混沌神官? は何をしようとしていたんですかね」

「あれだけのアンデッドを使役していたということは、おおむね検討がつくが……この祭壇は動くな」


 広間の奥は祭壇になっていた。岩造りの大きな供犠台のようなものがあり、ハムが力を込めて押すと上部がわずかにスライドした。


「俺たちを襲った賊共は貴族の馬車を襲ったわりに躊躇がなかった。身代金要求なら生かそうとするだろうし、あの馬車に大金が積まれていると思う者もいないだろう。となると用があったのは死体」

「うへぇ」

「そして俺たちが生かして捕らえた賊徒が喋らなかったのは、《強制/ギアス》で魔法使いの不利益になることを禁じられていたのかもな」

「それじゃあ今頃ペラペラ喋っているかもですね」


 ほとんどの《強制/ギアス》は術者が死ぬと効果が解除される。かつてハムは友人でありパーティメンバーの魔術師であったメテオからそう聴いていた。ただし、混沌魔法の《呪い/カース》は術者が死ぬとかえって解除しにくくなるとも。


「この祭壇。上が蓋になっているから開けてもいいんだが、もし厄介なものが封印されていたり、罠が紐付けされていたら面倒だな」


 自分でも見つけられたほど単純なものであるから罠はないとは思うが、中に上級のアンデッドや邪悪な霊体が入っていると危ないかもしれない。今は盗賊で罠感知に長けたリトルフィートのガルーダもいなければ、精霊感知のできるエルフのリーズン。アンデッドや混沌神の気配を感じることができる神官アーティアはいない。


(マリアがいれば何でもできるんだが)


 『流れ星』(シューティングスター)でもっとも気まぐれでもっとも手広く経験を積んだマリアも、今では魔術師メテオと夫婦になり二児をもうけている。まだ子供が3歳になったばかりだというのに、家族総出で新婚旅行に出てからはどこに行っているのやら。


(俺は寂しいのかもな)


 何があってもある程度ひとりで切り抜けられる力はあるつもりだが、こういうときにかつて冒険の旅をともにした仲間の存在を思い出す。


 寂しいなんとことは、ウォルスタで自警団で町を襲ってくる怪物に対して戦うときはあまり感じない。ひさしぶりの冒険じみた成り行きに、少し昔が懐かしくなってしまったのだろうか。


「だいじょうぶっすよ!」


 少し考え込んでしまったハムだが、場違いなほど明るい声に引き戻された。


「だってハムさんはボスもボスを守るアンデッドも斬り伏せたんですから。ここまできたら最後まで俺たちで見届けたいじゃないですか」


 ノアもまた冒険者のようなことをしているせいか、わずかに興奮気味のようだ。


「そうだな」


 若手の純粋な言葉に笑みが漏れた。

 なんだか細かいことで悩まされたのが馬鹿みたいに思えたのだろう。


「ノアが来てくれてずいぶん助けられた」

「そうですか? いやぁ、それほどでも」

「天板をずらすぞ。手伝ってくれ」


 ふたりで石の天板をはずすと、そこには棺があった。


「……これって棺桶ですよね。まさか吸血鬼(ヴァンパイア)じゃ」

「それはわからんがこの棺の紋章は見たことがある。ザンジバル王家の紋章だ」

「へっ。ハムさんがもらった剣の? とっくに滅びたっていう?」

「奇縁だな」


 ためらうことなくハムは棺に手をかけた。ノアはおっかなびっくりその様子を眺める。


 棺桶の蓋を開けると、そこには防腐処理を施された壮年の男の遺体が寝かされている。あちこち刀傷と矢傷を負っているが、それらはすべて死後縫い合わされている。

 歳は五十前後だろうか。白いものが混じった総髪と髭の奥には瞼を伏せた、険しい男の顔があった。


 遺体のほかにも目につくものがふたつ。


 ひとつは頭の脇に置かれた金の王冠。ひとつは組まれた両手に握られている剣だ。


「この剣。この王冠ってもしかして」

「おそらくザンジバル王国最後の王。滅亡後も遺体どころか愛剣も冠も見つからなかったというが」


 予想していない祭壇の中身にハムもわずかに眉を寄せた。


「でもなんで、あの魔法使いはザンジバルの王様の死体なんて?」

「《死者創造/クリエイトアンデッド》で作り出すアンデッドは、生前の強さが反映される。そこに数多くの生贄を捧げれば生前を超える力を持った死者の騎士(アンデッドナイト)を生み出せる」


 死者の肉体と魂を冒涜する考えにハムの腕に力がこもった。


(よこしま)な魔法使いはな。ときに自分を守る盾としてこうしたことをする。戦いから逃れ安らかに眠る英雄の墓を暴き、死後も尊厳を与えられず使役させられる」


 滅多に感情を高ぶらせないハムだが、誇り高い戦士の魂を弄ぶ行為に怒りを禁じえない。


「でもよかったっすね。ハムさんが『ザンジバル』を手にしたのも偶然じゃなくって何かあったみたいな感じですし。あ、馬と御者にはかわいそうですけど」

「ああ。魂を汚される前でよかった」


 これはアーティアに頼んで弔ってもらわなくてはな。そうハムが考えたとき、棺の中の王が動いた。


「う、動い――」

「離れろ」


(まさか、遅かったのか)


 ノアを下がらせ自分も十分に間合いを取り、まさに起き上がるザンジバル王。


 ゆっくりと起き上がり、頭に冠をかぶり手にしたザンジバル剣を握る手に力が入る。

 ふと膝を曲げたかと思うと、さきほどまで確かに死んでいたザンジバル王は跳躍して洞窟のごつごつした床にふわりと着地した。


(これは――強い)


 ザンジバル王の身のこなしを見てハムは力量を測った。


「ノア。もし俺が敗れそうならウォルスタのアーティア大司教に事情を説明しに行け」

「まさか! アンデッドとはいえハムさんがタイマンで負けるなんて考えられないっすよ!!」

「負けるつもりはないが、楽に勝てる気もしない」


 手にした『ザンジバル』ではなく、ハムの奥の手である『光の剣』(クラウ・ソラス)と、『光の鎧』(クラウ・アーハ)を召喚して装備すべきかもしれない。これが上位のアンデッドであれば、魔法のかかっていない『ザンジバル』ではそもそもダメージを与えられない可能性すらある。


「クラウ――」


 手にしていた『ザンジバル』を手放し、どこにいてもハムの呼びかけに応じて手の中に現れる『光の剣』(クラウ・ソラス)を召喚しかけたとき、ザンジバル王が奇妙な動作をした。


 右手で持った剣を水平に構え、刃を自分に向け峰を相手に向け、左手は切っ先を軽くつまんでいる。


「な、何なんですか、あの構え!?」

「……剣術には自分の流派を表す動作がある。あれはザンジバル流剣術を表す構えだ」

「なんで、そんな構えを?」

「ノア。離れて見ていろ」


 ノアを下がらせハムは一歩前に出た。


「ザンジバル流剣術。始まりの型。参る」


 相手と同じ構えを取り向かい合うとハムはそう発し、剣を返して上段に構える。左手で『ザンジバル』の峰に手のひらを添えるとザンジバル王の剣に向かってそれを振り下ろした。


 王はそれをがっしりと受け止めると、血の気のない手で先程のハムと同じように上段に構え、左手を峰に添えてハムに打ち込んだ。


(これって……型演舞?)


 正統を目指す流派の多くは『型』を持っている。

 正しい動きを身体に覚え込ませ、いかなる状況でも瞬時に対応できる幾通りもの理想形を動きにしたものだ。


 入門者はそれを練習することにより、その流派の剣筋を身に叩き込む。『型』はひとりでもできるが二人一組。あるいは多数とでも攻めと受けの決まった『型』の動きを行うことを『型演舞』ということがある。


 まさに、今ハムとザンジバル王が行っているのはそれだった。


 ただし『型』とはいえ、熟達者同士が行うそれは実戦さながらの動きとなる。

 相手の剣筋を熟知し、そのように動くことを信頼していないと『型演舞』は成立しない。

 しかも真剣で理想の型の速さをまともに行えば、相手に大怪我を負わせることもあり、そこに一筋の悪意があろうものならたやすく死に至らしめることもできる。


 みるみるうちに動きは早くなっていき、上段、中段、下段。袈裟懸け、下薙ぎと次々に型を打ち合う。一歩離れてふたりの全体を見通せるノアですら、もはやふたりがどんな太刀筋で、どんな技を使っているかがわからなくなるほどの速さとなっていった。


「……きれいだ」


 ノアはどちらかというと正統派の剣術よりも、冒険者たちが振るうような実戦で培われた動きを好んでいた。実際、ほとんどの剣術というのは対人を想定して作られたもので、怪物や魔獣といったものを相手している自警団としてはあまり人気がない。


 それでも一通り剣術というものは習っていたつもりであったが、ふたりの達人が行う型演舞のそれはレベルが違っていた。

 

 武道というよりは舞踏。あたかも死を天秤にかけた狂気のダンスだった。


 こう打たれたらこう躱す。こう躱されたらこう打つ。


 決められた剣術の攻防が一体になって目の前で繰り広げられる様は、もはや実戦と変わらない。互いの太刀筋がわかっていながら、それを紙一重で回避し受け流し反撃に転じる。一切の無駄がない、理想の剣がそこに表現されていた。


「これが。これが本当の剣術」


 まず理想があって、そこにたどり着くにはどうしたらいいか。その求道が剣術であり、術理であるのだろう。ノアは本能的にそう感じ取っていた。目標がなく、その場に対応する漂うだけの自分とは違う。その事実にうちのめされる一方で、それが心地よくすらあった。剣戟に火花散る一撃が音を立てるたびに、心が澄んでいくようでもあった。


 その舞も終わりに近づいていた。


 切り結んで飛び退き、そのまま地面を蹴って身体を一回転させて全体重を載せた斬撃が空中で交差した。最後は峰同士が切り結び、終わりを告げるように甲高い音が洞窟内に響き、着地後も剣同士が離れることはなかった。


 剣がぶつかり合う音が洞窟内に吸い込まれるわずかな時間が永遠にも感じられた。

 静寂が訪れたときふたりは剣を引き、始まったときと同じように相手に峰を向けた構えを取る。


「……見事」


 死者の蒼白であったザンジバル王の顔はいつのまにか赤みが差していた。


「この剣はそなたのものだ」


 一言つぶやくと全身が灰となって崩れ去り、その上に王冠と剣が残された。

本文でこっそり書きましたが、メテオが元の世界に一瞬帰ったあとから三年後。という時間軸

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