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044_旅の続き

 気がつくと俺は石畳の上に立っていた。


 《万物創成/クリエイトオール》を使ったゲヘナ火山ではなく、ひんやりとした石に囲まれた大きな部屋。

 窓は天井付近に格子状になったところがある。そのままでは人の出入りはできないくらいの隙間しかない。そこからうっすらと青空が見えるところを見ると、案外ゲヘナ火山の山頂にこの部屋は作られたのかもしれない。もちろん俺の魔法で。


 扉はひとつしかない。思ったよりも簡素な木製の扉だ。

 ここから出るとゲヘナ火山――ということはないだろう。

 はて。扉が開いたと思ったらまた扉か?

 この扉のために、俺は持てるほぼすべての力を使い果たしたようなものだ。

 クロックが何かヘマをしてくれたんじゃなかろうな……


「だがまあ扉があるなら開けて進もう。やることをやって早く帰ってくるか」


 現世に戻って、もともとこちらにいたメテオが元気にやれているか。

 できれば言葉を交わして、納得の上でこちらに帰ってきたい。

 もし、メテオがこちらの世界に未練があるようであれば――俺はどう答えるだろうか。


「何にせよ一度帰ってからだ」


 早くしよう。

 俺のすべてを注ぎ込んでようやく作ることができた時空を越える扉だ。

 効果時間が切れたりでもしたらシャレにならない。


 軽いきしみをたてて扉を開いた。

 驚いたことにそこは畳敷きの和室だ。

 さまざまなゲームのルールブックが揃った本棚があり、ベランダに通じるアルミサッシがあり、ちゃぶ台があり――


「石井――先輩」

「ついにここまで来たか、杉村」


 着流しにメガネ。不機嫌な表情の男。

 テーブルトークRPG『アャータレウ』で学生時代から数十年、俺たちのゲームマスターであった石井先輩。

 事故で生命を失い、こちらの世界の神として転生した石井先輩がちゃぶ台の前に座り、寿司屋の湯呑でお茶をすすっていた。


「なんでここに!?」

「そう急ぐな。そのドアからでもベランダからでも出れば、元の杉村の世界に帰れるぞ。まあ座れ」


 石井先輩に促されるまま俺はちゃぶ台の前に座った。かつて杉村であった俺が愛用していた座布団もあった。いつも使っていたマグカップもだ。


「クロックが俺に時空を渡るための説明をしろってな。親使いの荒い精霊だよ」

「この世の精霊の生みの親ってじゃあ――」

「そりゃあ俺だ。いっただろ、俺はこの世界の創造神だって」


 眉間にシワを寄せて緑茶をすすった。この人はいつも不機嫌に見えるが、その実そんなことはないのをよく知っている。


「でも、嬉しいです。だって向こうに行ってもセンパイはいないわけだし」

「俺も神の仕事をサボれるから満更でもない」

「いいんですか? こんなことしてて」

「クロックが時の流れを止めてくれている。貴重な休暇だ」


 あいつ。俺の力をぜんぶ遠慮なく持っていったわりに、余裕あるじゃないか。


「時空を渡るにあたって、いくつか注意点がある。心して聞け」


 センパイは要点のみを簡単に語った。


 日が落ちるまでにこの部屋に戻ってくること。

 そのときはひとりで戻ってくること。

 そのひとりは俺じゃなくてもいい。誰でも任意のひとりが戻ってくればいい。

 魔法は使えるが、MNDを使いすぎて昏倒に注意すること。

 姿は杉村ではなくメテオのままであること。


「これくらいだ。他に質問はあるか?」

「センパイはいつまでここにいるんですか?」

「日が落ちるまで。お前か誰かがここに来るまで」

「それまでセンパイは何してるんですか?」

「たまの休み時間だから茶をすすりながら、ひさしぶりにルールブックでも――俺のことはいいだろ。他には?」

「……この世界の俺とマリアはどうなってますか? あと、探知の魔法で見つけられますか?」

「杉村とメテオは完全に交代している感じだ。あとは自分で確認しろ。もとの世界のマリアたちであれば《精神感応/テレパシー》が使える。知った物体なら《探査/ロケーション》で探知できる。知った場所なら《転移/テレポート》も使える」


 それならもといた俺の。杉村の自室にいってみよう。マリアやその他のメンバーたちも気になるが、今俺が話したいのはメテオとだ。

 ベランダを見ればまだ外は明るい。昼過ぎくらいというところだろう。


「それと、早く帰ってきても俺は時間いっぱいまで自室でくつろぐつもりだから」

「俺、センパイともいろいろ話したいんでそのほうが」

「二度とこちらに来れると思うなよ。せいぜい思い残しがないようにな」

「はい、行ってきます――《転移/テレポート》」


 俺はためらうことなくベランダに通じるサッシを開けると、一歩進み出て魔法を使った。 

 石井先輩の茶をすする音を聞きながら、俺はなつかしのわが家の自室に転移した。


「えっ、俺!?」

「えっ、俺!?」


 かつての俺の部屋。

 見慣れた安物のベッドの上には、文庫を片手に寝そべっている俺がいた。

 36歳会社員男。


「もしかして……俺か?」

「ということは……お前がメテオ?」


 かつての自分。杉村前賢(まさとし)がそこにいた。そして、手にしている文庫はTRPGのルールブック。俺や石井先輩たちが20年にわたってやり込み続けた『アャータレウRPG』がある。


「お互い自己紹介は……必要ないか」


 杉村の姿をしたメテオが『アャータレウRPG』のルールブックを置いて、ベッドに腰掛けた。

 メテオの姿をした俺も、机から椅子を引き出して座る。


「俺がここに来たのは、メテオに聞きたいことがあったからなんだが――」


 聞きたいことやいいたいことは山ほどあるんだが、いかんせん二十年にわたって読み込まれたボロボロのルールブック。それでもエラッタが修正されるたびに買い替えているので、少なくとも三冊は所持しているルールブックに目がいってしまう。


「完全に俺の姿でくつろいでルルブを見ている姿を見たら、力が抜けた……」

「こっちも同じようなもんだ。けど、その薬指のリングだけは詳しく聞かせてくれ」


 メテオは俺の薬指に嵌まる指輪を気にした。


「いろいろあってマリアと結婚した」

「マジか! よく生きてるな!?」

『死者の掟の書』(ネクロノミコン)のおかげで本気で殺されかけた」

「……あっ、ごめん」


 本来は自分の才能に限界を感じたであろうメテオが、探させていたアーティファクト。『死者の掟の書』(ネクロノミコン)。おかげでマリアに殺されかけもしたが、あいつと結婚までこぎつけたのもあの本のおかげといえなくもない。


「その様子だと、メテオはすっかりこの世界に。杉村として馴染んでいるように見えるが……」

「こっちもいろいろあった。でも、この世界のマリアが親身になってくれた。ちょっと歳が増していたけど、完全に俺の知っているマリアージュの姿。しかも年齢が上のせいか、俺の知っているマリアよりも抜群に落ち着いていたし、頼りになった。ハムやアーティア。ガルーダやリーズンの生みの親たちにも事情を話したし、よくしてくれている。楽しい世界だ」


 よかった。

 メテオも俺と同じように自分の世界に何かを見出してくれた。

 

 それでも、俺は聞かなきゃならないだろう。


「メテオ。元の世界に帰りたいか?」

「連れ帰るつもりなら――全力で抵抗する」


 杉村の姿をしたメテオの目が、俺の知っている自分の眼光じゃない。

 幾千の死線をくぐり抜けた冒険者ではないと出し得ない目だ。


「ならよかった……これで何ひとつ未練なく帰ることができる」

「そっか。お前も向こうで幸せになったんだな。よかった」


 メテオは目の光を鎮め、無造作にベッドわきに置かれた、WEB通販で買ったであろう送り状ラベのついたダンボールからペットボトルを二本掴み取った。

 おお、あれは――


「お前もいつも飲んでた炭酸水だ。いつまでこっちにいられるんだ? 少しは話す時間、あるんだろ?」

「あああ! ウィルキンソスの炭酸水!! 懐かしいなあ。一階の冷蔵庫まで降りるの面倒だから、いつもダンボールごと置いといたんだよな!!」


 36歳男性だった俺に甘いジュースは論外。お茶はカフェインの過剰摂取になるし、水だと物足りない。無糖の炭酸水が中年の俺には一番の常備水分だった。


「――うまい!!」

「俺もこっちの世界で何が嬉しいって、こんな刺激のある炭酸水が毎日手軽に飲めるってところだ」


 さすがは俺。

 こいつがWEB通販すら自由に扱えることに、俺の心配は炭酸の泡と消えた。


「日本は最高だ。高水準の食文化があるうえ、世界中の料理も食べられる。もっとも一度足を踏み入れれば《転移/テレポート》で世界中どこでも食べ歩きができるんだが」

「マジで!? こっちでも魔法使えるんだ!!」

「おかげで便利に暮らしていけている。まだ《隕石落とし/メテオラ》は使えないが、あれほど追い求めていた力も、ここで暮らしているうちに執着が薄れてきた。なんなんだよこの世界。魔力も使わず星の世界にまで行けるとか今でも意味不明だ」


 余裕が出てきたのか、次から次へとメテオに話したいことが浮かんできた。


「そういや『アャータレウ』のルルブ読んでたけど、もしかしてセッション続けてるのか?」

「今は俺がゲームマスター。マリアも日本に帰ってきてからは毎週集まってゲームしてる。ほら、俺魔法使えるじゃん? ゲームの日は《幻覚/イリュージョン》とか使って雰囲気出したりするわけだ――」

「なにそれ! めっちゃ俺も参加したいんだけど!?」


 本物の最強クラスの冒険者が体験を元にゲームマスターしてるだけじゃなく、《幻覚/イルージョン》まで使って!? そんなのもうVRゲーム越えるじゃないか!!


「いやそれでも困ったことがある。俺にしてみれば一度経験した冒険を再現したシナリオを作っているつもりなんだが、どうもあいつら。すでに経験済みなことが多くて…… 石井センパイっていう人が全部作り出したんだろ。俺たちが経験した冒険全部。なんなんだその人」

「そういや石井センパイのことは知らないんだよな。今あの人はアャータレウの世界神だ」

「なんだよそれ! そこんとこ詳しく!!」


 互いに聞きたいことが山ほどある。

 炭酸水のペットボトルをのみのみ、俺たちは語り続けた。






「――いやお前もう完全に日本人だな。言葉のアクセントとかも完璧だし、苦労したろ」

「《翻訳/トランスレイト》と早い段階でマリアの協力がなかったら詰んでた。一応俺、賢者スキル持ちだしなんとかなるもんだ」

「賢者スキルっていってもレベル3だろ!」

「それについては『アャータレウRPG』のルルブと俺のキャラシー見て愕然とした。ウソ……俺の賢者スキル低すぎ……って」

「それでも一ヶ月しないで日本語マスタリーとか凄いよな」

「たぶん今の俺。賢者スキル5くらいになってる気がする。きっと今のお前より高いぞ」

「くそー ゲーマススキル失ってなかったら確認してやるのに」


 楽しい時間は経つのが早い。

 窓を見れば空がうっすらオレンジ色に――


「やばい! 日が沈むまでに帰らないといけないんだった!!」

「いやもうお前。このままこっちの世界に住み着けばいいのに」

「バカいうな! 妻も子供もいる新婚なんだぞ!!」

「ジョークジョーク。俺も近くマリアにアタックするつもりだ。幸せにな杉村メテオ」

「ああ。さすがにもうこっちに来ることはできないだろうが――そうだ。選別置いてく」


 まずは『無限の革袋』(インフィニティバッグ)から指輪をひとつ。魔法の発動体で、魔法の威力を上げ、MNDの消費を抑えてくれる+1アイテムだ。


「発動体のリングか! ありがたい。これでセッションのときに使える魔法を増やせる」


 マジックアイテムなんて何もない俺の姿でこちらに転移してきたメテオには嬉しかろう。

 その他ちょっとした魔法のダガーや便利アイテム。宝石なんかをゴロゴロと置いていく。メインウエポンや『すねギロチン』は勘弁してもらおう。日本じゃ使うこともないだろうし。


「石井センパイの部屋に行くんだろ。いろいろ貰ったし、俺が魔法で送ろう」

「ありがたい」


 MNDがメテオの初期値に戻ったことにより、《転移/テレポート》一回分とはいえ無駄にしたくない。素直にメテオの言葉に甘えさせてもらう。


「こっちの世界じゃたいしたものはないが――これを持っていけ」


 メテオが俺の手のひらに何かを押し付けた。


「それじゃあ、死ぬなよ」

「そっちもマリアと長生きしろよ」


 杉村の姿をしたメテオが《転移/テレポート》の魔法を唱える。

 ひどく違和感のある絵面だが、自室と共にその姿は二度と忘れまい。






「ただいま! 石井センパイ!!」

「……遅かったなメテオ。ギリギリでアウトだ。もう帰れない」

「ウソぉ!?」

「ウソだ」

「なんで! なんでそんなウソつくの!? 心臓止まるかと思った!!」


 転移魔法で石井先輩の部屋に飛び込んだところにこのブラックジョークはあんまりだ。


「早く帰ってきて俺と話すっていってただろ。このウソツキが」

「あっ、それはつい。いやぁ、自分の分身だけについ会話が弾んで」


 石井先輩の顔が凶相となった。

 ごめんなさい。実は俺とのトークを待ちわびていたんですね。


「実際ギリギリだったぞ。そのまま日本で杉村にもなれずコスプレ姿で生き恥を晒していればよかったものを」


 舌打ちとともにこの追撃である。


「それじゃあ帰るぞ」

「すみません、お願いします」

「この痴れたわけうつけポンチが」

「石井センパイとはまだ会えるチャンスあるじゃないですか! そんなにスネなくても!!」

「俺は神業務が忙しいんだ。お前だってせっかく忙しい中に予定を開けてTRPGセッションだってときに、うっかり忘れてましたでゲームができなかったら死なすだろ?」

「本当にごめんなさい反省してます」


 確かに実際にあった。TRPGはひとりではできない。社会人になってからは、みんなギリギリのところで予定を調整してセッションに望むのだが、本当にとくに理由のないひとりのドタキャンでゲームは台無しになる。許されざる行為だ。


「反省していればいい。確かに俺とお前であればまだ都合はつけやすかろう」


 湯呑に残った緑茶を一気に飲み干し、ちゃぶ台から立ち上がった石井先輩。

 その瞬間から、この部屋のすべてが色と存在を失い始めた。


「クロックががんばって時空を止めてくれた。生きていればクロックとも再会することもあるだろう。そのときはしっかり礼をするんだぞ」


 色を失う中で、石井センパイだけが形を保っていた。

 俺の視界も徐々に薄れ始めていく。声も出てこない。

 気がつけば俺は荒涼としたゲヘナ火山にひとり立っていた。


「……なんか夢みたいな出来事だったな」


 夢じゃないのはわかっている。

 腰に吊るした『七つの護符剣』(セブンタリスマン)が重い。

 使えるであろう魔法の回数も、おそらくは以前と比べ物にならないほど少ない。

 もう、隕石を落とすことも、大陸間を越えての転移もできないだろう。


 また《隕石落とし/メテオラ》を使えるようになりたいし、精霊魔法を極めてリーズンをこの世界に呼びつけるとも約束した。神官レベルが消えたってことは、もしかしたらもう一度奇跡の魔法を使うことだってできるかもしれない。


 目下、吊るした腰の剣が重い。

 もともとメテオの筋力的にはオーバースペックの剣なのだ。


「STRアップも必要だけど、やっぱり魔術師レベル10が先か。そこから護身用に盗賊スキルもうっすら取って、精霊魔法もどこかで修行しなおしだ。MNDも上げないと魔法回数が少ないし、VITも上げないとすぐ死ぬし……」


 まずは《転移/テレポート》で泥棒都市ブラックプレーンに移動かなあ。

 この時間ならまだ『百鳥(ももどり)』でランチが残っているはず。


 手のひらを開くと六面ダイスがふたつ。

 俺がこの世界に来ることになったきっかけのダイス。

 石井先輩の形見として貰った2D6だ。


「というか、レベルアップってどうやるんだろ。もうゲームマスタースキルないから確認できないし、書き換えとかもできない……いやいや。よく考えればそれが普通か」


 もうゲームシステムは確認できない。それでも俺は今まで通り身体を動かし、頭を使って、この世界を遊び尽くす。


「ゲームも人生もたいして変わらないなあ」


 《転移/テレポート》はやめだ。

 健康と筋力アップのため、麓まで歩いていく。

 飽きるまで歩いて疲れてどうしようもなくなってからでも《転移/テレポート》は遅くない。


 手の中でコロコロとダイスを弄び、たまに転びながらも山を下る。

 前のようにさくさくと山道を踏破することができない。

 けど、三日もすれば……いや一週間。お、遅くとも一ヶ月あれば身体が慣れるだろう。


 俺、けっこうこの世界でフラフラしていた自覚がある。

 たいていひとまずの目標はあるものの、最終的に何がしたいのかっていうのはいまだわからない。

 

「そういやテーブルトークRPGのセッションも、何か目的があって始めてわけじゃなかったか」


 友達と遊びたかったから。想像の世界でみんなと遊びたかったから。誰かと掛け合いながらのゲームは、ひとりだけでは思いつかないような楽しさがあったから。 

 

「強いていえば……誰かと遊び続けたかったからかもしれない――普通だなぁ」


 思えば俺みたいに普通なやつが、この世界でいまだ魔法使いとしてかなり上位にいるんだ。

 石井先輩も俺が何をしでかすのか期待しているかも。

 

「ゲームマスターがプレイヤーに求めるものっていったら何だろ。自分が用意したシナリオが、思いもしないような感じに動いていって、想像しなかったオチになることかな」


 火山をひとり、ぶつくさいいながら下山している俺。 


 うっ。足の裏に違和感が……

 これは次の日に靴ズレやマメで悩まされるやつだ。

 火山付近のせいで暑さもハンパない。汗だくだくだ。


 筋力アップが一日で成せるはずもなし。やっぱり魔法で一気に移動しよう。俺、魔法使いなんだからこんなワンダーフォーゲル無理。しかも山って登るより下りのほうが身体の負担でかいんだし。


「峻厳の山河、羽すら休めぬ空海、時を知らせる砂の重さ。我が翼はいずれも妨げとならず、目を閉じて開ければもうそこに――《転移/テレポート》」


 ――まだランチ残ってるかな。

次回が最終話です。

2018/5/20に更新します。

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