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042_再会

 一本の草木もない、一面黒い岩肌の斜面。

 ゆるやかな坂道を、ひたすら登るも景色は変わらない。


 ひどく殺風景な風景だけれども、視点を変えれれば賑やかといえなくもない景色だった。


 ときおり爆発音が聞こえてくると、どこかに真っ赤に焼けた溶岩弾が落ちて砕ける。

 しばらくは黄色く輝く彩りとしてこの岩山を染めるのだけれども、しばらくすると赤を経て黒くなっていき、周囲の景色と同化していく。


「黒いようでも、うっかり踏んだら大火傷だろうな」


 つぶやく男は、そのわりに歩み淀む様子がない。

 

 男は小柄な少年だった。

 魔法使いが身にまとうフードつきのマント。しかし腰には広刃の剣を吊るしている。剣士のようでもあるが、動きを損なう鎧などは身につけていない。ならば盗賊かというと、剣が大きすぎる。


 それでもこの光景を見るものがいれば、少年が強大な力を持った魔法使いであることは疑いようがなかっただろう。

 これだけの軽装でひとり、ゲヘナの火山に登る者がいる。

 赤龍ゲヘナの住まう山に立ち入る。


 魔法使いでなければ、神の使者か龍の化身だろう。


 しかし、もはやこの山に赤龍ゲヘナはいない。


 倒したのはこの少年ではないし、神の使者でも龍の化身でもなかった。


「ようやく借金を返し終わったか。メテオ」


 聞こえてきた声は懐かしいエルフの声だった。

 メテオと呼ばれた少年の前に蝋燭のような炎が産まれたかと思うと、ごうと音を立てて篝火ほども燃え上がる。


「ずいぶんゴツくなったな。リーズン」


 メテオが見慣れた精霊使いのエルフの顔。だが、身体はイーフリートのものとなったリーズンが微笑みを浮かべて現れた。


「本当にイーフリートと融合しっぱなしになったのか。俺の作った『憑依融合』(スピリットフューズ)はそこまで強力なマジックアイテムじゃないはずなんだが」

「お前が作った――? あのマジックアイテムをか」

「話せば長くなるんだ……ガルーダから世界の滅亡って聞いていたんだが、俺もいろいろ聞きたい。しばらくお喋りするくらいの時間はあるか?」

「それくらいなら問題ない。滅亡するまで概ねだが、数千年はかかるだろうから」

「案外長いな――あっちい!!」


 リーズンの言葉に思わずツッコミを入れたメテオであった。だが炎の身体を持つ身体へのツッコミは、メテオの裏拳をうっすら焦がした。


「フフッ。エルフの基準だとそこそこ急なんだ」

「たっぷり説明してもらうぞ。立ち話も何だ。椅子でも作るか――《万物創成/クリエイトオール》」


 使った魔法はリーズンや他の『流れ星』(シューティングスター)の皆にマジックアイテムを作り出した魔法。《万物創成/クリエイトオール》。

 殺風景な火山の頂上付近に、突如として優雅な椅子が二脚とテーブルが作り出された。すべて銀色の金属。ミスリルで作られた調度だ。


「これはミスリル――この魔法が『憑依融合』(スピリットフューズ)を作り出した技か」

「当たり。大昔にもらった魔神の呪いで魔法の存在を明かせなかったんだけど、このほど解禁された訳で。といってもあのレベルのアイテムはしばらく作ることができないけどな」


 リーズンは銀色の輝きからそれがミスリルであることを看破した。そして炎の身体をもたれかけて深く腰を落とし、満足気に足を組む。ミスリル製の調度はリーズンの纏う炎にびくともしない。


「まさかもう一度椅子に座ることができるとは、な」

「それでリーズン、どうしてこうなった。あと世界の滅亡の理由。それにクロックが一緒にいただろう。あいつは――」

「俺のほうも事情が複雑でな。要点をかいつまんで話そう」


 ミスリルの椅子に腰掛けたメテオに向けて、リーズンはゆっくりと語りだした。

 ガルーダとふたりで赤龍ゲヘナに挑んだこと。

 予想を遥かに越えてゲヘナの熱量が高かったこと。

 イーフリートと再度契約することは

できたが、その刹那に自分が燃え尽きてしまったこと。

 『憑依融合』(スピリットフューズ)の力をクロックが永続化させたこと。

 融合の代価としてイーフリートとリーズンは完全にひとつとなってしまったこと。

 その力をもって赤龍ゲヘナを焼き尽くしたこと。


古代龍(エルダードラゴン)を焼き尽くした……どれだけ強くなったんだ」

「ガルーダがゲヘナのスネを一本切り裂いておいてくれたからな」

「くっそー! 俺もその場にいたかった!! なんだよゲヘナの使った《炎の終焉/ビッグバン》って魔法!? 覚えたかった!!」

「メテオでも覚えられたかどうか。詠唱からして人間の使う魔法とは違っていた。身振りに翼の動きも必要そうだった。古代龍(エルダー)独自の魔法魔法だったのかもしらん」

「リーズンが使ったっていう精霊魔法も覚えられないってことか?」


 メテオの質問にリーズンの纏う炎が揺らいだ。


「《爆轟/デトネイション》、《類焼/キャッチファィア》、《世界炉/ヘスティアファーネス》、《始まりの火/プロメテウス》。おそらくはすべて人間には――いや、人間の世界では本来使うことができない魔法だ。それらは精霊王のみに許された力だろう」

「けど、リーズンはゲヘナを倒すのにその魔法を使ったんだろ?」


 魔術師メテオのもっともな質問に、リーズンの炎がまたも揺らめいた。


「ああ。そこが世界の滅亡につながってくる」

「……つまりどういうことなんだ?」

「俺はそのイーフリートとひとつになった。炎の精霊王とだ」

「………………」

「けれど俺は精霊ではない。ましてやエルフでもない。この人間界に生きる炎の魔人リーズンとなった」


 リーズンは深い溜息を吐いた。

 龍のブレスのように炎を纏った吐息を。

 その炎にうっすら炙られて熱かったのだが、なんとかメテオは叫び声を上げずに耐える。


「つまりだ……その…… 俺とイーフリートが融合したことによって、精霊界には炎の精霊王が不在となってしまった。それがどういうことかというと……今この人間界に供給されるべき炎の力の根源が繋がりを絶たれたということだ」

「ああああああ!!」


 事の重大さにメテオが空を仰いで呻いた。


「まあ、なんだ……人間界からは徐々に炎が失われていく。もちろんすぐにではない。ただ、今この世界にある炎の精霊がいなくなれば、それが循環することができなくなる。それが概ね数千年――これも俺のざっくばらんな予想に過ぎないから数百年ということも……」

「なんてこった……なんてこった……」


 炎の魔人となったリーズンであるが、さすがに申し訳なさそうにメテオを見た。

 メテオのほうは相変わらず空を仰いだまま額を抑えている。


「そうだ、あのお喋りなクロックもイーフリートと同等かそれ以上の精霊格なはずだ。癪だけどあいつに相談してみよう」

「それが、俺とイーフリートを融合させてから行方不明でな……恐らくは前のイーフリート同様、この世界で使うべきではない力を使いすぎて……」

「なんてこった……なんてこった……」

 

 気分を落ち着かせるため、メテオは懐から水袋を出してひと飲みする。中身は水ではなく酒が入っている。

 そしてどうしたものかという顔で目の前の炎の魔人にも勧めるのだが、やはり不要とのことであった。


「ちょっと自由すぎだろ、リーズン。俺だって世界を危うくするようなことは――あまりしてないのに」


 確かめにメテオは都市や国を危うくしたことはあるが、世界そのものを巻き添えにするようなことはしていない。

 けれども、何か少し先を越されたような気がしたのかもしれない。

 メテオの表情は拗ねたような、嬉しいような顔だ。


「俺の現状はこんなところだ。お前の現状も少しは話せ」

「世界滅亡に比べたら、俺の悩みなんて地味なもんだぞ」

 

 メテオもまたリーズンたちと別れてからのことを語った。

 銀龍カトラに呪いを解いてもらったこと。

 マリアとふたりでしばらく冒険していたこと。

 そして突然置いていかれたこと。

 がむしゃらに財宝と経験点を求めて暴れまわったこと。

 借金を返し終わったらマリアが自分の子供を産んでいたこと。


「じつにマリアらしいな……だが、お前も余程鈍感すぎるだろう。半年も寝床を共にしていれば当然の結果だ」

「だってあいつ、混沌神の特殊魔法には避妊の魔法があるって」

「混沌を望む神が避妊を好むはずがなかろう」

「……うう」

「それでお前は冒険を求めてここまで来たってことか」

「あともうちょっとなんだが、俺の目標レベル直前で経験点が入らなくなってなあ。もし、リーズンたちがゲヘナを倒せないようだったら混ぜてもらおうとしたんだが」

「なるほど、納得した」


 リーズンはミスリルの椅子から立ち上がると指を鳴らす。


「――《炎の長城/グレートファイアウォール》」

「えっ、何?」


 突如、山頂をぐるりと取り巻くようにして、ゲヘナ火山が炎の帯に包まれた。


「メテオ。俺と戦え」

「なんで!?」


 ゲヘナ火山の頂上付近を取り囲んだ炎の壁。

 それはリーズンが魔法で生み出した自然ならざる空間だった。


「冒険者が魔物を討伐する。よくある話だ」

「待て待て! まずはその状態を解除できるかどうか試すとかあるだろ!!」


 距離を詰めてくるリーズンに対し、メテオは手持ちでもっとも強力な魔法解除呪文を唱える。


「いずれの導き手によりて師を求めるか。はじめに踏み出した一歩が右か左か。選ぶことができるのであればその逆を選ぼう。丹念にひとつひとつ、時が遡るかのように起源へと辿り着き、螺子とその穴まで(なめ)てしまおう――《絶対解呪/コンプリートディスペル》」


 メテオが使った最上位の魔法語。《絶対解呪/コンプリートディスペル》は、何も手応えをもたらさない。その様子を察してリーズンは薄く笑う。


 リーズンがミスリルで作られた椅子の背もたれに触れる。するとミスリルは一瞬赤くなったかと思うと、どろりと溶け崩れた。


「実をいうとな、メテオ。俺は元のエルフに戻ろうと思っていない。このままお前の魔法で精霊界に強制送還されてもいい。よくクロックがのたまっていた“精霊のルール”とやらで、俺は自害もできないしな」

「強制送還……自害できないって……つまり俺がリーズンを――殺すってことだろ?」

「有り体にいうとそうなる。あちらに行くことさえできれば、俺自身が炎の精霊王となってこの世界の破滅を防ぐことはできるだろう」

「だったら他に手段があるかもしれない。落ち着いて考えよう。な?」

「イーフリートをこの世に呼び戻すため。ひいては自分が強くなるために俺はゲヘナを倒した」


 リーズンの笑みは凄惨なものに変わっていた。

 エルフであったころの顔のまま口が大きく裂け、炎を吹き出している。

 笑いを堪えているようにも見える。


「だからな。むしろこの状況は俺にとってチャンスだと考える」

「……リーズン?」

「お前を倒すことができれば、俺がこの世界で最強の存在なんじゃないだろうか? ガルーダに手伝ってもらったとはいえ、俺は赤龍ゲヘナを滅ぼした。そしてお前は不死の王(デスロード)を屠り、銀龍カトラと互角に渡り合った」

「……逃げようと思えばこんな炎で俺は止められないぞ?」

「逃げないさ」


 哄笑してリーズンが断言した。


「お前が逃げたらこの山から降りて目につくものすべてを焼き尽くす」

「――リーズン」

「いつかは俺を止める者が出てくるかもしれないし、その前に世界が俺の炎で(あまね)く包み込まれるかもしれない」


 炎の魔人、リーズンは可笑しくてたまらない、といった具合に笑った。


「逃げられるものなら逃げてみろ!! 俺の炎から逃げられると思うなよ――《始まりの火/プロメテウス》」

「――《反魔力領域/アンチマジック》」


 魔人の鉤爪から白い光球が産まれた刹那、メテオの魔法がそれをかき消した。


「魔法使いが《反魔力領域/アンチマジック》をためらいなく使える。それがお前の強みだよな、メテオ――」


 魔法の発動体でもある『七つの護符剣』(セブンタリスマン)を抜き放ちながらの魔法。そして剣はそのままリーズンへと向かって投擲する。


 リーズンは『七つの護符剣』(セブンタリスマン)を炎の腕で弾き飛ばす。


 剣の投擲と同時にメテオはリーズンへと飛びかかっていた。

 

 抜き打ちと魔法の発動。そしてリーズンへと飛びかかるという挙動は一瞬であった。

 

 いや。右手で剣の投擲をしつつも左手はさらに懐へと動いていた。


 燃え盛るリーズンの胸に短剣が突き立てられていた。


 ガルーダから受け取った魔法の短剣。『すねギロチン』だ。


「……馬鹿野郎。バレバレの演技しやがって」

「――あいにく半分は本気だ」


 急速に失われていくリーズンの炎。

 メテオを抱きかかえるようにしてリーズンは悪びれず微笑んだ。

 先程までの、鬼のような顔ではなく『流れ星』(シューティングスター)の精霊使いリーズンの、皮肉で愛嬌のある微笑みだ。


「ゲヘナの相手でほとんど力を出し尽くしていなかったら、もう少し粘らせてもらったんだが」

「――リーズンは炎の精霊王になるのか?」

「戴冠式には呼べそうもない」

「いつか。俺が呼び出して、顎で使い倒してやる」


 炎は消えかかっていた。


「さらば、愛しきわが友よ――」


 短剣が岩に落ち、澄んだ音を立てた。

残り3話

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