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039_炎

「なんという無謀な! リーズンよ!!」


 かつてリーズンであった灰の中から、炎で形作られた鬼が生まれた。

 炎の精霊王。イーフリートの手には盟友メテオから譲られた魔法の品。八面体の宝石『憑依融合』(スピリットヒューズ)だけが握られている。


「時の精霊よ!! この勇敢なエルフの魂は――」


 精霊とは思えないほど狼狽しているイーフリートは、同じく精霊らしからぬクロックに問いかける。けれども時の精霊は無念に首を振った。


「リーズンの寿命は……ここで。ここで尽きる命運だった。『時の小箱』の封印を解き、走馬灯の時間に動いた代価。エルフの長大な寿命と引き換えに仲間を救った代償。ぼくにはわかっていた――けれどもそれを伝えることはできなかった。イーフリートもわかるだろう? 精霊としてのルール……でも。それでもリーズンであれば。この勇敢な変わり者のエルフであれば、もしかしたらと一縷の願いに縋っていた」


 慚愧に堪えぬという表情で、クロックは洞窟の床に積もった灰を睨みつけた。


「他ならぬこのぼくがそのようであれと定めるべき時の流れ。この力がリーズンを助け、魂すらも滅ぼしてしまった――もはや《復活/リザレクション》ですらリーズンを呼び戻すことは叶わない。すでに、リーズンの魂はこの洞窟から離れつつあり、ぼくですら手を差し伸べることができない特異点へと還って――」

「時の精霊よ。このイーフリートの魂を。まだわずかでも魂がこの場に失われていないのでれば、この炎の精霊王の魂を差し出そう」


 『憑依融合』(スピリットヒューズ)を突き出したイーフリートの言葉に、クロックは顔を跳ね上げた。


「――イーフリート。炎の精霊王よ。それがどんな結果になるのかわかっていっているのかい?」

「無論。友は生命を賭して我を呼び戻した。我もまたそれをせぬのは――なんといったらいいのだろうか。許せぬ。許せぬのだ」


 この世のものならざる精霊たちは、この世のものである宝石に視線を注ぐ。


「まさか炎の精霊王がそんな人間臭いことをいうだなんてね……いや、ぼくだからこそわかる。それが人間たち。エルフやドワーフ。リトルフィートたちにもある一貫した、すてきな感情なんだ。精霊の多くはそうした考えに対して理解したりできることは決してないと思ったけれど」

「クロック――。そう呼ぶのであったな。リーズンの魂と我が魂をひとつに。あの魔法使いが作ったこの宝石を用いて、どうか――」


 クロックはイーフリートの言葉を遮るとひとつ頷いた。


「リーズンはぼくにとっても友人だ。友人と炎の精霊王への敬意を表して――」


 イーフリートの持つ『憑依融合』(スピリットヒューズ)にクロックが手を触れると、宝石は炎を吹き上げ、洞窟全体を烈火で満たした。






「――何事か!?」


 前触れもなく無数の火山弾が腹に叩き込まれ、ゲヘナは顎から炎を撒き散らしながら空中でたたらを踏んだ。

 古代龍の中でも炎への完全耐性を持つ赤龍ゲヘナではあるが、火山弾の衝撃には胃袋が飛び出そうなショックを受けた。


「赤龍ゲヘナよ」


 火口から何かが浮き上がり形を得た。


 炎を纏った筋骨隆々とした朱色の巨躯。

 水牛のような角。

 虎のような牙。

 その顔は鬼のようにも見えるが、美丈夫のものだった。


「正しくもなく道理も関係はないが、俺と俺の大事なもののために死んでいただく」

「見れば精霊……いや、違う。近しいものだが何者か?」


 鼻から煙を吹き上げ訝しむ。

 赤龍が先程まで感じていた怒りも静まるほど、目の前に現れた存在は異質だった。


「ひ弱な妖精族とも違う。死に囚われた亡霊とも違う。さりとて人間などではない。そのくせいきなり現れて道理もなく殺すなどとは、存外龍に近い」


 好奇の視線を投げかけ値踏みするかのように、爬虫類の瞳が動く。


「自分に大事なもののためにと抜かしおるが、己の欲求とくらべてどちらに主従があることか……」

「………………」

「単に古代龍と殺し合いをしたいというのであれば、度し難い魔神(デーモン)の類といってもよかろうが、さて」

「古代龍というのはずいぶんお喋りなのだな」

「無聊を慰めるものに飢えているだけよ」


 先程までガルーダに対して感じていた不快感はどこに行ったのか、ゲヘナは目の前に揺らめく炎の男にやさしく答えた。


「猫も獲物を殺す前に――お楽しみの時間があるではないか?」

「さすが赤龍。気持ちがいいくらいの上から目線だ」

「しばし戯れる仲だ。名前くらい教えてくれてもよいだろう」


 言葉のやさしさとは裏腹に、ゲヘナはこれから始まるであろう戦いに歓喜していた。


 どのような存在であれ、群れず、隠れず、ただ単身で自らの前に現れたものはいなかった。

 たとえ、あの小うるさいリトルフィートと関係があろうとも、こうして古代龍である自分の前にひとり立って、言葉を交わしている。

 火山弾もこの男の仕業だろうが、あれくらいは愛嬌と許してやってもいい。


 古代龍の中でもとりわけ争いや戦いを好む赤龍ゲヘナはそう考えていた。


「――炎の魔“人”。リーズン」

「魔神ではなく魔人とは! 長く生きてきたが初めて聞いたぞ!!」


 ゲヘナは咆哮した。

 歓喜の雄叫びだ。


「我が名はゲヘナ。猛火を友とする古代龍。赤龍ゲヘナ。炎の魔人などと称すが、この世界における真なる炎の使い手がこのゲヘナであることを説くと教えてくれよう!!」

「さっきまではな。今からはこの俺が――この魔人リーズンが一番熱い炎の使い手だ」

「ならば見せてみよ――」


 ゲヘナの身体が一瞬膨らんだと思った次の瞬間、巨躯と化したリーズンを飲み込む津波を思わす紅蓮が襲いかかった。


「――《爆轟/デトネイション》」


 紅蓮の波が鬼の姿のリーズンを包み込むかと思われたが、牙を生やした口からは呟かれた言葉が轟音と衝撃波を生み出し、龍の吐息(ブレス)を打ち消した。


「その魔法。精霊王の……いや、肉を持たなくてはならないこの世界でまさか」

「さすがは赤龍。銀龍ですら怯ませたというのに打ち消すのが精々か」


 かつて精霊王イーフリートがリーズンを助けるため銀龍の光の吐息(ブレス)を弾き飛ばし、ほんの一瞬ではあるが昏倒せしめた魔法。《爆轟/デトネイション》。

 

「精霊どもが縛られている制約もなしにまさか……有り得ていい話ではない。ならば炎の精霊王は一体どこに――」

「どうした赤龍。精霊に頼ることなく炎を操ることができるのは、さすがは古代龍(エルダー)としかいいようがないが」


 ゲヘナは当惑していた。

 神代の時代から生き延び、この世界の有り様を知る古代龍(エルダー)として、有り得てはならない前提でのみ。この理不尽な存在がここにいる可能性に思い至ったのだ。


「魔人リーズンとやら。まさか、まさかおのれは。このゲヘナですら躊躇われる禁忌を――」

「つまらぬことで勝負に水を差すな――《世界炉/ヘスティアファーネス》」


 次に先手を取ったのはリーズンだった。

 紡いだ言葉が終わると赤龍の周囲が歪んだ。

 赤を越え白く輝く炎がゲヘナの姿を覆い隠す。


「面白いぞ――この世界を滅茶苦茶にしてでも力を得たいか」


 生み出された高温は確かにゲヘナを炙っていた。

 しかし、古代竜(エルダー)の中でも最も炎の扱いに長けた龍の鱗を損なうまでには至らず、わずかに翼の皮膜の端を薄く溶かしたに過ぎなかった。


「侮っていた! 炎の魔人、リーズンとやら!! よかろう。この世の終末はこのゲヘナの炎で締めくくってくれる!!」


 叫ぶとゲヘナは炎の吐息(ブレス)ではなく、古い古い魔法の言葉を紡いだ。


「かつてこの世は炎から産まれた。光で照らされることも生きる熱を生み出したこともすべてはひとつの炎を以て開闢(かいびゃく)とする――」


(――長い。魔法語!?)


 当然、龍は炎の吐息(ブレス)で応戦するものと思っていた。

 あるいはその爪が襲ってくるものと思っていたリーズンは意表を突かれ、後手をかこつことになった。


 魔法の言葉だけではない。

 爪が、翼が、角が、鱗が。

 龍のすべてが何か途方もないものを生み出すための様式をなぞっていた。


「――供犠の祭壇に載せて炙られよこの世のすべて。灰すらも燃やし尽くし、ひとつの灯火だけが残りてやがては繰り返すだろう。しばし待たれよ。炎が生命を連れて帰る日まで」


(これは駄目だ――)


 刹那ともいえる呪文の詠唱だが、終わりがすぐそこに近づいている。

 この魔法は完成させるわけにはいけない。

 炎の魔人と化したリーズンもまた、この世界で使われるべきではない力を呼び起こした。


(間に合え!!)


「――《炎の終焉/ビッグバン》」

「――《始まりの火/プロメテウス》」

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