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038_灰

 火山を土の精霊魔法でくり抜いて作った洞窟。

 石窯オーブンさながらの中で、リーズンは焦りを感じていた。


(――間に合わないのでは)


 ガルーダに保たせろといった五分。

 全身全霊の集中と精神力をもって炎の精霊王イーフリートに呼びかけを行っているが、その見通しがわずかに狂っていたことを感じていた。


 尋常ではない暑さ。いや、もはや熱さが思考と集中力を鈍らせているのではない。

 赤龍ゲヘナの存在が、炎の精霊力に干渉をしている。

 炎を操る古代龍(エルダードラゴン)の力はそこに在るだけで、火山で活発に満ち溢れる炎の下位精霊(サラマンダー)たちを異常な状態にしていたのだ。


(むしろ、思っていたよりも精霊力が活発に暴れまわっている。――不覚だ。もっと早く気がついていれば時間を短縮すらできたものを)


 考えたとき、耐え難い洞窟の温度が限界を越えて上がった。


「危険だ。リーズン! これ以上ここに留まるということは死と同じようなものだ!! たとえきみがこの世に並びなき精霊使い。この時の精霊クロックと言葉を交わせるほどの存在であったとしても、これ以上の高熱を浴び続けてしまうのはいけない。今のきみは熱された鉄板に落とした一滴の水のようなものだ。水滴はその身を躍らせながら消えていく――ああ! 早く。一刻も早くここから出るんだ!!」


(何が。何が起こっている――だが、これはチャンスかもしれない)

 

 不自然な温度の上昇は、ガルーダが赤龍相手にそこまでさせなくてはならない状況に落とし込んでいる、ということだ。


(珍しくガルーダが仕事をしているんだ。俺もここが底力の出しどころなのだろう)


 《コントロールグレータースピリット/上位精霊支配》。今、リーズンが行っているのはこの魔法だ。

 慣例的に支配という言葉を使われてはいるが、上位精霊。とりわけイーフリートのような四大の精霊王を完全に支配することはできない。精霊王は術者との心のつながりがなければ、最低限のことくらいしか手を貸してもらえない。


 そして今、リーズンの身体からひとつの精霊が音もなく消滅した。


(すまない、水の精霊(ウンディーネ))


 ゲヘナ火山に来る前に契約していた水の下位精霊。ウンディーネはリーズンの身体に入り込み、全身を巡ることでリーズンの体温をわずかながらでも下げてくれていた。

 水の精霊(ウンディーネ)は《コントロールレッサースピリット/下位精霊使役》でリーズンに仕えていたが、本人から要請されるわけでもなく自分の役割を感じて、自分からリーズンの身体にまとわりついた。

 仲間たちから離れ、旅をつづけたリーズンは、もはや炎の精霊だけではなくすべての精霊に愛されるほどの術者となっていた。


 魔術師は極めると魔物になる。

 神官は神に近づきすぎると召し抱えられてしまう。

 精霊使いは共感の先に、精霊のひとつとなってしまう。


 この世に存在する魔法体系は、どれも極めていくと人間であることは難しいとされる。

 しかし、精霊もまた術者に入れ込みすぎると人間臭くなるようだ。 

 イーフリート然り。クロック然り。


 その人間臭さが、こまでリーズンを駆り立てていた。


(届け。届け、イーフリート!!)


「無茶だ!! もう戻れない。なんて愚かなことをしたんだ。君にはもう走馬灯の時間すら残されていない。なんていう蛮行を。エルフにあるまじき愚行を。このクロックですらもうこの時を戻すことはできやしない――なんて、なんという激しい感情だ。イーフリートが帰ってきたとてリーズン。君がいなければ意味がないじゃないか。あのリトルフィートだって逃げ切れない。赤龍ゲヘナからはもう逃げられないし、少なくともここから最も近い人里はゲヘナの逆鱗に触れたことによって魂まで焼き尽くされてしまうだろう――」


 少年の姿をしているクロックは身振り手振りをまじえ、あれこれと喚き散らしながらリーズンの周囲をせわしなく歩き回っている。

 リーズンのほうはこのおしゃべりな精霊をほぼ無視してイーフリートへと呼びかけを続けている。

 半年もの間、こうしておしゃべりに付き合わされていたせいもある。しかし、集中を途切れさせない程度にはエルフの耳に届いていることを、クロックは確信していた。


「くそっ!! ぼくは力ある時の精霊。だが、この世界の者たちに過度な干渉をすることはできない。これはルールなんだ。この世界がこうと決まったときから続く、数あるルールのひとつ。誰かがはじめにそうと決めたら、それが不文律となってこの世界を支配する。だが、だがね。今、これほどぼくはルールを疎ましく思ったことはないし、いっそ破り捨ててしまうべきかとも考えている――」


 もし、リーズンの心にわずかながらでも余裕があれば、これほどツッコミを入れたいコメントはなかっただろう。

 クロックほど頻繁にルールを破っている精霊など見たことがない――と。


「けど。けれどひとつ安心してほしい―― もしこのままリーズンが考える最悪の事態が招かれようとも、赤龍の暴走はこのぼくが止めてあげる。皮肉なことにリーズンがいなくなってしまったら、ぼくを縛るルールもいなくなってしまうようなものだ。本当に最悪の最悪だけはきみの精霊使いとしての偉大さにかけて、ぼくが止めてあげるから」


 リーズンの目がふと優しくなった。


 それも一瞬のこと。エルフが着ている服が自然着火し、髪すらも炎のように燃えて逆立ち、皮膚が真っ赤に膨れ上がる。

 精霊であるクロックには害を及ぼさないが、もはや人間が生き続けることができない温度になっていた。


「リーズン! リーズン!! ぼくに、ぼくにそんな役割をさせないでくれ!! 世界に戻ったイーフリートと共に冒険を続けてくれ!! あのうるさいリトルフィート。今もウォルスタを守っている女神官と光の剣を扱う戦士。きみとはまた違った難題に直面しているであろう混沌神の愛娘と、魔術師メテオ―― ぼくは、ぼくはきみたちと一緒に。そりゃあぼくは影のような存在であるけれども、また見たいんだ。精霊であるこのぼくが推して頼む!! 頼むから、死なないでくれ!! どんな姿であっても生きていてくれ! 炎のように激しいエルフ――リーズン!!」


 クロックの目の前で、まるで炎そのものになっていくリーズン。 

 時の精霊であるクロックには感じられた。

 あとほんの一瞬だけ。その後は二度とリーズンが炎を操ることはできないであろうことを。


「――帰ってこい! イーフリート!!」


 残された刹那のときを。

 肺に残された最後の空気で、焼けた喉から出せる最後の言葉を叫んだ。


 そしてリーズンであったものは、ひと握りの灰となって燃え尽きた。


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