036_交換
「ふたりともありがとうな。俺がいない間、いろいろ構ってくれたみたいで」
ルナとツクヨミをあやして泣き止ませてから、ハムとアーティアを呼んできた。
「『流れ星』もいろんなところで恨みを買っていたりするからな。万が一もある。産気づいたあたりで俺かアーティアが一緒にいるようにしていた」
「念のためね。何もなかったけど」
「ハムもまだ新婚さんなのに……ありがとう」
ふたりとも忙しい身で、骨を折ってくれたくれたようだ。
とくにハムだって子供がまだ手のかかる時期だろうに。
「俺はまあな。『北極星』たちが魔物の森に出張ってあれこれ活躍してくれているから、町の警備もこのごろヒマでな」
「わたしは変わらず忙しかったけどね。子供と一緒に泣きわめくマリアの声なんて珍しいもの聞けたから許してあげるわ」
意地悪くアーティアがいうとマリアは柄にもなく照れて俯いた。
こんなリアクション、本当に珍しいことだぞ。
「エステルたちはどうしてるんだ?」
「マリアのお腹の子がメテオの子だと知ったときは大変だったわ」
「ぐ、具体的にどんなふうに」
「……しばらく冒険も中断して、猫屋敷でずっと猫達に埋もれて放心してたぞ」
「こんな師匠でも弟子の憧れだったみたいね」
エステル……俺みたいな年齢不詳の中年男より、もっとふさわしい男を見つけるんだ。
「一週間くらい抜け殻になっていたけど、突然マリアのところにやってきて『お師匠さまをよろしくお願いいたします!!』 って叫んで、あとは冒険に出ずっぱり。メルもリコッタもロマーノもケイシャも元気にやってるわ」
「もうウォルスタだけじゃなく、ユルセール全土でも有数の冒険者だ」
「そっか。リーズンとガルーダはどうしてる」
「東の果てにあるっていうゲヘナ火山に向かってからそれっきり。あのふたりなら殺しても死なないでしょうけど」
リーズンは俺がウォルスタを離れた同時期に、逆方向の東へ向かった。
レゴリスの狂太子との戦いで精霊界に強制送還された炎の精霊王。イーフリートと再び再契約するため、炎の精霊力が最も激しいといわれるゲヘナ火山へ。
銀龍カトラによれば、同じ古代龍である赤龍ゲヘナの根城である火山へ。
「メテオも東に向かえば?」
唐突にマリアが口を開いた。
「おいおい。俺もだが、お前らも新婚だろう」
「子供も産まれたんだから、しばらくはゆっくりするんでしょ?」
ハムもアーティアも呆れた顔でマリアを見る。
「柄じゃないけど、わたしはウォルスタで待ってるから。ルナとツクヨミと」
ルナとツクヨミ。
俺とマリアの子供。
「――わかった」
「ちょっと! メテオ!?」
「いいのか?」
マリアは俺の目を見ていた。
大丈夫。わかってるから。
「一日も早く、帰れるように――だろ?」
「今度は|『秘め置くものの指輪』《リングオブアーケイン》を使わないでおくから」
「まさか自分の作ったマジックアイテムに出し抜かれるとは思わなかった」
それに、マリアが消えたあの日の夜。俺が自分用にと作った『防疫の指輪』の効果範囲にいたというのに、マリアの具合がよくなかったことも思い出した。指輪は何の病気の気配も、毒の気配も感じていなかった。
そうか。あのときすでに――
「じゃあ、指輪を交換するか?」
「いいわね」
俺は自分の左薬指に嵌めた『防疫の指輪』を。
マリアも左薬指の|『秘め置くものの指輪』《リングオブアーケイン》を抜いた。
指輪を交換しようとする手をハムが止め、ふたつの指輪をつまみ上げた。
その指輪はアーティアの手に渡った。
「ハム? アーティア?」
「――健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しきときも。これを愛し、敬い、慰め、助け。生命ある限り、真心を尽くすことを誓い給う」
アーティアは指輪を手に、言葉を紡ぐ。
その顔は俺の友人であり、仲間であり、神官の顔だ。
「汝、マリアージュ」
「誓います」
「汝、メテオ」
「誓います」
俺とマリアがそれぞれ誓う。
アーティアはふたつの指輪を自分の両手にひとつずつ置き、厳粛に告げた。
「それでは、指輪の交換を――」
俺は|『秘め置くものの指輪』《リングオブアーケイン》をマリアの左薬指に。
マリアは『防疫の指輪』を俺の左薬指に。
「ここに婚儀は成就し、幾久しく神々の祝福のあらんことを」
マリアがつと顔を寄せてきた。
俺もつられて顔を寄せる。
仲間からの祝福を受け、この日。俺たちは夫婦になった。
ハムの機転と商業神の神官とりなしで。
新婦は混沌神の信者。俺は石井先輩の加護を持つ魔術師。
さらにいうなれば“できちゃった婚”である。
これから先。どうなるかはわからないが、マリアの唇からは希望の香りがした。
すっきりと晴れやかな朝だ。
俺のベッドで寝ているマリアを起こさないように、ベランダに出てウォルスタの町並みを見回す。
魔術師ギルドの塔。その最上階にある俺の私室。ここからの景色は、この世界で一番好きな景色だ。
魔術師レベル19。
冒険者をやめてウォルスタに定住するには十分すぎる実力だ。
心を通じ合わせた嫁がいて、かわいい双子を授かり、心強い仲間もいる。
ここで冒険を終わらせることができればどれだけ安らかなことだろうか。
「……今日、出るのね?」
「ああ」
背後からマリアの声がした。
昨日は俺もマリアもろくに寝ていないののだが、冒険者として鍛えた心身は強靭だ。
なぜ寝てないかというと、別にエッチな理由ではない。
夜泣きするルナとツクヨミをなだめ、マリアがおっぱいをあげるたびに目覚めざるを得ない。
そんな苦労も愛しく思えるのは、新米パパだからだろうか。
「ルナとツクヨミのこと。任せたぞ」
「任せておいて。わたしが何でもできるのは知ってるわよね?」
冒険者としての力しかない俺に比べ、マリアは生活に必要な力を兼ね備えている。さすがに子育てを魔法でどうにかできる気はしない。
部屋に戻ってベッドの近くに置いた、ベビーベッドをそっと覗き込む。
俺のふた粒の真珠たちがすやすやと静かな寝息をたてている。
「ルナ。ツクヨミ。パパは行ってくるぞ」
ふたりの、もみじの葉っぱくらい小さな手を取る。
絶対に戻ってくるから、待っていてくれ。
「ちょくちょく《精神感応/テレパシー》で連絡をするから」
「いいわよ。すぐ帰ってくるんでしょ?」
「そりゃそうなんだけど……」
昨日かいま見た、素直なマリアがちょっと恋しい。
「ハムとアーティアによろしくな」
「ええ。後輩たちに言伝は?」
「ない。もう一人前の冒険者だろうから」
「あの黒エルフ……ジルメリって子は?」
「給料は出てるから、マリアが好きに使ってくれ。あれで存外子供好きなんだぞ」
「じゃあ、便利に使わせてもらう。ガルーダとリーズンに会ったら一度くらい子供の顔を見に来てって伝えてね」
「もちろん」
こんなこと、わざわざ言葉にしなくても伝わるんだろうけど。
少しでも長くここにいたい気持ちが俺たちを饒舌にしているのかも。
「もう行くよ。根が張りそうだから」
「いってらっしゃい。パパ」
パパか。悪くないな。
マリアを抱きしめて頷き返す。
「――それじゃあふたりとも。ママのいうことを聞いてお利口にしているんだぞ」
ルナとツクヨミに軽くキスをして、俺はベランダに向かった。
「根を辿り、遡り、望むがままの生を謳歌しよう。陸を歩き、空を飛び、海を泳ぐ。肉体よ、もっと自由であれ。或いは不自由にも――《変身/ポリモルフ》」
変身の魔法を使い、俺はハヤブサになった。
子供たちを起こさないように小さく鳴くと、魔術師ギルドの塔を飛び立ち、東へ向かった。