ワールドトークRPG! 異伝 4(異伝最終回)
「現れたか」
「ユルセールの王よ。我を召喚するのは久しいな。ニ十年以上ぶりか」
暗闇から聞こえるのは奇妙な声だ。一言でいうなれば“人間離れした声”だ。山彦でも聞いているみたいな響きだ。
「息災を聞くのは無意味であろうな。ユルセール顧問魔術師ヘルムート・シャリエ。いや、“ペストブリンガー”よ」
暗闇から現れたその姿は――骸骨の顔だった。
ぽっかり開いたふたつの穴。本来眼球があるべき場所が、うっすらと黄色く光っている。
こいつが不死の王。
俺が求めた姿……
覚悟はしていたものの、動いて喋る骸骨姿を見せつけられると、羨ましいような羨ましくないような気分になってくる。
こんな感想を思いつくくらいには、俺も心にゆとりが出てきたか。
「――――――?」
「どうした、シャリエ殿」
「いやなに、どこかで誰かが我に失礼なことをいっている気がしてな」
「ペストブリンガーともなれば、恨みも山のように抱かれているに違いあるまい」
「王よ。我が何かを殺めるとき。その魂は王の聖杯のみ元に還元されているということを心得よ――ときにその男」
ペストブリンガーが俺のほうを向いた気がした。
もちろん視線はバルムンクに向けられたものだ。
この骸骨。妙に鋭いところがある。油断せずにいこう。
「お初にお目にかかる。ユルセールの金獅子騎士団団長、ラス・バルムンク。北の大陸では“ストームブリンガー”とも呼ばれている」
王よりも一歩前に進み出たバルムンクは、利き腕を開いてペストブリンガーに差し出す。誰がどう見ても握手を求めている。
骸骨の身体にまきついた魔術師のローブが動揺したふうに見える。利き腕を差し出すバルムンクに対して、ペストブリンガーは矢庭には動けず、感心した声を響かせた。
「まさか我に握手を求めてくるとは――ブリンガーの名は伊達ではないようだ」
わずかな動揺ではあったが、ペストブリンガーは虚を突かれつつもバルムンクに対し、骨そのものの腕を伸ばした。
――今だ。
「――天叢雲剣よ。あらゆる魔力をその雲に吸わせ給え」
「な――!?」
ペストブリンガーの髑髏にある眼窩の光がまたたいた。
握手の瞬間、バルムンクが左手を天叢雲剣の柄頭に置き、《反魔力領域/アンチマジック》を発動させたのだ。
だが、それに驚いたんじゃない。
突然自分の右手側に現れた、仮面をかぶった何者かが現れたこと。
そして、そいつが長剣を自分に向けて振りかざしていることに驚いたんだ。
バルムンクの天叢雲剣が発生させた《反魔力領域/アンチマジック》は、それまで俺がかけ続けていた《隠匿/コンシール》の効果をも吹き飛ばした。
もちろん、俺たちはそれを事前に打ち合わせていた。
ペストブリンガーが骸骨とは思えない反射速度で俺の剣をかわそうとする。
しかし、その体勢が大きく崩される。
「――なんだと!?」
握手を求めたバルムンクの手がペストブリンガーの手首を掴み、後ろにのけぞろうとするのを妨害した。
俺の小さな身体の奥底から、今まで考えたこともないような力が湧き上がってきた。
前衛とは無縁の魔術師であった俺が、踏み込んだ下肢から弾けるような力を余すことなく体幹に伝えた。撚り糸がほどけて戻るかのように、十分にねじられた身体は力を腕へと導く。
集めらた力は両腕で何倍にも力を増し、魔法の剣である七つの護符剣切っ先へ束ねられ、ペストブリンガーの胸元で――爆発した。
「……すげえ威力だな」
「けど、切断できた感覚はなかった。斧で大木に切り込みを入れたような感触だった」
さすがに一撃で倒せるとは思っていないが、初めて剣を使った渾身の一撃の威力に、俺も内心では驚いていた。この一撃は確実にハムの一撃すら越える。
「……我を裏切りおったな。ユルセールの子孫よ」
俺の一撃で壁まで吹き飛ばされたペストブリンガーだが、フードの奥からのぞく目は怒りに満ちていた。目のあるべきがらんどうの窪みに、真っ赤な炎をちらつかせている。
「順序が逆になったが、本日呼び出した用向きは」
俺とバルムンクの後ろでなお王の威厳を放つカザン王が、どこまでも厳粛に。まさしく王の言葉でペストブリンガーに告げた。
「この瞬間を以ってシャリエ殿の顧問魔術師の任を解く。建国よりこれまでの長きにわたり、大義であった」
王の言葉にペストブリンガーが小刻みに震えているのがわかる。
「二百年に及ぼうかという我の時刻を……大義だと? 魔封じの段平を手にして粋がっている若造と、馬鹿力のちびを配下に加えて血迷ったか!! 我が魔封じの段平を持つ剣士と同席することを承知で呼び出されたということは、たとえ王の持つ聖杯の力があったとて、対策のひとつやふたつ講じておるわ!!」
ペストブリンガーが骨の指をローブから出すと、十指すべてにつけられていた指輪がひび割れて落ちた。
「カザン王。もっと近くへ」
尋常ではない気配を感じてバルムンクがカザン王との距離を縮める。
ペストブリンガーも魔封じの存在を知ってなお、カザン王の呼び出しに応えている。当然、対策も備えてのことだろうと思ったが――
壊れた指輪が石畳みに落ちると、ペストブリンガーを十体の何かが取り巻いた。それは皺だらけの巨大な老人の顔の霊体で、一体一体顔の造りが違う。青白い老爺の顔はただ無表情に輪郭のおぼつかない姿をゆらせめかせている。
「ガン=ジー……か」
「小癪にも知っておるか。仮面の小僧よ」
誰が小僧だ。こう見えて俺は――まあいい。
「不死の怪物が秩序の神々の高司祭を定められた儀式の元で無力化したとき、無念の魂を物体に封じ込めることができる。その魂はより高次元のアンデッドの命令にのみかしずく霊体の魔物となる。その名をガン=ジーという……」
「脳まで筋肉かと思えば、存外に博識な小僧よ」
また小僧っていったな。しかも脳まで筋肉……まあいい。
「おい、俺の魔封じはまだ解いてないのに、どうしてそんな化物を召喚できるんだ?」
「厳密には召喚じゃないんだ。もともと指輪に封じてあったアンデッドを、物理的に壊すことによって解き放っただけなんだ」
「そんな馬鹿な。俺の魔封じは精霊だって封じられるんだぞ」
「説明は難しいんだが、精霊は本来この世界のものじゃないのを、魔力で安定させてこの世に繋ぎ止められている。おそらくその剣の魔封じは、精霊を封じるんじゃなくて一度精霊の世界に戻しているだけだ」
バルムンクは納得がいかない、という感じだが現実を見てもらおう。戦士からすれば魔法生物も精霊もアンデッドもみんな同じに見えるかもだが、ひとくくりにはできない。
「アンデッドは魔法生物みたいなものなんだ。《反魔力領域/アンチマジック》の魔法っていうのは、永続の魔法については解除されない。魔封じで魔剣じたいが壊れないのもそのせいだ」
「ほう……そこまで知っているとは見上げた小僧だ」
俺の背後にいるバルムンクの疑問に答える。するとまたしてもペストブリンガーが小僧呼ばわりだ。
「この指輪も貴重な品ではあるのだが、新たにストームブリンガーの魔剣と、かつてユルセールが手にした漆黒の聖杯。ふたつのアーティファクトが手に入るのであれば安いものよ」
ガン=ジーに守られたペストブリンガーは懐から鎖で吊り下げられた鉄球のようなものを出した。おそらくはあれが――
「我が魔法を封じれば勝てると思ったか?」
骸骨の手から下がった鎖が揺れる。
「その剣では防げまい。わが愛しき黒死の病を」
鎖が振れるごとに、吊り下げられた玉からねばっこい濃霧のような黒い煙が立ち上った。
あれは香炉。振り香炉か。
「その剣の魔封じはどれくらいの範囲を持っているのかな? 逃げてもよいぞ。王ともどもその階段を死ぬ気で駆け上がれば、黒死の煙に巻かれることはないかもしれんぞ?」
俺が壁にたたきつけたことによる怒りも収まったのか、ペストブリンガーの声はどころとなく嬉しそうだ。髑髏の目玉代わりに灯っている小さな炎が、オレンジ色にゆらめていている。あの炎の色、まさか表情を表してるのか……?
「魔封じの範囲を抜けたら、お前は《転移/テレポート》で逃げるだろう。ギリギリまで粘るさ」
「粘る? ストームブリンガーよ。この密室のどこで粘るつもりだ。煙に巻かれながら、そこの小僧と我を倒すのもいいだろうよ。このガン=ジーたちを越えることができればなあ」
ペストブリンガーとガン=ジーには黒死の病は通じない。一方、王は不死身のようなものでも生身だ。病にかかれば行動できなくなるだろう。バルムンクは多少病に抵抗できたとしても、十体のガン=ジーを倒さないかぎりペストブリンガーに近づけない。もし、近づけたとしてもその頃には十分煙を吸って、発病する。
なるほど。よく出来ている。これがペストブリンガーの必勝パターンなのだろう。
「いや、俺は階段の上でギリギリ魔封じの範囲を維持しながら待たせてもらう」
「……なんだと?」
「任せていいんだな?」
すでにバルムンクは王を促して階段へにじり寄っている。いつガン=ジーが襲いかかってきても、もはや階段までは一瞬だ。そして、階段に陣取れば十体のガン=ジーも一体ずつしか襲ってこれず、ねばつく黒死の煙が登ってくるまで時間を稼げる。
「この小僧、ひとりで我とガン=ジーを?」
あっけにとられたような骸骨の顔。骨のくせに表情豊かだな。
それもつかの間、ペストブリンガーはなるほどといった風に頷いた。
「捨て駒というやつか。忠義、ご苦労なことだ。ガン=ジーよ、そこの小僧を倒し、奥のふたりも始末するがいい――」
「駄目だ。そこを動くな」
俺はガン=ジーに向かって命じた。十体のガン=ジーは一瞬戸惑いを見せたが、金縛りにあったように動けずにいる。
「どうした、ガン=ジー? 早く行かんか!? ええい、どうしたというのだ!!」
俺は剣を下げ、迫ってくる煙に向かい爪先を踏み入れた。
「ふ、ふはは! 自ら進んで黒死の中に入るとは愚かな人間よ!!」
「バルムンク、王と魔封じを頼んだ」
「任せろ――骨は頼んだ」
「な、なんだ貴様? ただの人間ではないな!?」
バルムンクは王を連れて素早く階段に向かい、扉を締めた。扉を閉めればしばらく煙があっちに向かうことはないだろう。
「俺の名は“仮面の”メフィスト。吸血鬼の王メフィスト」
「ヴァ……吸血鬼の王!?」
「ガン=ジーは高位の神官の魂を封じたもの。さすがもと神官。混沌神には屈服しても個人には屈服しない。あくまで混沌の化身であるアンデッドにのみ、かしずくことを命じられた魂」
ガン=ジーの存在は予想外だったが、ペストブリンガーにとっても俺の存在は予想外だっただろう。
「どうやらガン=ジーは不死の王と吸血鬼の王を同格だと見なしたようだな」
「ば、ばかな……我を越える不死者がいるはずが……」
カタカタと震えるペストブリンガーに一歩一歩近づく。カタカタいっているのは怖いからではなく、あまりに感情が激しすぎて震えているんだろう。骨だからプルプルするんじゃなくて、カタカタするってとこか。
「ああ、越えるものはいなかった」
脛にからみつく煙を断ち割りながらなおも進む。
ガン=ジーは動く様子もない。
「これから俺が越えるんだ」
「小僧……! 二百年を過ごした我の力――見せてくれるわ!!」
ペストブリンガーは役に立たないと判断した香炉を手放すと、懐からいびつな形をした戦鎚を取り出し、左手には見たこともない緑色の炎を灯すランタンを持った。
魔法は封じたが、こいつには二百年間集めたマジックアイテムがある。
「その二百年、俺が受け継ごう」
「小僧風情が――」
「俺は小僧じゃない。メフィスト――“仮面の”メフィストだ」
俺は七つの護符剣を振りかぶり、その刃を最短距離でユルセールの影の王へとたたきつけた。
「シャリエ殿の魂。確かにいただいた」
「とんでもねえな……吸血鬼の王」
百年以上もユルセールの政治的密談が交わされたであろう室内は、俺とペストブリンガーの戦いでボロボロだった。無垢材でできた机は粉々で、原型を保った椅子はひとつもない。赤いびろうどの絨毯も、俺が一回踏み込んで剣を振るたびに擦れて石畳が露出した。
決して狭くはないその部屋は、木っ端と絨毯の切れ端。そして、白い流木のかけらのようなものが飛び散っている。よく見れば、まだ骨の形をしている部分も見つかるかもしれないが。
「煙とガン=ジーはどうした?」
「煙はペストブリンガーを粉々にして、手から離れた段階でどんどん薄れていった。ガン=ジーは……」
ガン=ジーはすでに魂が汚されている。たとえアーティアがここにいたとしても、生き返すことも成仏させることもできないだろう。なので俺は――
「――この剣で消滅させた」
「そうか。カザン王、もう大丈夫です」
煙に触れぬよう、階段に避難してもらっていたカザン王がやってきた。無表情な王らしからず、その顔には驚きが浮かんでいた。
「メフィストよ、よくやってくれた。これでユルセールに残る古い因習のひとつが消え去った」
俺も自分のためだ。だが、人に褒められるのは嬉しくないわけじゃない。
ペストブリンガーは強かった。
いくつもの浪費型マジックアイテムを惜しげもなく使い、なりふりかまわず向かってきたペストブリンガーは強くもあり、怖くもあった。
正直俺が勝てたのも偶然の要素が強いだろう。
魔術師だった俺だからわかる。バルムンクが魔法を封じてくれていなければ、ここまで接戦にもならず負けていただろう。
さらに『漆黒の聖杯』によって“魂を漁るもの”となっていなければ、不死の王の輪廻する魂と身体を封じることもできなかった。
でも、俺は勝ったんだ。
これでこの国を。ウォルスタを。みんなを守ることができた。
「メフィストよ。バルムンクよ。想定外なことがひとつある」
懐から聖杯を出した王がささやくように声をひそめた。
「聖杯から伝わってくる――魔界の扉を開くに足るだけの力が十二分に満ちたことが」
「王様、もしペストブリンガーを倒してもどうだろうかって話じゃなかったですか!?」
「まだ先のことかと思っていたが……嬉しい想定外だ」
ペストブリンガーの魂だけじゃなくて、ガン=ジーの魂が効いたんだろうな。なんといっても、もとは秩序の神々につかえる高司祭の魂。十人前の生け贄ってことだからな……
ああ、俺も完全にもう。混沌の神々の側ってわけだ。
「バルムンクよ、メフィストよ。わたしはすぐにでも魔界の門を開きたい。一日でも早く、この地の歪みを直したいのだ」
「いや、王様とメフィストは何も食べなくても死なないだろうが、俺は最低限の食料がなければ死ぬぜ」
「問題はない。魔界の門を開いてなお漆黒の聖杯には力があり余る。この世の美食美酒を出すことなど造作もない」
「そんなことができるなら、魔界の旅に必要なものも大丈夫ってことか…… 便利な聖杯だぜ」
「だが、メフィストよ。そなたが一番疲労しているだろう。休息が必要であれば日を改めるが」
「いや、すぐにでも」
俺の身体の傷は吸血鬼の王の固有能力。自然治癒の力でほとんど治っている。バルムンクの魔封じの中だったので、魔法は使うことがなかったから、精神力にも不安はない。
俺は足元の乾いた骨に埋もれた振り香炉を取り出す。
「この香炉があれば、俺が黒死の力を操れる」
振り香炉を手にした瞬間、アーティファクトと呼ばれる魔法の品物の力を感じた。使える。吸血鬼の王であれば、黒死の病に冒されることなく、自在に操ることができるだろう。
「いっそお前が疲れたっていってくれたほうが、俺としては気が楽だったんだが……」
「悪いな。俺もできるだけ早く、この国のことは決着をつけたいんだ」
バルムンクは俺が一晩休むほうが嬉しかったようだ。深い溜息をついている。
とくに戦ったわけではないが、そりゃああの場にいたら精神的に疲れもするだろうな。
「なに、疲れは聖杯で癒やすこともできる」
「俺も混沌神の魔法を使えるから、いちおう回復魔法が使える」
「ああわかったわかった! 行きますよ!!」
ヤケ気味のバルムンクだが、カザン王の表情が少しだけ緩んだ。たぶん俺も。
「では、すぐにでも取り掛かるとしよう」
カザン王は聖杯を掲げる。
何の前触れもなく聖杯からは黒い液体が溢れ出て、空中で円盤のようになっていった。その様子は、何もない空間に真っ黒な鏡が作られていくようだ。
「魔界の門を潜れば、あたらでふたたび門を開く魂と、ユルセールの歪みをすべて正すための魂を得るまでは帰ってこられぬぞ」
冷静沈着なカザン王もいくらか興奮気味だ。対して俺とバルムンクはさほどでもない。
「承知してます。余裕があったらでいいんで、俺の『天叢雲剣』にかかっている呪いも解いてくれれば助かる」
「もちろんだ。そなたはユルセールに帰ってきてもらって、レオンを助けてもらわなくてはならぬ」
ん? 何かカザン王の物言いがひっかかるな。まるで自分が帰ってこないみたいな……まさかな。
「メフィストよ。お前は聖杯への願いはないのか?」
「俺は……ない」
一瞬、不死の王にしてくれって思ったが、驚くほどその考えに乗れなかった。自分で倒してしまったからだろう。あれほど使いたかった《隕石落とし/メテオラ》へのあこがれも、火が消えたように失われていた。
「早いところノルマをこなして帰ってこよう」
「……そうか」
カザン王は重ねて追求はしなかった。
「開くぞ」
空中に浮かんだ黒い鏡がだしぬけに蒸発した。
するとその向こうにはユルセールの地下室ではなく、茫漠と広がる砂の大地が広がっていた。
「魔界っていうのはずいぶん地味なところだな……」
恐れもせずに、それが俺の役割だとばかりにバルムンクが砂漠に足を踏み入れた。怖いもの知らずめ。
「この魔界の扉、徐々に閉じてきているな」
「漆黒の聖杯で願ったのは“人が通れるほんのわずかな時間でかまわぬから、魔界への扉を開き給え”というものだ」
俺とカザン王もバルムンクに続いて魔界入りだ。
もといたユルセールの地下室に通ずる背後の門は、じわじわと閉じつつある。
「閉じるまでだいたい二、三分って感じだな」
「魔界のものをユルセールにこさせる訳にはいかぬ。完全に閉じるまで油断せずにいよう」
「――おい、メフィスト。何だあれは」
バルムンクが緊張した声で指し示した方向には、今まさに空間が渦を巻いて闇が凝縮し、その中から触手を広げたような黄色いタコのようなものが――
「魔封じだ!! はやく! バル――」
突如、周囲の空気が消えた。いや、死んだ。
バルムンクは魔剣に手をかけているが、急速に意識が遠のいているようだった。
吸血鬼の王である俺は呼吸の必要はないが、このままでは魔法も使えないのでバルムンクを助けることができない。
冗談じゃない。
あれは魔界の王の一柱。
死せる風を支配する黄衣の王。
バルムンクが喉をかきむしって白目を――
「落ち着け。メフィストよ、まずは魔封じを展開したほうがいいのか?」
声がした。カザン王が黒い聖杯を手に静かにバルムンクに肩を貸している。 聖杯の願いか! 何をしてくれたかはわからないが、ナイス判断!!
「ああ、早く魔法だけでも封じてくれ!! あいつは魔界の王の一柱、黄衣の王だ」
間違いない。現れただけで全滅しかけるバカげた力。
魔術師であれば伝説に聞かない者はいないだろう、魔神王の一柱。
まだ距離があるうちに防御態勢を整えないと、死ぬ。
闇を割って現れた黄衣の王は、砂漠色のローブの裾を広げに広げ、裾からもいやな形をした触手が出てきて風車のように回転した。
「――――――――――――」
「魔封じよ!!」
黄衣の王が何かを呟いたのと、バルムンクが魔剣を抜いたのはほぼ同時だった。
『天叢雲剣』の魔封じは、まだ数百メートルはある向こう側から、目に見えない衝撃もない何かがやってきたことを明瞭に知らせてくれた。
「砂が……灰色に」
魔封じの効果範囲外にある黄色みを帯びた砂が、カサッとも音も立てず、ピクリとも動きもせずに一斉に変色した。何か致命的な魔法のようなものを使ってきたということか。
「魔封じが通じるということは魔法か。リーズ……いや、精霊使いの使う魔法に似ていなくもないか」
俺には精霊の言葉はわからない。ただしわかったことがある。
今のは黄衣の王の使った魔法で、それはバルムンクが無効化できるってことだ。
「バルムンク。そのまま王と『門』を守っていてくれ。俺が前に出て食い止める! 門の先には死んでも行かせるな!!」
「魔法を封じただけで勝てるのか!?」
「ムリだ!!」
「おい!!」
どう考えても無理だ。
魔界の王が、吸血鬼の王に劣るはずがない。
しかもバルムンクがカザン王と門を守りながら、俺は単身黄衣の王を相手取らなくちゃいけない。
「カザン!! その門が閉まったら、俺たちを魔界のどこか安全な場所に飛ばすような願いは――可能か!?」
遠くから攻城用弩のような勢いで、黄衣の王の触手が飛ばされてきた。俺はそのいくつかを弾き返し、バルムンクとカザン王に届きそうなものは身体で止めた。傷口がさらさらと風化していき、俺の自己再生能力と拮抗している。
「可能だ!!」
「俺ができるだけ保たせる。それでダメなら俺たちもユルセールも――おしまいだ」
かつてアーティアが生命を賭して閉じたことのある、魔界の門。
こんなにヤバいのが出てくるのか……
「これ以上俺のすることが裏目とか冗談じゃない」
身体中の血を――比喩的にだが――沸騰させる。
全身の筋力を極限まで出しきり、鬼の力をぜんぶあいつにぶつけてやる。
そうだよ。ここで黄衣の王をしのげれば、俺が吸血鬼の王になったのも悪手じゃないはずだ。
もし俺が、不死の王になっていたら、黄衣の王に対抗する手段は限りなくゼロだっただろう。
この鬼の力があればこそユルセールを。みんなを守れる。
「カハァァァァアアアぁぁぁぁぁッ……!!」
これでよかった。
今では身体にみなぎる力と、口元に伸びてくる牙が愛おしい。
俺は魔ではなく、鬼でよかったんだ。
何か胸のつかえが取れたと同時に、信じられない速さで懐に飛び込んできた黄衣の王を、俺の『七つの護符剣』が捉えた。
「――――――――――――」
「何いってるかはわからないが、いちおう生身には違いないんだな」
防ぐだけなら、いける。
そして、魔法の剣であれば斬れる。
無数に伸びてくる触手を切り飛ばし、弾き飛ばしながら黄衣の王と自分の実力差を冷静に値踏みした。
「――――――――――――」
「今はどうやっても勝てないが」
黄衣の王の砂色のローブがうねうねと爆発的に広がっていった。
とてつもない何かが来る。
空中で広がったローブは瞬く間に俺を包み込んだ。
しかしそれより早く、俺は黄衣の王が姿を隠したままのフードの奥へと剣を突き出し、飛び込んだ。
「――――――――――――」
「いつか、お前の乾いた血も吸い尽くしてやる!!」
深夜。ユルセールの一室。
カザン王と金獅子騎士団長バルムンクが突然の失踪をしてから数年が経ち、すでにユルセール王の部屋は後を継いだ王子、レオン・ディストール・レイド・ユルセールⅥ世の部屋となっていた。
「……誰かは知らぬが、ユルセール王の部屋と知ってか?」
夜着に着替えて寝室へと向かったレオンが、“あの日以来”封印された秘密の地下謁見室へと続く隠し扉に向かい、いまだ幼さが残るが王者の風格を備えた声で問い詰めた。
隠し扉は開いていた。
その扉を閉めることなく、暗闇に隠れるでもなく、自ら存在を知らせるような影がひとつ立っていた。
その影は、小さな少年ほどの背丈ではあったものの、たたごとではないオーラを漂わせ、暗闇の中で一層輝きを増して見える銀の仮面を身につけていた。
「何者か? 名を名乗るがいい」
レオン王の声は疑問を差し挟む余地のないものだった。
「わたしの名はメフィスト」
応えた声は不思議な声だった。
人生すべての酸い甘いも味わい尽くし、後に残ったような抜け殻のような声でもあるし、老境にさしかかった者がいままさに、天に召される間際に発したような満足気な声でもあった。
「メフィスト――“仮面の”。先王カザンとの契約によりユルセールを守護する、鬼だ」
「父上……先王を存じているというのか?」
「もちろん」
レオンにとって父親にあたるカザンの名を出されて、若き王はいくぶん私情が漏れた。しかしそれを責めるのは酷というものだろう。
「教えてくれ。先王はいったいどうしてこの国から消えた!? 余の剣術師範で金獅子騎士団長であったバルムンクの行方は――」
「すべてを教えよう」
メフィストはレオンの顔前につと近づく。
レオンがメフィストの甘い香りの吐息を感じるほどに近く。
「レオン王。あなただけがすべてを知る権利がある」
顔と顔が触れるほど近くに接近したかと思えば、メフィストは膝を折ってレオン王に臣下の礼を示した。
自らの剣切っ先を胸に添え、柄をレオンに差し出す。
臣下と認めなければ、この柄を押し給え。
臣下と認めるのであれば、誓いの剣を受け給え。
すなわち主従の契約である。
「すべてを知ったのち、我が剣の誓いを受け入れるか否かを示し給え」
メフィストと名乗った小さき仮面の男の仕草すべてを目にして、レオン王は静かに口を開いた。
「“仮面の”メフィストよ。すべてを教えてくれ。その上で剣の誓いを受け入れるか否かを、決めさせてもらおう」
レオンにはこの小さな仮面の男が何を物語るか、大方の予想はついていた。
そして、おそらくはこの剣を受けなくてはならないことも。
「僭越ながら語らせていただきます。この世界に起こった物語を――」
メフィストは語る。
ついに、求めた役割を演じきれなかった男たちの物語を。
というわけで異伝がおおよそ3万半ばほどの分量で終わりました。
本編とあまりに違うカラーで、読んでいただいた方はちょっと戸惑ったかもしれません。
でも、あくまでこれは歴史が『もし』こうでなかったら、という異伝にすぎません。
ほんの少し何かが違っただけで、こんな道筋もあった。ということで書きました。
ですがこの異伝は、同時にワールドトークRPG! 三部の導入でもあります。
またしばらく本編を書き溜めてからの投稿になりますが、
今回は前ほど長くはかかりません。
ちょっとだけお待ち下さい…(深礼)