030_銀の龍の背に乗って
「背に登ったら、わたしの鱗にしっかり捕まっているのである」
銀龍の姿になったカトラは前足を曲げて、そこから自分の背中に乗るように促した。くるっと曲げられた指先から足首、膝とまるで階段のようだった。さらに要所要所の鱗をぐぐっと持ち上げて、足場にしてくれる。背中にたどり着いたら大きな鱗がそり返り、イスのように寄りかかれるというもてなしぶり。
「龍の背中ってだけでもすごいのに、乗り心地まで快適でいいの?」
マリアが興奮気味にカトラの作ってくれた鱗イスに腰掛けた。
左手薬指には俺が作った指輪が光る。フフフ。
新婚旅行みたいだ。フフフフ。
「徐々に飛ばしていくのである。何かあれば鱗に向かって叫べばわたしに聞こえるのである」
ふわり。
カトラの巨体がやおら宙に浮いた。
一度カトラの背に乗せてもらったことがあるが、動力というものを感じさせない浮遊で、乗っている者にとってはトルクを感じられない。いっそ風圧があるほうが安心するくらいだ。
「古代龍の背に乗って海を渡る――やっぱりメテオと一緒にいると退屈しないわ」
カトラはみるみる高度を上げているく。
振り返ればアヴィルードはおろか、ユルセールの大陸までが地平へと消えていこうとしている。
「大気が――薄いわ。高い山に登ったときみたい」
普段よりも荒い息遣いだった。俺も多少息苦しくはあるが、我慢できないほどではない。
ということは、マリアにはそうとう辛いはずだ。
(『龍王の装飾卵』に触れているといいのである)
「触るだけでも効果あるのか」
俺の心に直接呼びかけてくるカトラ。おそらくはマリアにも伝わっているだろう。
こちらの魔法の呼びかけは通じないのにずるい。
「ああ、でも確かに楽になる。マリアも――」
「ありがとう。楽になったわ」
懐の隠しに入れていた『龍王の装飾卵』を取り出そうとすると、マリアが俺の胸ぐらに手を差し込んできた。
こういうの、悪くない。
(メテオとマリアであれば『龍王の装飾卵』に触れるだけで、古代龍の強靭さや環境に対する強さの恩恵を受けられるのである)
「水の中でも平気なのかしら」
(へっちゃらなのである)
『龍王の装飾卵』。かつて狂太子ザラシュトラスが切り札として使い、俺たちや『流れ星』や『北極星』に阻まれ、破壊されたアーティファクト。
「カトラ。『龍王の装飾卵』について教えてくれ」
(勿論なのである)
心に響いてくるカトラの心話はわずかな憂いが込められていた。
(まず、かの人間の狂太子が持っていた『龍王の装飾卵』は、わたしとフィレモンが生み出したものなのである。フィレモンの死後、あやつと霧女がわたしを出し抜いて、フィレモンの霊廟から盗み出したものなのである――長い話は好かん。結論をいえば卵は卵なのである。古代龍は心を通わせた者とのみ、その血を受けて卵を授かる。ただし、その卵が孵るためには長い時間が必要なのである)
予想はしていたが、つまり俺とマリアはカトラの伴侶で子供? タマゴ持ちってこと?
(気にすることはないのである。いかな魔法使いといえど。たとえエルフであっても古代龍の卵が孵るまで生きられないのである。それくらい長い長い年月を経て、龍の卵は孵るのである)
「ふうん。女の身だけど父親になれたっていうのは得難い体験ね」
(誇っていいのである)
マリアは動じないな……
そして龍っていうのは案外と節操がない。
「それじゃあ『龍王の装飾卵』は大事なものじゃないか。俺たちに持たせず、カトラが自分の目の届くところに置いておいたほうがいいんじゃないか?」
(……古代龍は卵のときの記憶を持っているのである)
カトラから伝わる心は憧憬のような響きがあった。
(長い長い期間、卵の中で産まれてくるのを待っているのである。けれども、大人の龍は人間ほど好奇心が強いわけではなく、できれば金銀財宝をしきつめた洞窟や城の地下で寝ていたいタイプなのである)
「それってすごく龍らしくていいわね」
俺も伝説や物語の中のドラゴンはあまりアクティブに動かず、宝物の上でどっしり構えているイメージだな。
「それで、卵のうちは人間に卵を持たせてあれこれ連れ回してあげたいってこと?」
(察しがいいのである。龍はきらびやかな財宝が大好きなのである。けれど、卵のときの記憶は何にも増してきらめく宝石のようなものなのである。人間たちもいっているのである。かわいい子には旅をさせろ、と。何より人間の寿命は短いので、チャンスが短いのである)
若かりし頃の思い出が特別なのは、人間も龍も同じってことか。
若いというより胎教レベルではあるが。
(フィレモンは人間のくせにいい男であったのである。卵とともに冒険の帰りには、抱えきれない宝石や珍しい細工物などを持って帰ってきてくれたのである。わたしもその冒険譚を聞くのが大好きだったのである。フィレモンとの卵が無事に孵っていれば、その子はきっとどんな龍の卵よりも幸せな記憶を持って産まれてきたはずなのである――)
俺は呻いた。
その卵を破壊したのは他ならぬ俺の身内。
ハムから貰った剣でメルが。『彗星剣』が壊したのだ。
(メテオたちが気に病むことはないのである。むしろ感謝しているのである)
飛翔するカトラの頭が上を向いた。
(狂太子にフィレモンの霊廟を暴かれたとき、霧女が卵に染み込んでいたのである。それに、卵から龍の力をあれだけ引き出してしまえば、遠からず死んでしまうのである――)
雨が振ってきた。
(フィレモンから預かった卵も死なせてしまい、フィレモンもいない。正直なところ、少々自暴自棄になっていたところがあるのである)
『龍王の装飾卵』に触れたマリアの手がかすかに震えている。
(けれども、長い龍生。生きていれば楽しいこともあるのである)
銀龍カトラ。
善なる鉱龍の最高峰。
人間である狂太子ザラシュトラスと、霧女ミストブリンガーに子供を奪われ、その力も操られ、自らも支配下に置かれていたというのに――俺たちに卵を託してくれた。
「卵は任せてくれ」
マリアの手に俺も手を重ねて誓う。
「フィレモンって奴よりももっと輝く冒険を見せてやるから」
(任せたのである)
雨はすぐに止んだ。
先程から変わりない、雲ひとつない晴天だった。