026_旅の支度
「というわけだ。頼まれてくれるか?」
「勿論だ」
マリアが淹れてくれたお茶を飲みながら、俺とジルメリはテーブルをはさんで今後の打ち合わせを決めた。
俺とマリアがこれから長くなるであろう旅に出ること。その間、俺が『死者の掟の書』で背負った返済金を、運んでくれることをだ。
「だが、そんな大金をあたしに任せていいのか? 奥方様も本当にそれでかまわないのか?」
ジルメリはいくぶん不安げな顔をマリアに向けた。
「わたしの借金じゃないし。メテオが信用しているんならそれでいいの」
マリアはこの調子である。
俺はいちいち借金を返しにいかなくちゃならないのが面倒なのと、ジルメリに仕事を与えておくためと。さらにマリアがジルメリを自然に見知ってもらえるよう一計を案じた。
まず、借金についてはすでに説明済みであったが、その返済方法についてだ。
俺が出先で稼いだ財宝を定期的に《次元の扉/ゲート》で秘密の隠し場所に転移させる。その場所を知り、かつ侵入方法を知っているのはジルメリだけなので、ジルメリも定期的にこの場所を確認し、『死者の掟の書』を売った魔法使いのじいさんのところへと送金する。
マリアには、あらかじめジルメリが俺の専属諜報員だということを話しておいた上で引き合わせた。ここが一番緊張したんだが、思いの外マリアはその存在をあっさりと受け止めた。
「奥方様あたしはジルメリというメテオ様の配下の者だ。以後お見知りおきを」
俺と付き合うつもりはないといっていたマリアだが、ジルメリの『奥方様』という言葉がいたく気に入ったようで、そこはあえて否定をしなかったのだ。俺のほうが複雑な気分になってしまった。
「長い旅になるといっても、おま――メテオ様であれば魔法ですぐに戻ってこられるだろうに」
「確かにそうなんだろうけど、頻繁に帰ってくると冒険気分が薄れるし、いつでも転移系の魔法が使えるとは限らないからな」
今、ジルメリ。俺のことをいつもどおりお前っていおうとしたのを聞き逃さないぞ。俺はそれでもいいんだが、マリアの前では自主的に丁寧な言葉を使う用にしたようだ。語調はあいかわらずぶっきらぼうなんだが。
「そろそろお昼ね。ジルメリ、あなたも食べていく?」
「いい……のか?」
「あなたが持ってきてくれた食材じゃない。一緒にどうぞ」
「じゃあ、ご厚意に甘えさせてもらう。ありがとう、奥方様」
ジルメリと引き合わせたとき、マリアは新鮮な食材の調達を頼んでいた。旅に出るまでまだ数日は準備にかかる。ひとところにとどまらないタイプのマリアだが、さすがにすぐ出発ということはしなかった。
「おま――メテオ様。いい女を捕まえたみたいだね」
「ああ、うん。まあな」
なお、ジルメリは俺とマリアの複雑な関係を知らない。
面倒だし、俺も夫婦と思われていたほうが少し嬉しいので訂正しないでおく。
出された昼食はジルメリが感動するほどの出来栄えだった。
「――これはうまいな!! どうやったら肉がここまで柔らかくなるんだ!? それにこの衣とソースも貴族の料理みたいだな!!」
サクサクと小気味良くナイフが入っていくカツレツにジルメリが感激している。
「これはいい……牛肉を丹念に下ごしらえしてある。ヒレ肉を叩いてスジも切っておく。そうすると火を通したときに縮まなくなるし、肉が柔らかくなるんだ。カツレツの衣も目の細かいパン粉に牛乳から作ったハードチーズを削ったものが入ってるよな? それをバターと植物油を合わせた油でカリッと焼いてる。脂肪の少ないヒレ肉にコクと旨味が足されるし、なにより牛肉に牛乳のチーズ、そしてバターだ。合わないはずがない――」
「お前、うるさいぞ。黙って食え――あっ」
全神経を舌に集中させて語る俺をジルメリがはたく。
なんばしょっと!!
いやそれはいいんだが、今また俺のことお前って。
「いいのよ。わたし、メテオの食いしん坊は嫌いじゃないの」
マリアはその様子をなんでもないという具合で受け止めていた。
「それにジルメリ。あなたもいつも通りの口調でいいわ。疲れるでしょ」
「あ、ああ。すまない」
「少し丁寧な言葉遣いに慣れたほうがいいんじゃないか?」
「あたしは奥方様のことを誤解していたかもしれない」
俺の提案は軽くスルーされたようだ。
「誤解って?」
「始めは、こいつと一緒のところを見られたら二人まとめて殺されるかと思った」
ジルメリが豪速球をぶち込んできた。
「まさか。だってそんな感じじゃないもの。どちらかっていうと……冒険者仲間みたいな間柄の印象よ」
あー。確かにそれに近いかも。
俺、ジルメリに対してはゲームのN P Cみたいに気軽に話しかけてるしな。
「もし、愛人だったと思ったら今頃全身の骨をたたき折っているわ」
あの。そのコメントを笑顔でいわれても怖いだけなんですけど……
ジルメリもカツレツをノドに詰まらせてるし。
「な、ない! そんな関係はまったくないぞ!!」
「わかってるわ」
気管にパン粉を詰まらせたジルメリのグラスに、そっと水を注ぐマリアがとても怖いです。
「明日あさってには出発できそうね。メテオはずいぶんゆっくりしているけど、準備は平気なの?」
「基本装備はジルメリが用意してくれているし、保存食関連もマリアがやってくれたし。俺は身ひとつで行けるよ。贅沢をいえば、レゴリスに渡ったあとも《次元の扉/ゲート》でユルセールに帰ってこれられることがわかると安心なんだけどな」
テーブルトークRPGシステムである『アャータレウ』で、瞬間移動できる魔法語の魔法はふたつある。8レベルの《転移/テレポート》と10レベルの《次元の扉/ゲート》だ。
空間を越えるものには、そのほか一時的に物品を呼び寄せる《呼び寄せ/アポート》や、声だけを特定の個人とやりとりできる《精神感応/テレパシー》。さらに特定の物品のありかを知ることができる《探査/ロケーション》などもある。
エステルやロルト爺たちからも聞いたのだけれど、そうした空間を越える魔法にも距離的制限があるのだという。具体的にどれくらいの距離というのは確かではないけれども、海を越えた大陸間を瞬時に行き来することは《転移/テレポート》であっても不可能なのだそうな。
「ただし、メテオ様がお使いになれる《次元の扉/ゲート》。これであれば、あるいは大陸間にある壁を打ち破れるかもですじゃ」
ロルト爺はそういっていた。というのも、《次元の扉/ゲート》が使える者がユルセールに存在しなかったからだ。
また、かつてのメテオがマリアと《精神感応/テレパシー》で大陸間を越えて連絡を取り合ったこともあるが、ノイズがひどくてほとんど会話にならなかったという。海に近ければなんとか聞こえる、という話だ。
俺の推理というか勘だが、《次元の扉/ゲート》であれば大陸間でも移動できる可能性があると思っている。
それはペスブリの存在だ。どうもあいつは神出鬼没にレゴリスにも現れていたらしい。ユルセールに攻め入ったレゴリスの第一王子の船団をボロクソに蹂躙して、返す刀でレゴリスの首都近辺を荒らし回ったという話もある。
もっともこれを確認するためには、俺自身が一度レゴリスに足を踏み入れなくてはならない。転移系の魔法の条件は、一度自分が訪れた場所でなくてはならないからだ。
「レゴリスまで船旅かー どのくらいかかるんだろうな」
「そうね。二ヶ月くらいかしら」
「えっ、そんなに!?」
俺はてっきり一週間くらいかと呑気に考えていたんだが。
「レゴリスとユルセールの航路はすでに確立している。もう少し早くなるかもしれない。ユルセールは戦勝国だからな」
カツレツを食べ終えたジルメリが、付け合せのニンジンをつつき回している。あまり好きではないのかもしれない。
「どれくらい早くなると思う?」
「一週間くらいは早まるだろう」
「うーん、遅い」
船で移動しているときに《転移/テレポート》や《次元の扉/ゲート》ってどうなんだろ。行きはともかく、移動している船に帰ってこられるかはすごく微妙だし、試してダメだったらマリアに全身の骨を折られそうだ。
「昔からレゴリスとユルセールの間に航路はあったんだけど、最短ルートは幽霊船が出没するから通れないのよね。そこを知ってる航海士もいないんじゃないかしら」
とくに驚くことではないといわんばかりなマリア。
その幽霊船ってペスブリのせいだよね。あいつ許さん。
「ヤダ。一ヶ月以上も船の上なんて退屈で死ぬ、死んじゃう」
「……退屈なことが大嫌いなわたしより我儘ね」
そういうがな、マリア。俺が思うにそんな長距離の航海ってことは食事もスッカスカのパンとか塩漬けの肉とかばかりで、フレッシュなお野菜とか食べられる気がしないじゃないか。一ヶ月以上もそんな食事だったら俺死ぬかもしれない。
「案外、退屈しないものよ。海に出てくる魔物を追い払ったり、時々海賊船を追っ払ったりもできたりするから楽しいわよ」
違うんだ……
俺は食事の心配をしているんだ。
マリアがいつも作ってくれるなら満足できるかもだが、食材が船まかせなのが不安なんだ。
せめて……せめて一週間くらいでまからないものか。
――あっ。
「そうだ、もっともっと早く到着できるかもしれないぞ!?」
これは妙案かもしれない。
「任せて! たぶん大丈夫だから!!」
「大魔法使いメテオの力、見せてもらうわ」
うーん。そういわれると不安になるが……
たぶん。おそらく。想定では大丈夫。
「いずれにせよ、レゴリスについたら連絡をよこせ。まずは物品の受け渡しができるかだけでも知りたいからな」
そういってジルメリはテラスに消えていった。
過去、いろんな奴らがテラスから俺のところに出入りしているんだが、そこはは玄関じゃないぞ。