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017_三戦目

「まさかここまでこのご老人がやるとは誰が思っただろうか!? 初戦では斧使いベルガスを一撃で屠り、二回戦では短槍使いリキエルに参ったといわせた!! 本当にこのかくしゃくな老人は数十年ぶりに王座に帰り咲くのか!? 二番咲きのうえに遅咲きにもほどがあるぞ!!」


 山高帽がステッキを振り回しながら、声を張り上げるウェザリア地下闘技場。観客たちはすでに賭けの札を握りしめて、口々に応援や怒号を喚き散らしている。毎夜、熱気渦巻くこの闘技場においても、これだけの盛り上がりは久しくなかったほどだ。


「下手から現れるのはウェザリア地下闘技場、初代王者!! もはやこの肩書きを疑うものはひとりもいない!! ィィィィィィィィイルグリぃぃぃぃムぅ! グルぁぁぁぁぁイストぉぉぉぉぉぉぉン!!」

「なんじゃい、今までは疑われとったのか」


 観客の声援とともに現れたイルグリムは、いつもと変わらぬ様子でぺたぺたと闘技場の中央まで歩いてゆく。


「上手から現れるのは最も王者に近い男!! 若さあふれる女殺しはあらちの剣もこちらの剣も元気ビンビンだァ!! 才色兼備イケメン剣士の剣は今夜も冴え渡!! その名もご存知、るるルルルルルルゥェェェエィフェェェェェェース!!」


 山高帽が興奮気味に紹介した名前は、巻き舌の多用と言葉の伸ばしすぎで知らない人には伝わらなかったことであろう。だが、この地下闘技場。ひいてはこの町の冒険者たちで、剣士レイフェスの名を知らぬ者のほうが少なかったであろう。


 現れたのは、貴族の若者の儀礼用の装備を身にまとったとしか思えない、整った容姿をした若者だった。赤い別珍と金のモールを使って仕立てた礼装で、頭には鷹の羽根をひとさししたつばの広い白い帽子。ふくらはぎまでを覆うブーツと肘あたりまでを覆う小手は揃いのもので、しなやかで丈夫そうなものであった。


「レーーーーィフェーーーーース!!」

「レイ様ーーー!!」

「今日もステキだわ! レイ様ーーー!!」


 それまで男たちの野太い声ばかりであった観客から、突然場違いな黄色い声が湧き上がった。


 目深に帽子をかぶったレイフェスは、やおらそのつばを取ったかと思うと観客席にその帽子を投げ入れる。


「ギャーー! レイ様の帽子よ!!」

「あたしのよ! あたしのものよ!!」

「ああもう! こっち側の席はハズレだったわ!!」


 帽子の下から現れたのは、豊かなブロンドの髪だった。女のように長く伸ばした髪がふわりとなびき、レイフェスのやや冷たいが貴公子然とした顔がうっすら笑みを浮かべていた。


「レイフェスよ。お前さんが女遊びでいわした腰を治してやったことを覚えとるか?」

「……ご老体。それとこれとは話が別です」


 イルグリムがやや大きめな声で話しかけると、レイフェスはいやな顔をした。


「それに女遊びとは人聞きが悪い。わたしはいつだって本気で女性たちを愛しています」

「マリアもそのうちのひとりかの」

「彼女はわたしより愛多き女性ですから」


 マリアの名にレイフェスは素直に負けを認めた。


「女殺しのレイフェスが逆に殺されたというわけか」

「わたしを怒らせようとしても無駄ですよ?」


 いくぶん挑発気味であったイルグリムに対して、冷静な切り返しであった。


「それに彼女に負けたというのは閨房(けいぼう)でのことです。剣では負けません」

「どうじゃろうな」


 挑発と知っていたにもかかわらず、最後のイルグリムの言葉に眉を逆立てる。貴公子然としてはいるが激情の性格である。ウェザリア地下闘技場のナンバー2としての矜持は、人並み以上であった。


「彼女の腕ではわたし――」

「るェエディーーーース・ェェェェエーーーンドゥ・ジェンルトゥルメェェェェェン!!」


 レイフェスが何かをいいかけたとき、山高帽が巻き舌過剰な煽り文句を叫んだ。


「皆々様がた!! 賭札はお買い求めていただけましたでしょうか? それではウェザリア地下闘技場、初代王者イルグリム・グライストンによる王座争奪の三戦目が始まるぞ!! 」


 イルグリムは皺だらけの口角をくしゃっと上げていた。レイフェスに言葉の反撃を与えないよう、山高帽のタイミングすら見計らっていたのだ。

 これを見たレイフェスはたちまち頬をひくつかせて腰のレイピアに手をかけた。存外と煽りに弱いというより、イルグリムの年の功が勝ったという感じであろうか。


「レディーーーーーーーー……」


 山高帽は試合開始の合図を溜めに溜めた。

 今までの試合内容からして勝負は一瞬の可能性が高い。であれば、観客のテンションを最大限に高め、一気に終わってもおかしくないだけの“間”を作ろうとする山高帽の内心であった。


 レイフェスは今か今かと剣の柄にせわしなく指を這わせている。

 イルグリムは緊張感のない様子で、だらりと全身をぶらぶらと弛緩させている。


「………………ファイ!!」


 山高帽がステッキを振り下ろした瞬間。レイフェスは素早くレイピアを引き抜き、あたかも剣術の教科書に描かれているかのような完璧な中段の構えで切っ先を止めた。


(こりゃあしまったかの……)


 その動きに対してびびりを見せたのはイルグリムであった。


(突っ込んでくる初撃を狙っていたんじゃが、ヤツめ。使えるのは逸物(いちもつ)だけじゃないということかの)


 レイフェスの目は侮辱された感情のはけ口を求めていた。

 だが、闘技者として。また名うての冒険者としてそれを無様に発散することなく、内に留めて基本へと立ち返らせていた。


 こうなるとイルグリムは困ってしまった。

 イルグリムが闘技者を引退したのも、剣と無手という異種格闘に限界を感じてのことだった。

 刃物に対して圧倒的な実力差。あるいは先手を取ることができれば勝ち目はある。だが、実力が拮抗している相手に油断がなく、武器の間合いからのスタートとなれば劣勢なのはイルグリムだった。


 イルグリムが一歩後ずさる。

 すると、ほとんど間を置かずレイフェスが一歩詰めてくる。

 軽装でレイピアを操るレイフェスの身上は、素早いフットワークや反応。そして軽妙な剣のひと突きである。


(身体的な疾さは負けるか……全盛期でも追いつけるか五分五分じゃな)


 戦士としてのレイフェスの力は本物だ。

 わかっていたものの、イルグリムはその隙のなさに唸る。


「フッ!」


 短く息を吐き出す音がしたかと思うと、鋭いレイピアの切っ先がイルグリムの腕を浅く裂いた。


(疾い――剣の引きに合わせることもムリか)


 腱は切れていないし、動脈も切られていない。

 だが、レイフェスの基本に忠実な突きは、突き終えたあとの戻しに至るまで完璧だった。傷を負ったと思ったら、すでにレイピアは先程と同じ場所に戻り、切っ先をこちらに向けていた。


「フッ!!」


 次の突きはフェイントで、本命は下段の薙ぎ斬りであった。

 身を深く伏せたレイフェスが放ったレイピアの切っ先は、右半身(はんみ)に構えていたイルグリムの右足のすね当てをぬるりと切り裂いた。

 イルグリムは左足で地を蹴って飛び退くが、この日初めて闘技場の砂が血を吸った。革のすね当てがなければ右足を深くやられていたかもしれない。


「油断する気はこれっぽっちもないようじゃの……」


 防御に難のあるイルグリムを完膚無きまで圧殺するため、レイフェスは一切の情け容赦ない戦い方を選んでいた。


「身体の末端から木彫りのように削いでいきます」


 顎を引き、上目気味ににじり寄るレイフェスは酷薄に呟く。


「これまでの試合で近づくのは危険だとわかってます。できれば片足片腕を切り落とします」

「こりゃえらい念の入れようじゃ」

「わたしなりの敬意の表れです。観客にとっては面白くはないでしょうが、ご老体が血を失って倒れて勝利が確定するまで近寄らせません」 


 レイフェスの声の奥底には押し殺した感情がある。だがそれを抑えてとつとつと呟く姿は、かつて数多の修羅場をくぐり抜けたイルグリムの背筋すらも冷たくした。


「しかし、参ったと叫べば楽になります」

「叫ばせるのは好きじゃが叫ぶのは嫌い――ッ」


 軽口の途中で、レイフェスの手元が閃いた。

 左腕前腕に深い傷と、額を浅く切られた。


「血が、目に入りましたね」


 レイフェスの声の通りだった。

 皺だらけの額を切られたことにより、どうと流れた血がイルグリムの左目を塞いだ。

 その瞬間、またもレイフェスの剣が舞った。

帰りが予想以上に遅くなったのでこんな時間に投稿となりました_(;3」∠)_

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