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016_二戦目

「お、驚きのイルグリム・グライストンの復帰戦! 斧使いのベルガスを一撃で倒してのけた技はなんだったんだ!? 我々にわかるのは、 初代王者の肩書は伊達じゃあなかったってことだ!!」


 興奮冷めやらぬ地下闘技場。ジャッジの山高帽による観客煽りが続く。

 マリアとイルグリムは対戦相手のベルガスの遺体が運び出されるのを、奥まった花道から眺めていた。


「手加減なしだったのね」

「一撃で殺らねばワシの負けじゃからのう」


 関節を極める攻撃はできるが、防御ができない。

 イルグリムが王者であった頃は、完全素手の部があったので王者に君臨することができたが、血しぶきを求める観客に合わせ、闘技場のルールはより過激になっていった。そこに限界を感じ、イルグリムは引退を決意したのだ。


「年寄りの冷や水って言葉、知ってる?」

「知者は水を楽しむ、ともいうぞ?」


 間髪を入れずに返す老人であった。何をいっても無駄とばかりにマリアは肩をすくめた。

 闘技場から山高帽がイルグリムの名を告げる声がする。


「怪我したら治してあげるから、死なないでね」


 マリアの言葉には応えず、イルグリムは観客の声に腕を上げつつ闘技場の中央へと歩んでいった。


「骨接ぎのうまいじいさんかと思ったら、とんだ曲者だぜ」

「隠したことはないんじゃがのう」

「さあ対するはこの地下闘技場いちの短槍使いリキエル!! 対するイルグリムは変わらず素手! 年齢差とリーチの差をどのように克服するのか!? またあの魔法のような技が炸裂するか――」


 次の対戦相手はリキエルという短槍使いの若者だった。身軽な革鎧をまとい、自分の首のあたりまである長さの槍を使う。

 イルグリムは何度かこの若者の治療に当たったことがある。すばらしい肉体の持ち主で、筋力もさることながら身のこなしや武器の当て勘といったものまで備えた戦士だ。


「さっきの試合は見せてもらったが、不思議な技だった。この試合が終わって無事なら教えを請いたいものだ」

「かまわんよ。お前さんが無事じゃったらな」

「悪いが握手なしでやらせてもらうぜ」

「二度は通用せんか」


 こりゃ参ったといわんばかりに、イルグリムは右膝を持ちあげて、編み上げのサンダルのつま先で左の膝裏をガリガリと掻いた。

 口調こそ軽いが、先の試合でベルガスを見ていたリキエルの表情には緩みがない。試合前からいつ何があっても対応できるよう、全身にほどよい緊張がみなぎっている。


「さあ掛札はもう買えない!! ここから先は瞬きひとつも許されない真剣勝負! 双方とも待ったはナシだ!! レディー……ゴー!!」


 山高帽のステッキが地を打ち、試合開始を告げる。

 リキエルはその声と同時にイルグリムから距離を取るべく後方に飛び退いた。


(ワシに対してまず距離を取る。いい判断じゃ)


 大きく遠ざかっていくリキエルの姿に笑みを浮かべたのはイルグリムだった。

 ウェザリアの地下闘技場では、試合開始まで武器を構えることは許されない。開始は長剣であればギリギリ届くという間合いから始まる。

 それゆえにイルグリムの様子に気を配るものはほとんどいなかった。しかも武器を帯びずに両手をだらりと垂らしているだけの老人だ。

 リキエルも油断はしてはいないつもりであったが、老人の足の組み方にまでは注意を払っていなかった。もし、そこに気がついていたとしても、後ろに飛び退くという戦略を変えていたかはわからないが――


「ほっ!!」


 左半身に構えたイルグリムが右肩と腰をねじりながら身を沈めた。

 ねじりながら身体を沈めたことによって、前に出してある左足が力強く地を踏み切る。そのまま身体を起こす勢いを込め、一気に身体を開いて右手と右足から矢のような速さでリキエルに迫った。

 

「なんだと!?」

「間合いを取るためとはいえ、ワシ相手に先手を譲るのは悪手じゃったな」


 バックステップと全身の力を溜めたタックルでは、スピードが違った。年齢差を考えるとかなり微妙なタイミングであったとはいえ、リキエルを空中で掴んだイルグリムは槍を持つ腕を捻り上げて武器を落とし、着地するころにはすっかり相手に馬乗りとなっていた。


「あ、あの距離を一歩で」

「ちょっとしたコツがあってな」


 老人を跳ね飛ばそうと暴れるリキエルだが、暴れ馬を乗りこなす熟達の乗り手のように相手にいいポジションを取らせなかった。


 マリアもまた、一度この老人に馬乗りになられてしまうと、もはやどうすることもできなかった。そして、今の特殊な踏み切りによる移動では、マリアがイルグリムとの顔合わせのときに食らった歩法だ。


「すまんな――」


 イルグリムはやさしくリキエルの顎に手をかけた。


「ま、まいった! 俺の負けだ!!」

「勝負あり! 勝者、イルグリム・グライストン!!」


 ほとんど身体を動かしていないはずのリキエルだが、じっとりと全身が脂汗に濡れていた。イルグリムに顎を触られたとき、言い知れない恐怖と悪寒に駆られ、気がつけば降伏を叫んでいた。


「いい勘をしておる」


 束の間、イルグリムの顔に刻まれた皺が残念そうに寄ったが、それも一瞬のことだった。リキエルの顎をつるりと撫でると、素直に馬乗りを解いた。


 リキエルには、遠ざかっていくイルグリムの背中がふるふると震えているように見えた。だがそれは、強風にあおられた旗のように自分が震えているのだと悟ったのは、もうしばらく経ってからであった。


「あの歩法はわたしと初めて会ったときに使ったやつね。でも、最後は何をしようとしたの? あれってわたしの知らない技よね」

「まずはワシが勝ったことを喜ばんか」


 勝ち名乗りもそこそこに花道へと戻ってきたイルグリムを迎えたのは、貴族の令嬢のような姿をしたマリアだった。


「お前さんなら一度見せればモノにできると思ったんじゃが、アテが外れたの。リキエルがあんな勘働きのいい男とは思わなんだ。ちとしくじったわい」

「あれがわたしには使えないっていう技なのね」

「そういうことじゃ。この数十年は人を生かしてばかりじゃったから、死なすのに躊躇してしまった。覚悟が足りんかった」


 物騒なことをさらりと口走るが、それについてマリアはこれといった感想はなかった。いまさらマリアには誰かを殺すことについて、とくに気負うところはない。もちろん誰かが誰かを殺すことについてはなおさらだ。かといって死んでしまえばそれでおしまい。混沌神の神官とはいえ、無意味な殺生を好むところではない。


「首を掴んで廻すだけみたいに見えたけど」

「ざっくばらんにいうと、そのとおりじゃ」


 マリアの白く細い首に手を這わせ、顎先へと指を動かす。これが下心ある男であれば、顔面に鉄拳がめり込むところだ。


「人間の頭蓋骨は首。つまり頚椎から背骨へとつながっとる。背骨はそこそこ丈夫で、よほどのダメージを加えても死にゃせんのじゃが、頚椎は違う。えらく重たい頭という果実を、不安定に支えている枝みたいなもんじゃ」


 イルグリムはマリアの顎先を前後左右に動かしてみせた。


「頭はほぼすべての方向に曲げることができる。これは首。つまり頚椎がいかに柔軟であるかということなんじゃが、その柔軟さを利用して一気にゴキっとこう……するだけじゃ」


 マリアをしゃがませると、頭をしっかりと掴んで首をパキポキと鳴らした。イルグリムが接骨師として患者にほどこす、脊椎や頚椎の歪みを治すやり方だ。


「それだったら教えてもらったじゃない」

「ありゃ生かすやり方じゃ。死なすときは両腕でやっとるスキなんかない。片手じゃ。指の一本も顎にかかっとりゃ、なんとかなる」


 首を鳴らされたマリアはむしろ爽快であった。イルグリムは自らの首も鳴らしてみせた。


「わかっとろうが、素人が首を鳴らすのは危ないんじゃ。ネック、というくらい首っちゅうのは人間の弱点でもある。そのぶん相手だって首を鍛えたり緊張させたりで対抗しようとする。じゃがの、刃物で首を守ることは鎧でできるもんじゃが、首と顎を動かなくするのは自殺行為じゃからの。たいていの人間に通じるわけじゃ」


 手刀でマリアの鶴のような首にとすんと触れると、老人は破顔した。


“断頭台”(ギロチン)マリアにはふさわしい必殺技じゃろ?」


 闘技場から歓声が聞こえてきた。三試合目の始まりを盛り上げんとする山高帽が、あの手この手で観客をあおる声がする。


 マリアはまだ気がついていない。二試合を圧勝しているように見えるが、老齢のイルグリムにとっては魂を削るような試合であった。いずもひとつ間違えていれば、自分が殺されていてもおかしくない。まだ十分に若く、才能に恵まれたマリアだが、老人であるイルグリムがどれだけの消耗をしているかを知るすべはなかった。


「マリアよ」

「なあに、師匠?」

「えい、師匠はやめんか」


 お決まりの文句であるが、嫌がるそぶりはどこか嬉しそうだ。


「よく見ておるんじゃぞ」

「承知したわ、師匠」

「だから師匠はやめんか」

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