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013_拷問の魔法

「――疲れた」


 地下闘技場でイルグリムにさんざんしごかれた後、マリアは自室に帰ってくるや否やばたりとベッドに倒れ込んだ。

 はたから見れば鍛える、というより壊されている。という具合だっただろう。


 マリアにとってイルグリムの技は魔法のようであった。

 一度、身体のどこかに触れられたら、全身に電撃を食らったかのような痛みが走る。あるいは水の中に落ちたような浮遊感がある。そして、気がつけば宙に浮いているか、地面に転がされている。

 あらかじめこれが格闘技術であることを知らされていなかったら、魔法であるといわれても疑わなかっただろう。


 イルグリムは鼠をいたぶる猫のようにしばらくマリアを手玉に取った後、頃合いを見て全身のどこか。あるいは複数の関節を破壊する。そして回復するように促すと、それを幾度となく繰り返した。


 しまいには老齢のイルグリムのほうが息が切れてくる。

 マリアの肉体は回復してはいるものの、全身の関節をくまなく破壊されているのだ。その激痛までは消し切れない。だが、イルグリムの体力が尽きるまで壊されては癒やしを続けた心身は、これまでに感じたこともないほど疲弊していた。


「……ワシもずいぶん鈍っとる。勘を取り戻しながら、徐々に組み合いの時間を長くしていくからの」


 さすがはかつての王者である。徐々に技のキレと体力を取り戻す算段を立てながらの組み合いであった。これにはマリアも明日以降、自分がどうなってしまうのだろうかと危ぶんだ。


「でも、まだ寝られない」


 気力を振り絞ってみたものの、ベッドに倒れ込んだことを後悔した。少しでも気を許せばそのまま眠りに落ちてしまいそうだ。マリアにはまだやることが残っていた。


 マリアの気がついた発見をざっくりと要約すると、骨と筋肉というのは傷ついて治ると強く生まれ変わる。というものであった。

 そして故意に骨を折り、筋組織を傷つけてから回復することを毎日繰り返せば、超人的な筋力や体格が得られるのではないかという仮説を立てたのだ。


「骨は……無理そうね。イルじいもいっていたけど、骨の付き具合によってはプラスどころかマイナスに働きそう」


 自分で自分の足や腕、その他全身の骨を叩き折る。

 想像するだに凄絶な痛みを伴うが、マリアはその手段を検討していた。

 

「手足ならともかく、内臓に近い骨。背中に通った骨。頭の骨は手加減が難しいし」


 とくに背骨や頭蓋への打撃は危険だ。いくらマリアが自力で回復できるからといっても、リスクに見合った成果を出す前に死んでしまいそうだ。それに、勢い余って肉体を欠損するようなダメージや、四肢切断といったことになった場合、まだ《再生/リジェネレーション》を使える位階にないマリアは抜き差しならない状況になる。


「もっと早く、闘技場で実験しておくべきだった」


 深くため息をついて愚痴るあたり、マリアが本気であることを示していた。

 混沌神の信徒として、自分の興味あることを第一に考える習性がある。しかし、マリアの興味はこれまで長続きした試しがなかった。骨と筋肉の特性にしても、仮説を証明しようとまでは思わなかったのだ。


 残るは効率的な筋肉へのダメージ。それも、死のリスクなく自らを痛めつける方法。


「混沌神。きっとこんな魔法の使い方をするのは、わたしが初めてでしょうね。この魔法と血を御身に捧げる――」


 混沌神の加護を得て行う、混沌魔法。

 それは秩序の神々の力と似ているし、実際に秩序の神官たちが使える神聖魔法のほとんどを混沌の神官たちは使うことができる。神々の起源は同じものであり、その力の起源もまた同じものなのだ。

 しかし混沌の神官たちは、混沌ゆえに秩序の神々が好まないいくつかの魔法を使うことができる。


 ベッドに横たわったままのマリアは右手を天へと差し出す。

 シーツの端を引き寄せ、それをしっかりと奥歯で噛み締めた。

 そして祈りの言葉とともに、自らの胸に掌を落とす。


「――《拷問痛/トゥーチャーペイン》」

 

 自らの触れた掌からぼこぼこと、皮一枚を隔てて全身へと波打つように何かが蠢く。


「――――――!!」


 マリアの全身が激しく痙攣したかと思うと、皮膚の下を蠢く何かは全身に青黒いあざを作って消えた。激しい内出血だった。


「あ……《回復/ヒーリング》……」


 意識を刈り取られる寸前までの痛み。しかし決して気絶へ逃がすことがない痛みがマリアの身体の中を駆け巡る。

 正気を失うような痛みの中。マリアは朦朧とした意識で、あらかじめこうすると決めていた回復の魔法を使った。

 この回復魔法で限界まで心の力を振り絞った。


「メテ……オ」


 マリアの意識は急速に、ぬめぬめとした黒い淀みの中に沈んでいった。




「はて、おかしいの」


 連日続く虐待にも似たマリアへの特訓。

 一週間も過ぎたところで、その日のイルグリムがこれまでと決めていたしごきを終えたところで、小首をかしげた。


「……どうかしたの」


 その様子を闘技場の砂地に転がされ、まさに回復を終えたところのマリアが尋ねた。


「いや、ワシの気のせいじゃろ。今日のところはこれまでじゃ」


 ただ気ままに関節を破壊しているようで、そのじつイルグリムはどのような手順でマリアの全身を極めていくかを考えていた。

 初めのうちは全身をまんべんなく、小枝を折るかのようにメキメキと極め折っていたのだが、マリアがその対処に慣れると一箇所の関節を集中的に攻めていった。

 ある程度人間の関節というものがどのように壊れ、壊すのかを身体で理解したところで、理解が深まるよう導いていった。


 マリアの才能はただごとではない。

 まだ一週間だというのに、イルグリムの攻撃に対応できつつある。

 幾度となく繰り返される痛みの中、回復を続けてまで訓練を重ねていることがそもそもまともではないが、驚くべきはそのセンスだった。

 イルグリムが十年かけて磨き上げた技術レベルに、マリアはほんの一週間で到達していた。


 もともと冒険者として、戦士や盗賊の戦い方を学んでいたことは必ずしもプラスに働かない。

 イルグリムの技術は冒険者に向いた技術ではない。

 一対一の人間にのみ有効な技術なのだ。

 複数の相手と戦うときに、寝転がっていてはその隙に囲まれて、剣などを突き立てられておしまいだ。

 さらには世界にあまねく魔物といったものたちには、通用しないだろう。空を飛ぶグリフォンの関節を取るのは無理だし、実態のないゴーストのような存在を投げることはできない。魔法生物のように関節がないものには効果的な技がない。


 イルグリムの技は、そうしたものに対応するため冒険者として身につけた汎用性を、一度捨てる必要があるのだ。


 だが、マリアは驚異的な集中力とモチベーションの高さでこれを安々と身につけていった。これまでも興味が続く間、マリアは教えるものが驚愕するほどの速さで技術を身につけてきた。そして、教えるものが呆れるほど早く、その技術への執着を失っていった。


(とんでもない弟子を拾ってしまったの)


 一度は自分ひとりが極め、そのまま滅びていくと思った格闘術。

 これまでも幾人かに自分の技を教えようとしたことはあった。

 だが、刃物を持つ相手に密着することがすでにリスクであり、今の地下闘技場のレギュレーションからすると、この技術は明らかに不利だった。

 いまでは教えを乞うものおらず、本人も誰に伝えることもないだろうと思っていた。


(ワシの技はもう駄目かと思ったが、思わぬ利点があったものじゃ)


 その利点とは、“力や体力を使わない”という点であった。

 肉体の特性を理解した理論体系と、相手の力を逆に利用する方法。

 はからずもそれは、老齢になっても失われるものではなかった。


 この技術の元となった接骨術もまた、イルグリムの技術を錆びつかせなかった要因のひとつでもある。なにしろ、屈強な闘技者たちが毎日のように、骨を折ったり肩を外して運び込まれてくる。それらを押さえつけながらの施術は、さながら格闘のようでもあったのだ。


(それだけに解せぬ)


 イルグリムが感じた違和感。

 それは一週間も続け、そろそろ往年の勘が戻ってきたかと思ったところ、その戻ってきた力の感覚ほどには安々とマリアの身体を壊せなかったからだ。

 かつては王者となったほどの男だ。その奇妙な感覚のズレを、単にブランクがあるから。あるいは加齢のせいだと片付けるには、いささか格が高すぎた。


(思っていた以上にマリアが手強いことを考慮に入れたとしても――解せぬ)


 そう思いながらも数日後。イルグリムは予想と想定以上に手強くなったマリアに対し、こう告げざるを得なかった。


「マリアよ。今日からは反撃を許す。だが、冒険者としての技は使わず、わしが教えた技術でのみ攻撃を許す」


 人に教えた経験の少なさが、このズレを産んだのだろう。

 イルグリムはそう自分に言い聞かせて手加減を修正した。


 だが、またその数日後。

 上方修正をさらに修正することになり、イルグリムは確信した。

 

 技術だけではない。

 ――数日で身体能力の基礎値がみるみる上がっているのだと。


5月に入るとちょっと忙しいので更新ペースおちますたぶん_(;3」∠)_

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