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008_混沌の啓示の魔法

 盗賊ギルドの情報屋、ダクティスから話を聞いたマリアは、自室のベッドで横になりながらも、暗闇を見つめながら物思いに耽っていた。


(メテオが混沌の神々に魂を売ったとしたら。その力は隕石を落とすだけじゃないはず)


 マリアは混沌神の神官として、その可能性があることを知っている。

 神々は常に信者を求めている。しかも、強ければ強いほど神はその力を手中に収めようとする。

 秩序の神々は、自らを信仰する者に力を与えるという手段で信者を増やす。こうした考え方は秩序の神官からすれば異端であるのだが、マリアはそう理解していた。

 混沌の神々もまた、信者に対して力を与える。しかし、混沌という性質上、そこにやってはいけないことなど存在しない。すでに強大な力を持っているものを、手っ取り早く信者にしようとする。

 一番の標的は秩序の神々の高司祭たちだ。それまでの信仰を捨てさせ、その魂を代価に制限のない混沌神の力を与えようとする。かつてどれほどの著名な神官たちが、信仰をひるがえして混沌の神々のもとに下ったかは数え切れない。


 次に標的となるのが魔術師だ。

 そもそも力を追い求める純粋さがある魔術師は、混沌の神々の誘惑に乗りやすい。もちろん彼らにはそのリスクがどんなものであるかを知っている。

 魂を売ってしまえば死後、いかなる手段でも復活することはできず、魂の安息はもたらされない。

 それを知ってなお、混沌の神々に魂を売る魔術師は多い。

 死後の魂の安息がなければ、死ななければいいことなのだ。


(メテオなら或いは至るかもしれない。魔術と混沌神の力の頂点である『不死の王』(デスロード)に)


 肉体の死を越えたアンデッドの王。

 不死の身体に強大な魔術の力。

 混沌神の限りない加護の力。


(もし、メテオが『不死の王』(デスロード)となってしまったのなら、今のわたしが勝つのは万がひとつの可能性もない)


 戦士や盗賊としてはハムやガルーダに劣る。

 神官としてもアーティアには敵わない。

 精霊使いとしてはリーズンの足元にも及ばないだろう。


 メテオが仮に《死徒転生/ビカムアンデット》を成したのならば。仲間たちの目を欺き、今もこうして強大なレゴリス軍を影で退けるほどの力を振るっていたのならば、どうしようもない。


 マリアはひとつの魔法を頭に思い浮かべた。

 混沌神の高神官のみに使える固有魔法。

 今時分にできるもっとも混沌に満ちた一手を、混沌神から啓示として受け取る魔法。

 

 しかしマリアはあまりこの魔法を使うことをしなかった。この魔法を使わずとも、マリアにとってこの世は十分に混沌としていたし、自分はその中で好きに自由に行きいてく自身があったからだ。

 最後にこの魔法を使ったのは、ユルセールを出てレゴリスに渡る船に乗る直前。

 しばらくユルセール王国に来ることはないであろうから、何かこの地にとって刺激になればいいという軽い気持ちから使ったきりだ。


 混沌神の託宣は次のようなものだった。


(これから船を降りてくる者に“流星剣”の秘密を教えるべし)


 “流星剣”とはハムの奥の手。所有者の意志で自由に出し入れできる光の剣、クラウ・ソラスを無手の素振りから相手の首元で呼び寄せ、どんな防御も間に合わせずに一撃で斬首する必殺剣だ。


 さすがにこの啓示には驚いたマリアであったが、船から降りてきた男を一目見るなりその気になった。

 日に焼けた身体に鋭い目つき。短い金髪は手練の傭兵のようであったが、全身から漂うこなれた剣気は本気のハムが発するそれと遜色なかった。何より腰に吊るした禍々しい魔剣の気配。

 気がつけばマリアは好奇心の虜となり、妖艶に笑ってその男に近づき、耳元でこう囁いた。


「あなた。面白いことをしてくれそう――」


 結局、あの男が何者であったかはわからない。ただ、ユルセールの国を混沌とすることに一役買ってくれることは間違いなかった。もし『流れ星』(シューティングスター)が混沌神の託宣を打ち破るほどの力であれば、それはそれでよし。

 いずれにせよ、マリアにとっては楽しみな出来事に違いなかった。ユルセールが混沌とするのであれば楽しいし、『流れ星』(シューティングスター)が秩序を回復すればそれはそれで嬉しい。


 誰かがこのときのマリアの思考を読み取ったのであれば、理解しにくいことだっただろう。仲間を売るようなことをしておきながら、もう一方で仲間の活躍を期待する。

 互いに矛盾しあうからこそ混沌。いずれの方向にも楽しみを見出してこその自由。

 これが『流れ星』(シューティングスター)がひとり。“遊星”マリアージュであった。


 だが、今回ばかりは勝手が違った。

 今、自分は迷っている。どうやっても力が及ばないことに対して、行き詰まりを感じている。

 逃げる。それも違う。

 自分はメテオを愛している。

 愛情表現こそやや歪んでいると自覚しているが、それは紛れもない事実だった。

 そのメテオが混沌に対して飲み込まれようとしている。

 自身で混沌を作り出すのでもなく、秩序だった理知からの行動でもない。

 愚かで浅はかなことだと、マリアは感じていた。

 新なる混沌は自発的であるべきだ。抵抗することだと。


「混沌の神よ。あらゆる不条理と矛盾を含めた啓示を我に――《混沌の啓示/カオスプロフェシー》」


 気がつけばマリアはベッドから身を起こして、祈りを捧げた。

 魔法を使った虚脱感が全身を襲い、それと同時にどこからか嘲笑するような声が聞こえたような気がした。

 全身からとめどもなく心の力が抜けていく。

 これは、魔法を使いすぎて意識を失う感覚だった。


(――メテオ)


 意識が途切れる瞬間。去来したものは、どこか頼りのない魔術師の顔だった。

  



 翌朝。マリアは激しい頭痛とともに目覚めた。


「……混沌神からの啓示を受け取れなかった」


 呟いたもののその理由は明白だった。

 思考に行き詰まり、助けを求めるようにして捧げられた《混沌の啓示/カオスプロフェシー》は混沌神に気に入られるはずもない。

 混沌神が今のマリアの状況を見れば、十分に満足をしていたはず。そこから抜け出すために啓示を求めたところで、それが叶うはずもなかった。


 教義に外れたことに混沌神の魔法を使った代価として、心の力を根こそぎ奪われ昏倒した。

 正直、マリアはこれくらいで済んで安心すべきであった。信仰する神々の教えに背いた行動や、それに対して魔法を使おうとすれば、最悪の場合信仰を失う。つまり、魔法の力の一切を失うことになる。


 だが、マリアはまだ自分に混沌神の加護があることを安心できなかった。

 混沌の魔法を極めれば、あるいは今のメテオに対抗するだけの力が得られる。少しでもそう思っていたのだ。

 これまでマリアが難なくこなしてきたすべてと同じように、混沌神の神官としての限界をそこに感じたのだ。今の自分の力で、唯一対抗できそうなものが混沌の魔法であったのに。

 剣でハムに劣り、盗賊の技でガルーダに劣り、信仰でアーティアに劣り、魔法でリーズンとメテオに劣る。

 そんな自分がどうやってメテオを救えるというのだ。 


(混沌神の笑い声が聞こえる)


 いまのマリアージュの様子を、混沌神はさぞかし満足げに見ていただろう。あるいは神官としての力を奪わなかったのは、そのほうが面白いからという理由なのかもしれない。


「ハム。ガルーダ。アーティア。リーズン。お願い……助けて……メテオを……」


 かつてどれほどの窮地に陥っても弱音を吐くことがなかったマリアージュは、朝日が差し込む寝台の上で、仲間たちの名前を口にしながら少女のように泣くのだった。

がんばって週二更新つづいてるゥ!!

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