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006_悩みと答え

「――勝者。“断頭台”(ギロチン)マリア!!」


 拳に鉄のナックルガードをつけた巨漢の男が棒立ちになったかと思うと、戦う構えのまま、踏み固められた土の上に膝から崩れ落ちた。

 それなりに腕に覚えがあるものであれば、見えたであろう。巨漢の拳をマリアがいなし、閃くような手刀が巨漢の顎を捉えたところをだ。


 崩折れた巨漢とマリアが対峙していた円形の闘技場に、紙吹雪が舞う。巨漢の勝利に賭けていたものが投げ捨てた、投票券だった。

 歓声と罵声が飛び交う中、マリアは観客に向かって余裕を込めて手を振り、ときには投げキスなどを返す。

 その実、マリアにとってこの戦いはそれほど余裕があるものではなかった。

 ハンマーのような拳を幾度となくくぐり抜け攻撃をそらし、相手の油断を誘っておびき出した必殺の一撃にかわしざま合わせたカウンター。一撃で決めた勝負の裏には、冷や汗ものの綱渡りが必要だった。

 巨漢の実力はマリアと亀甲していたほどであるが、戦略においてマリアがそれを上回っただけのことだ。


 しかし、それを出さずにマリアはことさら余裕のポーズを崩さず、愛想をふりまいて選手の入退場口に消えていった。

 そして、自らに割り当てられた控室に入り、誰もいないことを確認すると深い溜め息をついて椅子に深く腰を掛けた。


 これが、ウェザリア地下闘技場で“断頭台”(ギロチン)マリアと呼ばれている、マリアージュの日常だった。





「どうしたの、マリア。勝ったっていうのにご機嫌斜めじゃない」


 地下闘技場に敷設させたバーカウンターのスツールに座り、物憂げにグラスを弄んでいたマリア。そこにバーテンダーの姿をした肌が黒く、耳が尖った女がカウンターごしに語りかけた。


「斜め……そうね。ちょっと悩みがあるのよ。アストリア」


 指摘されて初めて気がついたが、これは悩みなのかもしれない。アストリアと呼ばれた闇エルフの女は、その言葉に顔を輝かせた。


「あなたが悩みだなんて初めて聞いたわ!! 聞かせなさいよ、男? 男のことよね?」


 常日頃自由気ままに日々を楽しんでいるマリアは、闘技場のバーテンダーとして数々の人物を目にしてきたアストリアにとっても、珍しい人種だった。

 何をやってもうまくこなすし、どんな逆境でも心を折ることがない。およそ悩みなどなく、天才肌というのはこういう女のことをいうのだろうと思い始めた矢先のことである。


「わたしだって少しは悩むの。そうね、男のことといえなくもないわ」

「聞かせなさいよ。一杯奢るから」

「悪いわね」


 グラスに残ったきつい蒸留酒を飲み干すと、すかさずそこに注がれた琥珀色の液体を眺めた。


「あのね、アストリア」

「うんうん」

「今日戦った男……」

「ええっ、ああいうのがタイプなの!?」

「――どう、骨を叩き折ったらいいと思う?」

「……何?」


 カウンターに両肘をつき、闘技場の戦乙女からどんな恋話が聞けるかと待ち構えていたアストリアは、マリアから出てきた言葉に長い耳を折って聞き返した。


「骨の折り方よ。わたしはどちらかというと殴ったり蹴ったりのほうが得意なんだけど、相手の骨をうまく折る方法。しかも同じ箇所を何度も折る方法がわからなくて」

「………………」

「アストリア?」


 どうやら期待はずれだったようだと悟ったアストリア。ため息をついて用意していた自分のグラスを下げると、溜まった洗い物に手をつけ始めた。


「何よ、自分から聞いてきて」

「ここ、いいかな」


 マリアの隣に立って話しかけてきたのは、革鎧を洒脱に着込んだ若者だった。腰に吊るした小剣もところどころに装飾が施されていて、なかなか品の良い感じの風情だ。


「高いわよ?」

「俺の情報で払えるかな」


 男はマリアの隣に座ると、慣れた様子で酒を頼む。レゴリスでは一般的に飲まれている、ぶどう酒を作ったあとに出る搾り滓で作る蒸留酒だ。


「大きなネタがある」

「楽しみね」


 男は酒を舐めて唇を潤した。 


「ちょっと前にレゴリス軍がユルセールに進軍したって話をしただろ」


 隣の席が高いといったが、実際に金を支払っているのはマリアだった。

 決して安くない情報量をアストリアの盗賊ギルドに支払って、定期的に世界情勢や裏情報をこうして仕入れている。情報を回すのはそのときどきで違う人物が来るのだが、マリアのところにはダクティスというこの伊達男がやってくることが多い。


「決着がついたのね」

「ああ。レゴリス軍はユルセール軍に大敗。宮廷魔術師のミストブリンガーと狂太子ザラシュトラスは討ち死に。残った軍は無条件降伏ということだ」

「ダクティス――それ、本当?」


 そういってみたが、盗賊ギルドの情報筋だ。間違いはないだろうことは明らかだ。

 一般人では知ることができないであろうミストブリンガーの存在を、盗賊ギルドは知っていた。とはいえ知っているだけで、どれだけ強力な人物であるかまで把握していない。だが、『ブリンガー』は人間族において最強といっていい称号だ。


「ユルセール側の被害は?」

「向こうの騎馬部隊。確か銀輪騎士団という騎士団の団長が死んだくらいだ。それもレゴリス軍との衝突ではなく、ユルセールに湧き出てる魔物の討伐に失敗して死んだということだ」

「ふん、そういうことね」

「何がだ?」

「こっちの話」


 ここのところメテオからの連絡が途切れた理由に合点がいった。メテオたちが戦争に加担したのだろう。あれほど嫌っていたユルセールの国王のために働くとは意外だったが、ブリンガーと狂太子率いるレゴリス軍に圧勝となると、それ以外に考えられない。


「その戦争に、ウォルスタの冒険者が手を貸したって訳?」

「ご名答。お前の元サヤ“流れ星”(シューティングスター)とその弟子筋にあたる“北極星”(ポールスター)という冒険者が積極的に動いていたようだ」


 元サヤは余計と喉まで出かかったが、マリアはそれを堪えて話を促した。マリアにとって“北極星”(ポールスター)という名前は初耳だったが、メテオの弟子と護衛であるエステルとメル。そしてリーズンの弟子といえなくないリコッタがいる。おそらく純粋な戦力でいえばマリアを上回る人材だ。


「鉄壁のハムと商業神の高司祭アーティア。今回の戦いでファイアブリンガーと呼ばれるようになった精霊使いリーズン。そして、最後はその冒険者の弟子たち、北極星(ポールスター)のメルというのが狂太子を打ちとったって話だ」


(あら、リーズンはそんな大層な称号持ちになったの)


 確かにダクティスの話は興味深いものだった。まさかリーズンがブリンガー扱いされるなんていうのもマリアにとっては驚きだったし、あの猫族のメルという娘が狂太子を討ち取ったというのも意外な話だ。


「ダクティス。話の中にメテオという魔術師が出てこないけれど、何か聞いてない」

「メテオ・ブランディッシュだろ? どういうわけかこの戦争には手を出さなかったようだ。まだ情報が混乱してて未確認なことが多いが、銀色のドラゴンと戦ったとか――」

「――銀色の!? それってレゴリスの山脈にいるっていう古代龍(エルダードラゴン)

「そこまで詳しいことはわからん。なにせ負けた国のギルドだ。情報が揃わなくてね」


 確かにそうだ。ここまで情報が得られていること自体、負けた国の盗賊ギルドが握っていることが贅沢といっていい。


「そうね」

「ただ、戦争前だが、メテオって魔術師の噂は聞いたぜ。あくまでヨタ話だが、隕石を数十個落としたとか。代替わりした若王様と男色家かってくらい懇意だとか」

「そんな。ありえないわ」


 メテオから聞いていたグチの多くは、ユルセールの先王カザンへの不満。そして、自分はもう隕石落としの魔法を使えないのではという愚痴話だ。

 そんなメテオが王の息子と男色に走るはずがないし、マリアを好いていることを知っている。なにより突然隕石の魔法を、しかも十個だなんて――


「……もしかして」

「どうした、マリア?」


 マリアは持てる知識を総動員して頭脳を回転させる。

 魔術師としての実力に限界を感じていたメテオ。

 ぷっつり途切れた連絡。

 戦争の表舞台に姿を表さなかったこと。

 隕石の魔法を使ったという風聞。

 あれほど嫌っていた王の息子と懇意にしていること。


 混沌神の高神官として。初歩とはいえ魔術師の基礎を納め、賢者の資格を持ち、詩人として各種伝説にも精通しているマリアが辿り着いた答えは。


(――メテオ。あなたまさか)

ぶっちゃけていいますと、この時点でリーズンは自分が『ファイアブリンガー』なんて呼ばれていることをちっとも知りません!!

ウワサが先行してこうなっているだけです!!!

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