第九十四幕 ~反撃の狼煙は上がった~
第四章開始です
よろしくお願いします
──王都フィス レティシア城 大会議室
大きく開かれたバルコニーの窓から爽やかな春の風が通り抜ける中、大会議室には一軍を率いる将軍たちが集められていた。招集をかけたコルネリアス元帥を筆頭に、第一軍の副総司令官であるランベルト大将。第二軍のブラッド中将と第七軍のパウル大将。そして、オブザーバーとして参加しているナインハルト准将の計五名である。
それぞれが着座すると、ブラッドがテーブルを見渡しながら口火を切った。
「開戦当時と比べて大分寂しくなりましたね……」
開戦時は顔を揃えていた第三軍のラッツ上級大将と、第四軍のリンツ上級大将。そして、第五軍のベルマー上級大将は、すでに冥府へと旅立って久しい。ラッツとリンツに至っては、ブラッドと士官学校時代からの仲と聞いている。
ナインハルトも
「そうだな……わしのような年寄りを残して若い者が先に逝ってしまう。なんとも世知辛いことだな」
そう言って、パウルは深い溜息を吐く。
「パウル閣下もまだまだお若いじゃないですか。とても六十を過ぎているとは思えませんよ」
「はぁ……お前は相変わらず世辞が下手くそだな。士官学校時代から何も成長しとらん」
パウルが冷ややかな目で一瞥すると、ブラッドは叱られた子供のように首をすくめた。今でこそ互いに一軍を率いる将軍だが、かつては士官学校の教官と生徒の関係である。二人が残した数々の逸話は今も語り草となっており、ナインハルトも士官学校時代はその手の話をよく耳にしたものだ。
「ははっ。パウルの前では閃光のブラッドも形無しだな」
肩を揺すって笑うランベルト。そのおかしな異名は止めてくれと辟易するブラッドに対し、さらに豪快な笑い声を上げていた。
「それよりも今日は何のために集められたのですか? まさか昔語りをしようってわけでもないでしょう」
話題を強引に変えたブラッドの言葉に、コルネリアスが神妙に頷く。
「この情勢下の中、急遽集まってもらったのは他でもない。結論から先に述べると、新たに第八軍を新設しようと思う。一言お主たちに断っておこうと思ってな」
その言葉に一同が困惑した。第三、第四、第五軍が壊滅している現状、新たな軍を創設するのは理に適っている。わからないのはなぜ招集をかけたかだ。コルネリアスは王国軍を率いる元帥であり、先だってアルフォンスから正式に統帥権も移譲されている。たとえ一軍を率いる将軍であっても、いちいち断りなど入れる必要はない。
「それは我々に話を通しておかなければいけないことなのですか?」
一同を代表する形でパウルがコルネリアスに尋ねた。
「まぁ、そうとも言える。とくにパウルにとっては直接関わり合いがあるだろうからな」
一同の視線がパウルに集中する。名指しされたパウルはというと、視線を宙に漂わせながら顎を撫でていたが、何かに思い至ったようでハッと目を見開いた。
「まさかオリビア少佐を第八軍の総司令官に?!」
「さすがに察しがいいな」
コルネリアスがそう言って微かに笑うと、ランベルトが飲んでいたお茶を盛大に噴いた。
「ゲホッ! ゲホッ! ──い、いやいやいや。ちょっと待ってください。オリビア少佐が第八軍の総司令官? それはさすがにないでしょう」
噴き出したお茶で濡れた服を拭おうともせず、呆れたように大声を上げた。元々地声が大きいのも相まって、かなり耳に響いてくる。
「オリビア少佐が第八軍の総司令官だと都合が悪いのかね?」
一方コルネリアスは、紅茶に少量の砂糖を入れ、スプーンを静かに上下させている。動と静。対照的な二人の様子をブラッドは興味深そうに見つめていた。
「都合が良いとか悪いとかの話ではありません。確かに彼女の武勲は他を軽く圧倒しています。ですが部隊を率いるのと一軍を率いるのではまた勝手が違います。そのことは元帥閣下もよくおわかりでしょう。なにより彼女はまだ十と……十と……」
「十六歳だ」
パウルが抑揚のない声で言う。
「そう、まだ十六歳ですよ? 王国の歴史を振り返ってみても十代半ばの総司令官なんて前例はまずありませんし、ありえません」
そこまで言って顔を下に向ける。今さらながら自身の服が濡れていることに気づいたらしい。顔をしかめながらハンカチを取り出すと、乱暴に拭い始めた。
「──ふむ。と、ランベルトは申しているが他の者はどうだ? 遠慮はいらん。忌憚なき意見を聞かせてほしい」
コルネリアスはテーブルを見渡す。即座に口を開いたのはブラッドだった。
「俺は賛成ですね。嬢ちゃんが援軍に駆けつけなかったら多分この席にはいなかったでしょうから」
ランベルトはブラッドに向けてあからさまに大きな溜息を吐いた。
「ブラッドがあの娘に対して恩義を感じているのはわかる。だが、それと今の話を一緒くたにされても困る」
「恩義を感じているのは事実ですが、話を一緒くたにはしていませんよ」
互いに「圧倒的に経験が足りない」「経験は才能によっていくらでも補える」などと真っ二つに割れた意見をぶつけ合う。そんなやりとりがしばらく続いた後、ブラッドが苛立ったように頭をガリガリと掻き始めた。
「ランベルト閣下。俺も一応第二軍を率いる将軍です。中央戦線での嬢ちゃんの働きを見て、十分総司令官の任が務まると判断しているに過ぎません。そもそも勝ち戦が続いているとはいえ、いまだ我々は薄氷の上にいます。その状況下で年齢がどうだとか、前例がないだとか言っている余裕はないと小官は愚考いたしますが?」
「むうぅ……」
(薄氷の上か……まさにその通りだな。一旦亀裂が入れば我々は為す術もなく冷たい水の底。二度と浮き上がることはできないだろう)
最終的に勝利はしたものの、第二、第七軍共に多くの戦死者を出している。今後戦いがさらに苛烈になることは想像に難くなく、またランベルトが押し黙ったことからも、ブラッドの意見に一定の理解を示しているのが窺える。
ナインハルトとしてもブラッドと同意見であり、少なくとも年齢や前例などで拒否する理由にはならないと思っている。なにより彼女をこのまま一部隊の指揮官として扱うには、あまりにも武勲が巨大過ぎる。が、ランベルトはどうにも納得できないらしい。 すぐに矛先を転じた。
「元帥閣下、ならば階級はどうするおつもりですか? 一軍を率いる人間が少佐では誰も納得しませんぞ。こればかりは前例云々という話ではありません」
一軍を率いるのは最低でも准将からだと決まっている。ランベルトの言はもっともであり、内外的にも総司令官が少佐だと物笑いの種になるのは必至だ。
一同がコルネリアスに注目していると、本人は紅茶の香りを楽しむようにゆっくりとすすりつつ、口を開く。
「無論承知している。それに関しては数日中に論功行賞を行う予定だ。これまでの戦功を踏まえ、オリビア・ヴァレッドストームを少将に任じようと思っている」
ブラッドはほう、と感嘆の吐息を漏らした。
「いきなり少将ですか……少将なら軍を率いるのに問題はありませんが、ここにいるナインハルトは准将ですよ?」
ランベルトがこちらをチラリと見て言う。あからさまに話を誘導しているのがわかり、ナインハルトは思わず内心で苦笑した。
(ここで引き合いに出されても正直困るのだが……)
軍隊とは実力がものをいう世界。戦功を上げれば、当然階級も上がっていく。部下だった者が上官に変わるなど、今のご時世ならそう珍しいことでもない。五階級特進という前代未聞な昇進であることはナインハルトも認めるが、だからといってオリビアに対し含むところがあるはずもなかった。
「ランベルト閣下、私は別段気にしませんよ」
ナインハルトは気軽な口調で言った。これ以上話を広げさせないために。
「そ、そうか? ──しかしなぁ、俺としてはナインハルトならもろ手を上げて賛成するのだが」
だが、そう上手くはいかないらしい。ランベルトはかなり露骨にナインハルトを持ち上げてきた。
「それは恐縮の極みですが、帝国軍から見てどちらが脅威に映るかを考えれば自ずと答えはでましょう」
死神オリビアの異名は帝国軍の心胆を寒からしめている。今の王国軍に必要なもの。それは圧倒的武力を以って英雄の階段を駆け上がるオリビアであり、断じて凡将たる自分ではない。
「ナインハルトが納得しているのならそれでいいのだが……」
ランベルトは不承不承といった態で膝を突き、顔を背けた。どうやら今の返答が意にそわなかったらしく、失望の色がありありと表情に表れている。コルネリアスは両腕を組んで口を真一文字に引き結んでいるパウルに、探るような視線を向けた。
「先程から黙っているが……パウルはどうだ?」
「──正直に言えばきついですな。今や第七軍にとってオリビア少佐とその部隊はなくてはならない存在ですから」
「さもあらん」
コルネリアスはうんうんと二度頷く。
「それに手放したくないという思いもあります。なにせ彼女を孫のようにかわいく思っていますので」
言ってパウルは目尻を下げる。その様子にブラッドがあらん限りに目を見開いた。鬼神と恐れられる男とは思えない表情に、身近な人間ほど驚きは大きいのだろう。コルネリアスも目を丸くしてパウルを見つめているが、ブラッドの比ではない。それほど二人の関係は深いのだとナインハルトは思った。
「俺は悪い夢でも見ているのか……
「……今の発言でお前がわしをどう思っているのかよくわかった。後でゆっくりと言い含める必要がありそうだな」
「そ、それだけはご勘弁を」
再びブラッドは亀のように首をすくませ、パウルはふんと鼻を鳴らした。
その後もことあるごとにランベルトが難色を示してきたが、室内が濃厚の色で満たされる頃には、オリビアを第八軍の初代総司令官として任じることが正式に決まった。それと同時にひとつの作戦が決定する。
「──ではこれをもって帝国軍への反撃を開始とする」
コルネリアスの宣言と共に、一同が起立敬礼をする。
オリビア率いる第八軍最初の任務は──帝都オルステッド侵攻作戦である。
活動報告などでお知らせしている通り「死神に育てられた少女は漆黒の剣を胸に抱くⅠ」の発売日が7月25日に決定しました。
イラストレータはシエラさんです。
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