第九十二幕 ~急転~
前回三章完結とお伝えしましたが、一万文字に達しそうなので二つに分けます。
後半は夜にUP予定です。
「お前は……!?」
クラウディアが驚いた表情で声を上げた。
「お知り合いですか?」
「……ああ、宴の席でちょっとな」
会話をしつつもクラウディアは男から目を離さない。男は自らを王国辺境貴族、ヨシュア・リヒャルトと名乗ってきた。スッと目鼻立ちが通った綺麗な顔立ちに、絹糸のような亜麻色の髪の毛。そして、アシュトンよりも頭ひとつ分ほど高い身長。物腰の柔らかさも相まって、さぞや女性にもてそうな印象を抱いていると。
「そろそろ君の名前も聞かせてもらっていいかな?」
ヨシュアは苦笑した後、アシュトンに向けて話しかけてきた。
「あ! し、失礼しました。アシュトン・ゼーネフィルダ―です」
慌てて名を伝えると、ヨシュアは意外そうな表情を浮かべた。
「へぇ、君が噂の天才軍師か。話には聞いていたがとてもそんな風には見えないなぁ──いや、だからこそ恐ろしいのか……」
そう言うと、ひとり納得したように頷くヨシュア。天才軍師との言葉にこそばゆさを感じていると、クラウディアが素早くアシュトンの前に立ち塞がった。よく見ると僅かに腰を落とし、剣の柄に手をかけている。今すぐにでも抜き放ちそうな雰囲気だ。
「クラウディア中尉?」
「いいから黙って私の背中にいろ──それで、一体何用だ?」
明らかに警戒しているクラウディアを見て、ヨシュアは肩をすくめて言った。
「いやだなぁ。何をそんなに警戒しているんですか? 厳しい表情をしているクラウディア・ユング様も素敵ですが、女性はやはり笑顔が一番ですよ」
「……確か名乗った覚えはないのだが?」
クラウディアの声が一段と低くなる。じゃりっと砂を踏みしめる音がした。
「失礼だとは思いましたが、近習の者を使い調べさせていただきました。武門の誉れ高いユング家の次期当主。しかもあなたほどの美しい女性に名を尋ねなかった非礼、どうぞお許しください」
ヨシュアは地面に片膝をついて頭を下げた。実に優雅な所作であり、通りを歩く女性たちがうっとりとした表情でその光景を眺めている。もし自分が女だと仮定したら、やはり頬を染めていたかもしれないと思わせるには充分だった。
だが、クラウディアは全く意に介さない。それどころか眉間にしわを寄せながら明らかに苛立ったような声を上げた。
「その芝居がかった態度は止めろ。それと先ほどの質問にも答えてもらおうか」
「ですから一緒に食事をと申しております。そこまで警戒される覚えが一向にないのですが……」
立ち上がったヨシュアは、困ったように頭を掻いている。アシュトンとしても、クラウディアが柄に手をかけてまで警戒する理由がわからない。宴の席で知り合ったと言っていたが、なにか問題があったとは聞いていない。
「そうやって白を切るつもりか。貴様がただ者ではないことくらい承知している。そもそも、なぜ共に食事をしなければ──」
「まぁまぁ、別にいいじゃない。食事は大勢のほうが楽しいよ」
割って入ったオリビアがクラウディアの警戒を解きほぐすかのように肩を叩く。
「少佐、ですがこの男は……」
「オリビア・ヴァレッドストーム様。お心遣い深く感謝いたします。お礼と言ってはなんですが、露店の食事代は私にお任せください」
オリビアの言葉に上手く乗っかったヨシュアは、如才ない笑みを浮かべて言う。先程からヨシュアが見せる立ち振る舞いや言動は、貴族特有の嫌味さを感じさせない。むしろ、好感すら覚えるほどだ。ある意味才能と言ってもいいのだろう。
「おごってくれるの?」
「はい」
「そしたらいっぱい食べてもいいの?」
オリビアは期待の込めた目をヨシュアに向けて言った。奢ることがなにゆえ沢山食べていいことに繋がるのか、アシュトンには全くもって理解不能だ。そんな彼女に対し、ヨシュアは問題ないとばかりに大きく胸を叩いた。
「もちろんです。ヨシュア・リヒャルトに二言はございません」
「やったーっ!」
ヨシュアの服装は上質な布地を贅沢に使っている。一見して裕福な貴族であることが窺えた。食事をご馳走するくらいなんでもないことだろう。だが、彼は知らない。オリビアが底なしの胃袋の持ち主だということを。
「ヨシュア様、こう言ってはなんですがオリビアはかなり食べますよ。それはもう周りが引くくらい」
ヨシュアはきょとんとした顔でアシュトンを見つめると、すぐにカカと笑った。
「アシュトン君。大いに結構なことじゃないか。私もご馳走のしがいがあるというものだよ」
そう言うと楽しそうにアシュトンの背中をバンバンと叩いてくる。貴族らしからぬ気さくな態度に、つい余計な言葉が漏れてしまう。
「後悔したころには手遅れですよ。オリビアは遠慮と言う言葉を母親の胎内に置いてきていますから」
「中々面白い表現をするね。そうすると、さしずめ私などは母の胎内に一途と言う言葉を置いてきているかもしれないなぁ」
どこか遠くを見るように目を細めるヨシュア。その言葉の意味するところを計りかねていると、オリビアに袖をグイッと引っ張られる。
「もういいから早く露店に行こうよ」
二人の話に飽きたのだろう。強引に話を終わらせたオリビアは足早に歩きだす。アシュトンとヨシュアは互いに顔を見合わせ、苦笑しながらそれに続く。最後尾のクラウディアだけが、油断なくヨシュアを見据えていた。
露店は相も変わらず威勢の良い声でアシュトンたちを出迎えた。朝と比べると行き交う人も倍以上に増えている。昼時ということもあり、とくに食べ物を扱う露店からの声が目立っていた。
「よーし! タダだからいっぱい食べるぞー」
腕まくりをしたオリビアは、駆け足で露店に向かっていった。後を追うように路地に入ると、朝は閉まっていた店も営業を始めている。目立つのは主に布地を扱う露店。ファーネスト王国は他国に比べ、より上質な布を生産することで知られている。王国にとって重要な輸出産業のひとつだ。他国の露店では扱わないような
物珍しそうに露店を眺めるヨシュアを案内しながらしばらく歩く。すると、先に行ったオリビアが店先で何かを食べている姿が目に映った。屋根の看板に目を向けると、赤い文字で王都名物、灰猪のスモークサンドと書かれている。王都に長く暮らしていたが、件の食べ物が王都名物とは初耳だ。
「あ、あんたらこの軍人さんの連れかい?」
ひとりアシュトンが苦笑していると、小柄な店主が慌てて声をかけてくる。連れだとクラウディアが答えた途端、店主は心の底から安堵したような声を上げた。
「よかったー。お金は後からくる人間が払うからって、どんどん店の商品に手を付けていくんだよ。軍人さんだからあまり強くも言えないし……」
スモークサンドにかぶりついているオリビアをチラチラと見ながら、店主は言いにくそうに口を開く。
「……おい」
「あ! あっちにも美味しそうな食べ物がある」
「おまっ! ちょっと待て──」
捕まえようとするアシュトンの手をするりと抜け、オリビアは路地の奥へと駆けていく。追いかける間もなく、雑踏の中に消えていった。
「あのやろー」
「ははは。オリビア様は元気がいいなぁ──店主、金は私が払おう。いくらだ?」
ヨシュアは快活に笑いながら懐に手を伸ばす。
「へい! ありがとうございます! 全部で……銀貨十枚になります!」
「──は? 銀貨十枚?」
「銀貨十枚です!」
店主は朗らかな笑顔で右手を差し出す。その手をヨシュアは茫然と見つめ、すぐにアシュトンへと向けてくる。言いたいことはわかるので、代わりに店主に尋ねた。
「彼女はどれくらい食べたのですか?」
「どれくらいもなにも全部ですよ。今日はもう店じまいです」
店主は満面の笑みでそう言い、意気揚々と片付けを始めた。商品棚に視線を移すと、確かに何も残されていない。引きつった笑顔で銀貨を渡すヨシュアを見て、クラウディアが意地の悪い笑みを浮かべていた。
それから三十分後──
ようやくオリビアを捕まえたアシュトンは、座って食事ができる広めの露店に腰を落ち着かせていた。支払いは全てヨシュア持ちであることから、テーブルにはズラリと料理が並べられている。しかも、なくなるそばからオリビアが次々と注文していくので、一向にテーブルから料理が消えることがない。
ヨシュアはというと、魂が抜けたかのようにボーっと空を眺めていた。
「──ほら、私って成長期だからいっぱい食べないと」
「成長期を理由にするな。それ以上大きくなってどうするつもりなんだよ」
「どこが大きいの?」
オリビアがスプーン片手に尋ねてくる。
「どこって……」
アシュトンは思わずオリビアの胸に視線を向けた。すると、前方から圧迫するような空気が漂ってくる。おそるおそる視線を横にずらすと、クラウディアが乾いた笑みを浮かべていた。
「私も少佐と同じくらいだ。ということは私も大きいということだな」
「そ、そうですね」
意図的に主語が省かれているであろうことは気にせず、アシュトンは大きく頷いて見せた。首筋からじんわりと汗が滲み出ているのがわかる。どうにも息苦しさを感じ始めていると、何かを思い出したかのようにヨシュアが突然口を開いた。
「オリビア様、食事のあと何かご予定はございますか?」
「ん? とくにないよ」
「それはよかった。では私と手合わせしていただけますか?」
「手合わせ? ──別にいいよ。お昼おごってくれたし。殺さないように手加減するから」
「これはお気遣いありがとうございます──それとクラウディア様。ここで剣を抜くのはいささか無粋かと」
ヨシュアはごく自然にお茶をすすりながら言う。見るとクラウディアの剣が半分鞘から抜き出ていた。あまりに急な話の展開にアシュトンはついていけない。
「ちょっといきなり手合せってどういうことですか?! 僕にもわかるように説明してください」
「アシュトンは黙っていろ──ついに馬脚を現したな。貴様、帝国軍の密偵か?」
殺気の込めた目をヨシュアに向けるクラウディア。
(ヨシュア様が帝国軍の密偵? 増々もって意味がわからない)
アシュトンの混乱をあざ笑うかのように、話はきな臭い方向へと転がっていく。
「ご期待に添えず申し訳ありませんが、私は帝国とは一切無関係です。むしろ共通の敵と言っても差し支えありません。そもそも、密偵が堂々と食事を共にしますか?」
正論とも言えるヨシュアの言葉を受けて、クラウディアの顔が歪む。今やオリビアだけが平然と食事を続けていた。
「それにクラウディア様ほどの実力者ならすでにおわかりでしょう。私にはどう逆立ちしても勝てないことを」
ヨシュアは真面目な顔でそう言った。クラウディアは体を震わせるも否定の言葉を口にしない。半分抜かれた剣もいつの間にか鞘に収まっている。この穏やかではない空気に気づく者も数人いたが、後難を恐れて素知らぬ振りを演じていた。
異様な雰囲気のまま食事を終えた後、ヨシュアとオリビアはいずこかに立ち去っていく。その様子をぼんやりと眺めながらクラウディアに話しかけた。
「追いかけますか?」
「止めておけ。少佐に来るなと言われたのを忘れたのか?」
そう言うクラウディアの顔は苦渋に満ちている。本当ならすぐにでも後を追いたいのだろう。アシュトンとて同じ気持ちだが、オリビアの勘働きは獣じみている。こっそり後を追ったとしても、すぐに気づかれるのは自明の理だ。
「結局あの人は何者なんでしょう? 話しぶりからしても敵ではないことはわかるのですが……」
アシュトンがそう問いかけるも返事は返ってこない。クラウディアはいつまでも二人が立ち去った後を見つめていた。