第八十七幕 ~謁見~
第一軍の追撃を振り切り、天陽の騎士団がキール要塞へと撤退してから二週間後。
堅固な防御ラインを構築した第二軍を残し、第一軍とオリビアは王都に凱旋した。出迎えた民衆たちの熱狂ぶりは凄まじく、熱気に当てられたオリビアはレティシア城の一画。ナインハルトにあてがわれた部屋に着くや否や、大きなベッドに向かって思い切り飛び込んだ。
(ふかふかで気持ちいい! それにお日様の良い匂いがする。疲れたし、このままひと眠りするのも悪くないかな)
枕に顔を埋めながらそんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえてくる。入室の許可を出すと、クラウディアが満面の笑みをたたえながらやってきた。その姿を見てオリビアは警戒する。経験上、大抵嬉しくない話を持ってくるからだ。
「少佐、実に晴れ晴れとしたお天気ですね」
「外は曇っていると思うけど……」
窓に映るどんよりとした雲に目を向けながらそう答えると、クラウディアは「晴れ晴れとしているのは私の心でした」と、快活に笑っている。オリビアの警戒レベルが一気に跳ね上がった。
「……それで、何か用かな? これからちょっとひと眠りしようと思っているんだけど」
寝てしまえば余計な話を聞く必要もない。そう思いながらベッドに潜り込もうとするオリビアの足を掴み、ズルズルと引き戻してくるクラウディア。オリビアはめげることなく、再びベッドに潜り込もうと試みる。それを阻止しようとするクラウディアとの攻防が幾度か続いた後、最後には物凄い勢いでシーツをはぎ取られてしまった。
「ハア、ハア……いい加減にしてください!」
クラウディアは息を整えつつ、乱れた髪の毛を手ぐしでとかしている。
「それはこっちのセリフだよ」
「──何か言いましたか?」
「ううん。別に何も言ってないよ」
オリビアは首を振ってとぼけて見せた。クラウディアに逆らったところで良いことなどなにひとつない。
「全く……こんなときに寝ている場合ではありません。少佐にこの上ない吉報を持ってきたのですから」
オリビアにはこの上ない凶報としか聞こえない。なぜならクラウディアが持ってくる吉報にひとつも良い思い出がないからだ。体に合わない儀礼服を無理矢理着させられたり、出たくもない叙勲式に引き出されたことは記憶に新しい。
それでも儀礼服だけは仕立て直してくれたが、叙勲式が終わった後。儀礼服を返そうとしたオリビアに対し、クラウディアは「もう私には着れませんから差し上げます」となぜか自嘲気味に笑っていた。
「……一応聞くだけ聞くけど」
しぶしぶ話を促すオリビアに、クラウディアは笑みを深める。
「ふふっ。驚かないでくださいね。なんとアルフォンス王が少佐の活躍を耳にし、是非会いたいとのことです。これは大変名誉なことですよ」
クラウディアはまるで我が身のことのように喜びを全身で表している。なんならこの場で踊りだしそうな勢いだ。そのまま扉を開けて立ち去ってくれれば、オリビアとしても全力で喜びを表すのだが。
「ゴホッ、ゴホッ、クラウディア、私なんだか急に風邪を引いたみたい。王様にうつすといけないから残念だけど辞退──」
「では治るまで食事はひたすら薄いおかゆのみですね」
笑顔が一変し、凍てつくような表情を見せるクラウディア。しかも、間髪入れずに。ひたすらおかゆの日々を想像しただけで、本当に具合が悪くなりそうだった。
「──しない。辞退なんか絶対にしないよ。だって全然風邪なんか引いてないし。なんだか気のせいだったみたい」
あははと誤魔化すように笑いながら、オリビアは力こぶを作って見せた。
「ならよかったです」
クラウディアは再び笑みを浮かべる。オリビアの隣に腰かけてくると、謁見の日取りなどを嬉々と伝えてきた。
(はぁ。こんなことならクラウディアの笑顔を見た瞬間に逃げ出しておけばよかった)
後悔するも後の祭り。やはりオリビアの危惧していた通り、全然嬉しくない話だった。それにしても相変わらずクラウディアは名誉に目がないようだ。オリビアにとっては王との謁見など興味もないし、心底どうでもいいと思っている。だからといって、そんなことを口にしたら最後。きっとクラウディアは夜叉に変身してしまう。だから口が裂けても言えない。
「クラウディア。前の前も言っていると思うけど、私は名誉なんかよりも──」
「本や美味しい食べ物が欲しい、ですよね?」
そう言ってニヤリと笑うクラウディア。予想外の反応にオリビアがコクコク頷いていると、クラウディアは咳ばらいをした後、勝ち誇ったかのように言った。
「アルフォンス王との謁見が終了した後、戦勝祝いの宴が催される予定です。さすがに本はありませんが、豪勢な料理が振舞われると聞いています」
「ご、豪勢な料理?」
とても魅惑的な言葉に、オリビアの体は自然クラウディアに吸い寄せられていく。
「普段は王専属の料理人──王宮料理人と言うのですが、彼らが王の許しを得て特別に料理を提供するそうです」
「王宮料理人……あっ! 世直し旅をしながら物凄いご馳走を作る人間のことだよね!」
「世直し旅?」
首を傾げるクラウディアに、オリビアは子供の頃に読んだ《元王宮料理人の世直し放浪旅》を語って聞かせた。昔々、弱者が虐げられる世を憂いた王宮料理人が国を出奔。腰に下げた二丁の包丁をもって旅をしながら、悪人を懲らしめたり下々の者にご馳走を振る舞うという話だ。
その料理人に憧れたオリビアは、両腰に包丁代わりの剣を下げながら料理を作っていた時期があった。時折その姿を見たゼットが首を傾げるのを横目で見ながら。
「──少佐、王宮料理人は悪人も懲らしめませんし、下々の者に料理を振る舞うこともありません。そもそも彼らは世直し旅どころか、滅多に城の外へは出ませんから」
「それは世直し王宮料理人はいないって言いたいの? でも世直し王宮料理人は絶対にいるよ。だって本のあとがきにこの話は事実ですってそう書いてあったもん」
オリビアは口を尖らせながら抗議する。クラウディアは困ったような表情を浮かべていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「夢を壊すようで大変心苦しいのですが……そのあとがきは著者のイタズラ心から書かれたものでしょう。少佐もよく知っている悪戯好きの妖精コメットと同様に、その本も創作です」
どこか遠くを見るような目で語るクラウディア。その話を聞いて、オリビアは大きく肩を落とした。またひとつ、知らなくともいいことを知ってしまったから。
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──レティシア城 謁見の間
(まだ王様は来ないのかなー? 早く終わりにして欲しいんだけど)
謁見の間に通されたオリビアは、何度も何度も出てくる欠伸を必死に噛み殺しながらアルフォンスが現れるのを待った。あまりにも退屈だったので心の中で歌を歌っていると、奥の扉が開かれる音が耳に入る。複数の足音と共にひとりの人間が玉座に座る気配を感じた。
「オリビア・ヴァレッドストーム。顔を上げよ」
求めに応じ、顔を上げるオリビア。視界に映し出されたのは、絵本に出てきた王とは全くの真逆。痩せて青白い顔をした男が驚いたような表情を浮かべている。同じなのはやたら豪華な衣装と、ピカピカ光る王冠くらいだ。
アルフォンスはオリビアの顔をしばらく凝視した後、傍らに控えるコルネリアスに向かって何事かを囁き始めた。それに対し、コルネリアスはただ黙って首を縦に振っている。
「──そなたが帝国軍から死神と恐れられているオリビア・ヴァレッドストームで相違ないか?」
アルフォンスが訝しむ視線を寄越してきた。コルネリアスが何か言おうとするのを、軽く手を上げて押しとどめている。
「はい。私がオリビア・ヴァレッドストームです」
言ってオリビアは内心で首を傾げた。どうもアルフォンスの態度は、オリビア・ヴァレッドストーム本人ではないと疑っているのが垣間見える。少なくとも自分と同姓同名の人間がいるとは聞いたことがない。
大体ヴァレッドストーム家は百年以上の時を経て再興したばかり。もし同姓同名の人間がいるのなら、即座にこの場を変わって欲しいくらいだ。
「オリビア・ヴァレッドストームは帝国の名だたる将を多く討ち取ったと聞いている。その者たちの名を覚えておるか?」
「──その質問にはお答えしかねます」
再び質問を重ねてきたアルフォンスに対し、オリビアは一瞬考えた後、そう答える。
「なぜ答えることができない ? 凡百の兵ならいざ知らず、名だたる将であれば普通覚えていて当然のはずだ。やはり──」
向けられた疑惑の色が濃くなる。オリビアは逆に質問をした。
「王様は毎日どんな食事を食べたか覚えていますか?」
「毎日の食事? ──そんなこといちいち覚えているわけがなかろう」
アルフォンスはくだらない質問だとばかりに鼻を鳴らす。
「私も一緒です。殺した人間のことなどいちいち覚えていられません。名だたる将であろうが、一兵卒だろうが、私からしたら同じです。等しくただの人間ですから」
正確には少し違う。生殺に関わらず、なにかしら印象に残った敵は覚えている。だが、面倒なのでその説明は省いた。
オリビアの言葉に、壁際に控える近衛兵たちからどよめきが起こった。
「──陛下、この者は間違いなくオリビア・ヴァレッドストームです。見た目が見た目ですから、陛下がすぐに信じられないのも無理からぬことではございますが」
そう言いながらこちらに視線を向けてくるコルネリアスに、オリビアは小さく手を振って応えた。コルネリアスは僅かに顔をほころばせる。王都に帰る道中、オリビアはコルネリアスと仲良くなったのだ。
「……余には武に関する才がない。それゆえ色々と探るような質問をしてしまったが、今の言葉を聞けば只者でないことくらいはわかる──オリビア・ヴァレッドストーム。此度の戦功に対し、何か望みがあるなら言うてみよ。無原則に聞き入れることはできぬが、余の力の及ぶ範囲でならかなえて進ぜよう」
突然の申し出にも関わらず、オリビアは即答した。
「では絵本に出てくるような大きな大きなケーキをください。いつか食べてみたかったので」
「ケーキ? 今ケーキと言ったのか?」
「はい」
「──そんなもので良いのか? 金貨や宝石なのではなく?」
アルフォンスが目を大きく見開きながら尋ねてくる。
「はい。お金の使い方は未だによくわからないので。宝石はキラキラ光って綺麗だとは思いますが、ただそれだけです。とくに興味はありません」
たははと笑うオリビアに、アルフォンスは苦笑した。
「欲のない人間だと爺──コルネリアスに聞かされてはいたが……よかろう。宴の席に見たこともないようなケーキを用意するよう命じておく」
「ありがとうございます!」
「うむ。ではこれにて謁見を終了とする」
オリビアは元気に立ち上がって敬礼した後、浮き立つような足取りで謁見の間を後にした。嫌々臨んだ謁見だったが、こんな素敵なこともあるのかと思いながら。