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第七十七幕 ~嵐の前~

 ──中央戦線 天陽の騎士団 大本営


 グラーデンは伝令兵から第一軍が王都を発したとの報告を受けていた。


「──そうか。ついに第一軍が動き出したか」

「現在第一軍は我が軍を迂回するような進路をとっております。おそらく後背を突くつもりかと」


 伝令兵の言葉に、居並ぶ将校たちの視線が机に広げられた布陣図に集中する。


「なるほど。第二軍が健在なうちに挟撃しようという腹か。理にかなった戦略ではあるが……皆はどう思う?」


 将校たちを見渡すよう声をかけると、ひとりの男が意気揚々と立ち上がった。この中でも最年少の将校──アレクサンドル中佐である。


「元帥閣下、第二軍の抵抗もそろそろ限界点を迎えるかと思われます。このまま一気に押し潰し、余勢を駆って王都に侵攻するのが最良かと思われます」


 アレクサンドルは拳を振りかざしながら言う。その姿を見た将校たちは、若いなと言わんばかりに苦笑していた。


「ほかに意見は?」


 グラーデンの求めに応じ、参謀のオスカー准将が口を開く。


「ここは天陽の騎士団の全力をもって第一軍を迎え撃つべきでしょう」


 オスカーの進言に、アレクサンドル以外の将校たちは揃って首肯する。たまらず声を上げようとするアレクサンドルをグラーデンは軽く右手を払って押しとどめた。


「アレクサンドルの意見もわかる。第一軍を気にせず、一気に第二軍を屠るのも一つの手だ。だが、今回はオスカーの進言を是とする」

「──元帥閣下の決定に異を唱えるつもりはありませんが、理由をお教えいただいてもよろしいでしょうか?」

「わからないか? それは相手が第一軍であり、おそらく指揮を執っているのがコルネリアス元帥だからだ」


 第一軍の司令官コルネリアスは、かつて常勝将軍と呼ばれた男。群雄割拠末期の戦役における武勇は数知れない。それほどの男と相見えるのは武人の誉れ。帝国軍の頂点に立つ者として、またひとりの武人として、この機会を絶対に逃すべきではないとグラーデンの魂が囁くのだ。


「常勝将軍コルネリアスの名はもちろん私も知っています。士官学校時代、散々上官からその名を耳にしましたから。ですがあえて意見を言わせていただければ、すでに過去の遺物。元帥閣下自ら迎え撃つ価値があるとは思えませんが?」


 アレクサンドルは眉根を寄せる。明らかに納得がいかないといった様子だ。


「アレクサンドルはそう思うのか。若さとは得難いものだが、ときとして身を滅ぼすきっかけともなりえる。精々己を戒めることだ」

「……どういう意味でしょう?」


 アレクサンドルは僅かに首を傾げる。グラーデンは内心で苦笑した。おそらく彼は長生きできないだろう。敵を軽んじる者を生かしておくほど、この世界は優しくない。


「此度の戦が終わればおのずと理解できる──では、これより軍を再編する。天陽の騎士団三万と後詰の一万は俺と共に第一軍を迎え撃つ。残りは引き続き第二軍の攻略に当たる」


 一同頷く中、即座に立ち上がる者がいた──パトリック中将である。


「閣下、第二軍の攻略は是非私にお任せを」


 パトリックの発言に異を唱える者は誰もいない。全員が納得した顔をしている。守勢に転ずると脆い部分もあるが、攻勢に転じれば一気に敵を破砕する力がある。そのことをよく知っているからだろう。


「パトリック中将か……いいだろう。貴様に一任する。だが、決して油断をするな。手負いの獣ほどなにをしてくるかわからないからな」


 第二軍の抵抗は当初予想していたよりも頑強だ。指揮官は切れ者と見て間違いないないだろう。負けるとは露ほども思ってはいないが、戦は終わってみるまでわからない。約束された勝利などないのだから。


「はっ! このパトリックに全てお任せください!」


 堂の入ったパトリックの敬礼に対し、グラーデンは深く頷いて見せた。


「その言葉、忘れぬぞ」





 将校たちが退出した後、右手にカップを持ったオスカーが気遣わしげに声をかけてきた。


「閣下、本当にパトリック中将に任せてよろしかったのですか?」


 差し出されたホウセン茶を喉に流し込み、オスカーに目を向けた。


「心配か?」

「少しばかり。実際のところ第二軍はかなり狡猾です。パトリック中将は良くも悪くも堂々とした決戦を好む性質。いささか相性が悪いのではないかと」


 オスカーに指摘された点は、グラーデンも当然把握している。今回は相性と力を天秤にかけて、力に傾いたに過ぎない。パトリックが一度勢いづけば、多少の戦術など塵芥に帰す。


「まぁ、そう案ずるな。そのあたりのことも計算して許可を出したのだ」

「かしこまりました。では、私の申すことはなにもございません。早速再編の準備に取り掛かります」

「頼んだぞ」



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 ──中央戦線 第二軍 本陣


 三人の将校たちと打ち合わせをしているブラッドの元に、リーゼが小走りで近づいて来た。


「なにかあったのか?」

「閣下、第三防衛ラインの伝令兵から報告が入りました」

「ん? さっき報告は受けたと思うが?」


 ブラッドは懐から懐中時計を取り出す。蓋を押し開くと報告を受けてから三十分も経っていなかった。


「状況が変わりました。天陽の騎士団は整然と後退を始めたということです」

「後退だと? まさかとは思うがそれほどの打撃を与えたのか?」


 先程の報告だと優勢ではあるが、敵も衰えを見せていないと聞いた。僅かな時間で後退せしめるほどの打撃を与えたとは到底思えない。


「いえ、とくに大きな打撃を与えたわけではないようです。現場の指揮官たちも突然のことに困惑していると聞き及んでいます」


 そう言うリーゼもまた、困惑したような表情を浮かべている。


「打撃を与えたわけではない。だとすると……あと考えられるのは急な撤退命令でも出たのかも知れない」

「天陽の騎士団が優勢にもかかわらずですか?」


 リーゼは腑に落ちないといった表情で問いかけてきた。


「そうだな……たとえば敵の総司令官に異変があったとか? もしかしたら皇帝の身になにか起こったのかもしれない」


 自分で言いながら、それはないなと思った。本当にそうなら()()とではなく、()()()後退するはずだ。明らかに敵の行動は明確な意思をもって行われているとみていい。


「その状況もないとは言えませんが、敵の行動に乱れがないのはおかしいかと」


 どうやらリーゼも自分と同じ結論に至ったらしい。ブラッドは煙草に火をつけると、深く煙を吐き出す。


「──では、ほかになにが考えられる?」


 ブラッドの問いに対し、リーゼは少しの間を置いた後、


「もしかしたらオリビア少佐の部隊が近づいているのではないでしょうか?」


 と、声を弾ませながら答えた。この場にいる将校たちも期待に満ちた表情を浮かべ始める。


「お前たちの期待を踏みにじるようでなんだが、おそらくそれはないだろう」

「どうしてそう思うのですか? 帝国はオリビア少佐を恐れています。一旦後退し、迎え撃つべく陣を再編しようとしているのかもしれません」


 リーゼはすがるような目を向けてきた。三人の将校たちも同意の言葉を口にする。


「よく考えてもみろ。いくら死神と恐れられていようと兵力は六千。軍を後退させる理由としては弱すぎる……だが、なるほど。あながち的外れとも言えなくもないな」


 リーゼの発言がヒントとなり、ブラッドはひとつの結論を得た。


「と、言いますと?」

「リーゼ大尉の言う通り、天陽の騎士団は陣を再編するため一旦後退したのかもしれない」

「ですが今閣下自身が否定……あ!?」


 ブラッドは声を上げるリーゼにニヤッと笑いかけた。


「気づいたか?」

「はい! 第一軍が動き出したということですね!」

「そういうことだ」


 リーゼの瞳からじわじわと涙が浮かんでくる。らしくないと思いながらも、懐からハンカチを取り出してリーゼの手に握らせた。


「あ、ありがとうございます」


 リーゼは戸惑った様子を見せるも、眼鏡を外すとハンカチを目にあてがいながら笑顔で礼を言ってくる。ブラッドはなんとなく照れくささを感じて目を逸らした。


「いいさ──状況は好転しつつあるが、依然こちらが劣勢であることに変わりはない。兵たちもかなり消耗しているはずだ。今のうちに十分な休息をとらせておけ。それと、腹いっぱい飯を食わせるのも忘れるな」

「はっ!」


 リーゼの澄み切った返事が、ブラッドの心に深く染み込んだ。


 


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