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第三幕 ~そして少女は野に放たれた~

 ──光陰暦九九五年。


 約四十年続いた平和の時代は終わりを告げ、デュベディリカ大陸は再び戦乱の時を迎えようとしていた。


 事の発端は大陸の北に位置する大国。アースベルト帝国の皇帝であるラムザ十三世が、突如デュベディリカ大陸の統一を宣言したことにより始まる。

 その後、帝国と国境を接する大陸東に位置する大国。ファーネスト王国に大軍を送り込んだことにより戦端が開かれた。


 当初は帝国と王国の──言わば二大大国間の戦争だったが、瞬く間に周辺の小国に飛び火し、やがて大陸中を巻き込んだ戦争へと発展していく。


 ──光陰暦九九七年。


 大陸中の国々が戦争に明け暮れる中、これまで一進一退の攻防を繰り広げてきた帝国と王国の戦いに転機が訪れる。

 帝国は中央戦線において、悲願だった王国最大の要害。難攻不落と謳われたキール要塞の奪取に成功したのだ。


 さらに帝国はキール要塞を橋頭堡として、王国周辺の小国を恫喝、懐柔など様々な手を使い、怒涛のごとく属国化を推し進めていった。


 この情勢を受けて、戦争不介入。絶対中立を宣言していた大陸南に位置するサザーランド都市国家連合は、帝国と秘密裏に結託。昨年、大陸南東地域で大規模発生した凶作を理由に、突如王国への食料輸出をストップさせた。


 これが引き金となり、しばらくすると王国の各地域で大量の餓死者が発生。やがて民衆暴動へと発展していく。

 元々食料自給率が低かった王国は、食料輸入の七割をサザーランドに依存していた。これが裏目に出てしまったのだ。


 また前線で戦う兵士のために、食料を民から微発していたことも民衆暴動に拍車をかける要因となっていた。


 王国は暴動を抑えるため軍を使い、さらなる暴動を呼び寄せるという悪循環に陥ってしまう。結果として内外に敵を抱えることとなり、王国はまるで坂道を転がり落ちるかのように衰退していく。


 ──光陰暦九九八年。


 王国軍苦戦の報が相次いで王都にもたらされる。まともに反撃する力は既に失われ、ひたすら防御に徹することでかろうじて戦線を維持していた。

 帝国を中心とした王国に対する包囲網が徐々に完全な形へと近づく中、現ファーネスト国王であるアルフォンス・セム・ガルムンドは苦渋の決断を下す。


 王都を守護する最後の砦。

 最精鋭たる第一軍を、キール要塞奪還のため派兵することに。



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 王都フィスよりエスト山脈を隔て、王国南部に位置する要塞。ファーネスト王国が絶対防衛線と定めるガリア要塞。

 最短距離で王都へとつながっている最重要拠点だ。そのさらに南西部。キール要塞から南東の位置に、帝国が王国から奪取したカスパー砦が存在する。


 カスパー砦周辺の街や村は、帝国軍の支配下に置かれていた。また主要な街道沿いに兵が配置され、常時監視の目を光らせていた。

 来たるべきガリア要塞攻略に向けて、王国軍の動きを警戒してのことだ。


 そんな折、最重要監視拠点のひとつ。カナリア街道の監視責任者であるザームエル大尉は、王都方面に向かって歩いているひとりの少女を見つけた。


 歳は十五から十六といったところだろうか。人形のように精緻な顔立ちをした美しい少女だ。赤茶けた丈の短いチュニックを見る限り、どこかの村娘といったところだろう。すらりとした足が歩を進めるたび、銀糸のような長い髪がたおやかに揺れている。


(ほう、これはこれは……)


 思わず舌なめずりをしていると、腰のものに目を奪われた。村娘らしからぬ立派な鞘を帯びていたからだ。黒い鞘に金と銀を織り交ぜた細かな装飾が施されている。どう見ても金に物をいわせた大貴族や、歴戦の強者などが持つような代物。鞘だけでも売れば、相当な金貨が手に入るだろう。たかが村娘が持つには、分不相応だと言っていい。


(鞘があれほど立派なら、中身の剣はさぞや素晴らしい逸品に違いない)


 鞘に納められている剣を想像して、ザームエルは口の端を吊り上げる。一瞬、村娘ではなく、盗賊の類ではないかと頭によぎった。だが、すぐにその考えを打ち消す。帝国軍がこの一帯を制圧しているのは周知の事実。いくら帝国の兵士だとはいえ、真昼間から不用意に盗賊が姿を現すなどありえないからだ。


 ザームエルは隣にいた若い兵士──クリフの肩を軽く叩くと、少女を指さした。


「喜べクリフ。お前に初任務を与える。あの女を臨検しろ」

「はっ!」


 クリフは見事な敬礼で応えると、威圧的な態度で少女に声をかけた。


「そこの女、止まれ!」

「…………」


 だが、クリフが呼び止めるにもかかわらず、少女の足は止まらない。距離からいっても聞こえているのは明らかだ。それでも少女は知らん顔で歩いている。


「クリフー。女の子にはもっと優しく声をかけないとダメだぞー」

「そうだぞー。そんなに鼻息を荒くしたら、怖い怖いって逃げられちゃうぞー」


 無視されたクリフを見て、近くにいた兵士たちがはやしたてた。茶化すような言動が気に障ったのか。クリフは肩を怒らせながら少女に近づくと、後ろから思い切り肩を掴んだ。


「止まれと言っているのが聞こえないのかッ!」

「え? 私に言ったの?」


 少女は目をキョトンとさせながら自分を指差した。そこに嘘偽りを述べている雰囲気はなく、どうやら本気で驚いたことが窺える。だが、クリフはそう思わなかったようだ。苛正しげに舌打ちをすると、少女の前に一歩詰め寄る。


「ふざけているのか? 貴様以外、どこに女がいるんだ?」

「えー。もしかして男と女の区別がつかないの? 私だってそれくらいわかるよ」


 そう言って少女が指差したのは、同じ監視任務にあたっている女兵士。指を差された本人は「え? 私?」と驚きながら、クリフと少女を交互に見ている。からかわれたとでも思ったのだろう。クリフは見る見るうちに顔を真っ赤にし、少女の胸倉を思い切り掴み上げた。


「貴様、帝国兵士相手にいい度胸だな。そんなに早死にしたいのか? この一帯はすでに帝国の支配下だ。脆弱な王国の兵士なぞ助けにこないぞ?」

「あー。帝国の兵士さんだったんだ。鎧を着た人はみんな同じように見えて区別がつかないよ。鎧を見分ける本もあればよかったのに」


 少女は真面目くさった顔で言う。そこに、クリフの恫喝に怯えた様子は感じない。全く揺らぎを見せない漆黒の瞳が、その事実を雄弁に物語っていた。


「くっくっく。いや実に面白い。中々に度胸が据わった女だな」


 ザームエルは、腰の剣を抜こうとしたクリフに軽く手を挙げて制す。だが、血気盛んなクリフは、一度握った柄を中々離そうとしない。拙い殺気を全身に漲らせていた。


「止めないでください大尉! こいつは明らかに我々を侮辱しています。何卒この場で処刑のご許可をッ!」

「まぁ、そうはやるな。俺は一般人の女を殺さないし、殺させない。こんないい女なら尚更だ。それが俺の隊の規則であり、唯一の自慢なんだ。しっかり覚えておけよ」


(もっとも、女を犯した数は数えきれないほどあるがな)


 ザームエルが制圧した村の若い女たちを思い出してくつくつと笑っていると、少女は退屈そうに大きな欠伸をした。


「悪かったな。急に呼び止めて。いやなに、そんな立派な剣を腰に下げて、王都方面に何しに行くのかと思ってな。なにせこの辺りは、飢えた獣・・・・がうろついているから危険だぞ。なんなら俺が護衛してやろうか?」


 ザームエルの言葉に、兵士たちが一斉に下卑た声で笑う。兵士のひとりが「ガオーッ!」と爪を立てながら獣の鳴きまねを披露し、さらに笑いを誘っていた。数人の女兵士が、冷ややかな視線を向けていることにも気づかずに。


「あーそういうこと。でも、別に護衛はいらないかな。王国の兵士に志願しようと思って王都に向かっている途中なの。だから、邪魔しないでくれる?」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。クリフは唖然とし、周りの兵士たちも口をポカーンと開けている。そういう自分も、きっと間抜けな顔をしていただろう。

 少女は「はー疲れた」と言いながら、再び王都方面に向けて歩き始めた。


「貴様あああああああああっっ!!」


 我に返ったクリフが、怒りの声を上げながら剣を抜き放った。と同時に、剣を握っていた右腕がいきなり宙を舞う。

 


 時に、光陰暦九九八年。

 カナリア街道の空は、抜けるような青空が広がっていた。


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