第七十四幕 ~短き休暇は終わりを告げ…~
王都滞在から四日が経過した。
アシュトンが参加したことにより作業効率は上がったが、成果は思うように出ていなかった。アシュトンとクラレスは本棚の前で、今も難しい会話をしている。
ちなみに目の前に座るクラウディアはというと、積み重ねられた本の隣で呆けたように天井を見上げていた。なんなら口から怪しげな物体が洩れ出そうな勢いだ。
オリビアは武器にもなりそうな分厚い本をパタンと閉じると、大きく息を吐いた。
「王国は群雄割拠の末期に随分と無茶な軍拡を推し進めたみたいだね。そのせいで国力を大きく低下させた。そのつけを今払っているような感じかな?」
当時王国はラファエル王号令の元、強大な軍事力と経済力を背景に手当たり次第戦争を仕掛けていたらしい。当初こそ破竹の進軍を続けていたが、当然戦線が拡大すれば補給線も伸びていく。にもかかわらず補給を軽視し、まともな護衛をつけなかった。
結果次々と補給線を断たれてしまう。いかに強大な軍事力を有していようと、飢えた軍に勝ち目などあるはずがない。ゼットに兵学を叩きこまれたオリビアからすれば、慢心という言葉では片付けられない自殺にも等しい行為だと言えた。
「──私のおじい様もよく愚痴をこぼしていました。あの当時王も軍も大陸制覇という言葉に憑りつかれ、狂奔していたと。今では帝国が大陸統一を掲げ王国を追い詰めているのですからなんとも皮肉な話ですが……でもそれが今回の調べものとなにか関係あるのですか?」
クラウディアが僅かに眉を顰めながら尋ねてくる。
「うーん。関係があるかどうかはわからないけど、王国の歴史を知っておくことはきっと無駄じゃないと思うんだ。なにがきっかけで糸口が掴めるかわからないから」
「なるほど。確かに少佐のおっしゃる通りだと思います」
クラウディアが感心したように何度も頷く。オリビアはエヘンと大きく胸を反らした。できるだけ偉そうに。すると、近くで何かが床に落ちる音がした。その方向に視線を移すと、アシュトンがあんぐりと口を開けてこちらを見つめていた。
「もしかして、なにかお口に入れてほしいの? 残念だけどビスケットは持ってきてないよ。図書館に食べ物を持ち込むのは禁止みたいだから」
そう言ってポケットの裏地を引っ張り出す。ビスケットの欠片がパラパラと床に落ちると、近くにいた職員に物凄い勢いで睨まれた。
「そうじゃねえよっ! ただ、オリビアがあまりにもまともなことを言うから驚いただけだ」
「え? なにわけのわからないことを言ってるの?」
「何がわけわからないんだよ」
口を尖らすアシュトンに向かって、オリビアは当然のごとく言った。
「えー。だって私はいつだってまともなことしか言わないよー」
「おまっ……それ本気で言っているのか?」
顔を引き攣らせるアシュトン。
「あはは、アシュトンの冗談は本当に面白いね。冗談大会があったらきっと上位を狙える逸材だよ。クラウディアもそう思うでしょう?」
笑いながらクラウディアに声をかけると、ゴホンゴホンと激しく咳き込みながら物凄い勢いで本のページをめくっている。急に風邪でも引いたのだろうか。クラレスに目を向けると、とっても素敵な笑顔で同志オリビアと敬礼された。赤ぶち眼鏡をクイッと上げながら。こちらは全く意味がわからなかった。
その後も黙々と作業は続けられた。アシュトンとクラレスがヴァレッドストーム家に関係のありそうな本を探し出し、オリビアとクラウディアが読み進めていく。時間はあっという間に流れていき、気がつけば館内が茜色に染まっていた。
「ふぅ。今日はここまでのようですね」
「えー。まだ大丈夫だよ」
「残念ですがもう間もなく閉館時間です」
クラウディアが伸びをしながら大きな欠伸をすると同時に、外から鐘楼塔の鐘が鳴り響いてきた。机の上にはまだ手を付けていない【紋章学】【ファーネスト王国の光と影】【闇の一族】などの本が積まれている。
「あと残り一日ですか。同志オリビアの本を読むスピードが尋常でないので、ペース自体は悪くないのですが……やはり五日というのはかなり厳しいですねぇ」
クラレスが読み終えた本を片付けながら言う。どうもクラレスの中で、同志オリビアの呼び方が定着したらしい。理由を訊きたかったが、微妙にジャイルと同じ〝臭い〟を感じるので止めておいた。触らぬ神になんとやらというやつだ。
オリビアたちはクラレスに別れを告げて図書館を後にした。中央広場を抜けて定宿にしている
「確かお魚……ナインハルト准将の副官?」
「はっ! カテリナ・レイナース少尉であります」
「それで何の用かな? お魚ならこの間渡したので全部だけど。ビスケットも今はないんだ」
言ってポケットの裏地を広げて見せると、カテリナは首を横に振った。
「いえ、お魚もビスケットも大丈夫です。申し訳ございませんが急ぎ王城にお越しください。ナインハルト准将がお待ちです」
その言葉を訊いて、オリビアは一瞬思った。魚を食べたせいで、ナインハルトはお腹を壊して怒っているのかと。けれど釣りたての魚を渡したはずだから、その可能性は低いはず。
クラウディアに視線を向けると、わからないとばかりに首を傾げていた。
「ね、どうして待っているのかな?」
「申し訳ありません。ここではちょっと……お話しは直接ナインハルト准将からお聞きください」
カテリナは踵を返すと早足で歩き始めた。オリビアたちはわけもわからないまま、カテリナの後をついて行った。
──ナインハルトの執務室
カテリナの案内で執務室に通されると、ナインハルトは走らせていたペンを止め、顔を上げた。
「すまない。急に呼び出して」
「どう言ったご用件でしょう?」
「結論から言う。天陽の騎士団が動き出した。このままだと中央戦線が崩壊する」
クラウディアは腹の中で唸った。天陽の騎士団といえば、キール要塞を陥落させた軍団である。白銀の全身鎧に身を包み、個人技よりも集団戦法に長けていると聞く。また騎士団を率いるのは、帝国三将筆頭と呼ばれる人物。帝国軍の頂点に君臨する男だという話だ。
「ではすぐに第一軍を動かすべきでは? 第七軍が南部と北部を死守している今なら問題ないはずですが」
「そんなことは言われずともわかっている。だが、事はそう単純なことではない」
眉根を寄せながらつぶやくナインハルト。隣に立つカテリナが心配そうに見つめている。
「ひょっとしてまた陛下が──」
「間違ってもそれ以上は口にするな。クラウディア中尉を不敬罪として拘束したくはない」
クラウディアの発言を押しとどめるナインハルトの顔は、有無を言わせない迫力があった。
「──失礼いたしました。それで、なぜ我々を呼んだのですか? まさかとは思いますが、第七軍を動かそうなどとは考えていませんよね?」
紅の騎士団との戦いに勝利はしたが、第七軍もまた大きな痛手を受けている。今は北部の防衛に手一杯で、中央戦線に向かう余裕などあるはずがない。
「それが不可能なことくらい私も承知しているつもりだ。今、中央地域の警備兵を総動員している。最終的に六千程度は集まるだろう」
「まさか」
ナインハルトは首肯する。
「クラウディア中尉の考えている通りだ。オリビア少佐にはその兵を率いて第二軍の援軍に出向いてもらいたい」
ナインハルトの援軍要請に対し、オリビアは即答する。
「えー。嫌です。まだ調べものが終わってないもん。アシュトンが言ってた王都の知る人ぞ知る美味しいケーキも食べてないし」
「お、おい。今はそんなことを言ってる場合じゃないだろう?」
アシュトンが慌てて宥めるも、オリビアはプクッと頬を膨らませてそっぽを向いた。クラウディアの経験上、こうなったオリビアを説得するのは至難の業だ。
「オリビア少佐には負担ばかりかけて申し訳ないと思っている」
「そう思うのなら別の人間に行かせてください。さっきも言った通り、私はやることがあるんです」
オリビアは拒否の姿勢を崩さない。本来上官命令は絶対だが、今のオリビアにその理屈は通じないだろう。下手に強要すれば軍を辞するとも言いだしかねない。
執務室に不穏な空気が漂い始める中、ナインハルトは机に肘をつくと手を組む。クラウディアもよく知っている何かを考えるときの仕草だ。
「──ではこうしよう。もし私の願いを聞いてくれるのであれば、気のすむまで図書館で調べる許可を出す。もちろんパウル閣下には私の方から伝えておく。どちらにしても明後日には第七軍に戻ることになっていたのだろう?」
上手い、とクラウディアは思った。ナインハルトの言った通り、結果が出ようが出まいが王都に滞在できるのは明日まで。そして、明日中に決着がつくとはどうしても思えない。
それはオリビアもわかっているのだろう。この魅力的な提案を受けて、膨らんだ頬が急速にしぼんでいく。さすがは第一軍の副官といったところだ。
「……ほんと?」
「ナインハルト・ブランシュの名に懸けて誓おう」
「わかった! じゃなくて、かしこまりました! オリビア少佐、第二軍の援軍に向かいます!」
オリビアは今日一番の笑顔で敬礼した。
今年の投稿はこれで最後となります。
お付き合いいただいた方、ありがとうございました。
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