第七十三幕 ~邂逅~
クラウディアとオリビアが王立図書館を訪れた翌日。
王立図書館を目の前にして、ゴクリと喉を鳴らす青年がいた。
「ク、クラウディア中尉。本当に僕にも入館許可が下りたのですか? 後で手違いだったと言われても困るんですけど……」
職員たちがいそいそと扉を開ける中、アシュトンがそわそわとしながら疑惑の言葉を投げかけてきた。
「ナインハルト准将の許可は貰ったと言っただろう。そうでなければ、とっくに外へ放り出されている。大体昨日から何度同じことを言わせれば気が済むのだ?」
「で、でも僕平民ですよ?」
アシュトンがわかっていますかと言いたげな目を向けてくる。その隣でオリビアは早く中に入ろうとばかりに、体をピョンピョンと跳ねさせていた。
「そんなことは言われなくても知っている。紅の騎士団との戦いにおけるアシュトンの武勲がそれだけ大きかったということだ」
オリビア程ではないにしても、軍師としてアシュトンの名声は高まりつつある。平民とはいえ、ナインハルトがあっさりと入館を許可したのはそういった背景もあった。おかげで再び巡ってきた首を絞める機会は失われてしまったが。
「いや、でもそれとこれとはあまり関係がないような……」
ぶつぶつと呟くアシュトン。いつまでも煮え切らない態度に、クラウディアはスッと目を細める。どうやら久々にお説教が必要なようだ。
「関係があるからこそ許可が下りたに決まっているだろう。全く……君のそういうところは美点でもあるが、同時に欠点でもある。もっと自分自身を正当に評価したまえ。聞く者が聞けば嫌味ともとられるぞ」
言ってクラウディアは、アシュトンの尻を盛大に叩いた。パシンッ! と小気味よい音が響き、アシュトンは「あひゃっ!」と情けない声を上げていた。
「あはっ、アシュトン思い切りお尻を叩かれちゃったね。お猿さんみたいにお尻が真っ赤になっちゃうかもよ? それとも二つに割れちゃったかな?」
オリビアが自分の尻をペシペシと叩きながら言う。
「最初から二つに割れてるわッ! ……はぁ。すみませんでした。なんだかお尻を叩かれたら少し落ち着きました。もう大丈夫です」
アシュトンはぺこりと頭を下げると、オリビアに茶化されながら扉に向かって歩を進めていく。
(全く本当に世話が焼ける。もし自分に弟がいたらこんな感じなのだろうか? ……いや、自分の弟だったらもっとしっかりしているはず)
尻をさするアシュトンの後ろ姿を眺めながら、クラウディアもまた扉へと向かっていった。
アシュトンたちが図書館に足を踏み入れると、まだ朝も早いこともあってか、館内は閑散としていた。天井に取り付けられている採光窓から差し込む光で、ホコリがキラキラと反射している。
(うわあぁ……これが王立図書館かー)
視線を本棚に移すと、ざっと見ただけでも希少な本がいくつも並べられている。アシュトンが感動を覚えながら周囲を見渡していると、本の整理を行っている数人の職員たちが目についた。その中でもハタキをかけている女に自然と目が吸い寄せられていく。
(あれ? あの人どこかで……)
アシュトンが記憶を辿っていると、クラウディアが女の元に近づいていく。
「おはよう。すまないが今日もよろしく頼む」
「おはようございます。随分とお早い到着ですねぇ。それで、そちらの方がクラウディアさんが昨日言っていた助っ人──ってあらあら?」
女はアシュトンの姿を見るや否や、クイッと赤ぶち眼鏡を上げながら早足で近づいて来た。
「げっ! クラレスさん……王立図書館の職員になっていたんですか?」
「ええ、お久しぶりですねぇ。二年ぶりくらいかしら?」
そう言いつつ、クラレスは妙に艶っぽい視線で見つめてくる。しかも、全身を舐めまわすかのように。アシュトンは口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込んだ。
「も、もうそんなに経ちましたか」
「それにしても、アシュトン・ゼーネフィルダ―。あなたが軍隊に入るだなんて意外です。てっきり研究者の道に進むものとばかり思っていましたから」
アシュトンの襟章をピンと指で弾くと、クラレスは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「いや、僕も好きで軍隊に入ったわけじゃないんだけど」
言ってから失言だったと気づき、おそるおそるクラウディアを覗き見る。また説教が始まってしまうのかと内心でドキドキしながら。
「──ん? 別に気にしなくてもいいぞ。元はと言えばアシュトンのような人間まで駆り出さねばならなかった我々が不甲斐ないのだから」
クラウディアが苦笑交じりで言う。
「なんかすみません……」
説教が回避できたことに、アシュトンはホッと息をついた。
「それよりもクラレスさんと知り合いなのか?」
「あ、はい。知り合いと言えば知り合いです。同じ学院に通っていましたから」
アシュトンが在籍していた学校は〝獅子王学院〟という。優秀な内政官や研究者などを多く輩出する学院であり、クラレスは二年前に卒業した先輩である。当時から何かとちょっかいを出してきては、アシュトンを困らせていた厄介な相手であった。
「アシュトン・ゼーネフィルダ―。知り合いだなんて随分とつれない言い方をしますねぇ。それこそ昼となく夜となく色々なことをした仲じゃないですかぁ」
意味深な言葉を吐きながら、クラレスはアシュトンの胸にしなだれかかってきた。女性特有の甘い匂いがアシュトンの鼻を刺激する。
「ちょっ! 変な誤解を生むような発言は止めてください。クラレスさんが無理やり論文の手伝いをさせただけじゃないですか!」
慌ててクラレスを引き離しながらオリビアに目を向けると、別段気にする風もなく笑顔で眺めていた。とりあえず安堵するも、それはそれで納得がいかないアシュトンである。
「ふふっ。相変わらずアシュトン・ゼーネフィルダ―はからかいがいがありますねぇ。まぁ、あなたがいれば作業効率は飛躍的に上がるでしょう」
クラレスはクイッと眼鏡を上げると、着いて来いとばかりに前を歩き始めた。