第七十二幕 ~王立図書館~
かつてオドが当たり前に認識されていた太古の時代。
体内に高純度のオドを宿し、どこまでも深い漆黒の双眸を持つことから〝深淵人〟と呼ばれる少数民族が存在した。
当時別の大陸から大船団を率いてやってきた異人。〝龍牙人〟と名乗る者たちとの戦争に明け暮れていた真なる王は、閉塞した状況を打開するため、類まれなる身体能力を持つ深淵人に目を付けた。
『此度の戦争に勝利した暁には、常しえの繁栄を約束する』
真なる王の言葉を信じた深淵人は、それぞれが剣を取り、槍を取り、龍牙人たちを殺し、殺し、そして、殺しつくしていく。
──それから数年後。
深淵人たちの目覚ましい活躍もあって、龍牙人たちは次々と撤退。長きに渡って続いた戦争に終止符が打たれ、大陸にようやく平和が訪れた。何人もの仲間を失った深淵人たちも、これからの輝かしい未来に思いを馳せ、互いに手を取り合って喜んだ。
だが、王は約束を守らなかった。
『深淵人が王城に忍び込み、王を亡き者にしようとした』
王は秘かにひとりの深淵人を王城に招き入れ、隙を見て殺害。王暗殺未遂の犯人にまんまと仕立て上げた。結局のところ強大な力を示し過ぎた深淵人は、いずれ玉座を奪うのではないかとの疑念を王に抱かせてしまったのだ。
こうして大陸を救った英雄たちは、一夜にして逆賊へと貶められる。
さらに王は深淵人と唯一互角に戦った経験がある暗殺集団。〝阿修羅〟を招聘し、大軍勢を率いて深淵人の村を包囲した。それぞれが破格の強さを持つ深淵人とはいえ、所詮は百人に満たない民族。
昼夜問わず続けられる波状攻撃に、ひとり、またひとりと倒れ伏していく。
そして、戦闘開始から七回目の太陽が昇ったとき──
「──昇ったとき、どうなったんで?」
酒場の主人が空いたグラスに酒を注ぎ足しながら、話の続きを催促する。銀髪の男は苦笑した後、なみなみと注がれた酒を一気に煽った。
「おいおい。随分な反応だな。最初は興味なさげに聞いていたくせに」
「細かいことは気にすんな。あんたの話はなんだか妙に真に迫っていると言うか、説得力があるんだよ。それで、結局深淵人たちは全員殺されちまったのか?」
「……ああ、見事に全滅だ」
空いたグラスを弄びながら、銀髪の男がどこか寂しそうに呟く。
「なんだよ。つまんねぇな。そこから誰かが生き残って王に復讐するのが、物語の醍醐味じゃねえか」
「すまんな。ご期待に添えなくて」
銀髪の男は肩を竦めると、懐から取り出した数枚の銅貨をテーブルに放り投げた。
「なんだよ。もう行くのか? 一杯奢るから他にも面白い話があるなら聞かせてくれよ。今のような話は客を呼び込むいいネタになるからな」
「悪い。連れが迎えに来ているんだ」
銀髪の男は入口に視線を移す。すると、いつの間にそこにいたのか。生まれて間もないだろう赤子を抱いた女が、扉に続く壁際に立っていた。
「あなた、そろそろ……」
女が遠慮気味に声をかけると、銀髪の男は頷く。
「ああ、今行く」
そう言って椅子から立ち上がろうとする銀髪の男を慌てて引き留めた。
「おいおい。こんな夜更けに赤子連れでどこ行こうっていうんだよ。悪いこと言わねえから、うちの宿に泊っていきな。珍しい話を聞かせてくれた礼に、安くしといてやるからさ」
背面の壁に吊るしてある鍵を掴んで強引に差し出すが、銀髪の男は軽く手を振って拒否した。
「好意は有り難いが、そうもいかないんだ」
「どうしてだ? ──ひょっとして、何かわけありか?」
「…………」
「いや、詮索して悪かった。街を出るなら精々野盗共に気を付けろよ。最近暖かくなってきたからか、昼夜関係なく旅人を襲っているらしいからな」
「──感謝する」
銀髪の男は僅かに微笑むと、女の肩を優しく抱き寄せながら店を後にした。テーブルにポツンと残されたグラスを片付けていると、先程見た女の顔がふと頭に浮かんだ。
「そう言えばあの女、見たことのねえ漆黒の目をしていた……はは、まさかな」
酒場の主人の呟きは、喧騒の中に沈んでいった。
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──王都フィス 中央区
レティシア城を中心として、貴族の邸宅が数多く立ち並ぶ中央区。王都のシンボルである鐘楼塔からお昼を知らせる鐘が鳴り響き、整然と敷き詰められた石畳の上を多くの貴族たちが行き交っている。その中でも若い男の貴族たちは、王立図書館を見上げている二人の女に気がつくと、ピタリと足を止め見惚れていた。
「なんだか想像していたよりボロっちいね」
大通りをはさんだ向かい側。白石で組まれた王立図書館を眺めながら、オリビアが落胆したように漏らす。
「少佐、そこは趣があると言ってください。この王立図書館はファーネスト王国の歴史そのものですから。それに、これでも過去数度に渡って改修工事が行われています。ちなみに最後に改修が行われたのは光陰歴──」
「もういいよ。ね、早く行こう」
クラウディアがここぞとばかりに知識を披露するが、オリビアにとってはどうでもいいことらしい。グイグイと手を引っ張られ、入口の隣に設けられている詰所に連れて行かれた。
「ね、中に入っていい?」
オリビアは詰襟に輝く騎士の襟章を殊更に見せつけながら、職員に声をかける。
「入館手続きはお済みですか?」
「うん。もう済んでいると思うよ」
「──本当ですか?」
いかにも文官といった感じの男が、眼鏡をクイッと上げながら尋ねてきた。オリビアが若いせいか、どこか軽く見ているような感じを受ける。クラウディアがナインハルトの名を口にすると一転、男は椅子から転げ落ちるように立ち上がった。
「こ、これは大変失礼いたしましたッ! すでにナインハルト准将閣下からお話は伺っております。どうぞ中へとお進みください」
男は部下に扉を開けるよう指示を出しつつ、最敬礼でもって応える。きっと手のひら返しとはこういうことを言うのだろう。クラウディアは若干呆れつつも、ご機嫌なオリビアを伴って扉の奥へと足を進めた。
「わあ! 本がいっぱいだー!」
オリビアは年頃の少女らしい華やいだ笑顔を見せながら、興奮気味に周囲を見渡していく。
外観と違い内装は木の素材をそのまま活かした二階建ての吹き抜け仕様で、開放感に満ち溢れていた。真ん中を走る通路の左右には、等間隔に設置された巨大な本棚が幾重にも並んでいる。
また嫌味のない程度に置かれた絵画や彫像が、品を高める役割を担っていた。通路の突き当りは円形のカウンターが設けられ、数人の職員たちが客の対応に追われているようだった。
「さすがにこれだけの本があると、探すのにも一苦労ですね。まずは職員に話を聞いてみませんか?」
クラウディアの提案に、オリビアは一も二もなく頷く。手すきになったころを見計らい、ひとりの女性職員に声をかけた。
「少々教えてほしいことがあるのだが」
「あら? また随分と美人な方ですねぇ。それで、どういったことでしょう?」
クラレスと名乗った女はクイッと赤ぶち眼鏡を上げる。頬に僅かに残るそばかすと、前髪を綺麗に切り揃えているのが印象的だ。
「実はこの貴族の断絶した理由を知りたいのだ」
そう言いながら家名目録を差し出す。
「ヴァレッドストーム家。ふむふむ。百年以上前に断絶した貴族ですか……うわっ! 髑髏に大鎌。これはまた随分と不気味な紋章ですねぇ……あー確かにこの家名目録には断絶理由が記載されていませんねぇ」
クラレスは眼鏡をクイックイッと上げながら、独り言のように呟いている。その仕草を見ていてクラウディアは思った。図書館に勤める職員は、皆眼鏡を上げることが癖なのだろうかと。
「──それで、どうでしょう?」
「──ん? どうって言われてもねぇ。ただ一つ言えるのは単なる記載漏れでなく、意図的に伏せられたもの。と、いうことですかね」
クラレスは家名目録をパタリと閉じると、事もなげに言う。
「意図的に伏せられた……」
「時の権力者にとって都合の悪い事は隠す。もしくは改竄する。まぁ、よくあることです。ただ、これに関しては断絶理由だけが抹消されているようですから、そこまで重要視されていないと思われますが」
「ね、それを調べるにはどうしたらいいのかな?」
オリビアが横から顔を出すと、クラレスは小さな悲鳴を上げた。
「また恐ろしく美人な方が出てきましたねぇ……そうですねぇ……まずこの紋章がおかしいのですよ。普通は死を連想させるような図柄は使わないはず。だってそうでしょう? とっても縁起が悪いじゃないですか。図柄のせいで家が潰れたら洒落になりませんよ。あ、でもヴァレッドストーム家は潰れたみたいですけど。それでもこの紋章を用いたということに、興味をひしひしと感じますねぇ」
「……ねぇ、クラウディアー」
オリビアはクラウディアの袖を引きながら、珍しく困惑したような表情を浮かべている。きっと話が通じないと思っているのだろう。
「コホン──それで、結局はわかるのか、それともわからないのか?」
「──ん? それは調べてみないと何とも言えませんねぇ。ただ、ここに所蔵されている本は全部で約四万冊ほどあります。ある程度区分けされているとはいえ、素人さんが調べるのは骨が折れますねぇ」
四万冊と聞いて、クラウディアは軽い眩暈を覚えた。
「すまないが私たちが王都に滞在できるのは五日間だけなんだ。なんとかならないだろうか?」
「たったの五日? また随分と無茶を言いますねぇ……でも、まぁいいでしょう。私も興味があるので探すのをお手伝いしますよ」
「それは大変有り難い申し出だが……その、本当にいいのか?」
視線を横にずらすと、何人かの職員が呆れたようにクラレスを見つめている。その視線に気づいているのかいないのか、クラレスはあっけらかんとした口調で言った。
「別に構いません。これも仕事の内ですから。ですが私を入れても三人。せめてもうひとりいれば良いのですがねぇ」
「もうひとりか……」
クラウディアの頭の中には、頼りげないひとりの青年が思い浮かんでいた。