第七十一幕 ~勝利の行方は~
「では、行きます」
どこか艶のある声と共に、アメリアは大きく右足を踏み込んできた。と同時に抜き放たれた剣が、フェリックスの首筋に迫る。この目が覚めるような一閃に対して、フェリックスは大きく後ろに跳躍し、紙一重で攻撃をかわす。
それが余程意外だったのか、アメリアの口から感嘆の吐息が洩れた。
「まさかこの距離でかわしてくるとは思いませんでした。ちなみに今の攻撃は私の全力です。さすがは帝国三将と言ったところでしょうか?」
全力と言う割には、焦りの表情は一切見られない。むしろ、この状況を楽しんでいるふしが垣間見える。こういった敵の場合、何かしら切り札を持っていることをフェリックスは知っている。それゆえの発言であり、余裕だろう。
アメリアは己の動きを確かめるかのように剣を二度三度振ると、今度は心臓目がけて刺突攻撃を放つ。フェリックスはあえて前に踏み込み、半身でこれをかわす。そのまま相手の攻撃が伸びきったところを見計らい、人体急所のひとつ──脇の下に向けて拳を叩きこんだ。
「グッ!」
アメリアの顔が苦痛に歪み、たたらを踏みながら後ろへと退いていく。
「ふふっ……ふふふっ……女の脇に拳を突き入れてくるなんて、顔に似合わず容赦のない方ですね。やはり戦闘はこうでなくてはいけません」
フェリックスは眉根を寄せた。
「そんなに戦うことが楽しいですか?」
「もちろん誰とでも、というわけではありませんよ? やはりそれなりに実力が拮抗している相手でないと──遊びも、戦いも」
そう言いながらアメリアは左手を突きだす。その動作を見たフェリックスは、腰から取り出した棒ナイフを素早く投げつけた。ナイフは手のひらの中心を貫き、アメリアに小さな悲鳴をもたらした。
「……油断しました。もしかして、私が魔法士だと見抜いたのですか?」
愉悦に満ちた表情から一転。
額に汗を滲ませたアメリアが、ナイフを強引に引き抜きながら尋ねてくる。
「私の知り合いにも少々変わり者の魔法士がいますので」
魔法士と呼ばれる者は、必ず左手の甲に魔法陣が刻まれている。話を訊いた限りでは、魔力が流れる経絡の行き着く先。〝経魔穴〟と呼ばれる場所が左手の甲らしい。ゆえに攻撃は必ず左手を起点に始まる。
また魔法を発動させるためには、威力に応じた〝ため〟の時間が必要不可欠だという。それだけ知っていれば発動を未然に防ぐことはそこまで難しくない。
そうフェリックスは結論付けていた。
「なるほど。それで私の攻撃をいち早く察知できたのですか……」
「ええ。それにあなたがどう思っているのかは知りませんが、魔法はそこまで万能ではありません」
「と、言いますと?」
アメリアの眉が僅かに跳ねる。
「確かに魔法は人知を超えた力を発揮しますが、扱うにはそれ相応のリスクもありますから」
「……どうやら色々とご存じなのですね」
アメリアが初めて警戒したような表情を見せてきた。フェリックスの言葉を訊いて、何かしら思うことがあるのだろう。
「それなりには。では、今度はこちらから行かせてもらいます」
地面を強く蹴り上げると、フェリックスは再び左手を突きだしてくるアメリアに一瞬で間合いを詰めた。驚愕の表情を浮かべたアメリアは、咄嗟に横へと跳躍する。フェリックスも後を追うように跳躍しながら、逆袈裟に剣を振り払う。
アメリアは受け身もとることができず、土煙を巻き上げながら盛大に転がっていった。
「ゴホッ! ……な、なんなのですか。今のあり得ない動きは──もしかして、あなたも魔法士なのですか?」
全身土埃まみれになりながら立ち上がってきたアメリアは、開口一番尋ねてくる。その的外れな質問に対し、フェリックスは淡々と答えた。
「魔法など私は使えません。今のは単なる体術です。とは言っても、誰も彼もが使えるという代物でもありませんが」
「今のが単なる体術?」
フェリックスは首肯する。
「本当にただの体術です」
「──まぁ、どちらにしても大きな誤算でした。おそらくこのまま戦ってもあなたには勝てないでしょう。実に口惜しいことですが」
アメリアは肩で大きく息をつくと、ゆっくりと剣を鞘に納めた。やけにあっさりとした態度に、フェリックスは一抹の不安を感じながら言った。
「では、このまま大人しく捕まってください。あなたには聴きたいことが色々とありますから」
今回の発端となった内通者の件も、なんらかの魔法を行使したアメリアの仕業だろうとあたりをつけていた。
「また随分と面白いことを言いますね。なぜ私が捕まらなければならないのですか?」
長いまつ毛でふちどられた瞳をパチパチとさせながら、アメリアは小首を傾げた。そうしていると、まだ大人になりきれていない少女のようにも見える。
「では、大人しく捕まる気はないと?」
「フェリックス大将は冗談がとてもお好きなようですね。この状況を見てそんな口が叩けるのですから」
アメリアの両手は、この状況を見ろとばかりに大きく広げられた。
フェリックスたちの参戦によって士気が回復したものの、今だ紅の騎士団が劣勢であることに変わりはない。このまま戦いを続ければ、さらに戦死者が増えるのは火を見るよりも明らか。
──だからこそ。
「だからこそ、あなたを拘束するのですよ」
「なるほど。〝将堕ちれば兵は木偶と化す〟その考えは正しいです。ですが我々の目的はすでに達成されました。それに、滅多に戦場に姿を見せないあなたの貴重な情報も得ることができました。よってここはすみやかに引かせていただきます」
「そう事が上手く運ぶとでも?」
フェリックスが剣を構えると、アメリアは三度左手を突きだす。
「無駄なこと──」
「今度はあなたが油断したみたいですね」
アメリアの口元が歪み、フェリックスに向けられていた左手が──マシューと共に戦うテレーザに向けられた。
「しまっ──」
テレーザの身体が一瞬ビクンと跳ねると、そばで護衛していたマシューを思い切り蹴り飛ばす。さらに剣を逆手に持ち替えると、自らの首を貫こうとしていた。
「ほらほら。早くいってさしあげないと彼女、自殺してしまいますよ? ──では、いずれまたお目にかかりましょう」
アメリアは背中越しに手をひらひらと振りながら、撤退の指示を飛ばしていく。
「糞ッ!」
フェリックスは《俊足術》を発動し、土煙を上げながら一気にテレーザの元に駆けつける。剣を取り上げようと試みるが、尋常ではない力によって引き剥がすことが困難だった。
「か……閣下……」
つらそうな表情を浮かべるテレーザの髪をフェリックスは優しく撫でる。
「申し訳ありませんが気絶させます。文句は後でゆっくりとお聞きします」
「ふふ……こんなときにまで……私は大丈夫、ですから……」
テレーザは張り付いた笑みを見せると、静かに目を伏せた。
フェリックスは首筋に手刀を当て、崩れ落ちるテレーザを抱きかかえる。
「──アメリア・ストラスト。この借りはいずれ必ず」