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第六十八幕 ~魔法士~

 ──神国メキア 神都エルスフィア ラ・シャイム城 


 神都エルスフィアを一望できる丘に建てられたラ・シャイム城。

 希少な鉱物資源を多く産出する利点を活かし、他国では法外な値段で取引される最硬石、俗に〝黒硬石〟と呼ばれる鉱石を惜しげもなく使い、堅牢な要塞としての側面を持ち合わせていた。


 民衆から不落城とも呼ばれる城の一画。同じく希少鉱石で作られた女神シトレシア像を中心に、外周を様々な花で彩られた美しい庭園が存在する。

 その庭園の中央。

 こじんまりとしたテーブルで、優雅にお茶を飲んでいる人物がいた。



「聖天使様、こちらにいらっしゃったのですか」

「あら? ラーラさん。見つかってしまいましたね」


 まるで悪戯が見つかってしまった子供のように、ソフィティーアはペロッと舌を出す。だが、ラーラにとってはそれで済まされる問題ではない。


「近衛も連れず勝手にフラフラと出歩かないでください。御身の代わりなど他にいないのですよ」


 傍で控えるメイドたちを睨みつけると、小さな悲鳴を上げて震え始めた。


「メイドたちに罪はありません。あまり彼女たちをいじめないでください。それよりも今日は穏やかで気持ちの良いお天気です。ラーラさんも一杯どうですか?」


 ティーカップを傾けながら、ソフィティーアは静かに微笑む。

 優しげな風が薄紫色の髪を揺らしていた。


「お気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」


 ラーラは今だ怯えるメイドに椅子を引かれて腰を下ろした。すかさず給仕が鮮やかな手並みでお茶を注いでいく。ティーカップから立ち昇る湯気と一緒に、爽やかな茶葉の香りが漂ってくる。

 ソフィティーアは追加で茶菓子を出すよう申し付けていた。


「それで、今日はどうしました? お顔を拝見する限り、あまりご機嫌がよろしくないようですが」


 ラーラに向き直ったソフィティーアは茶化すように言う。


「失礼ながら申し上げます。なぜアメリアに今回の作戦をお命じになったのですか? 総司令官が不在とはいえ、仮にも相手は紅の騎士団。彼女ではいささか力不足かと思います」


 アメリアは千人翔に昇格してまだ日も浅い。賢く能力もあるが不測の事態に陥ったとき、柔軟な対応ができない恐れがある。だから自分が行くべきだと主張した。


「──話はわかりました。ですがラーラさん。あなたは少し部下を過小評価しています」


 ソフィティーアは静かにカップを置くと、ラーラをまっすぐ見据えて言った。


「そうなのでしょうか?」

「そうです。ご自身を基準に考えてはいませんか?」


 考えてはいません──とは決して言えなかった。ソフィティーアの言う通り、自分と比べて部下たちの不甲斐なさを嘆いたことは、一度や二度ではないのだから。


 ソフィティーアの話は続く。


「確かにアメリアさんは、ラーラさんのような一騎当千の力はありません。また若さゆえに未熟な部分もあることでしょう」

「でしたらやはり私が──」

「だからといって私は不安など少しも感じておりません。伊達に千人翔の位を彼女に授けたわけではありませんから」


 神国メキアにおける軍の階級は、衛士、十人翔、百人翔、上級百人翔、千人翔、上級千人翔、聖翔の順に上がっていく。士官学校出身の平民は十人翔。貴族は百人翔からと通例で決まっている。

 これが千人翔以降になると大幅に事情が異なってくる。優秀であることはもちろんのこと、絶対条件としてなんらかの魔法を行使できないと位につくことができない。だが、魔法を扱える〝適格者〟は滅多に現れない。

 よって人数が極端に少なく、神国メキアにとって切り札的存在だと言えた。


「……かしこまりました。私も非才ながら聖翔の位を預かる身。これ以上聖天使様の決定に異を唱えようとは思いません」


 ラーラは素早く椅子から立ち上がり、ソフィティーアの前にひざまづいた。


「ラーラさんの御懸念もわかります。ですが今回の目的は紅の戦力を削ることであり、領土を欲したものではありません。そういう意味でも彼女が適格なのです。それに──」


 そこでソフィティーアは言葉を切ると、蠱惑的な笑みを浮かべる。


「それに、なんでしょう?」

「ふふっ。それに彼女の笑顔は、戦場においてこそ(はな)がありますから」



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 ──アストラ砦 城門前


 槍を小脇に抱えた兵士──カイルが、隣で寒そうに足を動かしているロルフに声をかける。


「おい、誰かがこっちにくるぞ」

「あ? こんな夜更けに──ってありゃ女か? なんでこんなところに……」


 二人の視線の先。

 ガサガサと草を掻き分ける音と共に、フード付きの白マントを被った女がフラフラとした足取りで近づいてくる。


「おい、止まれッ!」


 カイルは女に制止を促す。だが、女の足は一向に止まる気配を見せない。


「いいか、これは最後の警告だ。それ以上近づくのなら斬る!」


 ロルフはすかさず前に歩み出ると、剣を抜き放ちながら叫んだ。それでも女の足は止まらなかったが、剣が届くかどうかのギリギリの距離で突然倒れた。二人はお互い顔を見合わせると、倒れた女にゆっくりと近づいていく。


 うつぶせに倒れた女の状態を確認していると、ロルフが身を乗り出すように覗き込んできた。


「死んだのか?」

「いや、息はしている。単純に気を失っただけみたいだ。それよりもこの女のマントをよく見てみろ」


 一見普通のマントだが、よく見れば上質な生地で作られていることがわかる。さらに袖口から肩にかけて、精緻な刺繍が施されていた。


「この銀翼の刺繍……もしかして、聖イルミナス教会の信徒か?」

「おそらくな。しかも、高位の信徒かもしれない」

「どうする?」

「どうするって言われてもなぁ……」


 ただの信徒なら放っておいても構わない。だが、本当に高位の信徒だった場合、教会の影響力も大きい。見て見ぬふりをすれば、後々面倒事に巻き込まれるかもしれない。

 二人が頭を悩ましていると、意識を取り戻したらしい女が立ち上がろうとしていた。その際にフードが脱げ、薄青色の髪があらわになる。


「お、おい。大丈夫か?」


 足に力が入らないのか、再び倒れそうになった女をカイルは慌てて抱きとめた。


「す、すみません。なにやらご迷惑をおかけしたようで」

「いや、別に迷惑は……それよりあんた、一体なんでこんなところに?」

「実は巡礼の途中に野盗に襲われまして、無我夢中で逃げていたら……私の連れはここに逃げてきませんでしたか?」


 そう言いながら、女は慌てたように周囲を見渡していく。


「そいつは災難だったな。残念ながらあんただけだよ」

「そう、ですか……」


 女は力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。襲われたときのことでも思い出したのか、自分の身体を抱くようにして震えだす。


「安心しな。とりあえずここに入れば野盗どもは襲ってこない。砦の中に入れてやることはできないが、これでも飲んで少し落ち着きな」


 そう言って腰に下げている水筒を渡すと、女は礼を言ってコクコクと飲み始めた。


「──どうだ。少しは落ち着いたか?」

「はい、おかげさまで。あの……是非助けていただいたお礼をさせてください」

「いや、だから俺たちは別になにも──」

「これをご覧になってください」


 女はロルフの言葉を遮ると、目の前に手のひらを差し出してきた。思わず言われるがまま見つめていると、スーッと青白い炎が立ち昇り始める。


「な、なんで手のひらから炎が!?」

「あ、あんたまさか魔法士か!?」

「大丈夫。お二人とも落ち着いてください。ただ見つめるだけでいいのです……そうです……ゆっくりと……じっくりと」


 心を溶かすかのような女の言葉が、体の隅々まで染み渡っていくのを感じる。


「あア……そウだな……」

「キれイな……光ダ……」



 女の顔には三日月のような笑みが浮かんでいた。


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