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第六十七幕 ~偽りの饗宴~

三章開始です。

よろしくお願いします。

 ──王都フィス


 薄らと雪化粧が施された王都フィスは、ここ近年にないお祭り騒ぎとなっていた。

 街の中央広場では、笛や太鼓の音に合わせて踊り子が巧みにステップを踏んでいる。薄布地のスカートがヒラヒラとなびくたび、男たちから歓声が沸き上がっていた。古くから王国に伝わる勝利の舞踏だ。

 他にもここぞとばかりに声を張り上げ商売に精を出す者や、鬱屈の溜まった買い物客たちで溢れかえっている。


 それというのも第七軍が南部に続き、北部を奪還したとの報が入ったからに他ならない。だからといって帝国の脅威が去ったわけではなく、中央戦線では今も第二軍が孤軍奮闘の戦いを強いられている。民衆は現実から目を逸らすかのように、この一時的な勝利に酔いしれていた。



「……行くぞ、カテリナ少尉」


 ナインハルトが前を歩き始めると、副官のカテリナは慌てたように続いていく。二人は登城の途中、この騒ぎに遭遇した。


「本当にお祭りみたいですね。なんだか戦争前のことを思い出します」


 今だ中央広場の様子が気になるのか、カテリナは後ろ髪を引かれるようにチラチラと覗き見している。場が盛り上がってきたのか、踊り子と一緒に踊る若い男女たちが現れ始めた。


「なんなら一緒に踊っても構わないぞ?」

「えっ!? そ、それはどういう……」


 カテリナは一瞬呆けたような顔をした後、みるみる頬を染めていく。肩にかかる黒髪を指で()きながら「どうしようかなー」と小声で呟いていた。その様子を不思議に思いながらナインハルトは言った。


「あの娘と踊りたいのだろ? 王都でも有名な踊り子らしいからな。別にそれくらいの時間は作ってやれるぞ」

「あーはいはい。私が悪かったです。ちょっとでも期待した私が馬鹿でした。別に踊りたくありませんので、早く王城に行きましょう」

「本当にいいのか? もし仕事の心配をしているのなら──」

「結構です!」


 カテリナは大声で拒否すると、ナインハルトを追い越してさっさと行ってしまった。近くで話を訊いていたらしい女たちが、なぜか生暖かい視線を送ってくる。


「……露店のほうだったか?」


 ナインハルトはボソリと呟いた後、すっかり見えなくなったカテリナの後を歩き始めた。




 カテリナは勢いよくカーテンを開き、執務室の窓を開ける。すると、心まで凍てつかせるような風が、カテリナの首筋を通り抜けていった。思わず首をすくめながら、開けたばかりの窓をぴしゃりと閉じる。


「うぅ……換気はこれで十分でしょう」


 これは手抜きではないと自分に言い聞かせつつ、体を抱きながら暖炉の前にしゃがみ込み火を入れた。しばらくカメのように縮こまっていると、部屋の温度の上昇と共にようやく体が温まってくる。

 さて次はお茶でも入れようかなと思っていると、ふいに扉が開かれた。


「……遅かったですね」

「君が早いんだ」


 言いながら、ナインハルトはコートをソファにかける。執務机に座ると、早速報告書に目を通し始めた。中央広場でのやりとりは忘却の彼方だと言わんばかりに。カテリナは内心で嘆息しながらコートを本来の場所にかけ直し、自身の執務机に座った。


「あら?」


 思わず声を上げてしまったカテリナに対し、ナインハルトはチラリと視線を送ってくる。


「何か問題か?」


 その質問に答えることなく、カテリナは一枚の書類をスッと差し出した。ナインハルトは訝しげに受け取ると、書類に目を落とす。


「面会希望者? ──クラウディア中尉とオリビア少佐が王都に来ているのか……」

「どうやらそのようですね。一体どんなご用でしょうか?」


 クラウディア・ユングの名はカテリナも知っている。王立士官学校を次席で卒業。ナインハルトの従妹であり、有能な騎士を数多く輩出してきたユング家の次期当主。おまけに容姿端麗という話だ。そして、今や帝国軍から死神と恐れられる若き新鋭、オリビア・ヴァレッドストーム。

 ある意味有名人である二人が面会を求めてきたことは、カテリナにとっても意外であった。


「さあな。ところで今日の──」

「本日閣下のご予定には、猫の子一匹這い出る隙間もございません。むしろ、蟻ですら這い出る隙間もありません」


 ナインハルトの言葉を遮って、カテリナは容赦ない言葉を浴びせた。別に先程の意趣返しをしているわけではない。本当に予定が詰まっているのだ。


「……どうにかできないのか?」


 ナインハルトは間を置くと、いつになく固い口調で言う。こういうときは絶対に折れないことをカテリナは知っていた。長い副官生活から学んだことのひとつである。


「はぁ……わかりました。では本日予定していた王都南区の巡察を明日以降に延期します。それでよろしいですね?」

「ああ、それで構わない。いつもすまないな、カテリナ少尉」


 ナインハルトは僅かに微笑むと、再び報告書に目を通し始めた。


(もう。そんなときだけ優しく笑うんだから。本当にズルい)


 カテリナは憤慨しつつも、どこか心地よさを感じながら関係各所への手配を始めた。




 ──三時間後。


「閣下、そろそろお見えに──」


 カテリナが最後まで言い終えないうちに、軽妙なノック音が聞こえてきた。入室の許可を出すと、木箱を抱えたオリビアが姿を見せる。ナインハルトの脇でカテリナが「えっ!?」と驚きの声を上げた。

 死神と恐れられる少女の容姿が余程意外だったのだろう。続いて姿を見せたクラウディアは、相変わらずのすまし顔だ。


 オリビアは挨拶もそこそこに、抱えていた木箱をドサッと執務机に置いた。


「……これは?」

「私からのお土産です!」


 お土産と言われてナインハルトは訝しむ。立身出世のため、挨拶と称して手土産を持参してくる不逞の輩(ふていのやから)は後を絶たない。下は一介の商人から上は大貴族まで実に様々だ。将官の末席に加わってからは、さらにその頻度が増していた。

 だが、オリビアにそういった野心がないことは、ナインハルトも承知している。それだけに何を持参してきたのか、僅かばかりの興味を覚えた。


「開けても構わないか?」

「もちろんです!」


 ニコニコと微笑むオリビアの視線を感じながら木箱の蓋を開くと、


「魚……?」


 木箱の中身はサラウと呼ばれる鈍色の川魚がギッシリと詰まっていた。目が透き通っているということは、それほど時間も経っていないのだろう。


「私が釣りました!」


 静寂が執務室を支配する。

 カテリナの咳払いで我に返ったナインハルトは、慌てて口を開く。


「釣りが得意なのか?」


 言ってなにをとんちんかんなことを聞いているんだと反省した。聞きたいのはそんなことではない。心を落ち着かせるため、湯気が立ち上るお茶をすする。


「普通です。釣りは独学ですから。ナインハルト准将はお魚が好きですよね?」

「まぁ、嫌いではないな」


 肉か魚。どちらが好みかと問われれば魚と答える。オリビアの持ってきたサラウは脂が乗っている今が旬だ。焼いて食べればきっと美味いだろう。

 だが、


(オリビア少佐に魚が好きだなんて言った覚えはないな……)


 ガリア要塞の司令官室で初めてあったときはもちろんのこと、ランツ少将の件で礼を述べたときも一切そんな話にはならなかった。カスパー砦で何度か顔を合わせたこともあったが、やはり話らしい話をした記憶がない。


(ひょっとすると……クラウディアにでも聞いたのか?)


 今でこそ一定の距離感があるが、子供の頃はよく懐かれた。自分の好みを知っていても不思議ではない。そう思いながら視線を移すと、クラウディアは肩を小刻みに震わしながら俯いている。


「クラウディア中尉」

「──なにか?」


 顔を上げたクラウディアは、いつものすまし顔。


「クラウディアがオリビア少佐に教えたのか?」

「……何を勘違いされているかは知りませんが、ナインハルト兄さんの好みなど私の知るところではありません。そのお土産はあくまでもオリビア少佐の心づくしです。どうぞ美味しく召し上がってください」


 そう言うと、再び肩を震わせ俯くクラウディア。このままだと話が進まないので、土産の件は一旦棚上げすることにした。


「それよりも今日はどうしたんだ。お前が私に面会を求めてくるなんて珍しいじゃないか」

「──いえ、私ではなくオリビア少佐です。ナインハルト兄さんに是非お願いしたいことがあるというのでお連れしました」

「私に願い?」


 改めてオリビアに視線を向けると、双眸をぎらつかせながら猛然と顔を近づけて来る。カテリナが思わずのけぞるくらいには迫力があった。


「図書館に入りたいの! ね、入っていい?」

「──は? 図書館?」


 相変わらず想像の外をいくオリビアの言動に困惑していると、カテリナが「口添えをして欲しいのでは?」と耳打ちしてくる。だが、そんなことはナインハルトも承知している。わからないのはなぜ今、王立図書館に入りたいかだ。

 詳しい事情の説明を求めると、要領の得ないオリビアの代わりにクラウディアが説明を始めた──




「なるほど……事情は理解した。なぜ継承した家名にこだわるのかはあえて訊かないが、王立図書館にはこちらから連絡しておこう」


 カテリナに目配せすると、心得ましたとばかりに部屋を後にした。


「それって入っていいってこと? じゃなくて、よろしいのですか?」

「ああ、入館は許可する。いつか礼を形にして返したいと思っていたからな。それにオリビア少佐の武勲を考えれば、どうということもない」


 本来であれば煩雑な手続きが必要だが、第七軍の勝利がなければそんな悠長なことも言っていられなかった。ましてオリビアは中核となった人物。自らの権力を行使することになんの躊躇もない。


「ありがとう! じゃなくて、ありがとうございます!! クラウディアもありがとう!」


 オリビアは満面の笑みでクラウディアに抱きつく。抱きつかれた本人は困ったような笑みを浮かべながら、首を絞めることは叶わなかったなと呟いていた。


この度日刊入りすることができました。

応援して頂いた方には、この場を借りてお礼を申し上げます。

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