第六十二幕 ~爽やかなる殺意~
──カルナック渓谷西部 紅の騎士団本陣。
「戦況は?」
天幕に設置された椅子にドカリと座ると、開口一番ローゼンマリーが尋ねてきた。
「はっ、現在のところ我が軍が優勢です」
机に布陣図を広げながら、ガイエルは戦況を報告していく。霧のため思わぬ損害も出してはいるが、概ね許容範囲だと言えた。敵の攻撃は弓を主軸に置いたもの。つまり、近接戦闘になれば紅の騎士団が有利だと自ら示しているようなものだ。
ガイエルとしてはこのまま一気に押し切りたいところだが、第七軍は死神を擁している。軽挙な行動は厳に慎まねばならない。
「話はわかった。およそこちらの思惑通りに事は動いているだろう。ところで、死神の居場所はつかめたのか?」
ガイエルは首を横に振った。
「いえ、今のところ発見した部隊はおりません」
「なんだ。まだどぶねずみのようにコソコソと這い回っているのか」
ローゼンマリーは微笑んで言うが、特徴的な紅色の双眸は笑っていなかった。本人はまるで気づいていないようだが、ここ最近死神に対する殺意が滲み出ている。ガイエルが見る限り、負の感情から出ているものではない。まるで心地よい風が吹き抜けるような、爽やかな殺意だ。
そこに得も言われぬ恐怖を感じてしまう。だからこそ、ローゼンマリーが直接的な行動を起こす前に、どんな犠牲を払ってでも死神を屠らねばならない。
そうガイエルが思い定めていると、騒がしい足音と共に伝令兵が姿を現した。
「報告します。河の中流付近でミルズ少佐の遺体を発見しました。また下流付近に大量の死体が流れついているとの情報も届いています。おそらく部隊は壊滅したかと」
ローゼンマリーは僅かに眉を顰める。
「確かガイエルが敵の後背を突くために派遣した部隊だったな」
「その通りです」
ミルズの部隊が壊滅するとは予想外だった。これで今後の作戦に支障をきたすことは間違いない。ガイエルが嘆息していると、今だ膝を突く伝令兵に目が止まる。
「ん? どうした。まだ報告があるのか?」
「──これはあくまでも私の推測です。それを踏まえた上でお聞きください」
そう言いつつも、どこか確信めいた口調で話す伝令兵。ガイエルは妙な胸騒ぎを覚えながら話の続きを促す。
「ミルズ少佐の遺体は両断されていたとの報告を受けております。このようなことが常人にできるとは到底思えません」
「つまり、死神の仕業だとお前は言いたいのか?」
ローゼンマリーの問いに対し、伝令兵は黙って頷く。そこへ、新たな伝令兵が息を弾ませながら駆け込んできた。
「も、申し上げます! リステンベルク少将討ち死にッ! 部隊も壊滅いたしましたッ!」
「馬鹿なッ!」
新たにもたらされた凶報に、居並ぶ将校たちが一斉にざわめき始める。いきなり状況が暗転し始めたことに、ガイエルの中で不安が急速に膨れ上がっていく。
「リステンベルク少将は四千の部隊を率いていたはず! そうそう──」
「敵は死神オリビアの部隊です! 兵数およそ三千ッ!」
「なっ……!?」
ガイエルは絶句する。これが意味するところは明白。会戦四日目にして全体の二割を超える六千の兵士が、死神の部隊によって屠られたということだ。紅の騎士団にとって屈辱以外の何者でもない。
「くくくっ……死神め。どうやら派手に暴れ始めたらしいな。これはあたいが出ていかないと収まりがつかないようだね」
従者から差し出された水筒を一気に煽り、机に叩きつけるローゼンマリー。紅色の双眸は獲物を見つけた獣のように鋭い眼光を放っている。恐れていたことが現実となり始めたことに、ガイエルは内心で焦りながら口を開く。
「閣下! お待ちください!」
「何を待つ必要がある。あたいが出る以外に奴を止める手段があるというのか?」
「良い作戦案があります!」
死神の部隊を一万の兵で取り囲み、波状攻撃でもってすり潰していく。いかに死神の部隊が強かろうが、兵力はたかだか三千。戦いは数こそがものをいう。ただの物量に頼った戦法だが、それだけに単純で防ぎようがないのもまた事実。
そうガイエルが説明すると、ローゼンマリーは鼻で笑う。
「それは作戦とも言えんな。半数以上の兵を死神の部隊に振り向ける? 百歩譲ってその案でいくとしても、第七軍とて案山子ではあるまい。その間にこちらの本陣を突いてくる可能性は否定できないはずだ」
「閣下のおっしゃる通り、その可能性は否定できません。ですが死神の部隊と残りの第七軍を天秤にかければ、間違いなく死神に傾くでしょう。死神さえ屠れば後はどうにでもなります」
決して油断はできないが、第七軍の力は脅威たりえないとガイエルは思っている。各部隊の報告を元に推察したものだが、そう的外れでもないはずだ。たとえ大軍で攻められたとしても、本陣の防備を固めれば十分耐えうることが可能だと判断した。
死神の部隊さえ屠ってしまえば、挟撃することも可能だろう。将校たちもガイエルの意見に賛成だと声を上げる。ローゼンマリーには、何としても翻意してもらわなければならない。
「ダメだ。ガイエルの案は却下する」
だが、あっさりと案は退けられる。ガイエルとしてもここで簡単に引き下がるわけにはいかない。事はローゼンマリーの生命に関わることなのだから。
「なぜですか。理由をお聞かせください」
「理由か……いいだろう。部隊を集結させるにはそれなりの時間がかかる。その間、死神の部隊が大人しくしているとでも? それこそ各個撃破の口実を与えるぞ。第一この渓谷は万単位の軍を動かすには狭すぎる。それでもこの地を戦場に選んだのは、山岳戦に長けた兵士たちの能力を最大限に発揮させるためだ。そのために部隊を分け、有機的な連携が取れるよう陣を構築した。ガイエルがやろうとしていることは、兵士たちの能力を自ら殺すようなものだと知れ」
「ですが、今まさに各個撃破を受けているのも事実です。それに、万の軍勢を十全に活かせる場所がないわけではありません」
「そうだな。では、どうやってその場所に死神の部隊を誘い込む。飴でも与えてみるか?」
茶化すようなローゼンマリーの物言いに、ならばと囮専門の部隊を編成し、誘い込む案を提案する。かつてベールクル会戦で、帝国軍が大敗を喫した戦術の応用だ。大分規模は小さいが根本的な差異はほとんどない。
「悪くない手だ。但し、死神が阿呆ならという条件付きではあるが」
「どういう意味でしょう?」
「忘れたか? 奴は三万の兵を無力化したという実績がある。そんな手にはひっかからないということだ」
「ぐっ……」
「副官ともあろう者がそんな情けない顔をするな。ひっかからないとは言ったが、戦術そのものを否定したわけじゃない」
ローゼンマリーは立ち上がるとガイエルの肩を優しくポンと叩く。
「では──」
「一部ガイエルの案を取り入れる。あたいなりに手を加えてな」
ローゼンマリーの考えが全くわからず、ガイエルは降参の意味で首を横に振った。すると、ローゼンマリーは見たこともない微笑を浮かべながら言う。
「わからないか? あたいを囮にして死神を罠の中に引きずり込むんだよ」
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「あなたも本陣の場所を教えてくれないの? もちろん教えてくれたら命は助けてあげる──あ、一枚だけだったらクッキーをあげてもいいよ?」
「クソがッ!!」
男は剣を大きく振り上げると、オリビアの脳天目がけ振り下ろしてくる。オリビアは軽く右足を引いて半身で回避し、そのまま男の首筋にピタリと刃を当てた。
「もう一度だけ聞くよ。本陣の場所を教えて?」
「…………」
「命も助けるし、クッキーも本当にあげるよ? 食べてもほっぺは落ちないから安心して」
「…………」
「──そう、残念」
そう言うと、そのまま剣を振りぬき首を刎ねた。オリビアの顔に鮮血が降り注ぐ。
「少佐、敵の掃討は完了しました──やはり本陣の場所は吐かなかったようですね」
地面に転がっている首を眺めながら、クラウディアが手ぬぐいを差し出してきた。オリビアは礼を言って受け取ると、わしわしと顔を拭きながら答える。
「うん。最後は黙っちゃった。何でそんなに死に急ぐのかな?」
「彼らにも忠義というものがあるのです。敵ながら称賛すべきでしょう」
「死んだら美味しいご飯や、甘いお菓子も食べられなくなるのに? 私はそんなの絶対に嫌だな」
血のりを払って剣を鞘に納めていると、クラウディアは苦笑した後、口を開く。
「それが忠義というものです」
どこか誇らしげに言うクラウディア。忠義とはそれほど大事なものなのだろうか、オリビアには全くわからない。
まだまだ人間について学ぶことが沢山あるということだろう。それに、どうやらクラウディアも忠義というものを大事にしているようだ。
(けれど、これだけははっきりとわかる。クラウディアが忠義のために死ぬとなったら、私は迷わず忠義を殺す。これは絶対の絶対だ)
オリビアが拳を握りしめていると、耳に馴染んだ声が聞こえてきた。
「オリビア、本陣から招集命令だ」
伝令兵と共に近づいてくるアシュトンを、オリビアはジッと見つめる。
(アシュトンは安心だ。忠義のために死ぬとは言わなそうだから)
「んん? 僕の顔に何かついている?」
慌てたように頬を撫でるアシュトンに、オリビアは微笑みかける。
「ううん。別に何もついていないよ。それより本陣から招集命令でしょう。何か問題でもあったのかな?」
「さあな。とりあえず準備が出来次第、すぐに出発しよう。オリビアは今のうちに休んでおけよ。クラウディア中尉、今後の予定ですが──」
アシュトンはクラウディアに地図を見せながら、連れ立って歩いていく。
(二人を見ていると胸のあたりがぽかぽかしてくる。なんだかとっても不思議)
この温かさが一体なんなのか、今のオリビアには理解できない。ゼットと一緒に暮らしていた時も、こんなことは一度もなかった。二人と共に過ごしていれば、いずれこの温かさの正体もわかるときがくるのだろうか。
そんなことを考えながら、オリビアは二人の間に無理やり飛び込んだ。そして、腕を強引に絡ませると、無邪気な笑顔を浮かべるのであった。