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第五十五幕 ~合流~

 ──ウィンザム城 司令官室


 アルムヘイム平野にて、ボルマー・ガングレット中佐討ち死に。

 伝令により凶報を知らせされたガイエルは、急遽司令官室を訪れていた。


「閣下、至急ご報告したいことが」

「その辛気臭い顔を見れば大方の事情は察するが……一応、話は聞こう。但し、手短にな」


 机の上に積まれている書類を殊更に見せつけながらローゼンマリーは言う。


「はっ、ボルマー中佐は第七軍の部隊と交戦。化け物の手にかかり、無残な最期を遂げたとのことです。尚、死者はおよそ二千五百人。被害は甚大です」

 

 ガイエルは報告書を差し出す。無造作に受け取ったローゼンマリーは、軽く目を通した後、机に放り投げた。


「ボルマーを屠ったか。それにしても、人滅が化け物に滅せられたら世話ないな。ガイエルもそう思わないか?」

「閣下! ……そのような冗談を言っているときではありません。ボルマーが破れるなど容易ならざることです」


 ガイエルが窘めると、ローゼンマリーはクスリと笑う。


「まぁ、そういきり立つな。以前にも話した通り、あたいがまとめてぶっ潰せばいいだけの話だ──で、その男は?」


 ガイエルの隣に控える男──ゾエに視線を向けるローゼンマリー。


「この者は陽炎のゾエ少尉です。化け物から閣下宛に伝言を預かっているとのことで、連れて参りました」

「化け物からの伝言? ──面白い。聞こうじゃないか」


 ゾエはローゼンマリーの前に一歩進み出る。


「はっ、では一言一句、正確にお伝えさせていただきます。『私がぶっ殺しに行くから首をゴシゴシ洗って待っててね』とのことです」

「なっ!?」


 ガイエルは絶句してしまった。ローゼンマリー宛の伝言ということで、内容までは聞かされていなかったからだ。


(だから伝言内容を明かそうとしなかったのか。確かにこんな伝言だとわかっていれば、私が握りつぶしていただろう)


 ゾエを激しく睨みつけるも、素知らぬ素振りをしている。おそるおそるローゼンマリーに目を向けると、体を小刻みに震わせながら口の端を上げていた。


「閣下……?」

「あはははははははっっ!! あたいをぶっ殺す? 首をゴシゴシ洗って待っていろ? いいねぇ。最高じゃないか!」


 激しく机を叩きながらケタケタと笑うローゼンマリー。なんとも異様な光景だ。


「……ローゼンマリー閣下、一言ご忠告申し上げてもよろしいでしょうか?」

「ゾエ少尉。いくら陽炎とてあまりでしゃばるな。閣下に対し無礼だぞ」


 ガイエルがゾエを強く窘めていると、笑いをおさめたローゼンマリーが割って入る。


「構わん。その忠告とやらに興味がある。是非聞かせてもらおうか」

「はっ、あの化け物は手練れの部下四名を一瞬で斬殺しました。今、私がここに立っていられるのは、化け物の気まぐれによる結果に過ぎません。くれぐれもご注意を」


 ゾエの諫言に、ローゼンマリーは僅かに驚いたような顔を覗かせた。


「ほう……陽炎にそこまで言わしめるか──わかった。忠告は有り難く受け取っておこう」


 陽炎は優れた情報収集能力と戦闘技能に目を行きがちだが、経験に裏打ちされた高い分析力こそが肝であるとガイエルは思っている。それゆえローゼンマリーといえど、陽炎の忠告を一蹴することはできなかったのだろう。


「諫言、失礼いたしました。では、私はこれで……」


 ゾエは踵を返すと、司令官室を後にした。扉の閉まる音を聴きながら、ガイエルはローゼンマリーに話しかけた。


「……今後、どう対処していきますか?」

「奴らの動きは?」

「こちらの予想通り、第七軍は城郭都市エムリードを拠点とするようです。本隊も日を経ずして姿を見せるかと」


 ローゼンマリーは一瞬考え込むような素振りを見せると、深く椅子にもたれかかった。


「なら、そのまま監視を続けろ」

監視のみ(・・・・)でよろしいのですか?」


 暗に次の部隊を送り込まなくてもいいのか、という意味合いを込めて聞いてみる。無論ローゼンマリーを暴発させないための、ガイエルなりの打算だ。


「ああ、構わない。紅の騎士団を倒さない限り、北部を奪還できないことはわかっているはずだ。そのうち嫌でも姿を見せるだろうよ」


 そう言うと、ローゼンマリーは目をぎらつかせながら舌なめずりした。



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 ──城郭都市エムリード 指揮所


 独立騎兵連隊がエムリードに到着してから二週間後。

 パウル率いる二万五千の本隊が合流した。伝令兵から事前に紅の騎士団との交戦を聞かされていたパウルは、休む間もなくホスムントを指揮所に呼びつけた。


「──それで、ホスムント少将は独立騎兵連隊の到着を待たず、戦端を開いたと?」

「はっ、あのままでは士気にも影響が出る故……」

「馬鹿者ッ!」


 雷でも落ちたかのようなパウルの怒声が指揮所に響き渡る。

 ホスムントの言い分もわからなくはない。確かに達磨にされた兵を前にして黙っていたら、士気に影響するだろう。だが、少し考えればこちらを誘い出すための罠だと気づいたはず。ホスムントのとった行動は、実に軽挙であったと言わざるを得ない。


 オリビア率いる独立騎兵連隊が間に合わなければ、全滅は必至だっただろう。結果的に勝利を収めたとはいえ、それで鞘を納めるほど軍は甘くない。ホスムントは部隊の半数。千五百人の命を無駄に散らしてしまった。これから始まるであろう大戦を前にして、かなりの痛手である。


 まして敵の主力は、勇猛を馳せる紅の騎士団。北部を奪還するためには、これからも避けて通ることのできない相手だ。決戦のその日まで、あたら兵を損なうことは許されない。数は力。兵の数は、そのまま戦の勝敗を大きく左右するのだから。


「そんなに功績を上げて、昇進がしたかったのか?」

「──ッ!? い、いえあくまでも将官は都市を守るため──」

「もうよい。ホスムント少将には追って処分を下す。それまでは自室で待機を命じる」

「──はっ」


 肩を落としながら部屋を退出するホスムントを一瞥した後、パウルは深く椅子に腰かけながら葉巻をくわえる。


「困ったものだな」


 煙と共にそうパウルが吐き出すと、オットーは苦笑しつつ口を開く。


「ホスムント少将も焦っていたのでしょう」

「昇進か……今はそんな悠長なことを言っているときなのか?」

「閣下のおっしゃることはもっともですが、昇進した我々が口にしてもあまり説得力はないかと」


 なるほど、オットーの言うことも一理ある。だからといって己が欲望を優先したあげく、多くの兵士を死地に追い込んだ男を擁護する気にはならない。都市を守るべく討って出るとした判断。それ自体は正しいと言える。おそらく同じ立場だったら、自分もそう判断するだろう。

 しかし、敵の計略にまんまと乗せられ、後先考えず部隊を動かしたのは愚かというほかない。少なくとも、将官としては失格だ。


「はぁ。やれやれ。本当に困ったものだ」


 パウルがホスムントの処遇について頭を巡らせていると、部屋に近づく足音が聴こえてきた。リズミカルで楽しそうな感じの足音だ。


「どうやら〝問題児〟がきたようです」


 オットーは柱時計を一瞥すると、扉に視線を移す。


「別に問題児ではなかろう。前々から思っていたが、オットーはオリビア少佐に少し厳しくないか?」

「閣下が甘いから私が厳しくしているのです!」


 オットーが額に青筋を立てながら詰め寄ってくる。パウルが辟易していると、扉をノックする音。


「オリビア少佐、時間通りに到着しました!」

「入りたまえ」


 オットーは固い声色で入室許可を出す。扉が勢いよく開け放たれると、懐中時計を握りしめたオリビアが姿を現した。銀糸のような美しい髪に、人形のように整った顔立ち。濃紺を基調とした軍服がオリビアの美しさを一層引き立てている。

 実に一ヶ月ぶりの再会だが、相も変わらず元気そうだ。


「よく来たな」

「パウル大将お久しぶりです! ──あ、オットー副官もお久しぶりです」

「……少佐、なぜ私にはとってつけたような挨拶を?」

「気のせいではないでしょうか!」


 白い歯を見せるオリビアに、冷たい視線を送るオットー。そんな二人の会話を微笑ましく訊きながら、パウルは本題に入る。


「オリビア少佐。まずは今回の働き、誠に見事であった。おかげでホスムントの部隊は全滅を免れた。改めて礼を言う」

「はっ! お褒め頂きありがとうございます!」

「うむうむ。それで、実際紅の騎士団と戦ってみてどうであった? 報告も上がってはいるのだが、オリビア少佐の意見を聞きたくてな」

「戦った感想ですか? ……うーん……」


 オリビアは自分の頬に手を当てると、困ったように口を閉ざす。クラウディアから提出された報告書を読む限り、紅の騎士団の実力は噂通りだと判断できる。今までの敵と同じように考えていると、足元をすくわれる可能性が非常に高い。

 パウルは思考を巡らせながら、オリビアの口が開くのを待つ。


「──確かに練度も高く、個々の能力も秀でているように感じました。総合的な力は敵が勝っていると思います」

「なるほど……オリビア少佐の見立てであれば間違いないだろう。やはり容易ならざる相手ということか……」

「でもパウル大将。安心してください。全然問題ありません」


 そう言うと、オリビアはにぱっと笑う。


「ん? どういうことか聞かせてくれないか?」


 安心しろ、問題ないと言われても根拠が不明だ。パウルが詳しい説明を求めると、オリビアは嬉々として語りだす。

 

「敵の総司令官は私がぶっ殺します。どぶね──陽炎にもちゃんと総司令官に伝えるよう伝言しました。どんな強固な軍でも、総司令官が倒れれば脆くなります」


 自信に満ち溢れたオリビアの言葉に、パウルは破顔した。イリス平原で敵の総司令官を見事討ち取っている確かな実績もある。これ以上頼もしい言葉はない。


 第七軍にとってオリビアは、最早なくてはならない存在となってしまった。今だ少女を利用することに良心の呵責を覚えるが、現状背に腹は代えられないと腹を括っている。せめてこの少女にはできるだけのことをしてやろうとパウルは思っていた。


「ははは、そうかそうか。では今回もあてにさせてもらうとするか」

「その件で少佐に質問があります。よろしいでしょうか?」


 許可を求めるオットーに、パウルは笑顔で頷く。


「少佐、砂漠の街ケフィンで陽炎と遭遇した件は訊いている。北部の帝国軍──仮に北方軍としよう。北方軍の目的が、我々第七軍の撃滅だというのは間違いないのか?」

「はい。陽炎から直接訊いた情報なので間違いないと思います。アシュトンの推測は間違っていなかったということです」


 さすが軍師ですと付け加えるオリビアに、オットーは顔を顰めている。軍議の席でアシュトンの意見を退けたパウルにしても、耳の痛い話だ。正直これほど洞察力に優れているとは思ってもみなかった。さらに評価を上方修正する必要があるだろう。


「しかし、カスパー砦を落としたことがそれほど気に入らなかったということか? 正直、何を考えているのかよくわからんな」

「今の帝国軍にとってカスパー砦の失陥は大した痛手ではないと思います。後、考えられるとしたら」


 そこでオットーは言葉を切ると、息をつき、再び口を開く。


「──私怨、ではないでしょうか? たとえば総司令官の近しい者が、我々の手によって殺されたとか」

「私怨ねぇ……」


 オットーの憶測にパウルは首を捻った。果たして北方軍の総司令官ともあろう者が、私怨で軍隊を動かすだろうか。オットーも言ってはみたものの、あまり納得はしていないのだろう。

 しきりに顎を撫でている。自分の言葉を反芻(はんすう)しているようだ。


「まぁ、こればかりはいくら考えても答えが出ないだろう。はっきりしていることは、北方軍が我々第七軍を標的にしているということだ」


 今回は威力偵察の意味合いが強かったに違いない。紅の騎士団とはいえ、連隊規模の部隊しか現れなかったのが良い証拠だ。すなわち、北方軍はいつ本格的に動き出してもおかしくないということ。


「確かに閣下のおっしゃる通りです。準備は入念に進めていきます」

「頼んだぞ──それと、オリビア少佐」

「はっ!」

「オリビア少佐は今後も第七軍の中核として働いてもらう。先程の言葉、期待しているぞ」

「はっ! お任せください!」


 オリビアは実に見事な敬礼を披露する。その目はいつになくやる気に満ちているように見え、パウルは内心で首を傾げる。


(はて? 今日はどうしたのだ? なにやら気持ちが昂ぶっているような……それに、いつものようにケーキも催促されない)


 オットーに目を向けると、探るような視線をオリビアに向けていた。どうやらオットーも不思議に思ったらしい。理由は不明だが戦意が高いのは好ましいことだ。


「用件は以上だ。下がりたまえ」

「はっ! 失礼します!」


 パウルが退出を促すと、オリビアは何やらブツブツと呟きながら部屋を出ていく。耳を澄ませていると、お魚の人間、図書館と言っているように聞こえた。

 パウルには、なんのことだかさっぱり意味がわからなかった。


お読みいただきありがとうございます

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