第五十四幕 ~追撃戦~
オリビアとの一騎討ちにより、ボルマーは無残な最期を遂げた。現在は撤退する紅の騎士団に対し、追撃戦が繰り広げられている。
そこには独立騎兵連隊と共に、怒りの炎を瞳に宿すホスムント騎兵連隊の姿もあった。
一方、撤退を指揮するのはゴルドー大尉。齢五十五ながら鍛え上げられた肉体は今も健在であり、覇気はいささかも衰えてはいない。
すでに戦死者が四割を超える中、少しでも兵士を逃がすべく声を張り上げていた。
「皆、もう少しの辛抱だ!」
「「「応ッ!!!」」」
ゴルドーの鼓舞に、兵士たちは威勢よく応える。ボルマーやラミアが倒れても尚、彼らは高い戦意を保っている。
ローゼンマリーに対する絶対的な忠誠心。そして、紅の騎士団としての誇りが膝を屈することを許さないのだろう。
だが、逃げ切れるかどうかはまた別の話。正直その可能性はかなり低いと、ゴルドーは思い定めていた。
──理由は火を見るよりも明らか。
「ゴルドー大尉! ブルクハルト少尉の防御陣が突破されましたッ!」
副官が声を張り上げる。背後を振り返ると最後の防御陣を突き破り、黒馬に跨った少女が髪をたなびかせながら姿を現した。
「くそっ! 化物め、もう追いついてきたか」
少女の皮を被った化け物は、歴戦の猛者であり〝人滅〟の異名をもつボルマーの四肢を斬り落としてから殺したという。
まるで〝招待状〟の返信だと言わんばかりに。今なら数千人の兵士を恐怖に陥れたという話も、素直に納得できる。
ゴルドーはすぐさま全隊に指示を飛ばす。
「負傷兵を先に撤退させろ! 方円陣を展開! 長槍兵を前面に立たせ、敵の突貫に対処せよ! 弓兵は後方より支援! 一兵たりとも先に通すなッ!」
「「「応ッ!!!」」」
「少佐、敵は方円陣を展開しつつあります。あくまでも抵抗を続けるつもりのようです」
クラウディアの言葉に、オリビアは頷く。
「さすがに鍛えられているね。私が一足先に突撃して敵を混乱させるよ。クラウディアたちはタイミングを見計らって、一気に攻撃を仕掛けてくれる?」
「はっ! お任せを!」
「全隊、鶴翼陣形に移行! ……オリビア、あんまり無茶するなよ」
気遣わしげな目を向けるアシュトンに、オリビアは軽く手を振り先頭集団から離れていく。黒馬の首筋を撫でると、主の意を汲んだかのごとく加速を始める。
本当にこの馬はお利口さんだ。
「長槍兵! 前に!」
隊長らしき男の号令と共に、敵は槍衾を形成していく。オリビアは背中に背負っているバリスタを取り出すと、男に狙いを定めて矢を放つ。
矢は鋭い風切音を発しながら、男の頭を貫通した。さらに矢継ぎ早に矢を装填しながら、連続で引き金を引いていく。
数人の長槍兵が、糸が切れたように崩れ落ちる。
(この道具は便利だね。弓よりも強力だし、なにより上手く使えば連射ができる。あの時貰っておいて正解だったな)
バリスタを背中に戻すと剣を抜き放ち、崩れた箇所から一気に斬り込んだ。突き立てられる槍を断ち切りながら、返す刃で容赦なく首を刎ね飛ばしていく。
その度に血雨が降り注ぎ、騎士団の鎧はさらに鮮やかな真紅へと上塗りされる。横合いから剣を伸ばしてきた男には、兜ごと頭を叩き斬ってあげた。
熟れた果肉のような脳漿がドロリと流れ落ちる。さらに馬を回転させながら縦横無尽に剣を振り回すオリビアに、兵士たちは顔を歪め徐々に後退を始めていく。
そして、陣形が崩れ始める。
「クラウディア中尉、敵の方円陣が崩れ始めました!」
アシュトンが声を張り上げる。
クラウディアは大きく息を吸う。
「今が好機! 一気に陣を破砕するぞッ!」
「「「応ッ!!!」」」
クラウディアの命令を受け、独立騎兵連隊とホスムント騎兵連隊は突撃を敢行する。内と外からの攻撃に、精強を誇る紅の騎士団も浮足立つ。
ひとり。またひとりと確実に命を散らしていった。
「ゴルドー大尉! こ、これ以上はッ!」
副官が金切声を上げる。陣は早々に崩壊し、着々と敵の包囲陣が敷かれていく。事ここに至っては、陣を再編することなど最早不可能。
前方には少女の皮を被った化け物が迫ってくる。屈強な兵士たちが為す術もなく倒れ伏すさまは、まるで出来の悪い芝居を見せられているようだ。
血を滴らせながら黒い靄を漂わせる黒剣は、この世のものとは到底思えない。
「負傷兵はどの程度脱出した?」
「まだ半数も脱出していません!」
「……引き続き脱出を支援せよ。それと、頃合いを見計らってお前たちも急ぎこの場から離れろ」
「は? ゴルドー大尉は?」
呆ける副官に返事を返すことなく、ゴルドーは馬の腹を蹴り、少女に向かって突撃を開始する。勝てるとは露ほども思っていない。
そもそも、ボルマーを手玉にとった化け物相手に勝てるはずもない。だが、少しでも脱出の時間を稼ぐことはできるはずだ。
(女神シトレシアのご加護を)
女神シトレシアの象徴。銀の翼を模ったペンダントを懐から取り出すと、祈りを捧げながら首にかけた。
「貴様の進撃もそこまでだ! 紅の騎士団! ゴルドーがお相手しよう!」
「私の名前はオリビア。よろしくね」
オリビアは剣を水平に掲げながら迫ってくる。すれ違いざま、心臓目がけ三又槍を突き立てた。
どんな化物であっても、心臓を貫かれて死なないはずはない。
「くそっ!」
だが、最初の攻撃は見事失敗に終わる。あっさりと断ち切られた三又槍を捨て、腰の剣を抜き放つ。
すぐに馬を反転させ、オリビアと対峙する。
「そろそろいいかな?」
「……何がだ?」
いきなり問いかけられた言葉の意味がわからず、ゴルドーは思わず聞き返す。オリビアは小さく首を傾げると、ハッと目を見開いた。
「あはは、ごめんね。また言葉を間違いちゃった。じゃあ、改めて。そろそろ殺すね」
「……そういうことか」
ゴルドーは強く柄を握りしめると、オリビアに向けて馬を走らせる。再び女神シトレシアに祈りを捧げながら。
「死ねえええええええええっっ!!」
渾身の力を込めて放った一撃は軽く受け止められ、剣は空高く弾き飛ばされた。つられて顔を上げるゴルドーの視界を、突如黒い影が覆う。
「──ッ!? 大鎌!?」
突然目の前に現れた巨大な鎌に、ゴルドーは激しく動揺する。目をこすり何度見返してみても、化け物が手にしているのは大鎌にしか見えない。
しかも、黒剣と同じく不気味な黒い靄がたゆっている。
(まるでおとぎ話に出てくる死神がもつ大鎌そのものじゃないか……死神? ……ふふ……ふふふ……そうか、そういうことか!)
ゴルドーはせせら笑う。勝てるわけがない。たかが人の身で神に勝とうなどと、おこがましいにもほどがある。
たとえそれが〝死〟を冠する神であったとしても。
「お前の正体は化け物なのではなく、死神だったのだな」
「え? 死神はゼットだよ」
漆黒の大鎌がゴルドーに向かって振り下ろされる。直後、今まで感じたことのない激しい痛みに襲われ──すぐに消えていった。
両断されたゴルドーの傍らには、砕け散ったペンダントが光り輝いていた。
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