第五十二幕 ~英雄と騎士~ 其の壱
「オ、オリビア少佐……!?」
「この一帯に防御陣を展開。敵を近づけさせないようにして」
「「「応ッ!!!」」」
威勢よく応える兵士たち。オリビアは頷くと、ホスムントに目を向ける。
「危なかったね──じゃなくて、ご無事でなりよりでした!」
目を丸くしているホスムントに向かって敬礼する。敬語を使うのは本当に面倒だと思いながら。
ホスムントは僅かに苦笑した後、肩から溢れ出る血を押さえながら呟く。
「ここは戦場だぞ。呑気に敬礼をしている場合じゃないだろう」
「そうなの? ──じゃなくて、そうなのでありますか? 上官に会ったらまずは敬礼だと教わったのですが?」
飛んできた矢を無造作に手で払いのけながら、オリビアは内心で首を傾げた。オットーに限って間違ったことを教えるとは思えない。
なぜなら、軍紀が服を着て歩いているような人間だから。
「それは……時と場合による。少なくとも戦っている最中に敬礼など必要ない……変わり者の少女だと聞いてはいたが……くっ……」
ホスムントが苦悶の表情を浮かべながら言う。ホスムントとオットー。どちらの言い分が正しいのか非常に気になるところだ。
今度オットーに会ったら詳しく聞いてみようとオリビアは思った。
「とりあえず、ホスムント少将は一旦お下がりください。退路はクラウディアたちが確保しています。この場は私にお任せを」
オリビアは近くにいた二人の兵士を呼び寄せると、ホスムントに肩を貸すよう指示を出す。ここで死なれては、お昼を抜いて駆けつけた意味がなくなってしまう。
「すまない……」
ホスムントは短く詫びると、引きずられるように去っていく。その姿を見送っていると、後ろから馬鹿でかい声が響いてきた。
「──で、話は終わったかい?」
振り返ると蹴り飛ばした大男が、獰猛な笑みを浮かべながら立っていた。首をコキコキと動かし、大きな戦斧を地面に突き立てている。
「うん終わったよ。ごめんね。いきなり蹴り飛ばしちゃって」
たははと笑いながら謝罪するオリビアに対し、大男は軽く手を挙げる。
「なに構わねぇよ。実に素晴らしい不意打ちだった。地面を舐めたのは本当に久しぶりだ。少将の歌を最後まで聴けなかったのは残念だが、今となってはそれもどうでもいい。ようやくお前に会えたからな」
「え? ……私、あなたのことなんか知らないよ」
オリビアが小首を傾げていると、大男はカカと笑う。
「お前は知らなくても、俺はよーく知っている。数千の兵士を恐怖に叩きこんだ少女。帝国軍の間では有名人だ。少しは自覚したほうがいいぞ? ば・け・も・の」
とても楽しそうに話す大男に、オリビアは眉を顰める。どうやら自分の知らぬ間に、化け物として名を馳せたらしい。
本当に迷惑な話だ。これからも化け物と呼ばれるのかと思うとうんざりする。折角ゼットにつけてもらった名前があるのに。
「はぁ。化け物じゃないよ。私の名前はオリビア」
「おっと失礼。化け物だって名前くらいあるわな。ちなみに俺の名はボルマー。ボルマー・ガングレット。以後お見知りおきを」
ボルマーは胸に手を当てると、慇懃に頭を下げてくる。その風貌に似つかわしくない態度に、オリビアは少しだけ驚いた。
ならば自分も、それなりの礼は尽くすべきだろう。
「ボルマー・ガングレットさんね。じゃあ改めて。私はオリビア・ヴァレッドストーム。こちらこそ、短いお付き合いだけどよろしくね」
オリビアは本で学んだ淑女の挨拶。スカートの裾を掴み、軽く持ち上げるような仕草で膝を落とす。
スカートは履いていないけれど。
「あぁあ、滾ってきたぜぇ。どうやらオリビアは珠玉の〝歌〟を聴かせてくれそうだ!」
瞬間、戦斧と漆黒の剣が激しくぶつかり火花を散らす。ボルマーは心底楽しいと言わんばかりに目を輝かせ、口の端を吊り上げている。
繰り出される連撃を弾き返しながら、何がそんなに楽しいのだろうとオリビアは思った。死んだら美味しいご飯もお菓子も食べられなくなるのに。
「いいねえ! やっぱりオリビアは最高だ! 俺の力に抗える奴はそうはいねえ! だが──これならどうだああああああっ!!」
ボルマーは体を半回転させると、戦斧を横なぎに払ってきた。
「わわっ!」
体を突き抜けるような衝撃に足の踏ん張りが利かず、ガード越しに吹き飛ばされてしまう。オリビアは空中で体を回転させながら地面に着地した。
「ふぅ。あれ?」
気がつくと柄を握っている手が僅かに痺れている。どうやら戦斧を叩きつけられた衝撃が残っているらしい。この感覚は久しぶりだ。
「おいおい。今のは全力じゃないにしろ、確実に骨を粉砕しているはずなんだが。やっぱすげえな」
「へぇ……その腕力。〝オド〟の高い人間かぁ。これで会ったのは二人目だよ」
「あん? 〝オド〟? なんだそりゃ?」
首を傾げるボルマーに、オリビアは微笑みかける。これが本に書いてあった神の思し召しというやつだろうか。
「気にしなくてもいいよ。それより、これで楽しいおしゃべりは最後かも知れないから、先にお礼を言っておくね。ボルマーさん、ありがとう。ゼットに美味しいご飯を届けてあげられそうだよ」
そう言うと、オリビアはゆっくりと重心を落とした。
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援軍として紅の騎士団と交戦を開始した独立騎兵連隊。
包囲陣を強引に突破し、瓦解寸前に陥っていたホスムント騎兵連隊を救出することに成功。防御陣を展開しながら、負傷した兵士たちを退路へと導いていく。
クラウディアは最前線にて猛然と剣を振るい、全身を返り血で染め上げていた。
(少佐は無事ホスムント少将の元に行けただろうか?)
三百騎の手勢と共に、オリビアはホスムント救出に向かった。オリビアの図抜けた武力であれば、後れをとることはないはずだ。
だが、仮にも相手は紅の騎士団。油断は禁物である。
「クラウディア中尉! 敵が我らの後方を回り込むように移動しています!」
クラウディアの思考を吹き飛ばすかのごとく、ガウスが大声を上げながら後方を指差す。中隊規模の敵部隊が、防御陣を突破しながらこちらに突き進んでいるのが見える。
味方も必死に応戦しているが、やはり個々の練度は敵に一日の長があるようだ。このまま進撃を許せば、挟撃される可能性が高い。
数ではこちらが勝っているにも関わらず、この働き。さすがは紅の騎士団といったところだろう。
「ガウス! 第二中隊を率いて奴らの足を止めろッ!」
「お任せください! 野郎ども、俺に続けッ! 敵の進撃を阻止する!」
「「「応ッ!!!」」」
ガウスの号令と共に、五百人の騎兵が怒涛のごとく移動を始める。クラウディアも敵主力に向かって前進を始めた。
だが、すぐにその行動は敵に阻まれ、瞬く間に乱戦状態となる。
兜ごと頭を叩き潰され、眼球が飛び出した男。馬に跳ね飛ばされたのか、ありえない形に首が曲がった女。
様々な死体が量産されていく中、馬に乗った指揮官らしき男が話しかけてきた。
「ひとつ教えてくれ。お前たち援軍部隊の指揮官は少女か?」
「だったら何だと言うのだ?」
クラウディアと男の剣が交錯する。
「その反応。どうやら間違いないようだな。後で中佐にどやされないで済みそうだ」
お互いに馬を止め、剣の押し合いが続く。力が拮抗し、このままでは埒が明かないと感じたクラウディアは、男の馬を思い切り蹴り飛ばす。
そして、男も同じ行動をとっていた。結果、お互いの馬は大きく嘶き、クラウディアと男は地面に振り落とされた。
「ちっ!」
素早く体制を立て直すクラウディアに、男が足下目がけ剣を一閃する。咄嗟に跳躍してこれをかわすと、そのまま顔面に向けて蹴りを放った。
男は苦悶の表情を浮かべながら、たたらを踏む。
「……くくくっ、やるねぇ」
鼻から流れ出る血を袖で拭うと、男は獰猛に笑った。
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