第五十一幕 ~援軍~
──陽炎との騒動から一夜明けて。
オリビアたちは砂漠の街ケフィンを出発した。陽炎から情報を得たことで、これ以上街に留まる必要がなくなったからだ。
警備隊長は肩を落としていたが、帝国軍が攻め入る可能性が低いことを伝えると一転、満面の笑みで送り出してくれた。実にわかりやすい対応である。
──それから二日後。
独立騎兵連隊はとくに問題もなく、城郭都市エムリードまで僅かな距離に迫っていた。索敵を止めたことにより、行軍速度が上がった結果である。
オリビアは馬から伝わる心地よい振動に、時折首を上下させていた。
「少佐、走る馬の上で器用に寝ないでください。危ないですよ」
クラウディアが気遣わしげに注意してくる。オリビアは両手を組み大きく腕を伸ばすと、大あくびをしながら空を見上げた。
「うーん。こんなにいいお天気だからね。眠たくもなるよ。今草原に寝転がったら気持ちいいんだろうなぁ──ね、ちょっとだけ休んでいいかな?」
「つい二時間前もそう言って休んだではないですか。もうすぐエムリードに到着します。少しは我慢してください」
クラウディアは呆れたように言う。隣を並走するアシュトンは苦笑いを浮かべてた。どうやら草原で微睡もう作戦は失敗に終わったらしい。
「クラウディアの意地悪! ──ねぇアシュトン、エムリードには美味しい食べ物があるかな?」
「何でそれを僕に訊くかなぁ……まぁ、城郭都市だからそれなりにはあると思うけど」
「少佐、私は意地悪で言っているのではありません! 大体ですね──」
クラウディアが声を荒げる。オリビアは人差し指を口元に当て静かにするよう促すと、前方を見据えた。
何かが近づいてくる気配を感じたからだ。
「何事ですか?」
緊張した声でクラウディが問いかけてくる。アシュトンは素早く腰に手を伸ばすと、遠眼鏡を前方に向けた。
「──単騎で何者かがこちらに近づいてきます」
「全体、止まれッ!」
アシュトンの言葉に、クラウディアは直ちに停止の命令を出す。全員の視線が前方に集中する中、高らかな蹄の音を響かせながら鎧を着た男が姿を現した。
「あれは……王国軍の兵士じゃないか」
「そうみたいだね」
「慌てているようですね。何かあったのでしょうか?」
男はオリビアたちに気づくと、安堵した表情を浮かべ──すぐに顔を引き締めながら近づいてきた。
「緊急事態につき、馬上より失礼いたします。独立騎兵連隊、連隊長。オリビア少佐で間違いございませんか?」
「うん、そうだよ。あなたは?」
「はっ、私はホスムント少将旗下、ライズ一等兵であります。現在我が部隊はアムルヘイム平野にて紅の騎士団と交戦。劣勢を強いられております。何卒……援軍を……」
そこまで言うと、ライズは糸が切れたように馬から転げ落ちた。アシュトンが素早く馬から降りて抱き上げる。
「……どうやら気を失っただけのようです」
その言葉に、クラウディアはホッと息を吐く。
「よかった……しかし、第一陣が交戦状態に入っているとは。しかも、相手は紅の騎士団。強敵です」
「なら、さっさと助けに行かないとみんな死んじゃうんじゃない?」
オリビアが軽い口調で言うと、クラウディアが真剣な表情で頷く。
「少佐の言う通りです。友軍を見捨てるわけにはいきません」
「じゃあ、さっさと行こうか」
「ちょっと待ってくれ」
クラウディアが進発の合図を出そうとしたとき、背後から慌てたように引き留める声。振り返ると、普段見せる少し気の抜けた顔とは全くの別物。
真剣な表情を浮かべているアシュトンに、オリビアは身構える。
「ど、どうしたのかな?」
「クラウディア中尉の言う通り、紅の騎士団は強敵だ。元別働隊の兵士は別にしても、新兵には荷が重すぎる。何か策を、生き残るための策を考えないと」
アシュトンの真っ直ぐな瞳を見て、オリビアは真面目に考える。二人の話から紅の騎士団が強敵だということはわかった。
何人かの新兵に目を向けると、顔を青くしながら微かに震えている。確かに対抗策を練らないと、新兵は簡単に死んでしまいそうだ。
「アシュトンは何か策はあるの?」
「ごめん……自分で言っておいてなんだけど、すぐには思いつきそうにない」
アシュトンはバツが悪そうに俯く。クラウディアに目を向けると、黙って首を横に振られた。どうやら二人とも、これといった策はないらしい。
(これは困ったなぁ。私ひとりならどうにでもできるんだけど……ん? ひとり……ひとり? ──そうか! ひとりか!)
オリビアは何度も頷く。アシュトンとクラウディアはお互い顔を見合わせると、どちらともなく声をかけてきた。
「何か策が浮かんだのか?」
「少佐、教えてください」
二人同時に迫られて、思わずオリビアはのけ反ってしまう。
「え、ええとね。紅の騎士団ひとりに対して、新兵たちは複数──三人一組くらいが理想かな? それで戦ってもらおう。お互いの死角を庇うように戦えば、生存の確率はグッと上がると思う」
「なるほど……それなら新兵でも戦いようはあるな」
アシュトンが感心したように頷く横で、クラウディアは顔を僅かに顰めている。
「あれ? クラウディアは不満かな? いい考えだと思ったんだけど」
「い、いえ。不満と言うか……いくら紅の騎士団だからといって、複数でひとりを叩くというのはどうも……名誉を重んじる騎士としては……ああああ!」
「これは戦争だし、新兵は騎士じゃないよ?」
「それはもちろんわかっているのですが……あああああああ!」
クラウディアは頭を抱えながらぶつぶつと呻いている。その姿にオリビアは知らず距離を取ってしまう。
なんだか声をかけるのは怖いから、そっと見守ることにした。
程なくして。
「──その案で行きましょう」
肩で息をしながら絞り出すように賛成の意を示すクラウディア。どうやら自分との戦いは無事終わったようだ。
たまにクラウディアは面白い。
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ホスムントは自分の軽率な行動を悔いていた。都市の住民を戦火に巻き込みたくないという思いは本当だが、それ以上に自身の栄達に目が眩んだのも事実。
その結果が今の状況を招いていると言っても過言ではない。
(ふふ……これが欲をかいた罰とでもいうのか)
視線の先、巨躯の男が巨大な戦斧を軽々と振り回している。立ち向かった部下たちは、まるでごみ屑のように薙ぎ払われていた。
四方八方に血飛沫と肉片が飛び散っていく光景に、こうも人間の体は脆いものかと、ホスムントは場違いな感想を抱いてしまう。セリムの言う通り、独立騎兵連隊を待つことが正しい判断だった。
そのセリムもすでにいない。一足先に冥府へと旅立っていった。
(だが……だが、あのような非道を黙って見過ごすことなどできなかった!)
達磨にされた上、串刺しとなって晒された斥候兵の姿に、ホスムントの視界は真っ赤に染まった。気がつくと、アムルヘイム平野に向けて進撃を開始していた。
──それが罠とも知らずに。
敵中深く突っ込んだホスムントたちは、周囲に伏せていた紅の騎士団にあっという間に包囲された。すぐに防御陣形を構築するよう指示を出すが、混乱しているため指示が迅速に伝わらない。
結果、為す術もなく蹂躙される部下たち。いったん退こうにも、すでに退路も絶たれてしまった。
「おいおい。お前たち本当に南部方面軍を打ち破った第七軍か? いくら何でも弱すぎるだろ。化け物の少女とやらも、いねえみたいだし」
男は戦斧を肩に乗せながらつまらなそうに言う。化け物の少女と訊いて、おそらくこの男の目当てがオリビアであることをホスムントは悟った。
「残念だったな。お目当ての少女はここにはいない。代わりに少将の俺が遊んでやる」
「そうなのか? ちっ! ラミアの奴、何が間違いないだよ。完全な誤報じゃないか──いや、第七軍であることは間違いないから、完全な誤報でもないのか。まあいい。少将相手なら手柄になるだろう。精々いい〝歌〟を聞かせてくれよ」
男は目をぎらつかせながら戦斧を振り下ろす。咄嗟に剣でガードするも、恐ろしいまでの膂力に抗しきれない。
ホスムントは体を僅かに捻り力を受け流そうと試みるが、男はホスムントの動きに合わせるように体勢を変えてくる。逆にこちらの剣が逸らされ、戦斧がホスムントの肩をえぐり始めた。
「グゥゥゥゥゥゥゥ!」
「そうだ! 歌え! 少将に敬意を称して、わざわざゆっくりやっているんだ。最高の歌を聞かせてくれ!」
男は獰猛に笑うと、さらに戦斧を深く食い込ませてくる。肩から大量に血が溢れ出し、次第に目が霞み始めていく。
まるで地面に吸い取られていくように力が抜け、片膝がガクリと落ちた。
(どうやらここまでか……)
ホスムントが自身の死を受け入れた瞬間、男の巨体がいきなり後方に吹き飛んでいった。一瞬の出来事に痛みも忘れて唖然としていると、背後から鈴の音のような声が響いてくる。
「どうやら間一髪って感じだね」
どこか聞き覚えのある声に、ゆっくりと振り返るホスムント。そこには無邪気な笑顔を浮かべている少女──オリビアが立っていた。
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