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第五十幕 ~美しき招待状~

 ──城郭都市エムリード、指揮所。


 独立騎兵連隊に先駆けてエムリードに到着していたホスムントは、将校たちを集め討議を行っていた。エムリードの北。アムルヘイム平野に、帝国軍の姿を確認したためである。


「閣下、ここは守備に徹して独立騎兵連隊の到着を待ったほうが良いかと」

「私も少佐の意見に賛成です」

「賛成」


 ホスムントの副官──セリム少佐が慎重論を唱える。それに同調するように、ほかの将校たちも口々に同様の意見を述べていく。


「……お前たちはエムリードの街を戦火に晒すというのか?」


 ホスムントが三人を見渡しながら尋ねると、代表するようにセリムが反論する。


「それは違います。お言葉ですがエムリードには強固な城壁があります。都市にまで被害が及ぶことはないかと」


 城郭都市エムリードは、その名のごとく堅牢な城壁によって守られている。外周部は堀が穿たれ、跳ね橋が下ろされない限り城門に近づくこともできない。

 セリムの言う通り、守備に徹した戦いをすれば有利に事を進められるだろう。だからといって、確実に敵を追い払うことができるかといえば、首を横に振らざるを得ない。


「セリム、その考えは楽観的過ぎる。まだ確認されていないようだが、敵は攻城兵器を用意しているかもしれない」

「ですが、用意していないとも言えるのではないですか?」


 戦の経験が浅い将校の疑問に、ホスムントは諭すように話す。


「無論、その通りだ。だが、戦とは常に最悪の状況を想定して動かねばならない。万が一城門を破られたら、全てが終わりだぞ。都市を背に戦うのは最後の手段とするべきだ」


 要塞や砦とは訳が違う。城門が破られたら、居住区画に帝国軍が雪崩れ込んでくるのは必定。男は無残に殺され、女はいいようになぶられる。

 怒号、悲鳴、怨嗟の渦が都市を覆い、地獄のような光景が広がるだろう。その時になって後悔しても遅いのだ。


「で、ですが、閣下も報告をお聞きになったでしょう。敵は全て真紅の全身鎧フルプレートを身につけています。それがどういう意味を持つのかを」


 真紅の全身鎧──すなわち〝紅〟の騎士団ということに他ならない。第三、第四軍が壊滅した主な原因が、紅の騎士団によって引き起こされたのは周知の事実である。

 比類なき武力を誇る軍団。蒼の騎士団ほどではないにしても、その名はデュベディリカ大陸中を席巻していた。

 セリムを始め将校たちが慎重論──もとい怯える理由だ。ホスムントとしても、十分脅威であることは理解している。



 ──それゆえに、紅の騎士団を覆滅せしめれば武勲は巨大だ。


(危険な相手だからこそ、得られるものも大きい。古来より安全な戦などないのだから)


 ホスムントの目に浮かぶのは、金星が三つ並んだ中将の階級章。


「──お前たちの考えはわかった。だが、やはり都市を背に戦うのは最後の手段だ。我々は討って出る。報告によると敵は三千。奇しくも我らと同数だ」

「閣下! 同数だからこそ危険なのです! どうかご再考を!」


 唾をまき散らしながらセリムは強硬に反対する。


「セリム。それにお前たちも聞け。これは命令だ」


 ホスムントの言葉を訊いて、セリムは一旦開きかけた口を閉じ、不承不承頷く。それに続くように、将校たちも首を縦に振る。

 彼らもまだまだ言いたいことはあるだろう。だが、一度命令が下った以上、反論は許されない。軍隊とはそういうものだ。


「ところで、敵の動きはどうなっている?」

「──斥候の報告によりますと、現在もアムルヘイム平野に留まっているようです。理由は不明。動き出すような気配も感じられないとのことです」


 将校のひとりが報告書に目を通しながら答える。


「そうか。妙だな……よし、出撃の準備を整えつつ、少し様子を見ることにしよう。斥候には逐一情報を送らせよ──では解散」


 セリムを始め将校たちが安堵の表情を浮かべる中、ホスムントは指揮所を後にした。



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 ──アムルヘイム平野。


「奴らちっとも動きそうにありませんぜ」


 副官ラミア大尉は、遠眼鏡越しに話しかける。その相手、巨大な戦斧を背負い酒樽に座っている巨躯の男。

 ローゼンマリーから化け物退治の命を受けたボルマー中佐は、鼻を鳴らす。


 ぼさぼさに伸びきった髪の毛に無精ひげ。鎧の上からでも容易に想像できる鉄の塊のような筋肉は、戦場で鍛え抜かれた結果である。

 野生の獣を連想させる風貌は、同時に歴戦の猛者である風格も身に纏っていた。


「実につまらんな。奴らは本気で北部を奪還する気があるのか? ──おい、誰かエムリードの城門を叩いて噂の化け物とやらを引っ張ってこい! 見事連れて来た奴には、褒美として金貨五枚をくれてやるぞ」


 金貨五枚と聞いて、一部の兵士が色めき立つ。単純に、二年は遊んで暮らせるだけの大金だ。


「中佐ー。どうやって化け物を引っ張ってくるんすか。首輪なんてありゃしませんぜ。あんまり無茶言って、兵を煽らんでください」


 ラミアが呆れたように手を広げると、周りの兵士たちが一斉に笑い出す。数千人の兵士を震え上がらせたというひとりの少女。

 ボルマーとしては、一刻も早く自慢の戦斧を叩きつけてやりたいと思っていた。理由は至って簡単。化け物がどんな声で歌うのか、聞いてみたいからだ。


「まぁ、とりあえず冗談は置いとくとして。第七軍があの城郭都市に入ったのは間違いないんだな?」


 念のため尋ねると、ラミアは神妙に頷く。


「ええ、それは間違いないかと。第七軍の軍旗を掲げた部隊が入るのを目撃したものがちらほらいます。なにより、陽炎の情報と一致しますから」

「ならいい。ここまできて手土産のひとつもないと、紅の騎士団──ひいてはローゼンマリー閣下に泥を塗っちまうからな」

「その心配はないでしょう。中佐の腕力は化け物じみていますから、噂の化け物も裸足で逃げ出すんじゃないすか? 《人滅》の異名は伊達じゃないでしょう」


 ラミアの茶化すような言葉に、ボルマーは深い溜息を吐いた。


「その名を口にするな──ったく。誰がこんな下らんことを言い始めたんだ? おかげで、人を殺すのが大好きみたいな噂も流れていやがるし」


 ラミア曰く。

 ボルマーと戦った相手は、ほとんどの死体が原型を保っていないことからその異名がついたらしい。もちろん、好きでやっているわけではない。

 生来からの異様な膂力による結果だ。ボルマーとしては、ただただ迷惑な話である。


「え!? 事実大好きでしょう? 頭でも打ちました?」


 目をぱちぱちとさせながら、不思議そうに尋ねるラミア。近くの兵士に目を向けると、なぜか視線を逸らされる。何やら色々と誤解があるようだ。


「ラミア、それは断じて違うぞ。俺は戦斧で叩き潰すときに相手が奏でる〝歌〟が好きなだけだ。その結果として相手が死ぬのは、俺の知ったことじゃない」

「中佐、それは人を殺すのが好きってことですよ」


 ラミアは呆れたように言う。その言葉を訊いて、ボルマーは嘆息する。自分の周りにいる人間は、芸術の素晴らしさを理解しない者ばかりだ。


「ラミア。少しは芸術に関心を持ったほうがいいぞ。俺のように心が豊かになる」

「そんなジャイアントグリズリーみたいな体で何を言っているんすか。それよりもどうします? 相手が動かないのであれば、攻城兵器を使って一気にけりをつけますか?」


 ラミアの言葉に、ボルマーは雑木林に目を向けた。木々の間から車輪の一部が僅かに覗いている。

 帝国軍技術開発部によって、小型化に成功した試作型カタパルトである。威力は従来の二倍。木製で作られた門であれば、一撃で粉砕可能らしい。


「それは最後の手段だ。あの都市は後々拠点とするらしい。なるべくなら無傷で手に入れたい」

「ではどうします? このまま無為に過ごしていても仕方がないと思いますが?」


 ボルマーは顎に手を添えて、考えを巡らす。ラミアの言う通り、このままでは埒が明かない。何か行動を起こすべきだろう。


「そうだな……では招待状・・・でも送ってやるか」


 招待状と聞いて、ラミアの顔がパッと明るくなる。


「ああ、それはいいアイデアかと。中佐の招待状・・・なら、喜んで奴らはやってきますよ──では、手ごろな木を伐採しておきましょう。ついでに材料・・も調達してきます」


 ラミアは数人の兵士に声をかけると、鼻歌交じりにボルマーの元を離れていった。



 ──翌朝。


 朝焼けの光が大地を優しく照らし始めると共に、等間隔に並べられた五本の柱が徐々に浮かび上がってくる。四肢を綺麗に切断された上、串刺しにされた五人の斥候兵が、城郭都市エムリードの眼前に晒されていた。

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