第四十七幕 ~闇夜の攻防~
──砂漠の街ケフィン。
独立騎兵連隊の動向がローゼンマリーに伝わった頃。
オリビアたちは砂漠の街ケフィンに滞在していた。食料や水の補給。そして、情報収集を行うためである。
「中央地域に入って二日目ですが、帝国軍が動きを見せる様子はありませんね」
クラウディアは皿の上の肉を丁寧にナイフで切り分けながら話しかける。その相手──オリビアはというと、これでもかとばかりに肉を口に詰め込みながら、
「ふぉうだね。あいふぁらずふぉむねふみはひょろひょろひてひるへど」
と、何を言っているのかわからない言葉を返していた。クラウディアはナイフとフォークを静かに置くと、深い溜息を吐く。
「少佐、いつもちゃんと飲み込んでから話をしてくださいと言ってますよね?」
言いながら、冷ややかな視線をオリビアに向けるクラウディア。オリビアは何度も頷きながら肉を必死に咀嚼していく。その姿を横目で見ながら、アシュトンは黙々と自分の食事を続けていた。
何度注意されても、オリビアは懲りないなと呆れながら。
「それにしても、夕食時だというのに随分と人が少ないですね。砂漠の街ケフィンといえば、それなりに栄えていたはずですが」
今利用している食堂は、ケフィンの街でも美味い食事を食べさせることで有名らしい。にもかかわらず、見渡すとかなり空席が目立つ。
砂漠の街ケフィンの歴史は古く、交易の街として人の往来が盛んだ。また、街を中心として南北に延びる街道は、《星屑街道》と名付けられている。
その名はこの地域でしか採取することのできない特産品。宝石と同等の価値を有する《星の欠片》と呼ばれる七色に光る砂粒に由来している。
この砂粒を目当てに多くの商人が買い付けにやってくることは有名な話だ。それだけに思っていたよりも人が少ないと、アシュトンは内心で首をひねっていた。
「ここは北部からそんなに離れていない街だからな。商人たちはいつやってくるかもしれない帝国軍に怯え、早々と逃げ出したのだろう」
「あぁ、そういうことですか」
あっさりとアシュトンの疑問を解決してくれたクラウディアは、優雅な所作で細かく切られた肉を口に運んでいく。対してオリビアは、口の周りがにぎやかだ。
そんな対照的な二人の様子を眺めながら、住人たちがどこかホッとしたような表情を浮かべていたことをアシュトンは思い出す。
(だからあの警備隊長さんは、僕たちにやたら親切なのか……)
街を警備する小隊長がやけに細やかな世話を焼いてくれるのも、それが原因かと今さらながらに納得した。そもそも、この食堂を勧めてくれたのも彼なのだから。
しかも、滞在費用は全て向こうもちという気前の良さ。
今となっては、明らかに長く滞在して欲しいという思いが透けて見える。だが、それも無理からぬ話だとアシュトンは思った。
ケフィンの街を守る兵士は僅かに二百人程。帝国軍に攻め込まれたら、ひとたまりもない。
そこに現れたのが三千の騎兵連隊。街をひとつ守るには十分すぎる戦力だ。彼らが期待を寄せるのは当然だろう。
だからと言って、いつまでも滞在するわけにもいかない。補給と索敵を終え次第、エムリードに向けて出発しなければならないのだから。
食事を終えた三人は店を後にした。去り際にまたいつでもお越しくださいと、にこやかな笑顔で送り出す従業員。
アシュトンは愛想笑いで返すと、警備隊長が手配した宿に向かって歩き出す。
(そう言えば、宿もやたら豪華だったよなぁ。あれはどう見ても、裕福な商人向けだと思うけど)
赤煉瓦で組まれた四階建ての宿を思い浮かべていると、隣を歩いていたオリビアがいつの間にか消えていることに気づいた。
「あれ? オリビアはどこに行きました?」
「ん? ──はぁ。全くいつの間にいなくなったのだ……」
家名の一件で脱走癖が染みついてしまったのだろうか。そんなことを呟きながら、クラウディアは周囲に目を向ける。
アシュトンも周りを見渡してみたが、オリビアの影も形もない。月明かりも乏しい暗闇の中、探すとなると一苦労だ。
「──まぁ、お腹が空いたら戻ってきますよ」
「──まぁ、お腹が空いたら戻ってくるだろう」
同時に同じ内容を口にするアシュトンとクラウディア。お互い顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれた。
その頃。
街外れの一角で、オリビアは仮面をつけた男と対峙していた。
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「俺の存在に気づくとは……やはり貴様、あの時も気づいていたな」
ゾエが問いかけると、少女は呆れたような溜息を吐く。
「近くをチョロチョロ動かれて、気づくも気づかないもないと思うんだけど?」
「……貴様に近づいた記憶はないんだがな」
カナリアの街の一件から、用心のため常に遠眼鏡が届くギリギリの距離から監視を行っていた。ゼリーは否定していたが、ゾエは不用意に近づくことを良しとしなかった。にも関わらず、少女は食堂を出た途端、こちらの視線に気づいたのだ。
「ふーん。ま、どうでもいいけど。それよりも、その黒い装束に黒い仮面。私、ガリア要塞で見た覚えがあるよ。同じどぶねずみでしょう?」
「ほう。陽炎をどぶねずみ呼ばわりか。それで、同じだったら何だと言うのだ?」
少女と言葉を交わしながら、ゼノンが確実に死んでいることをゾエは悟った。ゼノンが姿を見られた相手を放置するはずがない。
その相手が目の前にいる以上、それは否定することのできない事実だ。
「別に。いい加減目障りだから潰そうと思ってね。どうやら数も増えているみたいだし。ほんと、どぶねずみっていつのまにか増えるよね」
そう言うと、少女は剣を抜きながら周囲の木々──生い茂る葉を見渡していく。すると、風が吹いてもいないのに、微かに葉鳴りの音がした。
「……殺れッ!!」
ゾエの怒号と同時に、四人の陽炎が木の上から一斉に襲いかかる。頭上からの強襲に対し、少女は膝を大きく曲げ跳躍した。
「「「──なっ!?」」」
四人の陽炎たちが驚きに満ちた声を上げる。先程まで地面に立っていた少女が、突然自分たちの頭上に現れたのだ。驚くのも当然のことだろう。
「確かに頭上は一番の死角。でもね、頭を押さえたからって油断しちゃダメだよ。さらに上を取られる可能性も考慮しないと。私もゼットによく注意されたからね」
その忠告に返事を返す者はいない。頭を叩き割られた陽炎の死体が、次々と地面に叩きつけられていく。
最後の死体が地面に転がると同時に、少女が地上に舞い降りた。剣を振り払うと、脳漿の混じった鮮血が地面に飛び散っていく。
「……異常な跳躍力と目にも止まらぬ剣閃。まさに化け物と呼ぶにふさわしい動きだな」
「化け物じゃないよ。私の名前はオリビア。ね、何でみんな私のこと化け物って呼ぶのかなぁ?」
小首を傾げるオリビアに、ゾエは鼻で笑う。人間離れした芸当を見せるオリビアに対し、ゾエとしては他に言いようがない。
本来なら今の強襲で片が付いているはずだった。ゼノンが殺られるのも無理からぬことだ。
そう思いながら、ゾエは腰の多節鞭に手を伸ばす。
(さてと……念のために伏せておいた手練れの部下たちも、あっけなく殺された。ここは間違いなく逃げの一手だが……)
ゾエは僅かに屈み体重を足に乗せる。視線の先、オリビアは笑みを浮かべながらゾエを見つめている。
もう決着はついたとばかりに、黒い靄が漂う不気味な剣を下ろしていた。
(だが、逃げるのは──その薄ら笑いを消してからだッ!)
ゾエが腕を振り上げると、オリビアの顔面目がけ波打つように鞭が放たれる。先端の鎌槍が触れる瞬間、オリビアは僅かに身を捻り攻撃をかわす。
(予想通り、かわしたな。貴様の技量なら当然だろう。だが、かわすのではなく、弾くべきだったな。この武器に対して、回避行動は命取りだ!)
内心でそう吼えると、鞭を持った左手首を僅かに動かすゾエ。すると、かわされたはずの鞭は軌道を変え、オリビアの背後から一気に襲いかかった。
「──ふーん。面白い武器だね。初めて見たよ」
多節鞭は鎌槍ごと粉々に砕かれ、ゾエの手から滑り落ちていた。代わりにオリビアの掌底が、ゾエの腹部にめり込んでいる。
「……なぜ……背後からの攻撃が……わかった?」
後ろに目でもついていない限り、回避することは不可能なはず。遠のく意識を必死に堪えながら、なぜだとゾエは問う。
オリビアはゾエの耳元に唇をそっと寄せると、囁くように言う。
「武器に殺気を乗せ過ぎだよ。あれじゃあ、寝ている鳥さんだってかわすよ」
そんな馬鹿な話はあり得ない。そう思いながら、ゾエは意識を失った。
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