第四十六幕 ~狂喜するローゼンマリー~
──ウィンザム城 ガイエル執務室
ガイエルが執務室に入ると、すでに待機していた側近が敬礼をする。それに対して同じく敬礼で返すと、ゆっくりと椅子に腰かけた。
「ガイエル大佐、本日の報告書でございます」
差し出された報告書を受け取ったガイエルは、矢継ぎ早に目を通していく。そして、一枚の報告書に目を止めた。
(ついにくるべき時がきたという感じだな。しかも、よりによって……)
内心で嘆息すると、腰かけて間もない椅子から立ち上がる。
「閣下はいつものところにいらっしゃるのか」
「はい」
「わかった。一時間程で戻る」
ガイエルは側近にそう言うと、ローゼンマリーがいる司令官室に向かって歩き始めた。
「ガイエルです」
言って扉を開けると、ジメジメとした空気が流れ込んでくる。ガイエルはさりげなく窓を少し開けて新鮮な空気を取り込むと、黙々とペンを走らせているローゼンマリーに声をかけた。
「閣下、よろしいでしょうか?」
「──なんだ? 見ての通り、あたいは忙しいんだが」
ローゼンマリーは、苛々とした口調で答える。頭でも掻き毟ったのか、艶のある赤い髪の毛が乱れに乱れていた。見様によっては鳥の巣に見えなくもない。黙っていれば、男装の麗人然としたローゼンマリーである。
彼女に憧れている令嬢も多いと聞く。きっとこの姿を見たら、卒倒してしまうだろう。
(それにしても、かなり機嫌が悪いようだな)
ガイエルは内心で苦笑しながら、原因であろう〝物〟に視線を移す。そこには執務机を覆い尽くさんばかりに、書類の束が山と積まれている。北方戦線にて第三、第四軍を壊滅させてから約一ヶ月。ローゼンマリーは一日のほとんどを司令官室で過ごすようになっていた。
それというのも王国北部の北半分を一気に制圧下に置いたため、事務処理が追いつかないからだ。無論、ほとんどの事務処理は、文官たちが総動員で捌いている。今も隣室からカリカリとペンを走らせている音が聞こえてくるほどだ。
だが、最終的にローゼンマリーの判断にゆだねられる部分も多い。これだけは代わりの者がいない以上、頑張ってもらうよりほかない。副官として助言を求められれば、いくらでも応えるのだが。
(まぁ、閣下が私に助言を求めるとも思えんが)
ガイエルは一度も顔を上げることのないローゼンマリーの正面に立つと、息を整えつつ彼女が待ち望んでいた言葉を口にした。
「陽炎から連絡が入りました」
言った途端、バキッと何かがへし折れる音。その方向に視線を移すと、真っ二つに折れたペンが机に転がっている。続いてゆっくりと顔を上げるローゼンマリー。その顔はまるで耳まで口が裂けたかのような、歪な笑みを浮かべていた。
思わずガイエルは、一歩後ろに引いてしまう。
「それで?」
「は……はっ、陽炎は王国南部カナリアの街にて第七軍を捕捉。数はおよそ三千。おそらくは索敵も兼ねた前衛部隊かと。今は中央地域に向けて北上中とのことです。それと」
「それと?」
ローゼンマリーは、実に楽しそうに同じ言葉を返してくる。なんなら鼻歌くらい歌いだしそうな雰囲気だ。それが実に恐ろしい。ガイエルは乾いた唇を舌で湿らすと、最後まで伝えることを躊躇していた話を切り出す。
「……あくまでも陽炎の私見のため、確証はありませんが」
そう前置きしたうえで、部隊を率いているのが若い少女──すなわち噂の化け物ではないかとの情報を伝えた。実際のところ、憶測の域を出ない話ではある。しかし、仮にも陽炎がそう判断したのだ。ガイエル自身としては認めたくない話だが、おそらく八割の確率で事実だろう。
それを訊いたローゼンマリーは、歪な笑みをさらに深めながらケラケラと笑い始めた。
「あははははっ! いいねえ! さすが陽炎。いい仕事をするじゃないか!」
「それで、どのように対処いたしますか?」
ガイエルがおそるおそる問いかける。一転して笑いを止めると、ローゼンマリーは腕を組み考えるような仕草をする。
(まさかとは思うが……)
内心で危惧しながらローゼンマリーを見つめていると、良い案が浮かんだのか。口の端を吊り上げ、パチッと指を鳴らした。
「よし! まずはその化け物とやらがどの程度やれるのか、腕試しといこうじゃないか」
「と、言いますと?」
腕試しと聞いて、ガイエルが緊張気味に尋ねる。すると、ローゼンマリーは事もなげに答えた。
「ボルマーに相手をさせろ。その化け物とやらの実力を計るにはちょうどいいだろう。奴も暴れ足りないと言っていたからな」
全く予想していなかった意外な言葉に、ガイエルは虚を突かれた。てっきり事務仕事を放りだして、ローゼンマリー自らが化け物と相対する。そう言いだすとばかり思っていたからだ。全力で阻止しようと思っていただけに、肩すかしをくらった感は否めない。
(閣下はどういうつもりなのだ。全く意味がわからない)
ガイエルとしてはこれ以上ない有り難い話だ。しかし、同時に言い知れぬ不気味さも感じていた。ローゼンマリーは異様とも思えるほど第七軍に固執している。その様子を傍らで見ていれば、当然の感情だろう。
「どうした? そんな意外そうな顔をして?」
「い、いえ。別に……」
「んん? ──もしかして、あたいがすっ飛んで化け物の元に向かうとでも思ったのか?」
「──ッ!? そ、それは……」
まるで心の内を読んでいるかのようなローゼンマリーの発言に、ガイエルは二の句が継げなくなる。そんなガイエルを面白そうに見つめながら、ローゼンマリーは口を開く。
「なに、そんな小難しい話じゃない。私の目的はあくまでも第七軍の撃滅だ。化け物退治をしたいわけじゃないのさ。前衛部隊が出てきているということは、当然近いうちに本隊も姿を見せるはずだ。なにか間違っているか?」
この時期に前衛部隊が姿を現した以上、第七軍の目的は北部の奪還で間違いないだろう。中央戦線に向かう線もなくはないが、その確率はかなり低いとガイエルは判断している。ローゼンマリーの推察に異論をはさむ余地はない。
「確かに閣下のおっしゃる通りだと思います」
「だろ? それがわかっていて、たかが三千の部隊にあたいが出ていったらいい物笑いの種だ。ボルマーが化け物とやらを屠れば、それはそれで良し。所詮その程度の相手だったということ。万が一殺られたら、本隊共々あたいがぶっ潰す。ただ、それだけの話さ」
後の手配は全てガイエルに任せる。そう言うと、ローゼンマリーは再び書類にペンを走らせていく。先程とは打って変わり、実に楽しそうに。
ガイエルは承知した旨を伝えると、司令官室を後にした。扉を閉めるとき、狂気を内包したような忍び笑いが聴こえ、背筋が冷たくなった。
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