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第三十九幕 ~第二軍~

第二章開始です

よろしくお願いします。

 ──中央戦線。


 大陸中央に位置する小国、スワラン王国とストニア公国。そして、アースベルト帝国の三国が隣接する国境間の中央戦線は、今次大戦において最も激しい戦いが繰り広げられている地域である。

 そこには難攻不落と謳われたキール要塞の失陥。さらには第五軍が壊滅するという最悪な状況下の中、必死に抗う者たちがいた。


「王都より緊急連絡です」


 遠眼鏡越しに戦況を確認していた男は、軽い溜息を吐いた。固い声色から判断するに、どうせ碌でもないことはわかる。男からすれば王都からの緊急連絡など迷惑なだけだ。


「それって訊かなきゃダメ?」

「あ、当たり前ですッ!」

「はぁ。わかったわかった。そう怒るなって」


 男は遠眼鏡を腰に戻すと声の主──眉と目を吊り上げるリーゼ大尉に視線を向ける。話すよう顎をしゃくると一転、リーゼは沈んだ表情を浮かべながら口を開いた。


「北方戦線において第三、第四軍が壊滅。ラッツ・スマイス中将、リンツ・バルト中将共に戦死したとのことです」

「……その報告に訂正の余地は?」


 念のために問うと、リーゼは黙って首を横に振る。不意に士官学校時代、三人で悪さをしていた記憶が蘇ってきた。古き良き青春というやつである。


「そうか……ラッツもリンツもとうとう逝っちまったか」


 男は煙草をくわえて火をつけると、煙を吐き出しながら目を細める。彼の名はブラッド・エンフィールド。

 中央戦線最後の盾──第二軍を率いる将軍である。


「すみません。実はまだ続きがあるんです」


 遠慮気味に口を開くリーゼに、ブラッドはぼさぼさに伸びた髪を乱暴に掻きながら続きを促す。どうせ次の話も碌でもないことがわかるのがつらい。


「ブラッド中将におかれては、北方の動きに注意しつつ、中央戦線を維持せよとのことです」

「……悪い。もう一回言ってくれない?」


 突然耳がおかしくなったのだろうか。そんな思いから復唱させたのだが。


「ブラッド中将におかれては、北方の動きに注意しつつ、中央戦線を維持せよとのことです」


 返ってきたのはリーゼらしい寸分の狂いもない同一の言葉。どうやら耳はいたって正常のようだ。ブラッドは煙草をふかしながら空を見上げる。目に映るのは、雲一つない澄み切った青い空。

 ここが戦場でなければ、草原に寝転んで大いに昼寝を楽しむところだ。


「……はぁ……ったくめんどくせえ。いっそのこと逃げるか?」

「閣下ッ!!」


 リーゼの怒声が戦場に響く。

 だが、ブラッドにも言い分はある。


「いやいや、どう考えてもおかしいだろう? こちとら現状で精いっぱいなのに、北からの攻撃にも対処しろって言っているようなもんだぞ? リーゼ大尉も〝上〟がどれだけ無茶なことを言っているかわかるだろ?」

「そ、それは……」


 さすがに否定する材料がないのか、言いよどむリーゼ。ラッツとリンツを壊滅させた敵が中央に進出してきた場合、間違いなく第二軍は包囲される。そうなれば遠くない未来、ラッツとリンツの後を追うことになるだろう。二人が苦笑しながら出迎える姿が目に浮かぶ。


 冗談じゃないとブラッドは思う。むざむざ第二軍を死地に追いやる気など毛頭ない。逃げるとリーゼに言ったが、半分は本気だ。上の意向など知ったことではない。逃走経路はどうしようかなどと早速考えていると、リーゼと視線が合う。

 まだ言い足りないことでもあるのか、ジッとこちらを見つめていた。


「あのなあ。言いたいことがあるならスパッと言えよ。スパッと」

「そう露骨に嫌そうな顔をしないでください。言い忘れましたが、第七軍がイリス平原で五万の敵を撃破。さらにカスパー砦の奪取に成功したそうです」

「なに!? その情報は確かなのか?」


 ブラッドが問うと、リーゼは今日初めて笑みを浮かべて言った。


「はい。見事な大勝利を収めたということです」


 ブラッドは久しぶりに勝利という言葉を訊いた。しかも、大勝利だ。おそらくキール要塞が陥落してから初めてではなかろうか。さらにカスパー砦の戦いでは味方の死傷者が僅か一桁台だったと聞き、ブラッドは拳を手のひらに叩きつけた。


「ははっ! さすがパウルのじっさまだ。この状況下で神業的な勝利を成し遂げるとは、鬼神の異名は伊達じゃないねぇ──待てよ? と言うことは……」


 ブラッドはひとしきり顎を撫でまわした後、至急王国南部の地図を用意するようリーゼに命じた。地図が用意されると、ブラッドはもどかしげに机の上に広げる。



 食い入るように地図を見つめるブラッドを、リーゼは黙って見守った。こういうときは下手に横から口を出してはいけない。

 良くも悪くもなにかを思いつき、必死に考えているのだから。しばらくするとブラッドは地図から視線を外し、楽しげに煙草をくゆらせている。



「閣下、何か良い案でも思いついたのでしょうか? よろしければ、教えていただきたいのですが?」

「──ん? そうだな……結論から言うと、第七軍に北部の敵を対処してもらおうと思う。逃げる道を除けば、これしか俺たちの助かる道はない」


 ブラッドは確信を込めて言い放った。だが、リーゼは納得いかなかったのだろう。眉を顰めながら即座に反論してきた。


「第七軍にですか!? さすがにそれは無理があると思いますが?」

「無理? なぜそう思う?」


 ブラッドが真面目にそう言うと、リーゼは呆れたように口を開く。そんなこともわからないのかと言わんばかりに。


「なぜって……確かにカスパー砦は奪還しました。ですが北にキール要塞がある以上、第七軍は不用意に動くことはできないと思いますが?」


 言いながら、地図上のカスパー砦とキール要塞を指し示す。さらにリーゼは自身の分析を交えつつ、いかに第七軍が動けないかを事細やかに説明していく。

 それを訊いたブラッドは、不敵に笑った。


「違うな。逆に第七軍は(かせ)を解いた。カスパー砦の利点は、周辺に堅固な防御ラインを構築できる点だ。あの一帯は地形がかなり複雑に入り組んでいるからな。そこを上手く利用すれば寡兵でも、大軍を相手にすることが可能だろう。ただし、優秀な指揮官がいることが条件だが」


 ブラッドの説明を受けて、食い入るように地図を再確認するリーゼ。ぶつぶつと呟きながら、時折ずれそうになる眼鏡を上げている。


「──確かに言われてみれば、実に守りに適した地形ですね……これならたとえ三倍の敵を相手にしたとしても、かなり抑えられそうです。閣下の言う通り、優秀な指揮官が必要不可欠ですが」


 リーゼは顔を上げると納得顔で頷く。王立士官学校首席卒業は伊達ではないといったところだろう。これでもう少し融通が利けばと思わなくもないが。


「だろ? 確か第七軍にはエルマンの野郎がいたはず。あいつに一万くらいの兵を預ければ、おそらく南部は安泰だ。そうなれば、ガリア要塞に固執する意味はなくなる。つまり──」

「つまり、第七軍は行動の自由を得るということですね」


 ブラッドの言葉を引き継ぐようにリーゼが答える。ブラッドは苦笑した後、軽く頷いた。


「ま、そういうことだな」

「わかりました。では早速王都に早馬を送ります」


 足早に立ち去るリーゼを見送りながら、ブラッドは新たな煙草をくわえる。本音を言えば、すぐに動けそうな第一軍に要請を打診したいところだ。しかし、アルフォンスがそれを許すとは到底思えない。第三、第四軍が壊滅した今、確実に帝国の手が中央──王都に伸びてきている。

 さすがに王都を離れる博打は打てないだろうとブラッドは思った。


(しかし、自分で言っといてなんだが、あんまり第七軍に〝借り〟は作りたくないんだよなぁ。パウルのじっさま、おっかねえし)


 ブラッドが吐き出した煙は風に吹かれて、砂埃と共に空に舞った。


お読みいただきありがとうございました。

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