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第三十八幕 ~叙勲式、そして…~

 捕虜交換から一ヶ月後。

 カスパー砦の守備をエルマン少将以下八千の兵に託すと、混成軍はガリア要塞へと帰還した。キール要塞が動く気配もなく、カスパー砦を中心とした防御ラインが一応の形を成したためである。また、ランベルトとナインハルトは、そのままガリア要塞を経由し、王都へと戻っていった。


 しばらくガリア要塞を離れていたということもあり、オットーなどは時間の感覚がマヒするほど日々の仕事に追われていた。

 そのオットーの隣には、正式に軍師として一歩を踏み出したアシュトンの姿。普段はオットーの側近として、軍事に関する様々なことを叩きこまれていた。

 

 一方、オリビアとクラウディアはというと。


(この話を訊いたら、少尉はどんな顔をするだろう?)


 クラウディアは、自然と緩む頬を必死に戻す。コホンと咳払いをすると、扉をノックした。


「クラウディアでしょう? 入っていいよ」


 まだ名乗っていないにもかかわらず、オリビアは正確にいい当てた。それを訊いたクラウディアは、ノックの仕方に特徴でもあるのかと思いながら扉を開ける。

 そこには相も変わらずベッドに寝そべりながら本を読んでいるオリビアの姿。オリビアはクラウディアに顔を向けると、いきなり辛辣な言葉をぶつけてきた。


「どうしたの? そんな面白い顔をして?」


 気づかないうちにまた頬が緩んでいたのだろうか。クラウディアは、慌てながら反論する。


「べ、別に面白い顔などしていません! それより吉報です! 訊いて驚かないでくださいね。なんと少尉に〝金獅子勲章〟の授与が決定しました!」

「……ふーん」


 オリビアは興味なさそうに答えると、再び本を読みだす。沈黙がその場を支配し、ペラペラと本をめくる音がやけに耳に響いてくる。


(えっ!? それで終わり!?)


 予想外の反応をされ、クラウディアは思わず固まってしまう。そういえば、以前にも似たようなことがあったなと思いだした。


(あの時は随分と厄介ごとを押し付けられたと思っていたが……)


 クラウディアは苦笑した後、ベッドに寝転がっているオリビアに詰め寄る。


「少尉! わかっていないんですか? 金獅子勲章ですよ? 今まで授与された人は僅か数人と訊いています。これは大変名誉なことです」

「……クラウディアって本当に名誉が好きだよね。前にも言ったと思うけど、私はそんなものより本や美味しい食べ物を貰いたいよ」


 手に持っている本を軽く叩きながらオリビアは言う。クラウディアはその発言に呆れながらも、何気なく本の表紙に目を向ける。

 すると、意外なことに子供の頃よく読んだ《悪戯好きの妖精コメット》だった。


「少尉は悪戯好きの妖精コメットが好きなのですか?」

「うん。人間にビクビクしながらも、一生懸命悪戯を仕掛けるコメットが面白くてね。クラウディアも読んだことあるの?」


 興味深そうな目を向けるオリビアに対し、クラウディアは胸を張って答える。その質問は愚問だとばかりに。


「自慢ではありませんが、コメットシリーズは全巻持っています……それと、お恥ずかしい話ですが、コメットがいると信じて捕まえようと思ったこともあります」


 頬を掻きながら子供の頃の恥ずかしい思い出を伝えた途端、オリビアはベッドから飛び上がると、クラウディアの両肩をがっちりと掴んできた。

 目が爛々と輝く様は、まるで獲物を見つけた捕食者のそれだ。その鬼気迫る様子に、クラウディアは思わず叫び声を上げる。


「な、なな、なんですかッ!?」

「一緒ッ! 全く一緒だよッ! 私もコメットを捕まえようとしたッ!」


 オリビアの態度が同じ仲間を見つけた喜び故のことだとわかって、クラウディアはホッと息をつく。と同時に、嬉しい気持ちになった。

 当時共感してくれる友人が誰ひとりいなかったからだ。ゆえに、クラウディアはひとつの提案をする。


「そ、そうなんですか。それは奇遇ですね。それほどお好きでしたら差し上げましょうか? まだ実家に全巻置いてあると思うので」

「えっ!? いいの?」


 まるで花が咲き乱れたような笑顔を向けるオリビア。こんな笑顔を向けられたら、ほとんどの男は落ちるだろう。

 大貴族の男であれば本の百冊や二百冊くらい平気で贈りそうだ。クラウディアは肩の骨が軋むのを感じながら、そんな益体もないことを思った。


「もちろん構いません。ですが、コメットシリーズは二十冊以上あります。その……大丈夫ですか?」


 部屋中に山と積まれている本を見渡しながら尋ねると、オリビアは全く問題ないとばかりに大きく頷く。


「全然大丈夫だよ。アシュトンに片付けるの手伝ってもらうから。クラウディアもアシュトンと一緒で、いい人間だよね!」

「はぁ。それはありがとうございます」


 相変わらずの妙な言い回しに若干困惑しつつも、一応素直に礼を言っておく。


(とりあえず金獅子勲章の件は伝えた。後はこれが必要かどうかだな)


 クラウディアは脇に抱えている白い箱を一瞥し、オリビアに話しかけた。


「ところで、少尉は儀礼服をお持ちですか?」

「儀礼服? そんなの持っていないよ」

「それは困りましたね。叙勲式は儀礼服の着用が義務付けられています」

「軍服じゃダメなの?」


 オリビアが着用している軍服をつまみながら尋ねてきた。大抵の場合は軍服で事足りてしまうのだが、叙勲式は例外のひとつに入る。


「残念ながらダメです」

「えー。じゃあ叙勲式に出なくてもいいよ」


 再び本に手を伸ばそうとするオリビアの腕を、クラウディアは笑顔を浮かべ思いきり掴む。その行動が意外だったのか、目を丸くするオリビア。


「ク、クラウディア!?」

「主役が出なくてどうするんですか! ……もう、仕方ないですね。そんなことだろうと思って、私が予備で保管していた儀礼服を持ってきました。幸い少尉と私の身長はほぼ変わらないので、問題なく着用できると思います」

「えーそんな悪いよ。私のことは気にしなくていいからさ」


 オリビアは目を逸らしながら棒読みのセリフを吐く。さりげなく振り払おうとする腕を、クラウディアはさらに力を込めて握りしめた。


「そういうことは、もっと感情を込めて言ってください。さあ、早く着替えてください。あ、なにか不都合があれば遠慮なく言ってください。仕立て直すので」


 そう言いながら、真っ白な儀礼服をオリビアに手渡す。肩章には王国の紋章である杯と獅子が刺繍されている。

 予備のため箱に入れたままだったが、どうやら傷みはないようだ。

 

「えぇー。なんだか最近クラウディアって強引になってきたよね」


 オリビアは口を尖らせながらも、渋々といった感じで軍服を脱いでいく。作りは軍服と同じなので、時間もかからずにオリビアは着替え終えた。

 そこにはまるで物語の世界から飛び出したかのような、凛々しい女性将校の姿。


「思った通り、良くお似合いですよ」


 そう褒めると、オリビアは儀礼服をつまみながら何度も小首を傾げている。明らかに不満があるといった感じだ。


「どうかされましたか?」


 見た限り、丈も問題ない。仕立て直す必要もないだろうと思っていると。


「うーん。なんだか胸が結構苦しいんだよね。腰回りはゆるゆるだし……」

「…………」

「クラウディア、訊いてる?」

「それはそういうものです。仕様なのでそのまま着てください」

「え? でも、さっき不都合があったら仕立て直すって……」

「仕立て直すところはありません」

「さっき──」

「ありません」

「……そ、そうだね。私もクラウディアの言う通りだと思う」


 オリビアはさらに何度も首を傾げながら儀礼服を脱いでいく。冷たい、氷のように冷たい視線に見守られながら。



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 ──ガリア要塞、大広間。


 普段は滅多に使われることがない大広間だが、今日ばかりは違った。天井にはシャンデリアが煌びやかな光を発し、側壁には王国の象徴たる杯と獅子の紋章旗が掲げられている。

 そして、要塞の主たるパウルを中心に、左に文官、右に武官が整列している。パウルの隣に控えるのは、オットー。

 台座には獅子を模った金色に輝く勲章が置かれていた。


「ではこれより、叙勲式を始めたいと思います」


 開始の合図と共にラッパが鳴り響き、衛兵によって重々しい扉が開かれる。現れたのは白い儀礼服に身を包んだオリビア。

 居並ぶ将校たちを前に、臆した様子もなく堂々と前に進んでいく。噂だけが先行し、初めて目にした多くの文官たちは、驚きの表情で見つめている。

 中には眼鏡を外し、レンズを拭いている文官もいた。


(最初の頃の閣下と同じように、豪傑少女だとでも思っていたのだろう)


 そうオットーが推測していると、近くにいた文官が「誰だ。豪傑少女だと言いだした者は」などと、呟いていた。


 オリビアはパウルの前に歩み寄ると、手を胸に当て流れるように片膝をつく。実に見事な振る舞いに、オットーは単純に驚いた。

 儀礼作法を教えている暇はなかったので、多少の不作法は目を瞑るつもりだったからだ。列の端に並ぶクラウディアに視線を向けると、思い切り首を横に振っている。

 どうやらクラウディアが仕込んだわけでもなさそうだ。視線を外してパウルに目を向けると、面白いものでも見つけたように目を輝かせていた。


「オリビア少尉。此度の多大なる功績を称え、ここに金獅子勲章を授与する」

「はっ、身に余る光栄であります」


 オットーは片膝をつくオリビアの胸に勲章をつける。オリビアは立ち上がると一歩下がり、深々と一礼。

 踵を返すと王国の紋章が刻まれた真紅のマントをひるがえし、さっそうと歩き出す。その姿に何人もの将校から感嘆の吐息が洩れ──


「し、失礼しますッ!」


 突然乱入してきた兵士により、一気に場は白ける。将校たちが眉を顰める中、オットーの怒声が飛ぶ。


「今は叙勲式の最中だぞ! もう少し待てなかったのか!」

「も、申し訳ありません。ですが」


 慌てふためく兵士に向かって、パウルが口を開く。


「構わん。用件を述べよ」

「はっ、王都より早馬です! 北方戦線において第三、第四軍が壊滅したとのことですッ!」




 時に、光陰暦九九九年。

 王国にさらなる暗雲が立ち込める。




 第一章 死神に育てられた少女 完


第一章はこれで完結となります。

これまでお読みいただきありがとうございました。

第2章は近々に投稿予定です。

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