第三十三幕 ~カスパー砦攻略戦~
カスパー砦守備軍と別働隊の戦いが幕を上げた。
角笛と太鼓の音を響かせながら、別働隊は弓による遠距離攻撃を開始した。開始したのだったが──
「おいおい、あいつら弓の有効射程もわからないのか? いくら怖いからってそんな遠くから矢を放っても届くわけがねえ」
「ああ、戦の仕方も知らない素人の集まりなんじゃないのか?」
「くくくっ、だけど、角笛と太鼓の扱いは上手いみたいだぜ」
「フッ、仕方ねえ。ここは俺が女性兵士専門で、みっちりと教授してやるかあ!」
「お前、ナニをみっちりと教授してやるんだよ!」
兵士たちは腹を抱えながら笑う。戦いが始まる前は顔を強張らせていた彼らも、王国軍のお粗末な攻撃に緊張感が抜けてしまったようだ。指揮官であるシスル少尉も同様の思いだが、兵士たちのように笑い転げているわけにもいかない。
「お前たち、いい加減にしろ。バリスタを使えばこの距離でも届くはずだ。さっさと反撃に移れ!」
シスルが鼓舞する。兵士たちは慌てて城壁に設置してあるバリスタに移動すると、反撃を開始した。
一方、嘲笑の的になっている別働隊はというと。
「全軍、後退!」
飛んでくる矢を大盾で防ぎつつ、バリスタの有効射程外へと後退していく。程なくすると、再び前進を始め有効射程外から弓を放つ。ひたすらその行動を繰り返していた。
「な、なあアシュトン。これで本当にいいのか? 確かにこれなら兵の損耗はないが、きっと帝国軍は我々のことを笑っていると思うぞ?」
クラウディアは遠眼鏡で戦況を確認しつつ尋ねる。
「ま、まぁ、確かに笑われているのかもしれません。でも、最終的に勝利すれば笑うのはこちらですから、別に構わないのではないですか?」
肩を竦めながら呑気に答えるアシュトン。
今回臨時の軍師としてオリビアに抜擢されたアシュトンは、クラウディアと共に別働隊の陣頭指揮を執っていた。
「それはそうだろうが、騎士としてこの戦いようはなんというか……ぁぁぁあああ、よくもまあ、こんな策を思いつくものだ!」
アシュトン曰く。
群雄割拠初期時代に造られた砦は、必ず脱出用の隠し通路が存在したらしい。しかも、概ね出口は近場の古井戸に繋がっているという。逆に言えばその古井戸から侵入すれば、カスパー砦の内部に入り込むことができる。そこから二手に分かれ、一方は内部攪乱。
そして、もう一方は攪乱による隙をついて正門の閂を外す。閂さえ外してしまえば、別働隊は労せずカスパー砦内に攻め入ることができる。
今やっていることは、敵の目を引きつけるただの示威行動だ。
「策と言えるほど大層なものではないと思います。オリビアの強さを知っているからこその無茶振りですから」
すでにオリビアはここにいない。「じゃあ、ちょっと行ってくるね」と大きく手を振りながら、屈強な兵士を百人程従えて古井戸へと向かっていった。
まるで、散歩にでも行くような軽い足取りで。
「そうは言うがな。そもそも、砦の知識がなければ成立しない策だ。カスパー砦を占拠している帝国も、まさかそんな隠し通路があるなどと夢にも思うまい。なにせ、元々の所有者である我々も知らなかったのだからな」
「これでも古代戦史の本は読み漁りました。これでみんなの生きる確率が上がるなら嬉しいです。僕もまだ死にたくはないですからね」
そう言うと、張り付いた笑みを浮かべるアシュトン。その笑顔を見て、クラウディアは厳粛な気持ちになる。戦争はあっけなく人の命を奪っていく。今日隣にいる者が、明日も隣にいるとは限らない。
アシュトンもそれがわかっているからこそ、今も必死に知恵を絞り、少しでも犠牲を少なくしようと頑張っているのだろう。怖くて逃げ出したいという気持ちを必死に堪えながら。
「──そうだな。ここまできて簡単に死ぬわけにはいかないな」
クラウディアは颯爽と手を振り下ろし、再び後退の指示を出した。
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別働隊がひたすら示威行動に明け暮れ、帝国軍の目を引きつけている頃。
労せず古井戸を発見したオリビアたちは、あっさりとカスパー砦内に忍び込むことに成功していた。
「オリビア隊長。正直こうもあっさりと侵入できるとは思いませんでした」
丸太のような腕をした隻眼の男──潜入作戦の副隊長に任じられたガウスが、オリビアに話しかける。
「うん。これもアシュトンがある程度の場所を予想してくれたおかげだよ」
オリビアは満足そうに頷くと、足元を這いずり回っているどぶねずみを踏み潰す。それを後ろで見ていたらしい兵士が、小さな悲鳴を上げた。
現在オリビアたちは、松明をかざしながら石壁に囲われた通路を歩いていた。元々脱出用に造られた通路のためか、道幅も狭く空気が淀んでいる。さらには通路を塞ぐかのように、大量の蜘蛛の巣が幾重にも渡って張り巡らされている。
少なくとも、帝国軍がこの通路を使用した形跡は見当たらなかった。
「それで、人数の割り振りはどうします? やはりここは無難に半々でしょうか」
蜘蛛の巣を掻き分けながらガウスが尋ねると、オリビアはあっさりと首を横に振る。
「それはもう決めているんだ。私がひとりで攪乱する。みんなは正門の閂を外してクラウディアたちを砦内に引き入れてよ」
「た、隊長ひとりで攪乱するのですか!? せめて十人くらい連れていったほうがよろしいのでは?」
ガウスの言葉を肯定するように、周りの兵士たちが一斉に頷く。それに対しオリビアは、白い歯を見せながらガウスの背中を軽く叩く。
「あはは、心配しなくても大丈夫だって。それに、ひとりだと思う存分剣を振り回せるから楽なんだよ。間違ってみんなを斬ることはないと思うけど、何事も絶対はないから」
オリビアは薄く微笑みながら腰の鞘を優しく撫でる。ガウスは愛想笑いを浮かべながら、ただただ頷くしかなかった。イリス平原の戦いを経た今、その言葉が虚栄でも傲慢でもないことを骨身にしみてわかっていたから。
──オリビアたちが潜入してから一時間後。
「どうやら到着したようです」
ガウスが指差す先、小さめの扉が見えてくる。
「じゃあガウスたちはここで三十分待機。その後、行動を移して」
「わかりました──隊長、お気をつけて」
「うんありがとう。行ってくるね」
そう言ってオリビアは扉を開ける。すると、緩やかな空気の流れと共に、細い通路が目に映った。視線を奥に移すと、微かな光が洩れていることに気づく。その光に導かれるまま前に進み、目の前の壁らしきものを押してみる。壁はくるっと回転し、そのままオリビアを外へと押し出した。
「へえぇ、なんだか本で読んだカラクリ屋敷みたいでおもしろーい!」
オリビアは独りごちると、改めて周囲を見渡す。どうやら久しく使われていない物置部屋らしい。埃の被った荷物が積まれている様子からも、それは明らかだ。早速部屋から出てしばらく廊下を歩いていると、ひとりの帝国兵士と出会った。
「ねえ、ここの総司令官って今どこにいるの?」
気軽に話しかけるオリビアに対し、兵士は呆れたような顔を見せる。
「は? お前何言っているんだ? オスヴァンヌ閣下はイリス平原で王国軍と戦っている最中だろう。頭大丈夫か?」
「そっちこそ何言っているの? オスヴァンヌさんはもう死んでいるよ。私が訊きたいのは、今ここで一番偉い人のことだよ」
「オスヴァンヌ閣下が死んでいる? お前なにとんでもないこと……ってお前、いったいどこの部隊の者だ?」
呆れたような顔から一転、兵士は鋭い視線をオリビアに向けてくる。
「どこって別働隊だけど」
「別働隊……ちょっと待てッ!」
兵士の視線はオリビアの肩当を凝視していた。杯と獅子の紋章が刻まれてた肩当を。
「貴様ッ!? 王国グッ──」
「ダメダメ。まだ騒いじゃダメだって」
オリビアは素早く左手で兵士の顎を砕くと、漆黒の剣を胸に突き刺した。ピクピクと痙攣している兵士を投げ捨てると、壁にぶち当たり金属音が盛大に響く。
「──誰だ騒いでいるのは? ……な、なな、なにをしているんだッ!?」
廊下の角から姿を現した兵士が大声を張り上げる。その様子を見て、オリビアは大きな溜息を吐いた。
「あーあ。折角偉い人から先に殺そうと思っていたのに。結局こうなるのか」
続々と兵士たちが集まる中、オリビアは悠然と兵士たちに向かって歩き始めた。
漆黒の剣から黒い靄が立ち昇る。
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