第三十一幕 ~瓦解~
──王国軍、本陣。
「閣下ッ! あれをご覧くださいッ!」
オットーが指し示す方向。敵本陣から赤い煙が立ち昇っているのが見える。
「くくっ、そうがなり立てなくても聞こえている。オリビア少尉は見事大任を果たしてくれたな」
パウルは獰猛な笑みを浮かべると、即座に命令を下す。
「ランベルト、エルマン、ホスムントに伝令兵を送れ。内容は『銀槍は放たれた。これより全面攻勢に移行。立ち塞がる者は慈悲なく殺せ』だ」
「はっ! ただちに!」
オットーは伝令兵たちに指示を飛ばす。それを横目に、パウルは颯爽と馬に騎乗する。
「我々も動くぞ」
程なくしてパウル率いる五千の本隊は、進撃を開始した。
──狼煙が上がってから一時間後。
「ぐっ、お、おのれぇ。小癪な真似を」
「か、閣下……」
ゲオルグに追いついたサイラスが見たもの。それは炎に焼かれ黒焦げになった死体と、その光景を鬼のような形相で睨んでいるゲオルグの姿。
すぐそばには、焼け焦げたゲオルグの愛馬が息絶えていた。凶報を伝えることに一瞬躊躇するサイラスだったが、すぐに決意を固める。
「閣下、どうやら敵の奇襲により本陣が落ちた模様です。右翼も崩壊しつつあります。左翼は健在ですが、それもいつまでもつか……急ぎ撤退のご準備を」
「……副官サイラス。こんなときに冗談を訊いてやれるほど、俺は人間ができていない」
そう言うと、ゲオルグは煤けたランスを顎に突きつけてきた。サイラスは恐怖で身を引きそうになるのをグッと堪える。
こうしている間にも敵は勢いを増していくばかり。ぐずぐすしてはいられない。カスパー砦がある限り、いくらでも挽回は可能だ。
死んでしまっては、再戦することもできないのだから。そう思いながら腹に力を込めると、サイラスは再び同じ言葉を繰り返した。
「閣下、もう一度言います。本陣が落ちました。ぐずぐずしていては退路が塞がれます。急ぎ撤退のご準備を」
「……オスヴァンヌ閣下はご無事か?」
「……一部の敵がオスヴァンヌ閣下を討ち取ったとわめき立てているようです。真偽のほどはわかりませんが、王国軍の攻撃は苛烈さを増していくばかりです」
「そうか……軟弱な兵士ばかりだと侮ったあげく、このざまか……」
悔恨を滲ませるようなゲオルグの呟きに、サイラスはらしくないと思いながらも無言を貫く。ただ黙って言葉の続きを待った。
「──我が鉄鋼騎突兵はどれくらい生き残っている?」
「おそらく全体の三割はすでに……残り半数も満足に戦えるかどうか」
「よくわかった。負傷兵を内側に入れ、防御陣を展開しろ。準備が出来次第、カスパー砦に撤退する」
「はっ、ただちに!」
ゲオルグの瞳に理知的な光が戻ってきたことを感じ、サイラスはホッと息をつく。すぐに準備を整えると、カスパー砦に向けて撤退を開始した。
「何をしているのだッ! 早くカスパー砦に撤退するぞッ!」
目を血走らせながら、わめき立てるミニッツ。必死に宥める側近を横目に、主だった将校たちは淡々と撤退の準備を行っていた。
将校たちは、ミニッツの命令に従っているわけではない。単純に死にたくないからだ。とくにまぬけな指揮官と一緒に死ぬなど冗談じゃない。
口には出さないが、彼らの態度はその事実を雄弁に語っていた。ミニッツの側近としては腹ただしい限りだが、文句を言うのは憚れる。
口に出してしまえば、一気に憎悪が向けられるとの思いがあったからだ。今さらながらに、ライオネスがバランスをとっていたことに気づく。
そして、撤退の準備が完了したとき事件は起きた。
後世、ミニッツ少将は、イリス会戦において王国軍の放った矢に貫かれ戦死したと伝えられている。だが、真実は────
「貴様ら、ミニッツ閣下の馬はどうした? まさか閣下自ら走って撤退しろとでも言うのか?」
怒気を含ませる側近の言葉に、撤退の指揮をしていたマルスが乾いた声で言う。
「私はミニッツ閣下の馬番ではありません。必要ならばご自身で探されてはいかがでしょうか?」
「──ッ!? 貴様ッ! ……今の言葉は反逆罪に当たるぞ。だが、許そう。さっさと閣下の馬を連れてこい!」
「反逆罪を適用するなら、どうぞお好きに適用してください。──ほら、さっさと適用しろッ!」
マルスは側近に近づくと、腹を思い切り殴りつけた。側近はうめき声を上げながらその場にうずくまる。
もうひとりの側近が殴りかかってくるが、半身で避け足を引っかけると盛大に転がっていく。そこに容赦なく蹴りを入れると、胃液を吐き出しながら悶絶する。
ミニッツの側近と言っても、所詮文官。武官であるマルスに勝てる道理はない。その様子にようやく気付いたらしいミニッツが、声を張り上げる。
「貴様ッ! 我が側近に対してなんという無礼を働いているのだッ! 即刻首を刎ねてやるッ!」
「果たしてミニッツ閣下にそれができますかね?」
剣を抜き放つミニッツに、その場にいた将校たちが一斉に弓を番える。
「なっ!? 貴様らごとき下郎が、皇帝の血を引くミニッツ様に弓を向ける!? これはいったいどういう了見だあぁあぁあっっ!!」
ミニッツは、唾をまき散らしながらわめき立てる。それに対しマルスは、至極冷静に答えた。
「どうもこうもありません。あなたの愚鈍な指揮のせいで、我々の敬愛するライオネス少佐は死にました。しかも、あなたを逃がすために」
「それがどうしたというのだッ! 奴の立てた策のせいで私は死にかけた! 死んで当然ではないかッ! 全く意味がわからん!」
「そんなこともわからないから、あなたはここで死ぬのです」
マルスは何の躊躇もなく矢を放った。矢はミニッツの額に深々と突き刺さると、そのまま仰向けに倒れた。無論、即死である。
「お、お、お前はなんて恐ろしいことを──」
「殺れッ!!」
マルスの命令と同時に、側近たちに向けて一斉に矢が放たれる。彼らは陸に上がった魚のように体を跳ねさせながら絶命した。
「……不幸にもミニッツ閣下とその側近は、王国兵の矢に貫かれ名誉の戦死を遂げられた。我々は急ぎカスパー砦に撤退し、事の顛末を報告する」
「「「はっ!」」」
マルスは騎乗すると、生き残った者を引き連れて撤退を開始した。
ゲオルグ率いる鉄鋼騎突兵団は、熾烈なる撤退戦を繰り広げていた。すでに戦闘は二十回以上に及び、精強で鳴らした彼らも疲労がピークに達していた。
そんな状況の中、前方に新たなる王国軍が姿を現す。
「か、閣下、あれをご覧ください!」
サイラスが怒りの形相で指し示す方向。黒馬にまたがる少女の隣に、長槍に突き刺されたオスヴァンヌの首が掲げられている。
「そうか。奴らが本陣を落とした奇襲部隊か……」
ゲオルグは歯噛みする。あまりに力を込めたせいか、口の中に鉄の味が広がっていく。
「殲滅しますか?」
サイラスの言葉に、ゲオルグは思わず苦笑した。周りを見渡せば、ここまで生き残った兵は僅か二千。しかも、体力は底をつき満身創痍の者ばかり。
それでも戦意だけは高いのが困り者だ。
「副官サイラス。いつからそんな無茶を言うようになった? とても副官の言葉とは思えんな」
「閣下の悪い癖が移ったのでしょう。それにオスヴァンヌ閣下をあのままにしておくなど、とても耐えられませんな」
そう言うと、どす黒く染まった剣を抜き放つ。騎兵たちもランスを構え突貫態勢に移行する。
「ふん。どいつもこいつも馬鹿ばかりだな──だが、それでこそ俺の部下だ」
ゲオルグは口の端を吊り上げると、馬の腹を蹴り王国軍へと駆けていく。それを合図にサイラス及び二千の鉄鋼騎突兵も追走する。
それはあたかも、一個の生き物のような動きだった。
ゲオルグは敵中央にいる銀髪の少女に向かって馬を駆けていく。普通なら少女を戦場に立たせる王国軍をあざ笑うところだ。
だが、ゲオルグの直感が黒馬にまたがる少女は危険だと告げてくる。その直感を信じ、まずは機動力を奪うべく、馬の顔面目がけランスを突く。
「なにッ!?」
「馬を殺すのはかわいそうだよ」
突きだしたランスは漆黒の剣に阻まれると、そのまま地面に叩き落とされる。あまりの膂力に柄を握っていることができなかった。
直感は正しかった。そして、この少女──
「もしかして、貴様がオスヴァンヌ閣下を殺ったのか?」
「オスヴァンヌ閣下? ……うん。そうだよ」
少女はチラリとオスヴァンヌの首に目を向けると、笑顔で答えた。
「やはり……貴様の名は?」
「私? 私はオリビア」
「オリビア……その名は覚えておこう。だから──安心してあの世に逝けッ!!」
ゲオルグは腰の剣を抜くと、猛然と斬りかかった。振り下ろし、薙ぎ払い、穿つ。だが、オリビアにかすり傷一つ負わすことができない。
どの攻撃も巧みにかわされていく。一旦オリビアから離れ、荒くなった呼吸を落ち着かせる。
「くくくっ、全くもって信じられん。我が剣がこうも易々と……」
「そろそろいいかな? ──じゃなくて、そろそろ殺すね」
「ぬかせッ!」
馬を蹴り上げ、猛然と突進するゲオルグ。剣を右脇に構えると、オリビアの首を狙い渾身の力を込めて剣を振りぬいた。
「──ば、馬鹿なッ!?」
剣が空を斬ったと同時に、ゲオルグの口から驚愕の言葉が発せられる。あろうことかオリビアは、馬を踏み台にして跳躍したのだ。
さらに剣を垂直に構えると、ゲオルグの頭上から一気に刃を突き立てた。
「閣下ッ!? おのれぇえぇええっっ!!」
サイラスは剣を振り上げ、猛然と馬を駆ける。オリビアはゲオルグの手から剣を奪い、サイラスに向けて投げつけた。
剣は鋭い風切音を発しながらサイラスの顔面を貫通し、そのまま磔のように背後の壁に突き刺さった。
──それから一時間後。
精強を誇った鉄鋼騎突兵団はここに壊滅した。
会戦四日目。
早朝から降り出した雨はいつの間にか上がり、雲の切れ目から暖かな光が差し込んでいた。
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