第三十幕 ~重なる光景~
──帝国軍 本陣
背後から突然の奇襲。
この全く予想していなかった事態に、僅かに動揺するオスヴァンヌ。だが、表面上はそんな素ぶりを見せることなく、パリスに情報収集を指示する。
その結果わかったことは──化け物と呼ばれるひとりの少女の存在。合わせて後衛の指揮官が、少女によって無残な最期を遂げたとの報告も入ってきた。
「閣下、まさか……」
苦悶の表情を浮かべるパリス。
「パリスの考えている通り、おそらくザームエルを屠った相手で間違いないだろう。まさに青天の霹靂だな」
「申し訳ございません。私がもっと情報収集に努めていれば」
頭を下げようとするパリスに、オスヴァンヌは軽く手を振る。結局のところ情報収集を徹底させなかった自分にも原因はある。化け物の少女などという戯言めいた話に、心のどこかで軽く考えていたのかもしれない。ザームエルが屠られたという事実を無視して。
だからこそ、パリスひとりが責任を感じることはないとオスヴァンヌは思っていた。
「まぁ、そう案ずるな。いかに化け物と呼ばれていようと──」
そこに、再び別の兵士が飛び込んできた。パリスは眉を跳ね上げると、射殺すような目を兵士に向ける。
「今度は何だッ!」
「ば、化け物が──」
それ以上、兵士が言葉を続けることはなかった。それもそのはず。兵士の胸から漆黒の剣が突き出ていたのだから。白目をむきながら血の泡を吹く中、ゆっくりと剣が引き抜かれていく。やがて完全に剣が引き抜かれると、どさりと音を立てて兵士が崩れ落ちた。
背後に立っていたのは、全身を真紅に染め上げた銀髪の少女。
「何者だッ!?」
パリスは怒声を上げた。敵であることは百も承知。それでも問わずにはいられなかったのだろう。
「え? 私の名前はオリビアだよ。ところで総司令官ってどの人間? あ、かくれんぼしてもダメだよ。ここにいることはわかっているから」
オリビアは剣を肩に担ぎながら周囲を見渡していく。すかさず四人の親衛隊がオリビアを取り囲むと、一斉に剣を振り上げた。オリビアは舞うように体を回転させながら剣を一閃。親衛隊の剣は振り下ろさることなく、石像のように固まる。
だが、それも一瞬のことだった。
彼らの上半身が滑るように傾いたかと思うと、下半身を残して地面に転がった。吹き上がる血飛沫と共に、こぼれ落ちる臓腑。濃厚な血臭が一気にこの場を染めていく。
まるで悪夢でも見ているかのような光景に、オスヴァンヌはただただ息を飲む。オリビアは躯となった親衛隊の顔を次々に覗き込むと、最後に首を傾げた。
「うーん。この人間たちは違うみたい。あんまり偉そうに見えないし──あ! 総司令官だからパウル中将みたいなおじいちゃんかなぁ?」
そう言うと、オリビアは笑みを浮かべながらオスヴァンヌに目を向けた。
「──閣下、ここは一刻も早くお引きください。未だに信じられませんが、目の前にいるのは確かに化け物です。私では大した時間稼ぎにもなりませんので」
言いながら、パリスは両腰のダガーを抜く。白い歯を見せるオリビアに一気に詰め寄ると、首筋に向けてダガ―を交差させた。
「……パリス……すまんな。お前の希望を叶えてやることはできそうもない」
オスヴァンヌはその場にしゃがみ込むと、転がってきたパリスの頭をさすり目を閉じてやる。そして、ゆっくりと立ち上がると、剣を抜き放ちオリビアに堂々と宣言した。
「私が南部方面軍総司令官、オスヴァンヌ・フォン・グラルヴァインである」
──王国軍 本陣
「閣下、どうやら第一軍は火計にて敵を追い詰めているようです」
「鶴翼の陣を展開したときは驚かされたが、まさかこんな悪辣な仕掛けを施していたとはな……」
鉄鋼騎突兵は少しでも炎から逃れようとするが、長槍兵に阻まれ脱出することができない。そのまま焼け死ぬか、突き殺されるかの二択を迫られている。すでに左右の翼は閉じており、徐々に包囲網が狭まっていく。
その様子をパウルとオットーは、遠眼鏡越しに眺めていた。
「雨が降り始めたときはいささか心配しましたが、どうやら杞憂でした」
「ランベルトならどうにかすると言っただろう? ──しかし、火計とはあまり奴らしくない手口だな」
遠眼鏡を下ろすと、僅かに眉根を寄せるパウル。オットーは火計の仕掛け人に気づいていたが、口に出すことはしなかった。それよりも別働隊の動向が気になっていたからだ。
そして、パウルも同じだったらしいとオットーは知る。
「しかし、いささか別働隊は遅いな」
「……もしかすると、なにか不測の事態が起きたのかも知れません」
すでに会戦四日目。
これ以上時間をかけるのは得策でないとオットーは考えている。今は王国軍が優勢に事を進めているが、増援を呼ばれたら終わりだ。結局のところ王国軍の優勢とはその程度のもの。別働隊が役に立たないのであれば、今が一気に攻勢をかける好機だといえた。
そう判断したオットーは、パウルに進言する。
「閣下──」
口を開いた途端、首を横に振られる。こちらが何を言おうとしたのか、すでにわかっているらしい。
「伊達に二十年も連れ添ってないぞ。今オットーが考えていることはわかる」
「それでしたらッ!」
「確かに今は好機と言える。だが、敵の司令官とて愚物ではあるまい。不利と悟ればカスパー砦に撤退を始めるかもしれん。その間に増援も派遣されるだろう。後は言わなくてもわかるな」
鋭い視線を向けられ、オットーは眉根を寄せながら口を閉ざす。そんなオットーにパウルは僅かに笑みを漏らすと、心配するなとばかりに肩を叩く。
「自分で遅いと言っておいてなんだが、オリビア少尉に限って問題はないだろう。大体オットーが立案した作戦だろ? 部下を信じるのも上官の務めだ」
「……は、かしこまりました」
「ハア、ハア、ハア。娘ッ! お前は本当に人間かッ!?」
「あはは、面白いこと言うね。もちろん人間だよ」
オスヴァンヌは何度も致死の斬撃を繰り出しているが、軽々と漆黒の剣に弾かれてしまう。そのたびに手の痺れも増していく。技量の差は最早圧倒的。背中に忍び寄る死の気配を振り払うことができない。
「そろそろいいかな?」
「ハア、ハア……ダメだと言ったら剣を引くのかね?」
無論、本気で剣を引くとは思っていない。ただの戯言だ。だが、オリビアは剣を下げると、頬に人差し指を当て考えるような仕草を取った。命のやり取りをしているにもかかわらず不用意なその態度に、オスヴァンヌは思わず苦笑する。
「あーそれもそうか。ダメって言われたときのことを全く考えてなかったよ。言葉の使い方が間違っているね。やっぱり人間の言葉は難しいよ」
オリビアは笑顔を見せながら「じゃあ改めて、そろそろ殺すね」と言い、剣を一振りする。黒い靄を纏う奇妙な剣に妙な既視感を覚えつつ、オスヴァンヌは剣を上段に構えた。
「いくぞッ!!」
「うん。いつでもいいよ」
オスヴァンヌは呼吸を止めると、裂帛の気合いと共に剣を振り下ろした。己の力を全て剣に込めた必殺の一撃。常人には決して見切ることのできない速さ──が、
「オスヴァンヌさん、中々筋が良かったよ。ちょっと遅すぎるけどね」
剣はオリビアに届くことなく、むなしく空を斬っていた。横合いから鈴の音のような声が響くと同時に、流麗な軌跡を描きながら漆黒の刃が首筋に伸びてくる。体が完全に流れている今、回避することは最早不可能。
オスヴァンヌは僅かに口の端を上げると、静かに目を閉じる。
最後の瞬間、不意に脳裏をかすめたこと。それは愛する家族のことでもなければ、部下たちのことでもなく。漆黒の剣に纏う黒い靄とダルメス宰相の背後で蠢いていた影が、非常によく似ているということだった。
オリビアが血のりを払って剣を鞘に納めていると、息を切らせながらクラウディアと数人の兵士が駆けつけてきた。
「オリビア少尉! ご無事ですかッ!」
「うん。私は全然大丈夫だよ。クラウディアは平気?」
「多少傷は負いましたが、とくに問題ありません」
観察すると鎧の一部が凹んでいたり、腕や足から血が流れているが、どうやら命に別状はなさそうだ。オリビアは息をつくと、クラウディアの肩を軽く叩く。
「命はひとつしかないから大事にしようね」
「はっ、お気遣いありがとうございます! ──ところで、敵総司令官は討ち取ったのですか?」
「ん? あそこに転がっている首が総司令官だよ。オスヴァンヌ・フォン・グラルヴァインって名乗っていた」
オリビアは地面に転がっている白髪の首を指さす。クラウディアは緊張した面持ちで首に近づき、ゴクリと唾を飲み込む。
「本当に討ち取ってしまったのですね……」
「え? だって任務だからね。それより狼煙を上げるんじゃないの?」
「そ、そうでした!」
クラウディアは慌てて地面にしゃがみ込むと、早速狼煙の準備を始める。程なくして赤い色をした煙が天に向かって伸びていった。
「これで我が軍は一気に攻勢に出ることでしょう。我々はこれからどうしますか?」
「そうだねぇ……とりあえず帝国軍の戦意を完全に刈り取るために、総司令官の死を触れ回ろうか。槍の穂先にその首をつけてさ」
「そ、そこまでするのですか!?」
驚きの表情を見せるクラウディアに対し、オリビアは平然とした口調で答える。
「実物を見せたほうがわかりやすいでしょう? 嫌なら別にいいけど」
「い、いえ、すぐに準備いたします!」
兵士たちに指示を出すクラウディアを横目に、オリビアは大きな欠伸をする。戦いはようやく折り返し地点。これからカスパー砦の攻略もしなければいけない。本当に──
「ああ、本当に軍人は忙しい!」
まるで役者のような大げさな口調に、クラウディアは思わず吹き出した。
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