第二十五幕 ~激突~
──イリス平原
オスヴァンヌ大将率いる南部方面軍は、ガリア要塞軍に先んじてイリス平原に到着。パリスの進言に従い、戦場を一望できる高台に本陣を築いた。そして、中央にゲオルグ中将率いる鉄鋼騎突兵二万。左翼にヘイト少将、右翼にミニッツ少将率いる軽装歩兵を主力とした、計二万五千の兵を配置する。
十字剣の紋章旗を高々と掲げ、満を持してガリア要塞軍の到着を待ちうけた。
一方、一日遅れで到着したパウル、ランベルト中将率いる混成軍。中央を敵主力と判断し、ランベルト率いる第一軍、総勢二万五千の兵を対峙させる。両翼にはそれぞれエルマン、ホスムント少将率いる合計二万の兵。やや後方に本陣を築き、パウル率いる五千の兵によって固められた。
両陣営とも〝横隊〟と呼ばれる基本的な陣形を取った。広い平原を最大限に活かし、側背攻撃を許さぬ陣形だ。角笛と陣太鼓が鳴り響く中、鉄鋼騎突兵の突撃により戦端は開かれた。
後に《イリス会戦》と呼ばれた戦いの幕開けである。
「閣下、前に出過ぎです! もう少し後方にお下がりくださいッ!」
副官サイラス中佐が突出するゲオルグを慌てて引き留めに掛かる。だが、ゲオルグが馬を止めることはない。さらに腹を蹴り、馬を加速させる。必死に併走するサイラスに向かって、ゲオルグが鼓舞する。
「馬鹿を申すな! 軟弱な王国軍相手に弱腰でどうする? 我が鉄鋼騎突兵の前に塞がるものは、全て串刺しだ!」
ゲオルグは獰猛な笑みを浮かべながら、次々と襲いかかる王国兵を刺し貫いていく。中将自らの突貫に、騎兵たちも気炎を上げる。
戦いが始まって数時間。
イリス平原中央は激しい戦いとなっていた。
ゲオルグが率いる鉄鋼騎突兵団は、全て全身鎧で身を包んだ重装騎兵。特徴的なのは通常装備の槍ではなく、ランスと呼ばれる刺突に特化した武器を所持している点だ。馬の走力に合わせて突けば、鎧も簡単に貫くことができる。
鉄鋼騎突兵は高い防御力と攻撃力を活かし、戦局を有利に進めていった。
「温いッ! どうにも温すぎるわ! ガリア要塞軍とやらは、余程弱兵の集まりらしい」
悪態をつきながら突き刺した王国兵を投げ捨てるゲオルグに、サイラスが弾んだ声で呼びかける。
「閣下、敵が後退していきますッ!」
サイラスが指さす方向。陣形が崩れ、一部の王国兵が後退を始めている。それに合わせるかのように、他の兵たちも後退を始めていた。
「くくくっ……副官サイラス。この王国軍の動きをどう見る? 意見を述べよ」
ゲオルグのねめつけるような視線に、サイラスは自然と背筋を伸ばす。下手な意見を述べれば、副官とて容赦はしない。そういった目だ。
「はっ、おそらく敵は一旦引いて、陣形を立て直すつもりかと思われます!」
「では、我々はどう動くべきだ?」
「はっ、これは好機かと存じます。このまま中央を分断し、敵本陣に強襲をかけるべきかと」
望むべく回答を得たことに、ゲオルグは満足する。サイラスの言う通り、王国軍は陣形の立て直しを図るだろう。だが、一度崩れた陣形をそう易々と戻せないのは道理。
この機に乗じて一気に敵総司令官を討ち取れば、功は全て自分に帰する。そうなれば、大将の地位も最早夢ではない。
ランスについた血のりを振り払うと、ゲオルグは即座に言い渡す。
「サイラス! このまま敵中央を突破ッ! 本陣に強襲をかけるッ!」
「はっ!」
「聞け! 栄光ある鉄鋼騎突兵たちよ! 我と共に続け! 敵の総司令を討ち取れば褒美は思いのままだぞッ!」
「「「うおおおおおおおおおっっ!!!」」」
ゲオルグの鼓舞により、鉄鋼騎突兵たちが一斉に雄叫びを上げる。サイラスの合図と共に、猛然と王国軍に襲いかかった。これに対し、ランベルト率いる第一軍は必死に抵抗を試みるも、鉄鋼騎突兵の勢いは止まらない。
徐々に中央が分断され、本陣に迫ろうとしていた。
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鉄鋼騎突兵によって徐々に中央が分断される中、ナインハルトは冷静に戦局を見つめていた。崩れた部隊を後方に退却させつつ、間断なく矢を放つ。だが、強固な鎧が邪魔をし、大した効果が得られない。馬にも鎧を着せているため、殺して騎兵を振り落すという手段もとれなかった。
「ランベルト閣下、あれがうわさに名高い鉄鋼騎突兵らしいですね」
「どうやらそのようだ。猪突猛進とはまさにあの軍団のことを言うな。敵ながら見事な働きと言っていい」
ランベルトは感心したように頷く。確かに士気、練度とも申し分ない。精強を誇る第一軍がこうも易々と押されるとは、ナインハルトも正直予想していなかった。
「ですが感心してばかりもいられません。それで、どう対処します? 予備兵力を投入しますか?」
やや後方。高々と軍旗が掲げられている本陣に視線を移すと、ランベルトは鼻を鳴らす。
「ふん。わかっていてそういう口を訊くのは、お前の悪い癖だぞ。さっきから何かを仕込んでいただろう。それを俺が知らないとでも?」
「それは大変失礼いたしました。では」
ナインハルトは言葉を切ると、スッと左手を上げる。その合図を待っていたかのように、矢尻に油をたっぷり染み込ませた弓兵の集団が姿を現す。火付け役の兵士たちが矢尻に火をかざすと、勢いよく炎が燃え上がる。
充分に火が行き渡ったと確認し、ナインハルトは一気に手を振り下ろした。
「放てッ!」
合図と共に火矢が放物線を描きながら、次々と鉄鋼騎突兵目がけ襲いかかる。狙いは火矢で騎兵を焼き殺すことではない。馬を恐慌状態に陥らせることだ。この世に火を恐れない動物は存在しない。
ナインハルトの策は見事に功を奏し、馬は嘶きながら暴れはじめる。
突然の暴走に鉄鋼騎突兵たちはあっけなく落馬していく。そこを狙い、反撃とばかりに重装歩兵の部隊が切りかかっていった。彼らも慌てて応戦するが、重い鎧が足かせとなって中々思うように起き上がれないらしい。結局為す術もなく、次々と討ち取られていく。
その様を見届けながら、ナインハルトは呟いた。
「これでひとまずは、敵の侵攻を押さえられそうですね」
「そうだな。だが、油断は禁物だ。今は反撃に転じているが、敵もこのまま手をこまねいてはいないだろう」
二人は戦況を見つめながら黙って頷き合う。
その後戦いは一進一退の様相を見せ始め、こう着状態に陥る。両翼の戦いは中央ほど激しい戦いにならず、時間が経つごとに小康状態となっていった。やがて日が大きく西に傾き、イリス平原は血の海のように赤く染められていく。
それを合図に角笛が鳴り響くと、双方共に兵を引き上げ初日の戦いは幕を閉じた。
帝国軍の死者二千名に対し、王国軍の死者は三千名に及んだ。
両翼同士の戦いはほぼ互角だったものの、中央における戦いがその差を大きく分けることになった。
──王国軍 本陣
オットーは数人の部下と共に、各戦場から上がってきた報告をまとめる作業に追われていた。その中でも鉄鋼騎突兵の勇猛ぶりを伝える報告は群を抜いており、改めて帝国軍の強さを肌で感じていると、
「夜遅くまで精が出るな」
そう言いながら、パウルがふらりと現れた。部下たちが慌てて敬礼をする。
「閣下、もう少し天幕でお休みになってはいかがですか?」
オットーが気遣わしげに声をかけると、パウルは軽く手を振り用意された椅子へと座った。
「気にするな。オットーも知っての通り、戦のときは眠りが浅い。どうしても血がたぎるからな。歳をとってもそこは変わらないと見える──で、最終的な被害はどれほどだ?」
刃のような鋭い視線を向けるパウルに、かつて〝鬼神〟と恐れられた姿を思い出す。歳をとり大分丸くはなったが、やはり本質は変わらない。多少の懐かしさを感じつつ、オットーは現時点でまとめた情報を報告した。
「──そうか。猛将ランベルトでも手こずる相手か。鉄鋼騎突兵。噂にたがわぬ実力ということか」
「そのようです。第一軍は火矢にて馬を恐慌状態に陥れ、なんとか突貫を防いだとのことです。なれど」
言葉を切り、オットーは空を見上げる。先程までイリス平原を銀色の光で照らしていた月は、厚い雲に覆われ始めている。パウルも同じように空を見上げていた。
「……天候が崩れてきておるな」
「ええ。このまま雨でも降れば、火矢の効力も低くなりましょう。第一軍にとってかなり不利になるかと」
「まぁ、奴のことだ。それでも何とかするだろう。ところで別働隊はいつごろ到着しそうか?」
「予定通りなら、そろそろ到着するはずですが……」
奇襲が成功した際、狼煙を上げる手はずになっている。それに呼応し、こちらも一気に攻勢に出る構えだ。
パウルは「そうか」と一言だけ呟くと、ポケットから葉巻を取り出し、火をつける。紫煙がゆっくりと天に向かって昇っていく。
夜明けまで残り数時間と迫っていた。
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