第二十二幕 ~急報~
──カスパー砦 大本営
ガリア要塞軍、動く!
ガリア要塞付近を監視していた兵の急報を受け、オスヴァンヌ大将は将校を集め軍議を開いていた。
「現在の進軍状況はどうなっている?」
「はっ、現在ガリア要塞軍はエスティシ河を渡河。カナリア街道に向けて進軍しているとのことです!」
兵士が興奮気味に進軍状況を伝える。部屋の外ではガチャガチャとした金属音が響き、慌ただしい雰囲気が伝わってくる。すでにガリア要塞軍の進軍は全兵士に通達済みであり、それぞれが戦の準備に追われていた。
「閣下、進軍経路を訊く限り、敵の狙いはここ、カスパー砦で間違いないでしょう……どうやら先手を取られましたな」
「そのようだな。巣穴に引きこもっている生活も飽きたということか」
茶化しめいたオスヴァンヌの言葉に、将校たちは大きな笑い声を上げる。だが、パリスはオスヴァンヌから視線を逸らすと、そっと溜息を吐いた。その言葉の裏に釈然としない気持ちが宿っていることを知っているからだ。
(なぜ陛下はガリア要塞攻略を却下されたのだろう。閣下の作戦立案書は、私の目から見ても完璧なものだった。フェリックス大将も太鼓判を押したと聞いている。本来であれば、こちらが先手を打っていたはずなのに……)
耳障りな笑い声に内心で舌打ちを打つと、パリスは淡々と兵士に尋ねる。
「それで、敵の兵力はどれくらいだ?」
「はっ、斥候部隊からの報告によると、およそ五万とのこと」
「はは……は?」
その言葉に笑い声を上げていた将校たちの顔が一斉に固まる。
「五万か……意外に多いな。予想以上に戦力を温存していたということか」
パリスの呟きに答える者は誰もいなかった。彼らにとっても予想外の兵力だったのだろう。一部の者を除き、将校たちは眉根を寄せている。
カスパー砦の兵力は増強に増強を重ねた結果、五万五千までに膨れ上がっていた。〝予想以上の戦力〟とパリスは評したが、内心ではとくに騒ぎ立てるほどでもないと思っている。
だが、見込みが甘かったことは正直否めない。ガリア要塞の総兵力は四万。多くても四万五千くらいだろうと見積もっていた。実際は要塞に残している守備兵力のことも考慮すると、六万前後だろうと上方修正する。
(ガリア要塞に放った密偵からの連絡はない。おそらくは捕まったか、あるいは既に殺されたか。ここにきて情報が乏しいのは痛いな)
情報部隊出身のパリスは、当然のごとく情報を重視する。時にひとつの情報が万の兵よりも価値があり、勝敗の行方を左右することを知っているからだ。
だが、ここにいる将校たちを含め、大多数の意見は違う。情報とはあくまでも補佐的なものと位置付けている。勝敗を決めるのは常に純粋な武力だと、信じて疑わない連中ばかりだ。
その筆頭がゲオルグ中将。建国の一翼を担ったバッハシュタイン家の当主であり、名家という権力を背景に全てを手に入れてきた巨躯の男だ。武勇にも優れ、鉄鋼騎突兵と呼ばれる直轄軍を率いている。
ゲオルグはパリスに一瞥くれると、張り付いたような笑みをオスヴァンヌに向けた。
「閣下、いくら数が多かろうが王国軍なぞ所詮弱小な兵の集まり。何も恐れるに足りません。ここは一気に進軍し、帝国軍の力を存分に見せつけましょうぞ」
力を誇示するかのようにテーブルを叩き、気勢を上げるゲオルグ。それに追随するように「その通り!」と、将校たちの声が次々と上がっていく。
先程眉根を寄せていた将校たちも、同じように声を上げていた。
「皆、よくぞ申した。では、我々の力をガリア要塞軍に見せつけることにしよう──パリス、迎撃場所はどこがよい?」
オスヴァンヌに促され、パリスは机上に広げられた地図に視線を落とす。
「そうですね……イリス平原がもっとも適しているかと」
「そこを選んだ理由は?」
「簡単です。もっとも大軍を活かすのに適した地形だからです。隣接するアーク大森林。そして、グロックス渓谷も大軍を動かすに適当ではありません。何よりカスパー砦とイリス平原は最短距離で結ばれています。敵が馬鹿でなければ、同じことを考えるでしょう」
オスヴァンヌは首肯する。
「ふむ。そうなると正面決戦か」
「それは望むところです。我が直轄軍が誇る鋼鉄騎突兵の恐ろしさ。存分に見せつけてやりましょうぞ!」
そう言うと、ゲオルグは獰猛に笑う。居並ぶ将校たちも戦意を顔に漲らしていた。その様子を見て、パリスは危機感を募らせる。
(少し危ういな。久しぶりの大きな戦いということもあって、功を焦っているように見える。あまりよくない兆候だ)
激しい戦闘が続く北方戦線や中央戦線に比べ、南方戦線は小康状態となっている。そのため、武功を立てる機会が極端に少ない。他の戦線の同僚たちが次々と武功を立てるのを、彼らは事あるごとに不満を漏らしていた。
そこにきてガリア要塞軍、進軍の報。彼らが戦意をたぎらせるのも無理からぬ話だとパリスも思う。だからと言って、功を焦ったあげく戦いに敗北しました。では済まされない。参謀である以上、常に最悪の状況を視野に入れる必要がある。
そう考えたパリスは、オスヴァンヌに進言する。
「閣下。念のためキール要塞に増援を要請されてはいかがでしょうか? 安全策をとることに度が過ぎるということは──」
「お前は何を言っているのだ?」
途中で言葉を遮られ、パリスは声の持ち主──ゲオルグに視線を向ける。ゲオルグは肩を大きく震わせながら、パリスを睨みつけていた。
「もう一度言う。お前は何を言っているのだ? こちらの兵数が少ないのならまだ理解もできる。だが、此度は兵数において優劣はない。過剰に敵を恐れ、増援を要請する腰抜けとそしりを受けたいのか?」
「ゲオルグ中将。失礼ながら申し上げます。圧倒的な数でせまれば、それだけで敵の戦意を刈り取ることが可能です。こちらの損耗を限りなく抑えられると愚考いたしますが?」
パリスが反論を述べると、ゲオルグは拳を机に叩きつけた。
「この馬鹿がッ! 仮にだ。仮に圧倒的な兵力で勝利を得たとして、誰にその功を誇れるのだ? 貴様、それでも栄えある帝国兵士か? 恥を知れッ!!」
兵の損耗よりも名誉を重んじるゲオルグの言葉に、最早これ以上何を言っても無駄だろうとパリスは察した。
「……は、無用な進言を行い、申し訳ありませんでした」
パリスが深く頭を下げていると、嘲笑めいた笑い声が複数聞こえてくる。声から察するに〝ゲオルグ派〟と呼ばれている連中だろう。ゲオルグの取り巻きは、全て上級貴族出身の将校たちで固められている。こういった扱いに慣れている下級貴族出身のパリスは、別段思うことは何もない。
「ゲオルグよ。パリスも参謀としての意見を言ったに過ぎない。そう事を荒立てるな」
「は、閣下がそうおっしゃるのであれば……」
オスヴァンヌが宥めると、渋々と言った表情で引き下がるゲオルグ。オスヴァンヌはパリスの肩を軽く叩くと、柔らかな口調で言った。
「パリスの意見は心に留めておこう。まずは一戦交え、敵がどのような出方をするのか。それを見定めてからでも遅くはないはずだ」
「……はっ」
「よし──では皆の者。グラスを掲げよ」
オスヴァンヌが立ち上がりグラスを掲げると、居並ぶ将校たちもそれに続く。
「「「アースベルト帝国に栄光と輝きを!!!」」」
「「「偉大なるラムザ皇帝に永遠の忠誠を!!!」」」
──明けて翌日。
総勢五万の兵士が整然と立ち並ぶ中、進発を告げる角笛が澄み切った青空に響き渡った。
「閣下、全ての準備が整いました」
「よろしい。全軍、イリス平原に向け進発せよ」
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