第二十章 ~志願理由~
「……何というか。とても変わった少女ですね」
オリビアの足音が遠ざかる中、ナインハルトは正直な感想を口にした。色々な意味であまりにも想像の外にいた少女だったからだ。
「ナインハルト大佐。あれは単に礼儀や常識が大幅に欠けているだけです」
オットーは忌々しそうに言う。未だに怒りが収まらないのか、手にしたティーカップが微かに揺れている。普段冷静な男がここまで感情をあらわにするのも珍しい。
らしくない態度に思わず笑みを漏らしてしまうと、オットーの冷ややかな視線が突き刺さる。ナインハルトは慌てて口を引き結んだ。
「どうだ大佐、実に可愛い子であっただろう?」
一方のパウルはニコニコと笑みを浮かべ、オットーとは真逆な態度を示す。ナインハルトは何と答えていいのかわからず、曖昧な笑みを浮かべた。おそらくは孫のような感覚で見ているのだろう。
実際パウルの孫娘も同じくらいの年齢だと聞いている。
もちろん、心がざわめく容姿であることに異論の余地はない。それこそドレスで着飾れば、大貴族の令嬢だと紹介されてもすんなりと信じてしまいそうだ。パーティなどに出席したら大いに男性の注目を集めることになるだろう。
また同時に、女性の嫉妬を買うところまで予想できる。
(恐ろしい姿をした少女に違いないなどと、随分と失礼な妄想をしてしまったな)
ナインハルトは内心で苦笑した後、テーブルの上に置かれた紅茶を手に取った。今ではこんなものでも嗜好品のひとつになりつつある。凶作の名を借りたサザーランドの経済封鎖により、今や取り締まるべき密輸入に頼っている有様だ。
やるせない思いで冷たくなった紅茶をすすっていると、オットーはようやく怒りを鎮めたらしい。赤くなった拳を摩りながら、不意に思い出したかのように尋ねてきた。
「そういえば、准尉に礼を言うのではなかったのですか?」
「まぁ、そのつもりだったのだが色々とインパクトが強すぎてな。つい言いそびれてしまったよ」
「後程出頭させましょうか?」
「……いや、また日を改めるとしよう。今はケーキに夢中だろうからな」
言ってすぐに失言だったと気づく。案の定「大体ケーキなどと、閣下が甘やかすから」と言いながらパウルを睨むオットー。だが、睨まれた本人は、全く気にする素振りを見せない。ゆったりとソファーにもたれかかりながら、実に美味そうに葉巻を吸っていた。
「オットー副官。そう文句ばかり言うな。大体今度の計略にしても、オリビア准尉がランブルク砦を奪取したからこそ可能なのだろう? あまり口やかましく言うと、オリビア准尉も帝国軍に寝返るかもしれんぞ?」
「ぐっ、そ、それは……」
痛いところをつかれたとばかりに、オットーの顔が険しい表情へと変化していく。現状からすればありえない話でもないと思ったのだろう。
現在王国軍は脱走兵の問題に頭を悩ませている。ただ脱走するだけならまだ救いはあるが、帝国に寝返る兵士も少なくない。ある日小隊ごと脱走して、後日帝国軍の小隊として姿を見せた。そんな冗談のような報告も受けている。
最近では脱走が発覚した場合、見せしめのため即刻公開処刑が行われる。磔の上火あぶりか、断頭台送り。恐怖を与えることにより次なる脱走を思いとどまらせるための処置だが、それでも命を懸けて脱走する者が日々絶えることはない。
また一方で、公開処刑により王国に対する民衆の不満を逸らすという副次的な効果が表れていたりもする。何とも皮肉めいた話だ。実に情けない限りだが、これが今の王国軍の偽らざる現状である。
ナインハルトは、オリビアが幸せそうにケーキを食べていた姿を思い出す。
以前確認したオリビアの報告書によると、志願兵との記述があった。しかも、手土産と称して多数の帝国兵士の首を持参したと訊いている。パウルは寝返ると言ったが、実際その可能性はないだろうとナインハルトは思っている。
だからと言って、絶対に寝返らないという保証はどこにもない。あの飄々とした態度から察するに、少なくとも愛国心に駆られてといった理由ではないはずだ。自身の栄達を望んでいるようにもみえない。
それだけに山のようなケーキを帝国軍に提示されたら、簡単になびいてしまいそうな雰囲気がオリビアにはあった。
(そもそも、何であの子は王国軍に志願したのだろう?)
ふとした瞬間疑問がわき上がり、ナインハルトは顎に手を当てる。
今や王国は砂上の楼閣だ。いつ崩れ去ってもおかしくない。オリビアほどの力があれば、帝国は厚遇をもって迎え入れるだろう。
立場上口には出せないが、なぜ帝国軍ではなく王国軍に志願したのか。その理由が全くわからない。
「オットー中佐、オリビア准尉の志願理由は訊いているのか?」
未だ苦悶の表情を浮かべているオットーに尋ねてみる。通常一兵士の志願理由を聞くことなどまずありえない。求められるのは戦えるか、戦えないか。その二択だけなのだから。
だが、最初から圧倒的な武威を示したオリビアは、その限りではない。用心深いオットーであれば、何かしら話を訊いているのではないか。そう思っての質問だった。
「……一応訊いてはいます。ただ話の要領を得ないと言うか……准尉曰く〝ゼット〟を探す手段のひとつだとか」
やはり訊いていたかと内心感心しながら、ナインハルトは話を続ける。
「ん? ゼット? 随分と変わった名前だな。何者なんだ?」
「実に馬鹿馬鹿しい話なのですが、准尉は〝死神〟だと言っています」
「──は? 死神? 死神ってあの大鎌を持つ?」
ナインハルトが大鎌を振り上げる仕草をすると、オットーは不承不承といった感じで頷く。骸骨が襤褸を纏い、大鎌を持つ姿はあまりにも有名だ。作者によって多少描き方は異なるだろうが、大多数の人間は同じように想像するだろう。
「また随分と荒唐無稽な話が飛び出してきたな」
「……まぁ、確かにそうですな……」
何とも歯切れの悪いオットーの言葉に、ナインハルトは訝しむ。
「ん? まさかオットー中佐はその話を信じたのか?」
「信じるか信じないかは別にしても……普通嘘をつくならもっともらしい話をするはずです。先程も言いましたが、実に馬鹿馬鹿しい話なので」
おそらく自分でも判断がつかなかったのだろう。オットーにしては珍しく、困惑した表情を浮かべている。ナインハルトも何と言っていいかわからず、結局「はぁ」と曖昧な返事をした。
パウルはその辺の事情を全く知らなかったらしい。妙に納得した顔で「そうか。死神を探しているのか」と呟くと、くつくつと笑っていた。
(しかし、全く意味がわからない。死神とは何かの比喩なのだろうか? どうも話を訊く限り、人探し──人と言っていいのかは不明だが、そのために王国軍に志願したのは間違いないようだが……)
ナインハルトは深く考えようとして、途中で思考を切り替えた。テーブルの上に置かれた書類の束が目に入ったからだ。今は他にやるべきことが山積している以上、オリビアの言動を考察している余裕はない。
ナインハルトは深呼吸すると、テーブルの上の書類に手を伸ばした。
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